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19 アデル
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「帰ろう、アデル」
「うん」
しかし、今のアデルの左足ではクラウスの足手まといになる。それでもクラウスは諦めなかった。
「この洗濯袋を使おう」
アデルをすっぽりと入れられる程の大きさである。この中にアデルを入れ、アデルの上にベッドシーツを入れるのだ。
「下にヴィムも待機している。三人であれば逃げられるだろう」
「それは困ります」
アルヴィエの声が響いた。扉を開けばルネと4人の部下が出入り口を塞いでいた。
彼の声を聞きアデルは震えだした。今まで気丈に振る舞っていたが、クラウスに会うことで緊張が途切れ恐怖に素直な反応を示す。
「困ります。ローゼンバルト伯爵殿、大事な公女様を誘拐しようなど国際問題ですよ」
「問題を起こしたのはお前の方だ。私の妻を誘拐し、私の部下を傷つけた」
「あなたの口さえ塞げば何とでもなるでしょう。ローゼンバルト伯爵家は大きな家門ですので、跡取りになりえる男児はいるでしょう」
失踪したと処理すれば問題ないはずだ。
「アリス様、今回はさすがにあなたの命乞いは聞きませんよ。さすがにローゼンバルト伯爵を見逃せば後で面倒ですから」
アデルはがくがくと震えた。この人数相手ではクラウスは助からない。
クラウスはアデルの肩を叩いた。
「必ず連れて帰る」
安心させるかのような言葉であった。
「何を言うのやら。伯爵は算数が不得意なのでしょうか?」
「ヴィム! 行け!」
後ろに回っていたヴィムは部下の男たちへの攻撃を開始した。
驚いたアルヴィエが後ろを振り向くとヴィムは思い切って殴ろうとする。それをルネが封じた。ヴィムは残った部下とルネの相手をし剣を抜いた。ルネにも剣の心得があるようで迷わずに剣を抜く。
金属音が響き渡る中アルヴィエは慌てて部屋の奥の方へと入ると今度はクラウスの攻撃範囲に入った。クラウスはアルヴィエの胸倉を掴み頬を殴った。右の頬を。
「次は左足だな」
クラウスは思い切ってアルヴィエの左足を踏みつけた。ぎゃぁあと男の悲鳴が響きアデルは眉を顰めた。骨を折るまでにはいかなくてもかなりの激痛だったようだ。落ちている剣を拾いクラウスはヴィムが応戦しきれない人数の相手を始めた。
ヴィムはアルフォス団の騎士見習いだから戦いに慣れているのはわかっている。クラウスの剣も大したものであったのは意外であった。クラウスは長い女従業員の服を破りながら脱ぎ捨て下には男の軽装が現れた。
男たちの中で一番強いのはルネであった。ルネの相手だけでヴィムは余裕がない。
クラウスはまだ意識のある二人の男の相手をしていた。
「くそ」
立ち上がれないアルヴィエは胸元から拳銃を取り出した。それをみてアデルは胸をざわつかせた。拳銃の音と共にエミルが倒れ瀕死の状態になったのを思い出す。
アルヴィエは誰を狙っているのだ。
ヴィムか、クラウスか。
それはダメだ。
アデルは椅子から降り、左足を引きずりながらアルヴィエの方へ近づいた。右手には先の鋭い簪を握りしめている。
「ああああっ!!」
アデルが叫ぶと同時にアルヴィエの首に向けて簪を振りかざした。アデルの声に驚いたアルヴィエはアデルの方へ振り向き、簪の先は肩に突き刺さった。
しばらくの間アデルは硬直した。自分のした行為が信じられず真っ青になっていた。
クラウスはそれを見てすぐに駆け付けたかったがアルヴィエ伯爵の部下がしつこく彼女の元へと行けなかった。
「小娘!」
ようやく動いたアルヴィエ伯爵はアデルを突き飛ばした。拳銃の銃口がアデルの方へ向けられる。アルヴィエの思考能力は麻痺しており相手がアリス公女であることを忘れているようだ。
「やめなさい。アルヴィエ伯爵」
鋭い男の声がして場は一瞬静かになった。
「令嬢の部屋でこのような乱闘、あまりに無粋です」
呆れるような声の主はアルヴィエよりも地位の高い男のようである。50歳過ぎの衰えをしらない若々しく、成熟さを隣り合わせた力のある青い瞳を持つ男であった。黒い髪を綺麗に後ろへまとめ上げ、身なりはこの中で誰よりも厳しく整えられている。着ている衣装から位の高さは一目瞭然であった。
「これはバルテル閣下」
取り乱したアルヴィエは急ぎ平静を取り戻そうとする。
「騒ぎがありどうしたものだと思えば……」
バルテル公爵は眉間に皺をよせた。
「バルテル閣下、このお方は例のアリス公女様です。マリー=アリス公女の忘れ形見の」
「その忘れ形見をあなたは何をしているのです」
暴行を加えた後のアデルの右頬は赤く腫れており、ドレスの裾から覗く彼女の左足には白い包帯がぐるぐるとまかれている。
「これはその……」
「失礼、レディ。あなたのお名前は何といいますか?」
アルヴィエの返答を待たずバルテル公爵はアデルの傍に近づき彼女へ手を差し伸べた。
アデルは彼に手を委ねていいものか悩んでしまう。アルヴィエもはじめは好感の持てる紳士であった。彼もメルティーナの貴族であればいつ化けるかわからない。
「ふぅ、失礼。そこの紳士。彼女を椅子に座らせてください」
さすがに令嬢を地べたに座らせるわけにはいかないとバルテル公爵は応戦途中だったクラウスに声をかけた。
「あなた方も隣国の者に手をかけないように。私はオーガストとの関係を壊したくないのですよ」
いいですねとルネとアルヴィエの部下たちに動ないように命じた。勿論彼らの主人はアルヴィエでありバルテル公爵の命令を聞く義理はない。バルテル公爵は自分の部下たちを命じてルネとアルヴィエの部下たち、アルヴィエ伯爵をも拘束した。
ようやく動けるようになったクラウスはアデルの方へ近づいた。アデルは縋るようにクラウスの手を握る。彼女の右手に握られていた簪はアルヴィエの肩に突き刺さったままだった。
「私はジルベール・バルテル。この国で議会議長を務めさせていただいております」
名乗り終えた頃にバルテル公爵は改めてアデルの名を尋ねた。
「わ、私はアデル、です」
震える声でアデルは名を答える。苗字を言う余裕はなかった。
ちらりとバルテル公爵はクラウスの方へ向いた。
「私はクラウス・ローゼンバルト。オーガストの伯爵で、彼女は私の妻です。このような姿で申し訳ない」
隣国の要人相手であり礼儀を示す必要があるが今のクラウスはアデルの手を放したくない。
「そうですか」
ここでようやくバルテル公爵は今の状況を把握した。
「このような手荒な真似をしてすみません。そこでレディ・アデル、あなたはアリス公女と伺いましたがそうですか?」
「違います。私はアデルです」
否定の声にバルテル公爵は少し悲し気な表情を浮かべたが、すぐに柔らかい笑顔に戻った。
「そうですか。ではアルヴィエ伯爵の勘違いだったということですね。どうぞお帰りになってください」
帰っても良いという言葉にアデルは警戒した。
「帰って良いのですか?」
「お詫びをさしあげられないのは申し訳ありませんが」
「閣下、彼女は王族の血筋です。このまま最後の血をオーガストに渡すのですかっ!!」
拘束されたアルヴィエは叫んだ。バルテル公爵は首を横に振った。
「彼女は違うと言っていますよ。身元証明の夫もいることだし、仕方ないでしょう」
「バルテル公爵!」
「アルヴィエ伯爵、あなたは大変な問題を起こしたのですよ。ようやく終戦後良き関係を築いているというのにローゼンバルト伯爵夫人を誘拐するなど……」
アルヴィエ伯爵の言葉など全く受け取ろうとしない。する気がないのだ。
「ローゼンバルト伯爵夫妻、どうかこの度の無礼をお許しください。もし許されるのであればこれからも我が国とオーガストの交流を続けることにご助力願いたい」
「とにかく私はアデルを帰してくれればそれでいい。二国の問題は外交官の仕事だろう」
口出しする気はないというクラウスの言葉にバルテル公爵は礼を示した。
「伯爵の慈悲に感謝します。お詫びは後日、娘を通して行わせていただきましょう」
「それも必要ない。ご令嬢には勉学とさるお方との交流に尽力していただければいい」
アルヴィエ伯爵、ルネたち配下はバルテル公爵の監視下の元で軟禁生活を送ることになる。表向きは急病による療養だ。本来であれば令嬢誘拐を犯した罪で裁判にかけるべきであるが、そうするとアデルのありもしない醜聞が広まってしまう。それをクラウスは危惧し犯人たちが二度とアデルの前に現れないようにと希望を出した上での結果である。
アデルたちが不便なく帰国できるようにバルテル公爵は手を尽くしてくれた。トンネルの整備も終わった頃で、ラルゥに到着した頃には汽車でそのまま帰国できるようだ。
アデルの左足の怪我の治療に関して医者を手配するというがクラウスはそれも拒否した。アルフォス山脈に戻れば、すぐに医者の手配をする。
思った以上にあっさりと帰されてアデルは首を傾げた。クラウスはあの後バルテル公爵と会話をいくつか交わしたようだ。
何を話したかは教えてくれなかった。
◇◇◇
クラウス自身、バルテル公爵の配慮を不気味に関した。何か裏があるのではないかと詮索するがバルテル公爵は本当にアデルを帰してくれるという。
「もはやこの国に王族は必要ありません。私も貴族派に入っておりますが、この国は別の姿に生まれ変わるべきでしょう」
それは今まで虐げられてきた庶民たちの台頭である。未だに紆余曲折あるが、いずれは形になっていく。
その中でアリス・シャルル公女が現れればまた同じような王政が敷かれてしまう。
そして庶民だけが搾取され続ける時代に戻ってしまう。
「あの暴動の中で考えました。野蛮な庶民をこのままにはせずやはり強い権力が必要なのだと。だが、同時にあの庶民たちを暴走させたのは今までの問題はうやむやにし苦しめ続けた王族・貴族にも責任がある。彼らにも意見を言う権利があるのだろうと」
実際、庶民の参政権を進めていくうちに彼らの中にも国の為を思う聡明な人材はいるとわかった。身分、血筋だけで政治を執り行うのではなく能力も認められたものが血筋関係なく意見を言えるようにした方が国の為になると。
「アリス・シャルル公女を象徴として権利を与えない王とする手もあるでしょう。ですが、先ほどのアデル様の姿をみて思いました。あの子には国を背負うには厳しいでしょう。アルヴィエ伯爵を刺しただけで絶望的な表情をした彼女には耐えられない」
よくアデルの姿をみている。
バルテル公爵も同じ年ごろの娘を持っている。アデルと娘と姿を重ねたのかもしれない。
「ジャン=クロード公子が我々貴族ではなく他国のあなたの家へ助けを求めたということは、マリー=アリス公女をメルティーナの政治争いに巻き込みたくなかったのでしょう。ならば私はその意志を尊重すべきだと思います」
それにとバルテル公爵は笑った。
「ここまで一途な伴侶がすでにいるのであれば引き離すのも気の毒ですしね」
どうかアデルが平穏な日々を送れますように。バルテル公爵はそう願い送り出した。
「うん」
しかし、今のアデルの左足ではクラウスの足手まといになる。それでもクラウスは諦めなかった。
「この洗濯袋を使おう」
アデルをすっぽりと入れられる程の大きさである。この中にアデルを入れ、アデルの上にベッドシーツを入れるのだ。
「下にヴィムも待機している。三人であれば逃げられるだろう」
「それは困ります」
アルヴィエの声が響いた。扉を開けばルネと4人の部下が出入り口を塞いでいた。
彼の声を聞きアデルは震えだした。今まで気丈に振る舞っていたが、クラウスに会うことで緊張が途切れ恐怖に素直な反応を示す。
「困ります。ローゼンバルト伯爵殿、大事な公女様を誘拐しようなど国際問題ですよ」
「問題を起こしたのはお前の方だ。私の妻を誘拐し、私の部下を傷つけた」
「あなたの口さえ塞げば何とでもなるでしょう。ローゼンバルト伯爵家は大きな家門ですので、跡取りになりえる男児はいるでしょう」
失踪したと処理すれば問題ないはずだ。
「アリス様、今回はさすがにあなたの命乞いは聞きませんよ。さすがにローゼンバルト伯爵を見逃せば後で面倒ですから」
アデルはがくがくと震えた。この人数相手ではクラウスは助からない。
クラウスはアデルの肩を叩いた。
「必ず連れて帰る」
安心させるかのような言葉であった。
「何を言うのやら。伯爵は算数が不得意なのでしょうか?」
「ヴィム! 行け!」
後ろに回っていたヴィムは部下の男たちへの攻撃を開始した。
驚いたアルヴィエが後ろを振り向くとヴィムは思い切って殴ろうとする。それをルネが封じた。ヴィムは残った部下とルネの相手をし剣を抜いた。ルネにも剣の心得があるようで迷わずに剣を抜く。
金属音が響き渡る中アルヴィエは慌てて部屋の奥の方へと入ると今度はクラウスの攻撃範囲に入った。クラウスはアルヴィエの胸倉を掴み頬を殴った。右の頬を。
「次は左足だな」
クラウスは思い切ってアルヴィエの左足を踏みつけた。ぎゃぁあと男の悲鳴が響きアデルは眉を顰めた。骨を折るまでにはいかなくてもかなりの激痛だったようだ。落ちている剣を拾いクラウスはヴィムが応戦しきれない人数の相手を始めた。
ヴィムはアルフォス団の騎士見習いだから戦いに慣れているのはわかっている。クラウスの剣も大したものであったのは意外であった。クラウスは長い女従業員の服を破りながら脱ぎ捨て下には男の軽装が現れた。
男たちの中で一番強いのはルネであった。ルネの相手だけでヴィムは余裕がない。
クラウスはまだ意識のある二人の男の相手をしていた。
「くそ」
立ち上がれないアルヴィエは胸元から拳銃を取り出した。それをみてアデルは胸をざわつかせた。拳銃の音と共にエミルが倒れ瀕死の状態になったのを思い出す。
アルヴィエは誰を狙っているのだ。
ヴィムか、クラウスか。
それはダメだ。
アデルは椅子から降り、左足を引きずりながらアルヴィエの方へ近づいた。右手には先の鋭い簪を握りしめている。
「ああああっ!!」
アデルが叫ぶと同時にアルヴィエの首に向けて簪を振りかざした。アデルの声に驚いたアルヴィエはアデルの方へ振り向き、簪の先は肩に突き刺さった。
しばらくの間アデルは硬直した。自分のした行為が信じられず真っ青になっていた。
クラウスはそれを見てすぐに駆け付けたかったがアルヴィエ伯爵の部下がしつこく彼女の元へと行けなかった。
「小娘!」
ようやく動いたアルヴィエ伯爵はアデルを突き飛ばした。拳銃の銃口がアデルの方へ向けられる。アルヴィエの思考能力は麻痺しており相手がアリス公女であることを忘れているようだ。
「やめなさい。アルヴィエ伯爵」
鋭い男の声がして場は一瞬静かになった。
「令嬢の部屋でこのような乱闘、あまりに無粋です」
呆れるような声の主はアルヴィエよりも地位の高い男のようである。50歳過ぎの衰えをしらない若々しく、成熟さを隣り合わせた力のある青い瞳を持つ男であった。黒い髪を綺麗に後ろへまとめ上げ、身なりはこの中で誰よりも厳しく整えられている。着ている衣装から位の高さは一目瞭然であった。
「これはバルテル閣下」
取り乱したアルヴィエは急ぎ平静を取り戻そうとする。
「騒ぎがありどうしたものだと思えば……」
バルテル公爵は眉間に皺をよせた。
「バルテル閣下、このお方は例のアリス公女様です。マリー=アリス公女の忘れ形見の」
「その忘れ形見をあなたは何をしているのです」
暴行を加えた後のアデルの右頬は赤く腫れており、ドレスの裾から覗く彼女の左足には白い包帯がぐるぐるとまかれている。
「これはその……」
「失礼、レディ。あなたのお名前は何といいますか?」
アルヴィエの返答を待たずバルテル公爵はアデルの傍に近づき彼女へ手を差し伸べた。
アデルは彼に手を委ねていいものか悩んでしまう。アルヴィエもはじめは好感の持てる紳士であった。彼もメルティーナの貴族であればいつ化けるかわからない。
「ふぅ、失礼。そこの紳士。彼女を椅子に座らせてください」
さすがに令嬢を地べたに座らせるわけにはいかないとバルテル公爵は応戦途中だったクラウスに声をかけた。
「あなた方も隣国の者に手をかけないように。私はオーガストとの関係を壊したくないのですよ」
いいですねとルネとアルヴィエの部下たちに動ないように命じた。勿論彼らの主人はアルヴィエでありバルテル公爵の命令を聞く義理はない。バルテル公爵は自分の部下たちを命じてルネとアルヴィエの部下たち、アルヴィエ伯爵をも拘束した。
ようやく動けるようになったクラウスはアデルの方へ近づいた。アデルは縋るようにクラウスの手を握る。彼女の右手に握られていた簪はアルヴィエの肩に突き刺さったままだった。
「私はジルベール・バルテル。この国で議会議長を務めさせていただいております」
名乗り終えた頃にバルテル公爵は改めてアデルの名を尋ねた。
「わ、私はアデル、です」
震える声でアデルは名を答える。苗字を言う余裕はなかった。
ちらりとバルテル公爵はクラウスの方へ向いた。
「私はクラウス・ローゼンバルト。オーガストの伯爵で、彼女は私の妻です。このような姿で申し訳ない」
隣国の要人相手であり礼儀を示す必要があるが今のクラウスはアデルの手を放したくない。
「そうですか」
ここでようやくバルテル公爵は今の状況を把握した。
「このような手荒な真似をしてすみません。そこでレディ・アデル、あなたはアリス公女と伺いましたがそうですか?」
「違います。私はアデルです」
否定の声にバルテル公爵は少し悲し気な表情を浮かべたが、すぐに柔らかい笑顔に戻った。
「そうですか。ではアルヴィエ伯爵の勘違いだったということですね。どうぞお帰りになってください」
帰っても良いという言葉にアデルは警戒した。
「帰って良いのですか?」
「お詫びをさしあげられないのは申し訳ありませんが」
「閣下、彼女は王族の血筋です。このまま最後の血をオーガストに渡すのですかっ!!」
拘束されたアルヴィエは叫んだ。バルテル公爵は首を横に振った。
「彼女は違うと言っていますよ。身元証明の夫もいることだし、仕方ないでしょう」
「バルテル公爵!」
「アルヴィエ伯爵、あなたは大変な問題を起こしたのですよ。ようやく終戦後良き関係を築いているというのにローゼンバルト伯爵夫人を誘拐するなど……」
アルヴィエ伯爵の言葉など全く受け取ろうとしない。する気がないのだ。
「ローゼンバルト伯爵夫妻、どうかこの度の無礼をお許しください。もし許されるのであればこれからも我が国とオーガストの交流を続けることにご助力願いたい」
「とにかく私はアデルを帰してくれればそれでいい。二国の問題は外交官の仕事だろう」
口出しする気はないというクラウスの言葉にバルテル公爵は礼を示した。
「伯爵の慈悲に感謝します。お詫びは後日、娘を通して行わせていただきましょう」
「それも必要ない。ご令嬢には勉学とさるお方との交流に尽力していただければいい」
アルヴィエ伯爵、ルネたち配下はバルテル公爵の監視下の元で軟禁生活を送ることになる。表向きは急病による療養だ。本来であれば令嬢誘拐を犯した罪で裁判にかけるべきであるが、そうするとアデルのありもしない醜聞が広まってしまう。それをクラウスは危惧し犯人たちが二度とアデルの前に現れないようにと希望を出した上での結果である。
アデルたちが不便なく帰国できるようにバルテル公爵は手を尽くしてくれた。トンネルの整備も終わった頃で、ラルゥに到着した頃には汽車でそのまま帰国できるようだ。
アデルの左足の怪我の治療に関して医者を手配するというがクラウスはそれも拒否した。アルフォス山脈に戻れば、すぐに医者の手配をする。
思った以上にあっさりと帰されてアデルは首を傾げた。クラウスはあの後バルテル公爵と会話をいくつか交わしたようだ。
何を話したかは教えてくれなかった。
◇◇◇
クラウス自身、バルテル公爵の配慮を不気味に関した。何か裏があるのではないかと詮索するがバルテル公爵は本当にアデルを帰してくれるという。
「もはやこの国に王族は必要ありません。私も貴族派に入っておりますが、この国は別の姿に生まれ変わるべきでしょう」
それは今まで虐げられてきた庶民たちの台頭である。未だに紆余曲折あるが、いずれは形になっていく。
その中でアリス・シャルル公女が現れればまた同じような王政が敷かれてしまう。
そして庶民だけが搾取され続ける時代に戻ってしまう。
「あの暴動の中で考えました。野蛮な庶民をこのままにはせずやはり強い権力が必要なのだと。だが、同時にあの庶民たちを暴走させたのは今までの問題はうやむやにし苦しめ続けた王族・貴族にも責任がある。彼らにも意見を言う権利があるのだろうと」
実際、庶民の参政権を進めていくうちに彼らの中にも国の為を思う聡明な人材はいるとわかった。身分、血筋だけで政治を執り行うのではなく能力も認められたものが血筋関係なく意見を言えるようにした方が国の為になると。
「アリス・シャルル公女を象徴として権利を与えない王とする手もあるでしょう。ですが、先ほどのアデル様の姿をみて思いました。あの子には国を背負うには厳しいでしょう。アルヴィエ伯爵を刺しただけで絶望的な表情をした彼女には耐えられない」
よくアデルの姿をみている。
バルテル公爵も同じ年ごろの娘を持っている。アデルと娘と姿を重ねたのかもしれない。
「ジャン=クロード公子が我々貴族ではなく他国のあなたの家へ助けを求めたということは、マリー=アリス公女をメルティーナの政治争いに巻き込みたくなかったのでしょう。ならば私はその意志を尊重すべきだと思います」
それにとバルテル公爵は笑った。
「ここまで一途な伴侶がすでにいるのであれば引き離すのも気の毒ですしね」
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