ビジネス番契約ですが欠陥αに不器用に溺愛されて偽りΩは幸せです

子犬一 はぁて

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「終業時刻の17時までに百田の元で今日1日の同期が行った研修をクリアしてこい。終わらなければ明日に持ち越せ」

「はい。失礼します」

 岸本は面倒くさそうな表情は一瞬たりとも見せなかった。自己紹介のときの言葉に嘘はないらしい。こういう無茶苦茶な指示を出してくる上司との付き合い方も新人には必要なスキルのひとつだと小鳥遊は考えている。事実、小鳥遊は新入社員研修のときに、百田のような優しいタイプの先輩にあたり逆に苦労した経験がある。今の小鳥遊は先輩に甘やかされて育てられた反面、実務経験でたくさん修羅の道を通ってきたので心を鬼にすることができる。叶うならば、自分が自分の新入社員研修をしたかったくらいだ。だから佐久間は幸運の持ち主であるし、岸本もまた幸運の持ち主なのである。小鳥遊駿輔という鬼を引き当てたのだから。

「小鳥遊~おまえんとこの子優秀すぎだろ」

 業務を終えた百田がデスクにやってくる。その足取りは重い。百田がいい人であるがゆえに愛嬌を振りまいて、懇切丁寧に新人に教えたから疲労が溜まっているのが見え見えだった。その後ろから新人3人の姿が見える。百田の後ろをくっつくように慣れない社内を歩いてきた。まるでペンギンのあかちゃんのよちよち歩きにすら見えないこともない。このオフィスはいつから水族館になったんだ。

「1時間もしないで終わったのか」

 ふーっと大きく伸びをする百田に声をかける。伸びをして深呼吸を繰り返している。パーマをかけた髪をわしゃわしゃとかきながら大きく頷いた。トイプードルのでっかいバージョンといえば伝わるだろうか。今どきはパーマで営業職もありらしい。一昔前までは、七三分けが主流であったのに。だから小鳥遊はきちんと前髪を上げて固めているというのに。

「電話対応、名刺交換、備品の場所の確認、事務員との接し方……もう全部オールオッケー」

「そうか」

 なら明日それができているか確認してやろう。そう思って仕事用のメモ帳に「岸本 研修の復習」と書き記す。それをパソコン画面の端にマスキングテープで貼り付けた。これなら見落とさなくてすむ。マスキングテープは小鳥遊が好きなキャラクターの柄が付いている。それに注目が集まってしまったのか、新人3人と百田が小鳥遊のデスクをにゅっとのぞいてきた。

「おー小鳥遊もこんな趣味があるんだな。知らなかったよ。いつも隣にいるのに……」

   百田。目をうるうるとさせても何の効果もないぞ。しかもいつも隣ではない。お前がいつの間にか俺のそばにくっついてるだけだ。俺からは近づいていない。

   仏頂面で構えていると、新人たちがじーっとマスキングテープと小鳥遊の顔を見比べている。岸本が、耐えきれずに質問をしてきた。

「小鳥遊部長、このキャラクターはいったい……?」

「ああ。それは、お餅にゃんこの公式グッズだ」

   小鳥遊が堂々と答えると、岸本たちが不思議そうに目を丸くさせた。

「お餅にゃんこ?」

「ああ。朝のニュース番組の公式キャラクターだ。身体が餅になっていて、顔は餅から割れて魂が飛び出ているような面をしている」

   小鳥遊が至極真面目な説明をしたためだろうか。

「ふっ」

   岸本がくしゃりと笑みをこぼした。笑うというよりも、笑いのツボに入ってしまったらしく声を抑えるために顔が酸欠で赤くなっている。それを見て2人の新人も顔を見合わせて笑うのを耐えている様子だった。小鳥遊は埒が明かないと思い、百田に話を振った。

「他の新人はどうだ。少しは緊張がほぐれたか」

「だめだな。ガッチガチ。まぁアルファの中でもさらに優秀な俺の前だから仕方ない」

 自分の性にいつでも、どんなときでも自信を持てる百田のことを小鳥遊は少し羨ましく思っていた。百田の家柄はアルファの家系で、父親は政治家だと聞いたときにはかなり衝撃を受けたものだ。政治家の息子がこんなにふにゃふにゃとしているトイプードルだとは思いもしなかったからだ。幼稚園の頃から大学院付属の私立学校へ通い、小学校・中学校・高校はエスカレーター式。さぞかし遊び呆けていたのだろう。大学2年生のときに、両親に強制的にカナダの大学に留学させられたと苦々しく言っていた。カナダにはさまざまな人種やバックグラウンド、ルーツを持つ人々がいるため、そこで社交性や多様性を勉強してこい、というお達しだったという。寮生活で自由奔放にしていたら、また父親の雷が落ちて、こいつはやはり目の届く場所で育てなければと考え直し、強制的に日本の大学へ戻されたらしい。見かけによらず、かなりアクロバティックな人生を送ってきたのが、百田という男なのだ。小鳥遊が唯一彼に驚嘆することといえば、己をアルファの中でもトップクラスであると自覚し、そう振る舞えることだ。嫌味ではなく、実践的・体力的に百田のアルファ性は激しいものがある。社内のスポーツサークルでは、バスケットもバレーボールも野球も剣道も何でもやりこなすオールラウンダー。スバルホームズは日本でも有数の高度なアルファの人材を抱えているが、スポーツサークルの中で百田にかなうアルファはいない。もちろん、ベータもオメガもだ。彼のずば抜けたスタミナと体幹、持って生まれた超人的なバランス感覚は、やはりかれがアルファとして生きている証明になっていると小鳥遊は感じる。それゆえ、自分が種なしの欠陥品アルファであることがさらに憂うつになるのだ。しかしそれをおくびにも出さずに小鳥遊はコートを羽織る。まだこの季節は朝夕の寒暖差があり上着がないと厳しい。

 本社のビルを後にして最寄駅に向かおうとすると、少し先を歩いている岸本の姿が見えた。優しく気遣いのできる上司なら声をかけるのかもしれないが小鳥遊はあえてそれをしない。百田のように親身な上司も必要であるし、小鳥遊のようなとっつきにくく厳しい上司も社には必要なのだ。上司と部下は友達ではない。それが小鳥遊の鉄の信条だった。
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