ich rede nichts 赤い皇女は語らない

悠井すみれ

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一九六一年 初夏 ウィーン

現代のウィーン

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 ああ貴方、また来たのね。そろそろ来るのではないかと思って待っていたわ。貴方、何ていう雑誌の記者だったかしら。それとも新聞だったかしら。「現代のダス・ホイティゲウィーンウィーン」? 聞いたことのない誌名ね。でも、とにかく例の会談は取材したでしょう。もう、察しが悪いわね──アメリカのケネディと、ソ連のフルシチョフの会談よ! ついこの間、このウィーンに来ていたでしょう。主な議題は両国の関係やキューバやベルリンの問題だったというのは、ラジオや新聞で知っているわ。でも、せっかくこの街を訪れたのだもの、チェコスロヴァキアやハンガリー、ポーランドなんかの国についても何かしらのコメントは聞こえて来なかったのかしら? 何といってもウィーンはドナウ地方を支配した帝国の首都だったのだし。崩壊から半世紀近く経つとは言っても、ドナウの諸国はオーストリアにとっては兄弟や同胞のようなものでしょう。ソ連のやり口だって、聞こえてきているでしょう。せっかく独立できたというのに、ソ連の勢力下に置かれるなんて、これでは民族の誇りも何もあったものではないでしょう。貴方は心を痛めはしないの? ええ、もちろん今のオーストリアは永世中立を宣言しているわ。だから何も軍隊を出せとか、そういうことではないのよ。ただ、何かやろうとしてはいないのかと、気になって仕方がないだけよ。

 何をぽかんとした顔をして──ああ、私がかつて帝国を成していた国々の独立を認めているから驚いているのね。ハプスブルク家に生まれた者なら、かつての帝国の国境こそが正義であると信じるべきだと──それこそ、信じ込んでいるのね。頭の固いこと。貴方、それではほんの小娘だったころの私よりも考えが浅いのではないかしら。祖父の死と共に帝国が終わるのは、あのころの私にだってはっきりと見えていたもの。父と、そしてフランツ・フェルディナント大公に代わって帝位を継いだカール帝は頑張ったとは思うけれど。祖父はあまりにも長く帝位にいたから、ほとんど帝国そのものになっていた。その祖父が亡き後、ハプスブルクの正統な血を引いているというだけでは、容易く数多の民に認められるはずがなかったのよ。だから、国の行く末というものは、もう民衆に任せるべきなのよ。古い時代の名前が出しゃばっても良いことなんてないでしょうから。私がもうハプスブルクの人間でないのは、きっと幸運なことだったわね。
 オットー・フォン・ハプスブルク──カール帝の息子、最後の皇太子を自称するあの子は、また違う考え方のようだけど。私が最後に見たときは、ほんの小さな少年だったわ。天使のように愛らしくて、祖父がとても気に入っていた。私とは違って、いずれ帝位を継ぐことができる男の子だから、だったのでしょうね。でも、あの子ももう五十歳近いおじさんでしょう。それほどの時間が経ったというのに、帝国だの皇族だの言うのは時代錯誤なことではないのかしら。

 あら、傷心の年寄りに意地悪を言うものね? まるで、とても賢いことを言ってやった、という顔をしているわよ、貴方。ええ、この館はそれこそとても時代錯誤に、前の時代がそのまま続いているかのように見えるでしょうね。時代は変わったと言ったこの私が、かつての宮廷さながらの生活をしているのは矛盾していると言いたいのでしょう。でも、それは私が落ち着くからというだけのこと。外の世界では別の時代が動き続けているということを、私はちゃんと知っているの。知った上で、どうしても気になってしまうというだけなのよ。だから、その程度で良い気になられても困るわね。貴方はどうせ、かつての栄光にしがみつくもと皇女のイメージを求めているだけ、あらかじめ用意しておいた型に私を当て嵌めようとしているだけなのよ。
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