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自由の代償
一九一四年六月二四日、サライェヴォ
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だから、上手くいかなかったのは決して私がしくじった訳ではないわ。ただ、時代が悪かったの。あんなことになるなんて、私も祖父もオットーも、この世の誰も思ってもみなかったのよ。私とオットーの仲がいよいよ険悪になって、逆に私とレルヒの関係が深まっていった──そのように世間に見せていた──のは、一九一四年のことだった。個人の年表で何があったか問題にならない年なのは、貴方だってよく知っているでしょう。第一次世界大戦が、始まってしまったの。私にとっては、それに先立ってとても身近なところで悲劇が起きた年でもある。最初の時にも少し触れたわね、大戦の引き金となったサライェヴォ事件──あの時に亡くなったのは、オーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者夫妻だった。
フランツ・フェルディナント大公とホーエンベルク公爵夫人。
祖父や私に近しい血縁の方、母とも縁のあった方だった。大公は謹厳な方だったから、私の評判には眉を顰めていらっしゃった。夫人も、あの方が御子たちのために切望していた帝位継承権を放棄した私のことがお嫌いだったみたい。それでも、私の近しい親族には変わりなかった。たとえハプスブルク家を離れたとしても、ね。ご夫妻がサライェヴォに発つときには、ポーラ港から大公の名を冠した軍艦フランツ・フェルディナント号に乗って行かれたのよ。私がレルヒや子供たちと過ごしていたすぐ近くから。そしてあんな恐ろしいことになるだなんて、どうして予想できたでしょう。
そう……だから、私は帝国が、世界中が戦争をしていた時に自分のことだけ考えていた訳ではなかったのよ。私はそこまで身勝手な人間ではないの。あの戦争の間、私がどんな気持ちで、何に耐えて来たのか──ここまで来たら、そこのところもはっきりと言ってやりたいけれど。どうせ貴方は、ひどい噂を信じているのでしょうから。
でも、今日は疲れてしまったわ。心だけでもあちこちに旅をさせるのは、この歳になるととても難儀なものなのね。それに、若いころに見た光景や感じた思いを蘇らせようとすると、あまりに眩しくて激しくて。
だから、また明日来てちょうだいな。一晩眠れば、私の気力も少しは戻っているでしょうから。昔のことも今のことも気が滅入るようなことばかりで、良い夢は見られないでしょうけれど。
約束をしてあげるからといって、貴方への厚意や親切だなんて思わないことね。私は、私自身のことについて勝手に想像されるのが我慢ならないだけなのよ。私は、確かに思い上がって鼻持ちならない女ではあったのでしょう。でも、まったく苦労を知らない訳でもないということを、ちゃんと教えてあげたい──そうしなければならないと思うのよ。
さあ、今日のところは早く出て行って。身体のあちこちが痛むのよ。もうお客様に向けた顔を取り繕うこともできそうにないの。私が無作法をしでかしてしまう前に、さっさとお引き取りなさい。
フランツ・フェルディナント大公とホーエンベルク公爵夫人。
祖父や私に近しい血縁の方、母とも縁のあった方だった。大公は謹厳な方だったから、私の評判には眉を顰めていらっしゃった。夫人も、あの方が御子たちのために切望していた帝位継承権を放棄した私のことがお嫌いだったみたい。それでも、私の近しい親族には変わりなかった。たとえハプスブルク家を離れたとしても、ね。ご夫妻がサライェヴォに発つときには、ポーラ港から大公の名を冠した軍艦フランツ・フェルディナント号に乗って行かれたのよ。私がレルヒや子供たちと過ごしていたすぐ近くから。そしてあんな恐ろしいことになるだなんて、どうして予想できたでしょう。
そう……だから、私は帝国が、世界中が戦争をしていた時に自分のことだけ考えていた訳ではなかったのよ。私はそこまで身勝手な人間ではないの。あの戦争の間、私がどんな気持ちで、何に耐えて来たのか──ここまで来たら、そこのところもはっきりと言ってやりたいけれど。どうせ貴方は、ひどい噂を信じているのでしょうから。
でも、今日は疲れてしまったわ。心だけでもあちこちに旅をさせるのは、この歳になるととても難儀なものなのね。それに、若いころに見た光景や感じた思いを蘇らせようとすると、あまりに眩しくて激しくて。
だから、また明日来てちょうだいな。一晩眠れば、私の気力も少しは戻っているでしょうから。昔のことも今のことも気が滅入るようなことばかりで、良い夢は見られないでしょうけれど。
約束をしてあげるからといって、貴方への厚意や親切だなんて思わないことね。私は、私自身のことについて勝手に想像されるのが我慢ならないだけなのよ。私は、確かに思い上がって鼻持ちならない女ではあったのでしょう。でも、まったく苦労を知らない訳でもないということを、ちゃんと教えてあげたい──そうしなければならないと思うのよ。
さあ、今日のところは早く出て行って。身体のあちこちが痛むのよ。もうお客様に向けた顔を取り繕うこともできそうにないの。私が無作法をしでかしてしまう前に、さっさとお引き取りなさい。
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