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自由の代償

チェコとハプスブルク

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 祖父の帝国の構成していた国々の中でも、チェコは──プラハは、特にハプスブルク家とは因縁が深い地ですからね。プラハの礎を築いたカレル一世は、神聖ローマ皇帝ではあってもハプスブルク家の出身ではなかった。そもそもハプスブルク家の開祖、私の父がその名をいただいたルドルフ一世は、ボヘミア王と争い、降した結果として神聖ローマ皇帝位を得たのだったわ。フス戦争ではローマ教皇と敵対してでも戦ったし、信仰を巡ってはハプスブルク家の皇帝が弾圧したこともあった。チェコの人たちは、そんな風に独立の気風に富んだ人たちだということよ。私のはとこの子、最後の皇太子を名乗るオットーなんかは──私のもと夫と同じ名前だなんて奇遇だこと──、チェコを反逆者のように悪しざまに語るそうだけど、歴史をさかのぼれば彼らは彼らだけの王国を持っていたこともあるのを忘れるべきではないのでしょうね。

 私がプラハに越したころは、言語令を巡っての混乱や暴動の記憶も新しくて、ドイツ語を話す者に対しては不穏な、刺々しい気配を感じたものよ。貴方、ウィーンで生まれ育った人かしら。とにかく、ドイツ語をずっと使ってきたなら分からないかもしれないわね。自分の使う言葉が、時と場所によって許されないこともあるのがどういう気分か。もちろん、私だって完全に分かるとは言えないのだけど、とにかく、チェコの人たちが長年持っていた不満がそれなのよ。

 多くの国や民族を束ねる帝国を保つために、祖父は多くの妥協をしたけれど、そのひとつが言語に関わるものだったわ。どの民族も、自らの言語を公的に使えるようにと切望してやまなかった。けれど一方で、それを認めてはドイツ語しか解さないドイツ系の役人は職を失うことになるでしょう。だから祖父は、ある時はチェコ語にドイツ語と同等の地位を与え、ドイツ系臣民からの圧力を受けてはその法令を撤回した。そして、それがまたチェコ人からの反発を産んだのよ。既得権益と民族主義の対立、と言うのは簡単だけど、どちらの言葉を話していようと、チェコに生きる人たちには変わりなかったのに。言葉と民族が違うと、違う人間なのだと思ってしまうのでしょうね、お互いに。

 私は、祖父の方針でチェコ語も教わっていたからまだ良かったわ。帝国を治める一族に生まれた者は、臣民の言語にも通じている必要があるということね。ハプスブルク家の者だということで誰からも冷ややかな目で見られ、でも、流暢なチェコ語が話せると分かると途端に少し態度が和らぐの。あの街にいる間に、帝国は長くは持たないのは事実なのだろうと、私は思い知らされたのよ。中欧を広く緩やかに纏めるドナウ帝国だなんて幻なのよ。とても危うい均衡の上で各民族が辛うじて寄り集まっているに過ぎなかったの。祖父は六十年に渡って全精力を帝国に捧げたから、だからどうにか皇帝として敬意を集めることができた。でも、それ以外の人は帝国の象徴足りえなかったでしょう。女である私はもちろんのこと、父とフランツ・フェルディナント大公の奇禍の後に皇太子の地位を継いだカール大公だってそうよ。父が予見した通り、帝国は間もなく滅びるのだと──間近な未来が、私の目にもはっきりと見えた。だからこそ、早くもっと自由にならなければ、と思ったのよ。

 とはいえ、プラハにいる間ずっと焦っていたということでもなかったわ。最初はまだオットーとの仲も円満で、幸せな新婚生活と言っても決して間違いではなかった。子供にも四人恵まれたわ。男の子が三人と、一番下に女の子。フランツ・ヨーゼフ、エルンスト・ウェーリアント、ルドルフ、そしてシュテファニー。私の祖父や両親からも名前をもらった天使たち。オットーとの結婚は皇室を逃れるための方便でしかなかったけれど、子供を持つことができたのは素晴らしいことだったわ。そして、我が子を愛するほどに、皇室や貴族というものから離れなければならないと思うようになっていった。だって、帝国が滅びた後に、ハプスブルク家の出自であるという事実が子供たちの利益になるとは私には思えなかったのだもの。プラハで嫌というほど分かったわ、ハプスブルク家の統治を快く思わない人も多いのだと。祖父の名を憎む人さえいるのだと。

 一八四八年の革命の時、即位したばかりの祖父はとてもたくさんの人を処刑して、軍を動かして暴動を鎮圧して、血のブルーティゲ若き・ユンゲ・皇帝カイザーと呼ばれたものだった。私がプラハで感じたようなちくちくとした居心地悪さを、子供たちには味わわせたくなかったのよ。だから、焦ったというなら子供たちが大きくなり始めてから、だったかしら。子供たちを連れて、プラハやウィーン、あのミラマーレ城を含めたあちこちのお城を行き来しながら、私はじっと機を窺ったわ。いつ、どうやってこの結婚を終わりにしようか、って。
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