紅葉鬼と三の姫

ariya

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21 戸惑い

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「さぁ、着いたぞ」

 いくつも山道を超え着いた場所は何と言う絶景か。
 三の姫はそこから見る風景はほうっと溜息をついた。
 大江山の頂きでなければ見られない光景である。
 いくつもの山が並び、それを見下ろす。下をいくら見ても山の麓が見えない。空にある雲もとても近くに感じた。

「すごい天の上にいるみたい」
「この程度で天の上か」

 素直な感想を笑われて三の姫はむぅっとまた唇を尖らせる。

「はは、すまない。大江山の主として是非この光景を姫に見せたかったんだ」
「うん、……ありがとう」
「冬になればまたここに来よう。その時は本当に天の上にいる心地を覚えるだろう」

 そう言われると興味が湧く。果たしてどのような光景に変化するというのだ。

 ぐぅ……。

 腹の音が鳴り三の姫はかあっと顔を赤くした。

「そうだな、里の者からもらったものを食べるとしよう」
「うん」

 須洛は適当な場所に座り、横に三の姫を侍らせる。
 三の姫は手に握っていた餅と菓子をとりだし須洛と半分ずつ山分けした。随分な量をいただいてしまったな。
 いくつか食べてお腹が膨れたのに、まだ半分も残っている。

「こんなに貰ってなんだか悪いなぁ」
「それだけお前が可愛いんだ。ありがたく貰っておけ」
「でも、何だか悪い……」
「姫はまだ慣れないか?」

 突然須洛が話題を変えて来たので何のことであろうかと首を傾げた。

「まだ大事にされるのが、慣れないか?」

 それを聞き、三の姫ははっとした。須洛から無意識に離れようとするが、須洛は三の姫の腕をとりそうさせない。

「危ない。ここは足場があまりよくないから姫の足ではすぐ転げ落ちてしまう」

 翡翠の瞳が真っすぐと三の姫を見つめる。それを見ると三の姫は吸いこまれそうな感覚を覚えた。

「なんで知っているの?」

 三の姫の生い立ちを。
 三の姫があの紅葉少将家で大事にされて育たなかった。
 むしろ疎外されながら日々を過ごしていた。
 そのことを須洛はどうして知っているのだろうか。

「ああ、知ってる。俺はお前が十一の頃からずっと見ていたんだ」
「ずっと」
「正確にはたまに様子を見に来る程度だったが」

 乳母を失い西の対の隅で一人孤独に過ごしていた三の姫を須洛は見ていたのか。
 何だか居た堪れない気分になり下を俯いてしまう。

「寂しげに過ごす姫を見て、何度攫おうかと思った。声をかけようと思ったか」

 だが、突然鬼に攫われては三の姫は怯えるに違いない。
 まだ幼い少女なのだから、怖がって泣きだすだろう。

「うまく姫を怯えさせず攫う方法が思いつかないまま姫は裳着を済まされた」

 あまりに粗末な裳を与えられただけのものだったが、それでも三の姫は十四で成人を迎えた。
 そして変わらず北の方や異母兄姉たちにからかわれる日々。

 紅葉の宴の時も、北の方も、異母姉も出席しているというのに姫だけは呼ばれることがなかった。
 少しずつ憤りを覚え我慢ができなくなった須洛は紅葉少将に三の姫の求婚を申し込んだのだ。
 これに動転した紅葉少将を見て、それからどうするか様子を伺った。
 少しでも娘を大事に思う仕草を見せるかどうか。
 もし、微塵も見せなければ遠慮なく三の姫を嫁にもらおうと。
 そして半年過ぎても紅葉少将は三の姫に対して無関心であった。

「どうして、私なんかを?」

 嫁にもらおうとしたのだろうか。
 確かに傍から見れば可哀想な娘だっただろう。

「同情?」

 三の姫ははっと皮肉気に笑う。
 ああ、何もできない愚かな姫は鬼にまで見くびられてきていたのか。

「……して」
「姫?」

 須洛は心配そうに三の姫の顔を伺う。
 その瞬間、しゅんと空を切る音がする。三の姫は懐から小刀を取り出し、その刃を須洛にぶつけたのだ。

「放してっ!」

 三の姫は躊躇なく自分の腕を掴む須洛の手に刃をつきたてようとする。さすがに須洛は三の姫の腕を放さざるを得なかった。

 ざっ。

 放された瞬間に三の姫は転げ落ちる。しかし、すぐに体勢を整えその場を立ち去ろうとする。

「姫っ」

 須洛は急いで三の姫の肩を掴むが三の姫は帯を解きするりと抜ける。袿を脱ぎ捨てて山を降りてしまった。

「来ないでっ……来たら私、死ぬからっ!」

 その脅しで須洛はびくりと反応し、その場を動けなかった。三の姫は須洛が追ってこないのを確認し、山を降りる。

「はぁ、はぁ……」

 軽々と登った須洛と対照に三の姫の息はすぐにあがってしまう。
 だが、三の姫は立ち止まらなかった。
 立ち止りたくなかった。

(知られていた。見られていた。……私があの家でどんな扱いを受けていたかっ)

 須洛が今まで三の姫にしてきたこと。大事に扱い、三の姫の心を尊重し傷つけないでいてくれたこと。
 それは全て同情によるものだったのだ。

(そうか……そう)

 こんな美人でもない触り心地もいいと思えない痩せた体、こんな役立たずを鬼が好むはずない。
 お優しいことに鬼は三の姫の境遇を同情し、わざわざ嫁にもらおうとしたのだ。
 こんな娘など誰も貰おうなんてしない。

「あはは、は、は……ああ、馬鹿みたい」

 何を勘違いしていたのだろうか。
 一瞬でも思ってしまった。

 須洛が自分を好いてくれていると何を自惚れていたのだろうか。
 自分がとても情けない。恥ずかしい。
 気づけば三の姫は滝の元にいた。この大江山に始めて来た鬼と待ちあいの場所に。

「うぅ……」

 走りつかれた三の姫は地面に膝をつき座りこむ。上を見ると青い空が広がり、聞いたことのない鳥の囀りが聞こえてくる。
 澄んだ景色であるが、今はこれを堪能する気分は起きない。

「姫」

 突然呼ばれ三の姫は身構える。来るなと言ったのに須洛がついてきたのだろうか。
 そう思ったが、違った。
 そこにいたのは。

「綱様」

 半年間、三の姫に剣を教えた武士・渡辺綱であった。

「綱様? 本当に綱様?」
「ああ、私だ」

 綱は確かめさせるように三の姫の手を握る。一瞬びくりと震えたが、綱の手はとても温かい。
 今度は土蜘蛛が化けているものではなく本当に本物である。

「すまない。こんなに遅れて……例の鬼の里というのがなかなか見つけられず、結界について近くの神社の者に尋ねたのだがとんと知る者もいなくて」
「いえ、あれは鬼の一族でも一部の者しか出入りできないようなので」
「それよりも姫、どうしたのだ。袿は? 随分とぼろぼろではないか」

 三の姫の髪は随分と乱れ、袿は着ずに袴姿でその衣類はかなり土汚れがついていた。ここまで降りてくる間に何度か転んだ為だ。

「まさか、鬼にひどいことをされてっ……おのれ、鬼め」

 綱は怒りに震え、刀の柄に手をやる。

「あ、えと……違うんです」

 先ほどに比べ、綱に再会できたことで三の姫の心は随分と落ち着きを取り戻していた。
 来るなと怒鳴り散らした時の須洛の顔を思い出す。
 澄んだ翡翠の瞳は戸惑いでいっぱいで、とても悲しそうにしていた。
 どうしてあんなことをしたのか自分でもわからない。
 ただ、がっかりして……悲しくて、どこかで期待していた自分が無償に腹立たしくて自暴自棄になってしまっていたのだ。

(私、……須洛様に惚れられていなかった、同情から優しくされているんだと思ったらとても苦しくなって。ひょっとして私は)

 まさか、そんなはずはない。
 そんなことあってはいけない。
 だって自分は大江山の鬼の棟梁を討ちにここまで来たのだ。嫁というのも彼を油断させるための手段でしかないと思っていた。

「姫?」
「わ、私……」
「何も言わなくて良い。辛かったであろう。姫、この山を出よう」

 それは撤退するという意味か。
 三の姫は悲しげに首を横にふる。

「私……何もできなかった」
「良いのだ。後は私に任せれば良い」

 このまま帰るのは嫌だ。このまま家に帰ってもあの家に自分の居場所などない。

 戻ってしまう。
 何もない、役立たずの娘に戻ってしまう。

 それは三の姫が何よりも畏れていたことだ。

「姫、頼むから私と都へ戻って欲しい。そして、もし姫が良ければ……」

 私の妻になってくれ。

 耳元で囁く言葉を聞き、三の姫は大きく目を見開き綱を見た。

「実は、私は去年の秋初めて会った時より姫が……好きだった」
「私、を? い、いつから」
「鬼に見初められ大変な立場だというのに、自分で道を切り開きたいという姫の真っすぐな瞳をみてから。実は、剣を教えていたのは姫とお近づきになりたいという下心があってのこと……軽蔑なされますか?」

 綱の言葉に三の姫はふるふると首を横に振った。それに安堵した綱は三の姫の髪を梳く。愛しそうに。

「でも、私、私は……」

 私はどうしたいのだろうか?

 三の姫は頭の中で考えるが何も思いつかない。
 自分のことを好きだと言ってくれる者がこんな目の前にいるなど全く気付かなかった。
 だけど変だ。何も感じない。
 胸の音も驚く程平然としている。

 もし、これが須洛だったら……。

 それを考えた瞬間三の姫は頭を抑え蹲る。

「ど、どうした」

 綱が心配そうに声をかける。

「つ、綱様……」
「うん」
「私、用事があります。お願いですから麓の村へ先に戻ってください」
「なっ、そんなことは……」
「お願いですっ。この用事を済ませなければ私は、私は都に戻ることができない」

 切なく震える声によほどのことがあるのだろうと綱は悟った。

「では私も行こう」
「いいえ、これは私の問題です」

 三の姫は真っすぐと綱を見つめた。
 それは去年の秋に見せた眼差しと同じものである。

 ああ、これは……何を言っても無駄だな。

 綱はそう感じ、頷く他なかった。

「では、姫よ。必ず麓の村で落ち合おう」

 三の姫はにこりとほほ笑んだ。そして、先ほど自分がいた山の頂へと登る。
 先ほど自分がいたであろう場所を目指して。

「さようなら、綱様」

 三の姫は聞こえないよう静かに呟いた。
 あなたの優しさにつけこんだ女のことなど忘れてほしい。
 そう願いながら、上へと目指した。
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