メジロとチワ

１

５ 嘘のはじまり

　大賀の里に拾われた機部佐平は目つきが悪いが優秀な忍びとなった。
　仕事を問題なくこなし、長からの期待も高く、機部の姓を名乗ることを許された。
　これは大賀の里の創始者の本氏であり、特別な意味を持っていた。
　彼はいずれは幹部に、長にと期待される男だった。
　大賀の里は本邦の全てを手に入れた富貴嶋家につくことを選んだ。当然佐平もこれに従う。
　既に本邦の大部分を手に入れた富貴嶋は家臣を派遣し、玖邦に介入することになった。
　一番本邦から近い珂縞家がまず標的になる。
　彼らは巧みに誘導し、珂縞家は領地を黒井に譲り別の島邦へ移るようにと言われる。
　５００年も守ってきた領地を手放せとは認められることではなく、彼らは挙兵する。
　黒井はすぐにこれを制圧するつもりであったが、珂縞家は土地勘の優れたゲリラ戦を繰り広げており大きな打撃を受けることになる。
　長く続けば続くだけよくないと観念した黒井は和議を申し立てた。
　珂縞家が最低限の富貴嶋の要求をのめば、領地は安堵するという約束である。
　その条約の確認をするために一時休戦、珂縞家の棟梁を城へと案内した。そして狭い空間に閉じ込め、嬲り殺しにした。
　城外の寺で待機していた家臣たちも同時期に嬲り殺される。
　これを聞いた棟梁夫人は滞在している建物に火を放ち自害した。
　何も知らずに父に言われて故郷へ戻る嫡男も道中殺される。
　生き残った子や家臣一家も捕らえて処刑をしていった。
　一族の禍根を残さない為に根絶やしにする予定であった。
　そしてまだ生きているとされるちより姫を探し出す。追手と共に佐平はちより姫を探した。

　のちに姫滝と呼ばれる場所で姫の恰好をした女人が身投げをする。追手はみなそちらへ向かった。
　佐平は吊り橋の上で残されている侍女の方をみた。
　佐平の目は優れている。遠目であってもわかった。
　姫の恰好をした姫よりも年かさの女性だ。
　身代わりだ。となれば、残された侍女の方が本物だろう。
　佐平は吊り橋の上で倒れる少女をみた。
　彼女は小刀で自身の首を切り自害を図っていた。
　死んでもいいのだが、生きていれば黒井に確認して処刑する。
　領民がこの土地を守った一族がいなくなったというのを実感させるために。
　首に触れるが、そこまで深く切っていなかった。
　圧迫をひたすらすれば問題なく止血できるだろう。
　刃物に馴れない姫だから助かるだろう。

　顔をみて佐平は息をのんだ。
　青白い肌に震える唇、あまりに儚く、あまりに美しい少女であった。
　佐平は思わずその姿に見とれてしまう。

「おい、姫さま」

　すぐに首を横に振り彼女の意識を確認した。
　彼女は佐平の声を聞き、瞼を開いた。

「メ、ジロ？」

　彼女の声から喜びの色が読み取れた。
　自分ではない名を紡ぐ声に佐平はしびれてしまい、しばらく動けなかった。

「ああ、メジロ。生きていたのね。ごめんなさい。私はここで死ぬの。あなたは生きてね」

　何を言っているのだ。メジロとは誰のことだ。
　訳が分からないままちより姫はまた瞼を閉ざした。

　このまま手当をしながら黒井の元へ運んでしまおう。そう思った。
　だが、気づけば佐平はちより姫を反対側へと運んでいた。
　彼女を運び、山の中を駆け巡る。ちより姫が向かおうとした珂縞領から西の方角ではない。
　南の方へと移る。山の中でもだいたいの地理は把握していた。
　ちより姫の首を圧迫止血を繰り返しながら、慣れない道を歩き続ける。
　そして湯縞領へとたどり着いた。
　玖邦五家のひとつ。珂縞よりもずっと勢力の大きい場所である。
　ここであれば黒井も簡単に追手を差し向けられないだろう。

　３日かけ、ようやく湯縞領近くの山寺で休むことができた。
　ちより姫は酷い熱病におかされていて、寺の僧侶に薬を用意してもらった。
　姫の看病をしながら佐平は文を書いた。近くの色町にいるという六蜜へあてた文である。
　実は佐平は以前から彼女が忍びだと感づいていた。六蜜も佐平の気配を感じて、遊女の仕事をやめ別の姿になっているという。
　六蜜にあてた文が本人に届けられないかもしれない。
　だが、他に考えられる方法が見当たらなかった。
　今の自分は抜け忍である。富貴嶋の力の範囲に入れば、同胞らに命を狙われる。
　何とか湯縞の領地で保護される必要があった。
　運が良かった。
　六蜜は、山寺へとやってきてくれた。彼女はすぐに湯縞の忍びに掛け合い、湯縞の棟梁にも耳を入れた。
　富貴嶋についた大賀の忍びが、珂縞のちより姫を保護してやってきたと。
　ちより姫はすぐに彼らに保護されて、そして佐平は幽閉された。
　尋問と拷問を受けながら里に関する情報は伝えない。伝えることはできないのだ。

「まぁ、簡単に情報をぺらぺら話す男は逆に信用できないけど………」

　六蜜はふむと佐平をみた。佐平の口の中をみて納得した。

「呪をかけられているね。大賀の情報を流そうとすれば死ぬってことね」

　なかなか勘の良い女で助かった。だから彼女を頼ったのである。

「それであんたの狙いは何？　機部の名を持っているということは長のお気に入りでしょう。そこまでの男が裏切ったの？」

　尋問はまだ続いた。隠しても何もない。

「どういうわけか助けたいと思った。気づいたらここに連れてきていたんだ」

　そう伝える男の言葉に六蜜は不審な視線を送った。

「うーん、信じられないなぁ。でも、あんたの力がいるからちょっと来て」

　尋問は終わりだと汚れも取る為にお湯と布を用意され、新しい着物を着せられた。

「ちょっと困ったのよ。あのお姫様、折角助かったのにまた手首を切ってね。目を離すとすぐに自殺しようとする」

　六蜜は疲れた様子で何度もため息をついた。

「おまけに視力が落ちているわ」

　医師にみせると精神的なものだと判断された。一族が滅んでよっぽどショックだったのだと六蜜は同情をした。

「それから何度も泣いて、メジロを呼ぶのよ。メジロってあなた？　ここに運ばれるまで何度も声をかけてくれたって言っていたけど」

　声をかけたのは佐平であるが、メジロではない。そもそもメジロとは誰のことだ。

「メジロは、才川芽二郎のこと。愛称ね」

　彼は珂縞家棟梁の小姓だったそうだ。あの城で、棟梁とともに嬲り殺された。
　顔が似ていたかどうかはわからない。同じ三白眼で、声が同じだというのだ。
　視力が低下したちより姫は声だけで佐平をメジロと勘違いしていたようだ。

「メジロ！！」

　ちより姫は泣きながら佐平に縋った。

「良かった。お父様と一緒に死んだと思っていた。でも、生きていたのね。私を助けに来てくれてありがとう」

　佐平は何も言えなかった。ただ、姫とだけしかいえなかった。
　するとちより姫は悲し気に佐平を見上げる。視力はみえない。うつろな瞳がぼうっと佐平を映し出した。

「メジロ、昔のようにチワと呼んで。もう私にはあなただけなの」

　そういいながら縋る彼女の手、みれば包帯だらけだった。彼女は何度も自殺しようとした。
　もし、ここで佐平はメジロではないと言ったらどうなるだろう。
　彼女はメジロだけなのだという。父も母も兄弟もみんな死んでしまった。
　ずっと自分を守っていた侍女も目の前で命を落とした。
　きっとあの瞬間、彼女は心を閉ざし視力を失ったのだ。
　ようやく生きていたと喜んでいた旧知の者が違うと知った時、彼女はどうなるだろう。

　死ぬ。

　その言葉に胸が締め付けられそうになる。心臓が鷲掴みにされ痛い。

　嫌だ。

　佐平は思った。震える唇を動かし、ゆっくりと彼女を呼んだ。不安になる。本当に彼女にはメジロの声に聞こえるのだろうか。

「チワ」

　その時みせたちより姫の顔は何よりも美しかった。ああ、こんな美しいものが存在したのかと切なくなる。

　守りたい。

　何を犠牲にしてもいい。
　この少女を、ちより姫を、チワを守りたい。

　この時、機部佐平はメジロになった。
　はじめて心が痛いと感じた嘘だった。そしてその嘘は五年経った今も続いている。