16 / 73
自由の代償
ハネムーンから醒めて
しおりを挟む
ウィーンでの結婚式の後、私は夫、オットー・ヴィンデッシュ=グレーツと一緒に新婚旅行に出たわ。最初は、今のユーゴスラヴィアにある彼の実家の城へ。湖のほとりにある素敵なお城なのよ。今はチトー大統領の夏の別荘になっているそうね。独裁者ではあるのでしょうけれど、いくつもの民族を共存させようというチトーの理念は祖父の帝国の在り方にも少し似ているでしょう。だからかしら、残念で悲しいことではあるのだけど、さすが目が高いのね、とも思うわ。少なくとも、シェーンブルンやホーフブルクのように不特定多数の観光客に踏み荒らされるのではないのでしょうしね。
もちろん、その時はもう私は皇女ではなかったわ。でも、ほかの人たちには関係なかったようね。行く先々で、私たちは鬱陶しいくらいに歓迎されて祝福されたわ。新婚だというのに、みんな放っておいてくれなくて。父の悲劇はあのころすでに名高かったから、「あの」皇太子ルドルフの娘だ、という物珍しさもあったのでしょう。
ヴィンデッシュ=グレーツ家の居城を出た後は、イタリアを回って、さらにエジプトに足を伸ばしたわ。ピラミッドを仰ぎ見て悠久の歴史やナポレオンにも思いを馳せたの。ナポレオンはハプスブルク家とも因縁が深いけれど、私くらいの世代になれば単純に偉業に敬意を払っても良いでしょう。その後も、結婚したばかりの夫との旅は続いたわ。復活祭はエルサレムで過ごせるように旅程を調整したし、ギリシャやトルコも巡った。どこも、歴史も由緒もある場所ばかりで、エキゾチックな香りに酔いしれるようだったものよ。世間の人は、私が新婚の喜びと幸せにこそ酔いしれていると思ったのでしょうけれど。
確かに素敵な旅だったわ。宮廷の堅苦しさを寒いウィーンに置き去りにして、温暖な国々で自由に羽根を伸ばすのは! オットーも私も若くて見た目が良くて、お互いに見せびらかすには願ってもない夫であり妻だったしね。でも、私は新婚旅行の時にはもう気付き始めていたの。祖父にねだって、世間や宮廷を驚かせて勝ち取ったはずの自由も、思ったほどではなかったと。だって、どこへ行っても私は結局オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝の孫娘で、「あの」皇太子ルドルフの遺児でしかなかったのだもの。どの国でも王様や貴族や大富豪が簡単に私たちに会って、惜しみなく結婚祝いの贈り物をくれるのは素敵なことだったわ。オットーなんか、すっかり舞い上がってしまっていたようだったもの。結局のところ、あの男はハプスブルク家のお姫様を手に入れて皇族の一員にでもなったつもりだったのでしょうね。でも、金銀や宝石の眩しすぎる煌めきやシャンパンのように浴びせられる美辞麗句に、私は誤魔化されまいと思っていたわ。私が欲しかったのはどこまでも縛られずに生きることだったのだもの。行く先々で見張られて、記事に取りざたされる人生なんて祖母と同じよ。だから、この結婚だけでは足りないと、私は考え始めていたの。
それでも、祖父の計らいでプラハに暮らすようになってからは、少なくとももと皇女だからといって特別扱いをされることはなくなったわね。祖父は、オットーをプラハの参謀本部勤務にしてくれたの。といっても名前ばかりで、大した任務はなかったのだけど。要は、軍務は良いから孫娘をたっぷり甘やかしてやれ、ということよ。父のことがあったからでしょうね、祖父は、私には本当に優しかった──甘かったのよ。今の時代なら、もちろん批判されるべき依怙贔屓よ。いちいち言われなくても分かっているわ。だから話の腰を折らないでちょうだいね。
オットーとプラハに着いたのは一九〇二年の初夏のこと、私は十八歳だったわ。ええ、まだまだ子供の、ほんの小娘よ。だからまだ人生の目標を達成していなかったとしても落胆なんかしていなかったわ。それにね、プラハで私は民族主義とはどういうものかを肌で学んだの。そのころ流行りの──というか、二十世紀になってから今まで、ヨーロッパではずっと流行り続けている熱病のような思想を。
もちろん、その時はもう私は皇女ではなかったわ。でも、ほかの人たちには関係なかったようね。行く先々で、私たちは鬱陶しいくらいに歓迎されて祝福されたわ。新婚だというのに、みんな放っておいてくれなくて。父の悲劇はあのころすでに名高かったから、「あの」皇太子ルドルフの娘だ、という物珍しさもあったのでしょう。
ヴィンデッシュ=グレーツ家の居城を出た後は、イタリアを回って、さらにエジプトに足を伸ばしたわ。ピラミッドを仰ぎ見て悠久の歴史やナポレオンにも思いを馳せたの。ナポレオンはハプスブルク家とも因縁が深いけれど、私くらいの世代になれば単純に偉業に敬意を払っても良いでしょう。その後も、結婚したばかりの夫との旅は続いたわ。復活祭はエルサレムで過ごせるように旅程を調整したし、ギリシャやトルコも巡った。どこも、歴史も由緒もある場所ばかりで、エキゾチックな香りに酔いしれるようだったものよ。世間の人は、私が新婚の喜びと幸せにこそ酔いしれていると思ったのでしょうけれど。
確かに素敵な旅だったわ。宮廷の堅苦しさを寒いウィーンに置き去りにして、温暖な国々で自由に羽根を伸ばすのは! オットーも私も若くて見た目が良くて、お互いに見せびらかすには願ってもない夫であり妻だったしね。でも、私は新婚旅行の時にはもう気付き始めていたの。祖父にねだって、世間や宮廷を驚かせて勝ち取ったはずの自由も、思ったほどではなかったと。だって、どこへ行っても私は結局オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝の孫娘で、「あの」皇太子ルドルフの遺児でしかなかったのだもの。どの国でも王様や貴族や大富豪が簡単に私たちに会って、惜しみなく結婚祝いの贈り物をくれるのは素敵なことだったわ。オットーなんか、すっかり舞い上がってしまっていたようだったもの。結局のところ、あの男はハプスブルク家のお姫様を手に入れて皇族の一員にでもなったつもりだったのでしょうね。でも、金銀や宝石の眩しすぎる煌めきやシャンパンのように浴びせられる美辞麗句に、私は誤魔化されまいと思っていたわ。私が欲しかったのはどこまでも縛られずに生きることだったのだもの。行く先々で見張られて、記事に取りざたされる人生なんて祖母と同じよ。だから、この結婚だけでは足りないと、私は考え始めていたの。
それでも、祖父の計らいでプラハに暮らすようになってからは、少なくとももと皇女だからといって特別扱いをされることはなくなったわね。祖父は、オットーをプラハの参謀本部勤務にしてくれたの。といっても名前ばかりで、大した任務はなかったのだけど。要は、軍務は良いから孫娘をたっぷり甘やかしてやれ、ということよ。父のことがあったからでしょうね、祖父は、私には本当に優しかった──甘かったのよ。今の時代なら、もちろん批判されるべき依怙贔屓よ。いちいち言われなくても分かっているわ。だから話の腰を折らないでちょうだいね。
オットーとプラハに着いたのは一九〇二年の初夏のこと、私は十八歳だったわ。ええ、まだまだ子供の、ほんの小娘よ。だからまだ人生の目標を達成していなかったとしても落胆なんかしていなかったわ。それにね、プラハで私は民族主義とはどういうものかを肌で学んだの。そのころ流行りの──というか、二十世紀になってから今まで、ヨーロッパではずっと流行り続けている熱病のような思想を。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

座頭軍師ー花巻城の夜討ちー
不来方久遠
歴史・時代
関ヶ原の合戦のさなかに起こった覇権を画策するラスボス伊達政宗による南部への侵攻で、花巻城を舞台に敵兵500対手勢わずか12人の戦いが勃発した。
圧倒的な戦力差で攻める敵と少数ながらも城を守る南部の柔よく剛を制す知恵比べによる一夜の攻防戦。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる