乙の子

ariya

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 あれ以来、はつは週に二回ほどあの場所にやってくるようになった。槍は小十郎が用意したものを使っている。

「はつは名人だな」

 いくらか刃を交えた小十郎は感心して言った。はつは顔を赤らめて、「そのようなことはありません」と呟くように否定した。相変わらずどこかおどおどしたような喋り方であったが、はじめの頃よりましになった。
 小十郎は満足げに笑った。

「そういえば、阿梅殿も菖蒲殿もかね殿も槍を嗜まれるか?」
「姉上たちは……薙刀の方を少し心得ています。護身術のつもりで習ったようです」
「誰から習ったのだ?」
「父の部下に薙刀の師がおりました。他の姉妹たちも彼から習ってます」
「その薙刀の師は?」
「大坂でなくなったと聞きます」

 小十郎は薙刀の師に関してはそれ以上聞くことをやめた。

「そなたは薙刀も習ったのか?」
「……少し」

 しかし、どちらかといえば彼女は薙刀よりも槍の方を好んでいるようであった。そう言うとはつは困ったように笑った。

「槍だと、父が見てくれるので」

 彼女にとって槍の鍛錬の時間は父との接する時間だったのだろう。

「父だけでなく、兄も時折、見てくれました」
「兄? 大助殿のことか?」
「はい」

 真田大助は真田幸村の嫡男。
 大坂の冬の陣、夏の陣の折、父に従い目覚ましい奮戦ぶりをみせた武将だ。若い、まだ十代の少年であったが、父に似て勇ましく人を魅了してやまない少年だったと聞いた。

「おはつ殿は幸村殿と大助殿が好きなのだな」
「はい」

 はつは嬉しそうに答えた。それに小十郎は思わず笑った。

 ◇◇◇

 政宗は面白げに出仕してきた小十郎をからかった。

「最近のお前は何やら楽しそうだな」
「そうでしょうか?」
「信繁の娘と楽しくやっているようでうらやましいことよ」

 それに小十郎は慌てた。
 政宗は自分専用の間諜を従えている。他国の情報だけではなく自国、家臣の家のこともだいたい把握していた。
 小十郎がはつとこっそりと槍の稽古に励んでいるのは政宗の耳にすでに届いていたのだ。

「照れるな、はつであったか。まだ幼いながらも鬼の小十郎にうってでるとはなかなか骨のありそうな娘だ。小十郎も惚れたのではないか」
「私は彼女とそのような……私は彼女を娘と思っています」
「はぁ、堅物だな。気に入ったのなら妾に召しても儂はいっこうに構わぬと思っているのに」

「殿」

 小十郎の静止を聞かず政宗は続けた。

「真田の娘であれば強い武士を生むだろう」

 それを聞き小十郎は苦い顔をした。
 それを見て政宗はからからと笑い転げた。
 どうやら小十郎の困った表情を楽しむためにこの話題を出したようである。

 まったく意地の悪い方だ。

 政宗の興味はそのままはつへと流れていった。

「おはつは槍が得意か。真田の姉妹は槍もできるのか?」
「いえ、どうやら槍に心得があるのはおはつ殿だけです。幸村殿に直々に習っておりますから随分と達者なものですよ」
「そうかそうか」

 それを聞き政宗はたいそう楽し気に笑った。

「今度娘たちに会ってみたいな。場を設けてくれるか?」
「え。まぁ、殿がそう仰られるならば」

 さすがに娘たちを城にあげるのは難しい。だが、馴染みの寺に場を設け、そこで会わせることは可能であった。
 真田の娘たちが片倉家で過ごすことができたのは小十郎だけの力ではない。この政宗の擁護もあったからであった。徳川の目を誤魔化す工作を行ったのは政宗の手下の間諜組織なのである。

「楽しみだなぁ。阿梅はそなたとの馴れ初めを聞くと気の強い女子らしい」

 そういえばこの方は気の強い女性が好みであった。
 それに小十郎はじぃっと政宗を見つめる。

「なに、徳川の目がある。儂が真田の娘に手を出せるわけがなかろう」

 政宗はそう切り出し小十郎の懸念を払うように言ってやった。

「それにしても末の娘は槍を好むか。さぞ、信繁に似ていることだろう」

 何故そういう考えになるのか、小十郎は首を傾げた。
 はつが真田幸村に似ているというのだろうか。

 小十郎は頭の片隅に残る記憶をたどった。
 まだ自分が幼い時分、父に連れ出され大坂に参った際に一度だけ真田幸村を間近で見たことがあった。毅然とした姿勢の若侍であった。引っ込み思案のはつからその面影は認められない。いや、そもそも彼女は女子であるのだが。
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