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16 アデルの出自
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クラウスがアルフォス山脈に到着する前、アデルは国境を越えていた。
国境を越えた先はラルゥ町があった。国境付近ということもありオーガストとメルティーナの戦争の前線地であった。
かつて何もない場所であったが、終戦後の兵士や傭兵が棲みつきトンネル開通工事に参加することで賑やかにな集落がそのまま町になったという。
アデルの生まれた町でもある。
「覚えていますかな」
「赤ちゃんのときだったから全然覚えていないわ」
アルヴィエ伯爵の質問に当たり前のことをアデルは応えた。
ラルゥ町に到着すると近くの仕立て屋に連れ込まされて今まで来ていた服を捨てられた。代わりにメルティーナの流行の婦人服を着せられる。
店の人はじぃっとアデルの方を見つめた。何か顔についているのだろうかと質問すると店の人は何でもないという。
「よくお似合いです。オーガストのドレスも似合っていましたがやはりあなたはメルティーナのドレスがよく似合う」
アルヴィエ伯爵は何度もアデルの姿をみて満足げに笑った。気に入ったドレスを何着か購入しルネに会計を任せた。
他に必要なものも用意してもらう間にアルヴィエ伯爵はアデルと共に墓場へと連れていく。アデルの周りには三人の部下が取り囲んでおりアデルは逃げ出すこともできない。
たどり着いた墓には「マリー・バイエル」と書かれていた。祖父が教会に頼み作ってもらった墓のようだ。そういえば祖父は1年に1回汽車へ乗ってでかけることがあった。アデルも行きたいと言っても危ないからダメだと言われていた。きっと墓参りに来ていたのだろう。
私の母親なんだから私も連れて行けば良かったのに……。
アデルは少し不満を祖父にぶつけた。
「ここが、公女様の墓……」
アルヴィエ伯爵はじぃっと墓を眺めた。ずびっと涙ぐんでいる。
「ああ、公女様。このような寂しい場所で眠ることになるとは……お待ちください。すぐにあなたの墓を丁重にファリスの元へ動かします。そこでどうかアリス様の姿を見守ってください」
涙ぐみながら語り終えたアルヴィエ伯爵はすっと表情を戻しアデルの方へ手を伸ばした。
「さぁ、参りましょう。アリス様」
その呼び名にアデルは未だに慣れない。この国境を越えた頃にアルヴィエ伯爵はアデルをアリスと呼ぶようになった。
おそらくアーデルハイト、アデルがこの国ではアリスと呼ぶことが多いからだろう。
「ここから先は馬車を使いゆっくりとファリスへと向かいましょう」
「早くバルテル公爵令嬢に会わせたいんじゃなかったの?」
その言葉にアルヴィエ伯爵はふふっと笑った。
「あなたを招聘するための方便ですよ。メルティーナへたどり着いたのでもう必要ありませんよ。あなたに必要なのはこの国のことを知ることなのですから」
アルヴィエ伯爵の笑顔にアデルは不気味さを覚えた。早く逃げ出したいが隙がなく逃げられない。もどかしく感じながらも彼の指示に従っていた。
道中の宿泊施設にて豪華な食卓を囲みアデルはとてもじゃないが食欲が出なかった。周りに客がいればいいのだが、部屋を貸し切っての食事会で気分が滅入る。軽いスープだけ飲み後は手に付けていない。
「メルティーナの食事は口に合いませんか? 田舎の料理で質素にみえますが、なかなか美味しいものですよ」
目の前の誘拐犯であるアルヴィエ伯爵に対して不信のまなざしを向けていた。未だに警戒する少女にアルヴィエ伯爵は困ったように笑った。
「私はあなたに危害を加える気はありません。むしろ逆です。あなたを大事に保護したい」
「何故です。私のような山羊飼いの娘」
確かにローゼンバルト伯爵夫人という地位にあり好奇のまなざしを向けられ続けた。利用価値があるとは思えない。ロゼ=マリアでも欲しいとかあったとしてもクラウスがそんなことでメルティーナに差し出すとは思えない。
「確かにあなたの父親はそうだったのでしょう。ですが、あなたの母親は高貴なお方です」
「母親? 私の母親は看護師よ」
父と母の馴れ初めを祖父から聞かされた。終戦後、負傷兵だった祖父を看護していたのがアデルの母だった。そして、母親は祖父を迎えにきた父親と恋に落ち結ばれた。国境付近でアデルは生まれたのである。
「ええ、その話を聞いてとても悲しいです。あのような危険地帯で看護師をしていたとは……知っていればすぐにお迎えにあがれたのに」
アルヴィエ伯爵は悲し気に俯いた。
「あなたの母親の本当の名をご存じでしょうか」
「マリー。ただのマリーと聞いたわ」
アルヴィエ伯爵はゆっくりと首を横に振った。
「マリー=アリス・シャルル公女。それがあなたの母親の名です」
大層な名にアデルは困惑した。シャルルという名も勿論知っていた。戦争が起きる頃に戦争反対を訴えていたのがシャルル大公であった。彼の存在を疎ましく感じたメルティーナ国王は彼に謀反の罪を着せて処刑台へと送った。裁判ではすでに根回しされシャルル大公には逃げ場はなかった。その子供たちも処刑されたはず。
「マリー=アリス公女のみ、裁判へ連行される前日に焼身自殺を図っておりました。油を体かけ、火をつけたらすぐに自らのどを刺した……と言います。当時は拷問を恐れ自殺したのだろうと片づけられました」
だが、アルヴィエ伯爵はそれを信じることができなかった。
「公女様は敬虔なロマ神の信者。自殺をするなどありえません。それに若い娘が油をかけ火をつけると同時に自分ののどを刺せるでしょうか?」
偽装自殺だったのだ。マリー=アリスと同じ背格好の侍女が、他人に頼み喉を刺して油をかけ火をつけてもらった。
「その他人はおそらくはジャン=クロード・シャルル公子。マリー=アリス公女を誰よりも愛しておりました。彼はマリー=アリスに隣国の貴族の家へ向かうようにと指示を出した。メルティーナにいる限り危険は伴う。それであれば隣国の友人に保護をお願いしたいと。戦争反対を訴えていたシャルル大公の娘であればオーガストも受け入れるだろう。そのオーガストの貴族がかつてメルティーナに遊学に来られていた先代ローゼンバルト伯爵です。私もお二人が仲良くしている姿をよく知っております。ジャン=クロード公子は母国の誰でもなく、隣国のローゼンバルト伯爵を信じた。それが私でなかったのは残念です」
アルヴィエ伯爵は悲し気にワインのはいったグラスを眺めた。それでも公女の娘がこうして手元に訪れたのである。喜ぶべきだろう。
「すごい小説ですね」
アデルはただそう呟いた。
「でも、私がその公女様の娘という証拠はどこにもありません」
信じられなかった。自分が大公家の血筋など。アデルはあくまで山羊飼いの娘であった。
「公女様はダークブロンドの美しい髪に、薄いアメジストの瞳を持っております」
じぃっとアルヴィエ伯爵に眺められてアデルは居心地の悪い気分だった。
「あなたはマリー=アリス公女にうり2つです。声も同じだ。他人とは思えないくらいに。ロッソ辺境伯の社交界であなたを見た時に私は驚きました。あの美しく神々しい公女様が蘇ったようだった」
しばらくアデルについて調べてみた。彼女の出自について。彼女がメルティーナの国境付近の集落で生まれたということから確信に変わった。
「もし仮に私が公女様の娘だったとしてあなたは私に何を望むのです」
既に王家は滅び、メルティーナは民主化の道へと進んでいる。貴族も庶民も平等に政治を行う権利を持つ。王家などなくても国は回ろうとしている。
「それは間違いです。我が国は未だ混乱の渦中にあります」
平等といっても貴族が優位に立つ。庶民はあくまで庶民でしかない。議会もお互いの価値観のぶつかり合いでまとまることもなく迷走し続けている。表向きは国としての体裁を整えて言っているが、裏ではばらつきの激しい再度崩れる危うさを持っている。
「やはり国には必要なのです。王が……貴族も庶民も崇める存在が」
「わ、私に、そうなれと?」
求められた内容が想像の範囲を超えている。いくらなんでも無理である。伯爵夫人としてそれなりの教育を受けたが、国を一つまとめるだけの能力はアデルにはない。
「庶民たちはかつての国王家を恨んでいる。それは今も変わらない。ですが、シャルル大公家は違う。戦争反対を唱え、国王に断罪された悲劇の英雄とされている。その血筋であれば庶民も喜んで王として迎えるでしょう」
「無理よ。私には無理」
「安心してください。あなたは国母になればいいのです。王の母親に」
それも何が安心しろというのだ。無理に決まっている。
「だいたい私には子供がいません」
「これから作るのですよ。あなたはメルティーナの貴族の男と結婚し子供を成すのです」
「重婚になるでしょう!」
ロマ神の元では重婚も罪である。アデルはまだクラウスの妻である。他の男の元へ嫁ぐなどありえない。
「いいえ、あなたはローゼンバルトとは関係のない新しい身分を持つのです。アリス・シャルル公女と……ローゼンバルト伯爵夫人は同時に死に新しく生まれ変わる」
うっとりとアルヴィエ伯爵はアデルを見つめた。
「できれば私の息子と一緒になって欲しいですが、バルテル閣下にも手ごろの息子がおります。好きにお選びください」
「無理よ、無理っ」
アデルは大きく首を振った。
「それでもあなたは選ばなければなりません。子を成さなければなりません。あなたはメルティーナの大事な王族なのですから」
決して逃すものかとアルヴィエはアデルの逃げ場を塞ぐ。大事な義務だと言わんばかりにアデルのこれからの未来を語り続けた。
ようやく解放されアデルは寝室でぐったりとした。
彼に連れてこさせられるが、その先のことは自分には無理である。
「クラウス」
ぽつりとアデルはクラウスの名を呼ぶ。名ばかりの夫であった。形だけの夫婦であった。
それでもアデルはクラウスに惹かれていた。
彼に惹かれたのが、離婚を考えた後だなんて信じられない。アルフォス山脈で再会してアデルの話を聞かないようでいてアデルの話を聞き、アデルのことを一番に考えて動いてくれた。誘拐するように、強引に伯爵家へ戻すような真似はしなかった。
何度も話そうと思っても諦めていた遠い存在であったクラウスがはじめて傍にいると感じられた。
これであれば彼の話を聞いてもいいのかもしれないと思った。それでも離婚を考えたのは事実である。あれだけの大見えを切って伯爵家を去ったのだ。離婚の決意を覆す気はない。
クラウスとは今まで空白だった時間を埋める為にたくさん話してから別れようと思った。
その方がお互い納得できる終わり方にできるはずだ。
「クラウス、もう会えないの」
このままメルティーナのファリスへ向かえばアデルは違う人間として生かされる。クラウスの手が届かない人間になってしまう。
「いや、いや……」
アデルは枕に顔をつけ涙をこらえた。肩を震わせ必死にアルヴィエ伯爵たちに泣き声を聞かれるものかとふんばる。
しばらくしてむくりと起き上がった。
「逃げよう」
ファリスまでの道のりは長い。昔みた地図で国境からファリスまでだいたい馬車で10日程はかかるだろう。汽車を途中利用しても6日はかかる。その間に隙があれば人ゴミに紛れて逃げてしまおう。
幸いメルティーナの言葉はわかる。現地人と会話も問題なくできると確認済である。8年間の教育の賜物に感謝した。
きゅぅっとお腹の音がした。
体力を維持するために明日から食事はとろう。アルヴィエ伯爵と一緒に食事をするのは嫌だけど。
国境を越えた先はラルゥ町があった。国境付近ということもありオーガストとメルティーナの戦争の前線地であった。
かつて何もない場所であったが、終戦後の兵士や傭兵が棲みつきトンネル開通工事に参加することで賑やかにな集落がそのまま町になったという。
アデルの生まれた町でもある。
「覚えていますかな」
「赤ちゃんのときだったから全然覚えていないわ」
アルヴィエ伯爵の質問に当たり前のことをアデルは応えた。
ラルゥ町に到着すると近くの仕立て屋に連れ込まされて今まで来ていた服を捨てられた。代わりにメルティーナの流行の婦人服を着せられる。
店の人はじぃっとアデルの方を見つめた。何か顔についているのだろうかと質問すると店の人は何でもないという。
「よくお似合いです。オーガストのドレスも似合っていましたがやはりあなたはメルティーナのドレスがよく似合う」
アルヴィエ伯爵は何度もアデルの姿をみて満足げに笑った。気に入ったドレスを何着か購入しルネに会計を任せた。
他に必要なものも用意してもらう間にアルヴィエ伯爵はアデルと共に墓場へと連れていく。アデルの周りには三人の部下が取り囲んでおりアデルは逃げ出すこともできない。
たどり着いた墓には「マリー・バイエル」と書かれていた。祖父が教会に頼み作ってもらった墓のようだ。そういえば祖父は1年に1回汽車へ乗ってでかけることがあった。アデルも行きたいと言っても危ないからダメだと言われていた。きっと墓参りに来ていたのだろう。
私の母親なんだから私も連れて行けば良かったのに……。
アデルは少し不満を祖父にぶつけた。
「ここが、公女様の墓……」
アルヴィエ伯爵はじぃっと墓を眺めた。ずびっと涙ぐんでいる。
「ああ、公女様。このような寂しい場所で眠ることになるとは……お待ちください。すぐにあなたの墓を丁重にファリスの元へ動かします。そこでどうかアリス様の姿を見守ってください」
涙ぐみながら語り終えたアルヴィエ伯爵はすっと表情を戻しアデルの方へ手を伸ばした。
「さぁ、参りましょう。アリス様」
その呼び名にアデルは未だに慣れない。この国境を越えた頃にアルヴィエ伯爵はアデルをアリスと呼ぶようになった。
おそらくアーデルハイト、アデルがこの国ではアリスと呼ぶことが多いからだろう。
「ここから先は馬車を使いゆっくりとファリスへと向かいましょう」
「早くバルテル公爵令嬢に会わせたいんじゃなかったの?」
その言葉にアルヴィエ伯爵はふふっと笑った。
「あなたを招聘するための方便ですよ。メルティーナへたどり着いたのでもう必要ありませんよ。あなたに必要なのはこの国のことを知ることなのですから」
アルヴィエ伯爵の笑顔にアデルは不気味さを覚えた。早く逃げ出したいが隙がなく逃げられない。もどかしく感じながらも彼の指示に従っていた。
道中の宿泊施設にて豪華な食卓を囲みアデルはとてもじゃないが食欲が出なかった。周りに客がいればいいのだが、部屋を貸し切っての食事会で気分が滅入る。軽いスープだけ飲み後は手に付けていない。
「メルティーナの食事は口に合いませんか? 田舎の料理で質素にみえますが、なかなか美味しいものですよ」
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「何故です。私のような山羊飼いの娘」
確かにローゼンバルト伯爵夫人という地位にあり好奇のまなざしを向けられ続けた。利用価値があるとは思えない。ロゼ=マリアでも欲しいとかあったとしてもクラウスがそんなことでメルティーナに差し出すとは思えない。
「確かにあなたの父親はそうだったのでしょう。ですが、あなたの母親は高貴なお方です」
「母親? 私の母親は看護師よ」
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「ええ、その話を聞いてとても悲しいです。あのような危険地帯で看護師をしていたとは……知っていればすぐにお迎えにあがれたのに」
アルヴィエ伯爵は悲し気に俯いた。
「あなたの母親の本当の名をご存じでしょうか」
「マリー。ただのマリーと聞いたわ」
アルヴィエ伯爵はゆっくりと首を横に振った。
「マリー=アリス・シャルル公女。それがあなたの母親の名です」
大層な名にアデルは困惑した。シャルルという名も勿論知っていた。戦争が起きる頃に戦争反対を訴えていたのがシャルル大公であった。彼の存在を疎ましく感じたメルティーナ国王は彼に謀反の罪を着せて処刑台へと送った。裁判ではすでに根回しされシャルル大公には逃げ場はなかった。その子供たちも処刑されたはず。
「マリー=アリス公女のみ、裁判へ連行される前日に焼身自殺を図っておりました。油を体かけ、火をつけたらすぐに自らのどを刺した……と言います。当時は拷問を恐れ自殺したのだろうと片づけられました」
だが、アルヴィエ伯爵はそれを信じることができなかった。
「公女様は敬虔なロマ神の信者。自殺をするなどありえません。それに若い娘が油をかけ火をつけると同時に自分ののどを刺せるでしょうか?」
偽装自殺だったのだ。マリー=アリスと同じ背格好の侍女が、他人に頼み喉を刺して油をかけ火をつけてもらった。
「その他人はおそらくはジャン=クロード・シャルル公子。マリー=アリス公女を誰よりも愛しておりました。彼はマリー=アリスに隣国の貴族の家へ向かうようにと指示を出した。メルティーナにいる限り危険は伴う。それであれば隣国の友人に保護をお願いしたいと。戦争反対を訴えていたシャルル大公の娘であればオーガストも受け入れるだろう。そのオーガストの貴族がかつてメルティーナに遊学に来られていた先代ローゼンバルト伯爵です。私もお二人が仲良くしている姿をよく知っております。ジャン=クロード公子は母国の誰でもなく、隣国のローゼンバルト伯爵を信じた。それが私でなかったのは残念です」
アルヴィエ伯爵は悲し気にワインのはいったグラスを眺めた。それでも公女の娘がこうして手元に訪れたのである。喜ぶべきだろう。
「すごい小説ですね」
アデルはただそう呟いた。
「でも、私がその公女様の娘という証拠はどこにもありません」
信じられなかった。自分が大公家の血筋など。アデルはあくまで山羊飼いの娘であった。
「公女様はダークブロンドの美しい髪に、薄いアメジストの瞳を持っております」
じぃっとアルヴィエ伯爵に眺められてアデルは居心地の悪い気分だった。
「あなたはマリー=アリス公女にうり2つです。声も同じだ。他人とは思えないくらいに。ロッソ辺境伯の社交界であなたを見た時に私は驚きました。あの美しく神々しい公女様が蘇ったようだった」
しばらくアデルについて調べてみた。彼女の出自について。彼女がメルティーナの国境付近の集落で生まれたということから確信に変わった。
「もし仮に私が公女様の娘だったとしてあなたは私に何を望むのです」
既に王家は滅び、メルティーナは民主化の道へと進んでいる。貴族も庶民も平等に政治を行う権利を持つ。王家などなくても国は回ろうとしている。
「それは間違いです。我が国は未だ混乱の渦中にあります」
平等といっても貴族が優位に立つ。庶民はあくまで庶民でしかない。議会もお互いの価値観のぶつかり合いでまとまることもなく迷走し続けている。表向きは国としての体裁を整えて言っているが、裏ではばらつきの激しい再度崩れる危うさを持っている。
「やはり国には必要なのです。王が……貴族も庶民も崇める存在が」
「わ、私に、そうなれと?」
求められた内容が想像の範囲を超えている。いくらなんでも無理である。伯爵夫人としてそれなりの教育を受けたが、国を一つまとめるだけの能力はアデルにはない。
「庶民たちはかつての国王家を恨んでいる。それは今も変わらない。ですが、シャルル大公家は違う。戦争反対を唱え、国王に断罪された悲劇の英雄とされている。その血筋であれば庶民も喜んで王として迎えるでしょう」
「無理よ。私には無理」
「安心してください。あなたは国母になればいいのです。王の母親に」
それも何が安心しろというのだ。無理に決まっている。
「だいたい私には子供がいません」
「これから作るのですよ。あなたはメルティーナの貴族の男と結婚し子供を成すのです」
「重婚になるでしょう!」
ロマ神の元では重婚も罪である。アデルはまだクラウスの妻である。他の男の元へ嫁ぐなどありえない。
「いいえ、あなたはローゼンバルトとは関係のない新しい身分を持つのです。アリス・シャルル公女と……ローゼンバルト伯爵夫人は同時に死に新しく生まれ変わる」
うっとりとアルヴィエ伯爵はアデルを見つめた。
「できれば私の息子と一緒になって欲しいですが、バルテル閣下にも手ごろの息子がおります。好きにお選びください」
「無理よ、無理っ」
アデルは大きく首を振った。
「それでもあなたは選ばなければなりません。子を成さなければなりません。あなたはメルティーナの大事な王族なのですから」
決して逃すものかとアルヴィエはアデルの逃げ場を塞ぐ。大事な義務だと言わんばかりにアデルのこれからの未来を語り続けた。
ようやく解放されアデルは寝室でぐったりとした。
彼に連れてこさせられるが、その先のことは自分には無理である。
「クラウス」
ぽつりとアデルはクラウスの名を呼ぶ。名ばかりの夫であった。形だけの夫婦であった。
それでもアデルはクラウスに惹かれていた。
彼に惹かれたのが、離婚を考えた後だなんて信じられない。アルフォス山脈で再会してアデルの話を聞かないようでいてアデルの話を聞き、アデルのことを一番に考えて動いてくれた。誘拐するように、強引に伯爵家へ戻すような真似はしなかった。
何度も話そうと思っても諦めていた遠い存在であったクラウスがはじめて傍にいると感じられた。
これであれば彼の話を聞いてもいいのかもしれないと思った。それでも離婚を考えたのは事実である。あれだけの大見えを切って伯爵家を去ったのだ。離婚の決意を覆す気はない。
クラウスとは今まで空白だった時間を埋める為にたくさん話してから別れようと思った。
その方がお互い納得できる終わり方にできるはずだ。
「クラウス、もう会えないの」
このままメルティーナのファリスへ向かえばアデルは違う人間として生かされる。クラウスの手が届かない人間になってしまう。
「いや、いや……」
アデルは枕に顔をつけ涙をこらえた。肩を震わせ必死にアルヴィエ伯爵たちに泣き声を聞かれるものかとふんばる。
しばらくしてむくりと起き上がった。
「逃げよう」
ファリスまでの道のりは長い。昔みた地図で国境からファリスまでだいたい馬車で10日程はかかるだろう。汽車を途中利用しても6日はかかる。その間に隙があれば人ゴミに紛れて逃げてしまおう。
幸いメルティーナの言葉はわかる。現地人と会話も問題なくできると確認済である。8年間の教育の賜物に感謝した。
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