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七章 燕はどこに消えた
4.シュウエイ
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「どうして、私のことを……!?」
果たして、朱華が選んで目を覗き込んで話しかけた女は、目を見開いて驚きを露わにしていた。時見や遠見で唇を読むとかいう偏執的で変態的な真似は、《力》を謀に使う者たちしか思いつかないのかもしれない。驚いてくれたなら好都合、朱華は、笑みを深めて余裕と寛容さを見せつけようと試みた。
「我が君の御力は素晴らしい、ということよ。でも、時見でも遠見でも、何もかもを見通すという訳にはいかないの。だから、話してくれないかしら」
「繍栄、そなたは何も知らぬと言っていたはず……!」
先ほどまで朱華と話していた老侍女が、慇懃さをかなぐり捨てて目を吊り上げた。翰鷹皇子は下々を問い詰めなかったと言っていたけれど、使用人たちの間では勝手に尋問が行われていたのだろうか。朱華が辺りをつけた何人かの侍女は、老侍女の怒声にあからさまに身体と表情を強張らせていた。
張り詰めた空気には気づかない振りで、内心の冷や汗を隠して、朱華は軽やかに笑う。
「あら、でも、後から思い出すこともあるでしょう」
「陶妃様……!」
シュウエイたちは決して言い忘れたりなんかしていない――むしろ、分かった上で黙っていたであろうことは百も承知で、朱華は首を傾げてみせた。
「もう一度、一から話すつもりで私に教えてくれないかしら。我が君様が時見をなさっている間、何もしていないなんて申し訳ないもの。ねえ、私にもお仕事をさせて?」
天遊林でのやり取りの何もかもが白々しくて、自分自身がそれに染まっているのを自覚するとむず痒くて堪らない。ただまあ、権威を振りかざすことで丸く収まるならそれで良いか、と思うしかない。
「陶妃様、ですが……」
「我が君様と私は白妃様を探すためにここへ来たの。三の君様のご意志でもあるわ。……それに背くというの? 主の無事を願わないというの?」
「いえ! そのような……滅相もございません」
「なら、その人と話をさせて。大丈夫よ。何があっても貴女たちがお叱りを受けるようなことはないから」
あくまでも無邪気に、かつ有無を言わせずに。微笑みひとつで朱華は老侍女の抗議を押し切った。話題のシュウエイも、今にも倒れそうな蒼白な顔色をしているけれど――それも知らない。見えないことにしておこう。朱華だけが頑張るのでは不公平というものだし。何を隠しているかは知らないけれど、洗いざらい吐き出してもらわなくては。
* * *
時見の《力》は他者を害するには向かないから、と言い張って、朱華は強引にシュウエイとふたりきりになった。怖いというなら翰鷹皇子の麾下の水竜の《力》の方がよほど怖い、とは口に出さなかったけれど。とにかく――
「白家の繍栄と申します。陶妃様のご慧眼の通り、長らく佳燕様のお傍におりました」
平伏する繍栄を手ぶりで座るように促しながら、朱華はその言葉に引っかかりを覚えた。
「白妃様にお仕えしていた、とは言わないのね。もしかして、主従になったのは最近なのではなくて? あの方が、皓華宮に迎えられてから、とか……?」
全てお見通しであるかのように振る舞うのは、外れていた時の決まりの悪さを考えると心臓に良くない。けれど、幸いに朱華の読みは良いところを突いているようだった。繍栄は大きく目を見開くと、感嘆と、若干の恐怖が混じった目で朱華を見てきたのだ。
「はい。……真に、陶妃様も四の君様も恐ろしいほどの御力でございます……」
「大したことではないわ、多分ね」
全ては紫薇の機転の賜物なのだから。佳燕が力を御すことができないのではないか、だからこそ本来は妃になるはずでなかったのでは、と教えてくれた。それだけなのに。
「私と佳燕様は、天遊林では白家の他の姫様にお仕えしておりました。長春君様があちらの御方を選んでくださっていれば、どれほど良かったでしょう……!」
繍栄は隠しても無駄だ、と思ってくれたらしい。深々と溜息を吐きながら、事件の核心に迫ることを吐き出してくれるようなのは、朱華にとっては好都合だ。
「三の君様は、白家が佳燕様以外の妃を押し付けようとしていると思っていらっしゃるようなの。その、貴方が元々仕えていたという姫君のことなのかしら……?」
平伏する繍栄の手を握り、そっと立ち上がらせて座らせながら、朱華は心臓が高鳴るのを感じていた。翰鷹皇子の話を聞いた段階では思い込みも多々あるように見受けられたけれど、当の佳燕の侍女がこう言ってるなら話は変わってくる。
(やっぱり他にも姫君がいるのね。三の君様への圧力は本当にあったの……?)
皓華宮の侍女たちが辞したからか、繍栄は明らかに心と舌の枷が外れたように見受けられた。朱華の手を縋るように握りしめて切々と訴えてくる勢いは、よほど胸のうちに溜めてきたことがあったのだろうと思わせた。
「……はい。その方は今も百花園にいらっしゃいます。佳燕様がお招きして、皓華宮で長春君様にお目通りしたこともあるのですが……」
「見向きもされなかったのでしょうね……何となく分かるわ」
ありありと目に浮かぶようだった。翰鷹皇子の好意も関心も、ひたすらに佳燕だけに向けられていたのは明らかだったから。もしも佳燕と同じ場にいたら、朱華はその辺の石ころ扱いされているような気分さえ味わったかもしれない。
「佳燕様に目を留めていただいて、最初は喜んだのでございます。美しく、心映えも優しい方でいらっしゃいますから。見抜いてくださる皇子殿下がいらっしゃったのは誠に僥倖、と……。でも、それでも数多の妃の中のひとりだろうと思っていたのですが」
「三の君様は、佳燕様おひとりと誓われたそうだけど」
繍栄の繰り言のような愚痴のような言葉は止まらず、問い詰める隙もなかなか見つからない。手掛かりを握る者を見つけ出しながら、思うように情報を得ることができないもどかしさに、朱華は内心で転がりまわっていた。
「御心は誠に得難くありがたく存じるのですが……白家はそもそもは姫様を妃に、佳燕様はその侍女に、ということで長春君様に差し上げようと考えておりました。佳燕様ではどう考えても荷が重いのですから」
「白家は、宮を持たない皇子に娘はやれぬと言っていたそうだけど……?」
「はい、でも、皓華宮に入られた以上は、相応の教育を施した姫でなければ妃は務まりません。白家としては、非礼を詫びて礼を尽くしたつもりだったのでございます」
「ああ……そうなるかもしれないわね……」
言われてみれば当然のことにやっと気付いて、朱華は呻いた。翰鷹皇子が佳燕だけを本気で望んでいるなど、多分誰も考えてはいなかったのだ。皇族に生まれた以上は帝位を目指すものであり、そのために有力な家から優れた妃を求めるものだろうと信じ込んで。
「そうすれば、佳燕様も皓華宮に入るのだから良いだろうと……思っていたのですが……」
もう何度目になるだろうか、繍栄の溜息が朱華の絹の衣装を揺らした。何となく察せられてはいたけれど、翰鷹皇子と白家の間で翻弄されているのは佳燕だけではないらしい。
「侍女にも寵愛が向くのは、天遊林では珍しいことではございません。むしろ、それを狙って容姿に優れた者を選ぶものですのに……」
「あのね、星黎宮の侍女にもいるのだけど――」
聞き手に回っているだけでは埒が明かないと見て、朱華はなるべく優しく穏やかに繍栄の言葉を遮った。
「遠見や時見の者で、《力》を上手く扱えない者もいるそうね? 佳燕様もそうではないかと、心配していたのだけど。でも、今回の件が白家の手回しによるものなら、佳燕様はご無事よね? 《力》についても、御身の安全についても。三の君様は白家を誤解していらっしゃるのよね?」
正直に言って、白家の考えは思っていたよりずっとまともだ。翰鷹皇子から聞いていたほど理不尽でも傲慢でもないと思う。ならば、佳燕を傷つけたら拙いということは承知しているだろう。
(どう言えばあの方に通じるかなんて分からないけど……!)
炎俊の渋面を想像しながら、朱華は繍栄を宥める言葉を探そうとした。一緒に翰鷹皇子を説得しましょうとか、そんなことを。きっとものすごく面倒で骨が折れるような気がしてならないけれど、白家に対する誤解が解ければ、もう少し交渉の余地はないだろうか。
佳燕の無事さえ確かめることができれば、希望が持てる。縋る思いで問いかけたというのに。繍栄は目を見開くと、ごくゆっくりと、首を振った。
「いえ……そうでは、ございません」
「――え?」
肯定が返ってくるものと、半ば以上信じ切っていたために、朱華は微笑んだまま間の抜けた声を上げた。弧を描いた唇の端が、引き攣る。
「……どういうこと!? 佳燕様はご無事じゃないの!? だったら三の君様の顔色を窺ってる場合じゃないでしょう!?」
「申し訳ございません!」
捲し立てたのは、「雪莉姫」ではなく、限りなく素の朱華の怒りと疑問だった。姫君にあるまじき剣幕に、繍栄は打たれたように朱華の手を振り払うと、また床に平伏した。
「あの、そこではないのです。陶妃様のご推察に間違いはございません。佳燕様は、確かに時見の《目》をお持ちですが、《力》を上手く扱えない類の御方なのです。遠い時代の戦だの流行り病だのが視えてしまったと泣かれるのは、幼い頃からしばしばでした」
「そう……では、何が違ったのかしら」
佳燕は無事ではないのか、それとも――朱華は、先ほど何を尋ねただろうか。焦れながら先を急かすと、繍栄はこの期に及んで躊躇う気配を見せた。
「長春君様にも何度も申し上げているのですが、聞き入れてくださらないのです」
「ええ、私や四の君様は信じてあげる。少なくとも、執り成しをしてあげる」
「誠にありがたく心強いお言葉でございます」
言葉で述べたほどには、繍栄は朱華も炎俊も信頼していないのだろう。戸惑うような声と表情からそうと知れた。けれど、とうとう覚悟を決めたのだろう。やがて、繍栄の喉がごくりと動いて唾を呑み込んだのが見て取れた。
「今回のこと――佳燕様が姿を消されたことは、白家の預かり知らぬことでございます」
今までに比べるとかなり小さな声で、悪事の告白でもするかのように後ろめたそうに目を伏せながら、それでも繍栄ははっきりと述べた。聞き取った上でなお、朱華は耳を疑うことになったけれど。
「ちょっと待って。では、どうして佳燕様はいなくなられたの? どうして貴女たちは落ち着いて――いないのかもしれないけれど、手をこまねいていられるの? 三の君様は何もかも勘違いしていらっしゃるんじゃない!」
「申し訳ございません……!」
「私に謝っても仕方ないでしょう!」
いついかなる時でも雪莉姫として振舞う自信はあったはずだった。なのに、天遊林ではどうして予想を裏切ることばかり起きてしまうのだろう。ううん、優しく穏やかな雪莉でさえも、この場にいたら驚き慌てずにはいられないだろう。
(怒っても仕方ない……そう……優しく宥めなければいけないわ……)
雪莉の顔を思い浮かべて、朱華は苛立ちをどうに呑み込んだ。この件が上手く片付けば、あの方を陶家から助け出せるかもしれないのだから。これは、佳燕や繍栄や翰鷹皇子のためだけにすることではない――雪莉のためでもあると思えば、きっと我慢できる。
「……四の君様が執り成しをしてくださるのは本当よ。貴女の方からも、真実を教えてもらわなければならないけれど。」
だから、全て吐け、と。言外にたっぷり含ませて、朱華は繍栄に微笑みかけた。
果たして、朱華が選んで目を覗き込んで話しかけた女は、目を見開いて驚きを露わにしていた。時見や遠見で唇を読むとかいう偏執的で変態的な真似は、《力》を謀に使う者たちしか思いつかないのかもしれない。驚いてくれたなら好都合、朱華は、笑みを深めて余裕と寛容さを見せつけようと試みた。
「我が君の御力は素晴らしい、ということよ。でも、時見でも遠見でも、何もかもを見通すという訳にはいかないの。だから、話してくれないかしら」
「繍栄、そなたは何も知らぬと言っていたはず……!」
先ほどまで朱華と話していた老侍女が、慇懃さをかなぐり捨てて目を吊り上げた。翰鷹皇子は下々を問い詰めなかったと言っていたけれど、使用人たちの間では勝手に尋問が行われていたのだろうか。朱華が辺りをつけた何人かの侍女は、老侍女の怒声にあからさまに身体と表情を強張らせていた。
張り詰めた空気には気づかない振りで、内心の冷や汗を隠して、朱華は軽やかに笑う。
「あら、でも、後から思い出すこともあるでしょう」
「陶妃様……!」
シュウエイたちは決して言い忘れたりなんかしていない――むしろ、分かった上で黙っていたであろうことは百も承知で、朱華は首を傾げてみせた。
「もう一度、一から話すつもりで私に教えてくれないかしら。我が君様が時見をなさっている間、何もしていないなんて申し訳ないもの。ねえ、私にもお仕事をさせて?」
天遊林でのやり取りの何もかもが白々しくて、自分自身がそれに染まっているのを自覚するとむず痒くて堪らない。ただまあ、権威を振りかざすことで丸く収まるならそれで良いか、と思うしかない。
「陶妃様、ですが……」
「我が君様と私は白妃様を探すためにここへ来たの。三の君様のご意志でもあるわ。……それに背くというの? 主の無事を願わないというの?」
「いえ! そのような……滅相もございません」
「なら、その人と話をさせて。大丈夫よ。何があっても貴女たちがお叱りを受けるようなことはないから」
あくまでも無邪気に、かつ有無を言わせずに。微笑みひとつで朱華は老侍女の抗議を押し切った。話題のシュウエイも、今にも倒れそうな蒼白な顔色をしているけれど――それも知らない。見えないことにしておこう。朱華だけが頑張るのでは不公平というものだし。何を隠しているかは知らないけれど、洗いざらい吐き出してもらわなくては。
* * *
時見の《力》は他者を害するには向かないから、と言い張って、朱華は強引にシュウエイとふたりきりになった。怖いというなら翰鷹皇子の麾下の水竜の《力》の方がよほど怖い、とは口に出さなかったけれど。とにかく――
「白家の繍栄と申します。陶妃様のご慧眼の通り、長らく佳燕様のお傍におりました」
平伏する繍栄を手ぶりで座るように促しながら、朱華はその言葉に引っかかりを覚えた。
「白妃様にお仕えしていた、とは言わないのね。もしかして、主従になったのは最近なのではなくて? あの方が、皓華宮に迎えられてから、とか……?」
全てお見通しであるかのように振る舞うのは、外れていた時の決まりの悪さを考えると心臓に良くない。けれど、幸いに朱華の読みは良いところを突いているようだった。繍栄は大きく目を見開くと、感嘆と、若干の恐怖が混じった目で朱華を見てきたのだ。
「はい。……真に、陶妃様も四の君様も恐ろしいほどの御力でございます……」
「大したことではないわ、多分ね」
全ては紫薇の機転の賜物なのだから。佳燕が力を御すことができないのではないか、だからこそ本来は妃になるはずでなかったのでは、と教えてくれた。それだけなのに。
「私と佳燕様は、天遊林では白家の他の姫様にお仕えしておりました。長春君様があちらの御方を選んでくださっていれば、どれほど良かったでしょう……!」
繍栄は隠しても無駄だ、と思ってくれたらしい。深々と溜息を吐きながら、事件の核心に迫ることを吐き出してくれるようなのは、朱華にとっては好都合だ。
「三の君様は、白家が佳燕様以外の妃を押し付けようとしていると思っていらっしゃるようなの。その、貴方が元々仕えていたという姫君のことなのかしら……?」
平伏する繍栄の手を握り、そっと立ち上がらせて座らせながら、朱華は心臓が高鳴るのを感じていた。翰鷹皇子の話を聞いた段階では思い込みも多々あるように見受けられたけれど、当の佳燕の侍女がこう言ってるなら話は変わってくる。
(やっぱり他にも姫君がいるのね。三の君様への圧力は本当にあったの……?)
皓華宮の侍女たちが辞したからか、繍栄は明らかに心と舌の枷が外れたように見受けられた。朱華の手を縋るように握りしめて切々と訴えてくる勢いは、よほど胸のうちに溜めてきたことがあったのだろうと思わせた。
「……はい。その方は今も百花園にいらっしゃいます。佳燕様がお招きして、皓華宮で長春君様にお目通りしたこともあるのですが……」
「見向きもされなかったのでしょうね……何となく分かるわ」
ありありと目に浮かぶようだった。翰鷹皇子の好意も関心も、ひたすらに佳燕だけに向けられていたのは明らかだったから。もしも佳燕と同じ場にいたら、朱華はその辺の石ころ扱いされているような気分さえ味わったかもしれない。
「佳燕様に目を留めていただいて、最初は喜んだのでございます。美しく、心映えも優しい方でいらっしゃいますから。見抜いてくださる皇子殿下がいらっしゃったのは誠に僥倖、と……。でも、それでも数多の妃の中のひとりだろうと思っていたのですが」
「三の君様は、佳燕様おひとりと誓われたそうだけど」
繍栄の繰り言のような愚痴のような言葉は止まらず、問い詰める隙もなかなか見つからない。手掛かりを握る者を見つけ出しながら、思うように情報を得ることができないもどかしさに、朱華は内心で転がりまわっていた。
「御心は誠に得難くありがたく存じるのですが……白家はそもそもは姫様を妃に、佳燕様はその侍女に、ということで長春君様に差し上げようと考えておりました。佳燕様ではどう考えても荷が重いのですから」
「白家は、宮を持たない皇子に娘はやれぬと言っていたそうだけど……?」
「はい、でも、皓華宮に入られた以上は、相応の教育を施した姫でなければ妃は務まりません。白家としては、非礼を詫びて礼を尽くしたつもりだったのでございます」
「ああ……そうなるかもしれないわね……」
言われてみれば当然のことにやっと気付いて、朱華は呻いた。翰鷹皇子が佳燕だけを本気で望んでいるなど、多分誰も考えてはいなかったのだ。皇族に生まれた以上は帝位を目指すものであり、そのために有力な家から優れた妃を求めるものだろうと信じ込んで。
「そうすれば、佳燕様も皓華宮に入るのだから良いだろうと……思っていたのですが……」
もう何度目になるだろうか、繍栄の溜息が朱華の絹の衣装を揺らした。何となく察せられてはいたけれど、翰鷹皇子と白家の間で翻弄されているのは佳燕だけではないらしい。
「侍女にも寵愛が向くのは、天遊林では珍しいことではございません。むしろ、それを狙って容姿に優れた者を選ぶものですのに……」
「あのね、星黎宮の侍女にもいるのだけど――」
聞き手に回っているだけでは埒が明かないと見て、朱華はなるべく優しく穏やかに繍栄の言葉を遮った。
「遠見や時見の者で、《力》を上手く扱えない者もいるそうね? 佳燕様もそうではないかと、心配していたのだけど。でも、今回の件が白家の手回しによるものなら、佳燕様はご無事よね? 《力》についても、御身の安全についても。三の君様は白家を誤解していらっしゃるのよね?」
正直に言って、白家の考えは思っていたよりずっとまともだ。翰鷹皇子から聞いていたほど理不尽でも傲慢でもないと思う。ならば、佳燕を傷つけたら拙いということは承知しているだろう。
(どう言えばあの方に通じるかなんて分からないけど……!)
炎俊の渋面を想像しながら、朱華は繍栄を宥める言葉を探そうとした。一緒に翰鷹皇子を説得しましょうとか、そんなことを。きっとものすごく面倒で骨が折れるような気がしてならないけれど、白家に対する誤解が解ければ、もう少し交渉の余地はないだろうか。
佳燕の無事さえ確かめることができれば、希望が持てる。縋る思いで問いかけたというのに。繍栄は目を見開くと、ごくゆっくりと、首を振った。
「いえ……そうでは、ございません」
「――え?」
肯定が返ってくるものと、半ば以上信じ切っていたために、朱華は微笑んだまま間の抜けた声を上げた。弧を描いた唇の端が、引き攣る。
「……どういうこと!? 佳燕様はご無事じゃないの!? だったら三の君様の顔色を窺ってる場合じゃないでしょう!?」
「申し訳ございません!」
捲し立てたのは、「雪莉姫」ではなく、限りなく素の朱華の怒りと疑問だった。姫君にあるまじき剣幕に、繍栄は打たれたように朱華の手を振り払うと、また床に平伏した。
「あの、そこではないのです。陶妃様のご推察に間違いはございません。佳燕様は、確かに時見の《目》をお持ちですが、《力》を上手く扱えない類の御方なのです。遠い時代の戦だの流行り病だのが視えてしまったと泣かれるのは、幼い頃からしばしばでした」
「そう……では、何が違ったのかしら」
佳燕は無事ではないのか、それとも――朱華は、先ほど何を尋ねただろうか。焦れながら先を急かすと、繍栄はこの期に及んで躊躇う気配を見せた。
「長春君様にも何度も申し上げているのですが、聞き入れてくださらないのです」
「ええ、私や四の君様は信じてあげる。少なくとも、執り成しをしてあげる」
「誠にありがたく心強いお言葉でございます」
言葉で述べたほどには、繍栄は朱華も炎俊も信頼していないのだろう。戸惑うような声と表情からそうと知れた。けれど、とうとう覚悟を決めたのだろう。やがて、繍栄の喉がごくりと動いて唾を呑み込んだのが見て取れた。
「今回のこと――佳燕様が姿を消されたことは、白家の預かり知らぬことでございます」
今までに比べるとかなり小さな声で、悪事の告白でもするかのように後ろめたそうに目を伏せながら、それでも繍栄ははっきりと述べた。聞き取った上でなお、朱華は耳を疑うことになったけれど。
「ちょっと待って。では、どうして佳燕様はいなくなられたの? どうして貴女たちは落ち着いて――いないのかもしれないけれど、手をこまねいていられるの? 三の君様は何もかも勘違いしていらっしゃるんじゃない!」
「申し訳ございません……!」
「私に謝っても仕方ないでしょう!」
いついかなる時でも雪莉姫として振舞う自信はあったはずだった。なのに、天遊林ではどうして予想を裏切ることばかり起きてしまうのだろう。ううん、優しく穏やかな雪莉でさえも、この場にいたら驚き慌てずにはいられないだろう。
(怒っても仕方ない……そう……優しく宥めなければいけないわ……)
雪莉の顔を思い浮かべて、朱華は苛立ちをどうに呑み込んだ。この件が上手く片付けば、あの方を陶家から助け出せるかもしれないのだから。これは、佳燕や繍栄や翰鷹皇子のためだけにすることではない――雪莉のためでもあると思えば、きっと我慢できる。
「……四の君様が執り成しをしてくださるのは本当よ。貴女の方からも、真実を教えてもらわなければならないけれど。」
だから、全て吐け、と。言外にたっぷり含ませて、朱華は繍栄に微笑みかけた。
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