ich rede nichts 赤い皇女は語らない

悠井すみれ

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自由のための一歩

シンデレラの魔法が解けても

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 皇女が宮廷から逃げ出すなんて無理だと思うかしら。何を想像しているかは分からないけれど、シンデレラのように靴を脱ぎ捨てて走り出すようなことではない、もっと比喩的なことよ? それとも、世間知らずゆえの無謀だと言いたいのかしら。でも、私は貴方が思っているよりは自分の立場が分かっていて、そして、早くしなければ、と焦っていたわね。そうしないと祖母のように閉じ込められてしまいそうだと思っていたもの。

 父は妻以外の女性と死を選んだ。残された母と、帝国の後継者であるはずのフランツ・フェルディナント大公は、それぞれ身分にそぐわない結婚を望んだ。王家に生まれた者は王家に生まれた者と結婚して王朝を繋ぐ──そんな伝統が崩れつつある時代で、けれど伝統にしがみつこうとしている人も多い時代だったのよ。だから、祖父は私までもが父たちの轍を踏むのを恐れていたはずよ。孫娘である私こそは、しかるべきどこかの王様か王子様と結ばれて欲しいと思っていたはず。だから、私は急いで、そして「自力で」相手を見つけなければならなかったのよ。祖父は私を愛してくれたし、私も祖父を敬愛していたから、申し訳ないとは思っていたけれど。でも、私の人生、私の幸福のためのことだもの、やり遂げるしかなかったのよ。

 もう分かるでしょう、あの宮廷舞踏会は、私の将来を決めるための貴重な機会だったのよ。祖父もその肚積もりではあったのでしょうけど、それ以上に私にとって、逃せない機会だった。

 皇帝の、たったひとりの孫娘の歓心が欲しかったのでしょうね、あの夜は私と踊るのを誰もが期待していたわ。祖父が喜んで認めるような人も、そうでない人も、たくさん。一夜の夢、その場限りの思い出として幸運を期待していた人もいれば、本気でどうにかして皇室との縁を結ぼうと画策していた人もいたでしょう。殿方でなくても、貴婦人だって、私の去就には興味津々といった様子だったわ。もちろん、貴方のご同類もね。「あの」皇太子ルドルフの忘れ形見が、誰の手を最初に取るのか。記事に書きたくて仕方なかったことでしょうね。

 私は、きっと貴方のような人たち、つまりジャーナリストという人たちを喜ばせたはずよ。だって、舞踏会の最初から最後まで、ずっと同じ相手と踊り続けたのだもの! ええ、普通なら曲が変わるごとに相手を変えるのが作法というものよ。でも、私は侍従に耳打ちしてちょっと我が儘を通してもらったのよ。次の曲もあの方と踊るの、またその次も、って。皇女の命令だもの、逆らわないわ。でも、その侍従は目を白黒させていたっけ。思い出しても笑ってしまうわ。きっと、皇帝陛下にご注進に及んだものか悩ませてしまったのでしょうね。彼だけではないわ、舞踏会に出席していた母も、一族の大公や大公妃たち、外国からの賓客や大使だって、しだいに顔を見合わせて囁き合うようになっていた。皇女を独占しているあの端正な容姿の士官はいったい誰だろう、って。みんなの噂の的になるのも、素敵な相手と踊って胸と息を弾ませるのも、とても楽しくてとても幸せなことだったわ。私は昔からそうだったの。
 人を驚かせるのは愉快なものよ。やるべきでないことをして、羽目を外して──そうして聞こえる溜息は、どんな音楽よりも心を浮き立たせるものよ。だからあの夜のダンスは、それはそれは楽しかった。もしも私がシンデレラだったら、魔法が解けても踊り続けていたでしょう。それくらい、私は初めての舞踏会と「その人」に夢中になっていたの。ねえ、皇帝の孫娘が、王族でもない一介の士官と恋に落ちた、その瞬間を見せてあげたのよ。貴方、あの時のあの場所にいたら、と思わない? 翌日の朝刊のために、どんな見出しでどんな記事を書こうかと、指がうずうずするのではないのかしら。
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