ich rede nichts 赤い皇女は語らない

悠井すみれ

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自由の代償

ハネムーンから醒めて

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 ウィーンでの結婚式の後、私は夫、オットー・ヴィンデッシュ=グレーツと一緒に新婚旅行に出たわ。最初は、今のユーゴスラヴィアにある彼の実家の城へ。湖のほとりにある素敵なお城なのよ。今はチトー大統領の夏の別荘になっているそうね。独裁者ではあるのでしょうけれど、いくつもの民族を共存させようというチトーの理念は祖父の帝国の在り方にも少し似ているでしょう。だからかしら、残念で悲しいことではあるのだけど、さすが目が高いのね、とも思うわ。少なくとも、シェーンブルンやホーフブルクのように不特定多数の観光客に踏み荒らされるのではないのでしょうしね。

 もちろん、その時はもう私は皇女ではなかったわ。でも、ほかの人たちには関係なかったようね。行く先々で、私たちは鬱陶しいくらいに歓迎されて祝福されたわ。新婚だというのに、みんな放っておいてくれなくて。父の悲劇はあのころすでに名高かったから、「あの」皇太子ルドルフの娘だ、という物珍しさもあったのでしょう。
 ヴィンデッシュ=グレーツ家の居城を出た後は、イタリアを回って、さらにエジプトに足を伸ばしたわ。ピラミッドを仰ぎ見て悠久の歴史やナポレオンにも思いを馳せたの。ナポレオンはハプスブルク家とも因縁が深いけれど、私くらいの世代になれば単純に偉業に敬意を払っても良いでしょう。その後も、結婚したばかりの夫との旅は続いたわ。復活祭はエルサレムで過ごせるように旅程を調整したし、ギリシャやトルコも巡った。どこも、歴史も由緒もある場所ばかりで、エキゾチックな香りに酔いしれるようだったものよ。世間の人は、私が新婚の喜びと幸せにこそ酔いしれていると思ったのでしょうけれど。

 確かに素敵な旅だったわ。宮廷の堅苦しさを寒いウィーンに置き去りにして、温暖な国々で自由に羽根を伸ばすのは! オットーも私も若くて見た目が良くて、お互いに見せびらかすには願ってもない夫であり妻だったしね。でも、私は新婚旅行の時にはもう気付き始めていたの。祖父にねだって、世間や宮廷を驚かせて勝ち取ったはずの自由も、思ったほどではなかったと。だって、どこへ行っても私は結局オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝の孫娘で、「あの」皇太子ルドルフの遺児でしかなかったのだもの。どの国でも王様や貴族や大富豪が簡単に私たちに会って、惜しみなく結婚祝いの贈り物をくれるのは素敵なことだったわ。オットーなんか、すっかり舞い上がってしまっていたようだったもの。結局のところ、あの男はハプスブルク家のお姫様を手に入れて皇族の一員にでもなったつもりだったのでしょうね。でも、金銀や宝石の眩しすぎる煌めきやシャンパンのように浴びせられる美辞麗句に、私は誤魔化されまいと思っていたわ。私が欲しかったのはどこまでも縛られずに生きることだったのだもの。行く先々で見張られて、記事に取りざたされる人生なんて祖母と同じよ。だから、この結婚だけでは足りないと、私は考え始めていたの。

 それでも、祖父の計らいでプラハに暮らすようになってからは、少なくとももと皇女だからといって特別扱いをされることはなくなったわね。祖父は、オットーをプラハの参謀本部勤務にしてくれたの。といっても名前ばかりで、大した任務はなかったのだけど。要は、軍務は良いから孫娘をたっぷり甘やかしてやれ、ということよ。父のことがあったからでしょうね、祖父は、私には本当に優しかった──甘かったのよ。今の時代なら、もちろん批判されるべき依怙贔屓よ。いちいち言われなくても分かっているわ。だから話の腰を折らないでちょうだいね。
 オットーとプラハに着いたのは一九〇二年の初夏のこと、私は十八歳だったわ。ええ、まだまだ子供の、ほんの小娘よ。だからまだ人生の目標を達成していなかったとしても落胆なんかしていなかったわ。それにね、プラハで私は民族主義とはどういうものかを肌で学んだの。そのころ流行りの──というか、二十世紀になってから今まで、ヨーロッパではずっと流行り続けている熱病のような思想を。
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