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一九六一年 春 ウィーン

私は語らない

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 私が死ぬ前にすべて聞き出しておかなければ、とでも思っているのでしょうね。ええ、この通り私はひとりでは立ち上がることもできない惨めな有り様で、夫のもとに向かうのも──天国というものがあって欲しいものだけど! ──時間の問題といったところだものね。でも、教えてあげる義務はどこにもないわ。祖父の帝国が滅んでからもう四十年以上になるのよ。その間に大きな戦争が始まって終わって、たくさんの人がいなくなって、国の名前も国境も、その在り方もまるで変わってしまったわ。今さらとうに終わった時代のことを語る意味なんてあるのかしら。ねえ、貴方はなんて答えるつもりなの?

 あら、暇潰し──死ぬまでの暇潰しですって? とてもウィーンらしい考え方ね。この街ではいつの時代も、誰もがもうすぐ世界が終わるものだと思っていたのだから。祖父の帝国も、弱々しい共和国も、ヒトラーの侵略も独裁も、戦後の窮屈な占領も。いつだって、カフェでコーヒーを飲みながら世界の終わりを語っていたものよ。それなら、私が倣っても良いのかしら。私ももうすぐ死ぬのでしょうしね。夫を悼んでくれた貴方の厚意に──打算を割り引いたとしても──感謝するなら、少しの間だけ付き合ってあげようかしら。
 でも、勘違いしないでね。私は、貴方を喜ばせるつもりはないの。祖父の孤独とか祖母の素顔、父の真実。あるいは、私自身の醜聞の裏側。そんな、貴方が知りたがるようなことについては、私は何も語らない(Ichイッヒ redeレーデ nichtsニヒツ)。何もかもが思い通りになる訳ではないと、貴方は知るべきでしょう。自由な時代になったとしても、それは変わらない真理なのよ。

 だから、私は母の話をしようと思うの。きっと貴方は特に知りたくはないでしょうから。祖父のように偉大でもなく、祖母のように美しくもなく、父のように謎とロマンに包まれた死を遂げた訳でもない、それでも私の母である人のことを。さぞ不満でしょうね? あら、そうでもないというの。一応は聞いておこうというの。強がりなのでしょうけど、それなら──始めましょうか。
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