【完結】アーデルハイトはお家へ帰る

ariya

文字の大きさ
上 下
16 / 20

16 アデルの出自

しおりを挟む
 クラウスがアルフォス山脈に到着する前、アデルは国境を越えていた。
 国境を越えた先はラルゥ町があった。国境付近ということもありオーガストとメルティーナの戦争の前線地であった。
 かつて何もない場所であったが、終戦後の兵士や傭兵が棲みつきトンネル開通工事に参加することで賑やかにな集落がそのまま町になったという。
 アデルの生まれた町でもある。

「覚えていますかな」
「赤ちゃんのときだったから全然覚えていないわ」

 アルヴィエ伯爵の質問に当たり前のことをアデルは応えた。
 ラルゥ町に到着すると近くの仕立て屋に連れ込まされて今まで来ていた服を捨てられた。代わりにメルティーナの流行の婦人服を着せられる。
 店の人はじぃっとアデルの方を見つめた。何か顔についているのだろうかと質問すると店の人は何でもないという。
「よくお似合いです。オーガストのドレスも似合っていましたがやはりあなたはメルティーナのドレスがよく似合う」
 アルヴィエ伯爵は何度もアデルの姿をみて満足げに笑った。気に入ったドレスを何着か購入しルネに会計を任せた。
 他に必要なものも用意してもらう間にアルヴィエ伯爵はアデルと共に墓場へと連れていく。アデルの周りには三人の部下が取り囲んでおりアデルは逃げ出すこともできない。
 たどり着いた墓には「マリー・バイエル」と書かれていた。祖父が教会に頼み作ってもらった墓のようだ。そういえば祖父は1年に1回汽車へ乗ってでかけることがあった。アデルも行きたいと言っても危ないからダメだと言われていた。きっと墓参りに来ていたのだろう。

 私の母親なんだから私も連れて行けば良かったのに……。

 アデルは少し不満を祖父にぶつけた。
「ここが、公女様の墓……」
 アルヴィエ伯爵はじぃっと墓を眺めた。ずびっと涙ぐんでいる。
「ああ、公女様。このような寂しい場所で眠ることになるとは……お待ちください。すぐにあなたの墓を丁重にファリスの元へ動かします。そこでどうかアリス様の姿を見守ってください」
 涙ぐみながら語り終えたアルヴィエ伯爵はすっと表情を戻しアデルの方へ手を伸ばした。
「さぁ、参りましょう。アリス様」
 その呼び名にアデルは未だに慣れない。この国境を越えた頃にアルヴィエ伯爵はアデルをアリスと呼ぶようになった。
 おそらくアーデルハイト、アデルがこの国ではアリスと呼ぶことが多いからだろう。
「ここから先は馬車を使いゆっくりとファリスへと向かいましょう」
「早くバルテル公爵令嬢に会わせたいんじゃなかったの?」
 その言葉にアルヴィエ伯爵はふふっと笑った。
「あなたを招聘するための方便ですよ。メルティーナへたどり着いたのでもう必要ありませんよ。あなたに必要なのはこの国のことを知ることなのですから」
 アルヴィエ伯爵の笑顔にアデルは不気味さを覚えた。早く逃げ出したいが隙がなく逃げられない。もどかしく感じながらも彼の指示に従っていた。

 道中の宿泊施設にて豪華な食卓を囲みアデルはとてもじゃないが食欲が出なかった。周りに客がいればいいのだが、部屋を貸し切っての食事会で気分が滅入る。軽いスープだけ飲み後は手に付けていない。
「メルティーナの食事は口に合いませんか? 田舎の料理で質素にみえますが、なかなか美味しいものですよ」
 目の前の誘拐犯であるアルヴィエ伯爵に対して不信のまなざしを向けていた。未だに警戒する少女にアルヴィエ伯爵は困ったように笑った。
「私はあなたに危害を加える気はありません。むしろ逆です。あなたを大事に保護したい」
「何故です。私のような山羊飼いの娘」
 確かにローゼンバルト伯爵夫人という地位にあり好奇のまなざしを向けられ続けた。利用価値があるとは思えない。ロゼ=マリアでも欲しいとかあったとしてもクラウスがそんなことでメルティーナに差し出すとは思えない。
「確かにあなたの父親はそうだったのでしょう。ですが、あなたの母親は高貴なお方です」
「母親? 私の母親は看護師よ」
 父と母の馴れ初めを祖父から聞かされた。終戦後、負傷兵だった祖父を看護していたのがアデルの母だった。そして、母親は祖父を迎えにきた父親と恋に落ち結ばれた。国境付近でアデルは生まれたのである。
「ええ、その話を聞いてとても悲しいです。あのような危険地帯で看護師をしていたとは……知っていればすぐにお迎えにあがれたのに」
 アルヴィエ伯爵は悲し気に俯いた。
「あなたの母親の本当の名をご存じでしょうか」
「マリー。ただのマリーと聞いたわ」
 アルヴィエ伯爵はゆっくりと首を横に振った。
「マリー=アリス・シャルル公女。それがあなたの母親の名です」
 大層な名にアデルは困惑した。シャルルという名も勿論知っていた。戦争が起きる頃に戦争反対を訴えていたのがシャルル大公であった。彼の存在を疎ましく感じたメルティーナ国王は彼に謀反の罪を着せて処刑台へと送った。裁判ではすでに根回しされシャルル大公には逃げ場はなかった。その子供たちも処刑されたはず。
「マリー=アリス公女のみ、裁判へ連行される前日に焼身自殺を図っておりました。油を体かけ、火をつけたらすぐに自らのどを刺した……と言います。当時は拷問を恐れ自殺したのだろうと片づけられました」
 だが、アルヴィエ伯爵はそれを信じることができなかった。
「公女様は敬虔なロマ神の信者。自殺をするなどありえません。それに若い娘が油をかけ火をつけると同時に自分ののどを刺せるでしょうか?」
 偽装自殺だったのだ。マリー=アリスと同じ背格好の侍女が、他人に頼み喉を刺して油をかけ火をつけてもらった。
「その他人はおそらくはジャン=クロード・シャルル公子。マリー=アリス公女を誰よりも愛しておりました。彼はマリー=アリスに隣国の貴族の家へ向かうようにと指示を出した。メルティーナにいる限り危険は伴う。それであれば隣国の友人に保護をお願いしたいと。戦争反対を訴えていたシャルル大公の娘であればオーガストも受け入れるだろう。そのオーガストの貴族がかつてメルティーナに遊学に来られていた先代ローゼンバルト伯爵です。私もお二人が仲良くしている姿をよく知っております。ジャン=クロード公子は母国の誰でもなく、隣国のローゼンバルト伯爵を信じた。それが私でなかったのは残念です」
 アルヴィエ伯爵は悲し気にワインのはいったグラスを眺めた。それでも公女の娘がこうして手元に訪れたのである。喜ぶべきだろう。
「すごい小説ですね」
 アデルはただそう呟いた。
「でも、私がその公女様の娘という証拠はどこにもありません」
 信じられなかった。自分が大公家の血筋など。アデルはあくまで山羊飼いの娘であった。
「公女様はダークブロンドの美しい髪に、薄いアメジストの瞳を持っております」
 じぃっとアルヴィエ伯爵に眺められてアデルは居心地の悪い気分だった。
「あなたはマリー=アリス公女にうり2つです。声も同じだ。他人とは思えないくらいに。ロッソ辺境伯の社交界であなたを見た時に私は驚きました。あの美しく神々しい公女様が蘇ったようだった」
 しばらくアデルについて調べてみた。彼女の出自について。彼女がメルティーナの国境付近の集落で生まれたということから確信に変わった。
「もし仮に私が公女様の娘だったとしてあなたは私に何を望むのです」
 既に王家は滅び、メルティーナは民主化の道へと進んでいる。貴族も庶民も平等に政治を行う権利を持つ。王家などなくても国は回ろうとしている。
「それは間違いです。我が国は未だ混乱の渦中にあります」
 平等といっても貴族が優位に立つ。庶民はあくまで庶民でしかない。議会もお互いの価値観のぶつかり合いでまとまることもなく迷走し続けている。表向きは国としての体裁を整えて言っているが、裏ではばらつきの激しい再度崩れる危うさを持っている。
「やはり国には必要なのです。王が……貴族も庶民も崇める存在が」
「わ、私に、そうなれと?」
 求められた内容が想像の範囲を超えている。いくらなんでも無理である。伯爵夫人としてそれなりの教育を受けたが、国を一つまとめるだけの能力はアデルにはない。
「庶民たちはかつての国王家を恨んでいる。それは今も変わらない。ですが、シャルル大公家は違う。戦争反対を唱え、国王に断罪された悲劇の英雄とされている。その血筋であれば庶民も喜んで王として迎えるでしょう」
「無理よ。私には無理」
「安心してください。あなたは国母になればいいのです。王の母親に」
 それも何が安心しろというのだ。無理に決まっている。
「だいたい私には子供がいません」
「これから作るのですよ。あなたはメルティーナの貴族の男と結婚し子供を成すのです」
「重婚になるでしょう!」
 ロマ神の元では重婚も罪である。アデルはまだクラウスの妻である。他の男の元へ嫁ぐなどありえない。
「いいえ、あなたはローゼンバルトとは関係のない新しい身分を持つのです。アリス・シャルル公女と……ローゼンバルト伯爵夫人は同時に死に新しく生まれ変わる」
 うっとりとアルヴィエ伯爵はアデルを見つめた。
「できれば私の息子と一緒になって欲しいですが、バルテル閣下にも手ごろの息子がおります。好きにお選びください」
「無理よ、無理っ」
 アデルは大きく首を振った。
「それでもあなたは選ばなければなりません。子を成さなければなりません。あなたはメルティーナの大事な王族なのですから」
 決して逃すものかとアルヴィエはアデルの逃げ場を塞ぐ。大事な義務だと言わんばかりにアデルのこれからの未来を語り続けた。
 ようやく解放されアデルは寝室でぐったりとした。
 彼に連れてこさせられるが、その先のことは自分には無理である。

「クラウス」

 ぽつりとアデルはクラウスの名を呼ぶ。名ばかりの夫であった。形だけの夫婦であった。
 それでもアデルはクラウスに惹かれていた。
 彼に惹かれたのが、離婚を考えた後だなんて信じられない。アルフォス山脈で再会してアデルの話を聞かないようでいてアデルの話を聞き、アデルのことを一番に考えて動いてくれた。誘拐するように、強引に伯爵家へ戻すような真似はしなかった。
 何度も話そうと思っても諦めていた遠い存在であったクラウスがはじめて傍にいると感じられた。
 これであれば彼の話を聞いてもいいのかもしれないと思った。それでも離婚を考えたのは事実である。あれだけの大見えを切って伯爵家を去ったのだ。離婚の決意を覆す気はない。
 クラウスとは今まで空白だった時間を埋める為にたくさん話してから別れようと思った。
 その方がお互い納得できる終わり方にできるはずだ。
「クラウス、もう会えないの」
 このままメルティーナのファリスへ向かえばアデルは違う人間として生かされる。クラウスの手が届かない人間になってしまう。
「いや、いや……」
 アデルは枕に顔をつけ涙をこらえた。肩を震わせ必死にアルヴィエ伯爵たちに泣き声を聞かれるものかとふんばる。
 しばらくしてむくりと起き上がった。
「逃げよう」
 ファリスまでの道のりは長い。昔みた地図で国境からファリスまでだいたい馬車で10日程はかかるだろう。汽車を途中利用しても6日はかかる。その間に隙があれば人ゴミに紛れて逃げてしまおう。
 幸いメルティーナの言葉はわかる。現地人と会話も問題なくできると確認済である。8年間の教育の賜物に感謝した。
 きゅぅっとお腹の音がした。
 体力を維持するために明日から食事はとろう。アルヴィエ伯爵と一緒に食事をするのは嫌だけど。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

処理中です...