ブライダル×ウォーズ

柚月 梓

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久しぶりの事件

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 東京表参道の一角に位置するウェディングサロン──フェリーク。
 お客様の理想のウェディングを形にするべく、式場の手配から披露宴の演出、二次会の会場手配等、結婚式をトータルプロデュースするウェディングプロデュース会社だ。

 近年は有名芸能人やスポーツ選手の結婚式をプロデュースした実績もあり、テレビ中継で全国放送されたこともあって、社の知名度は確実に上がっている。
 真帆はそのフェリークの中でだんとつの人気を誇るウェディングプランナーだ。

 ブライダル雑誌やテレビ番組の中で、『幸せ涙の仕掛け人』『美しすぎるウェディングプランナー』というキャッチフレーズがつけられ、業界ではその名が知れ渡っている。
 今や会場よりも、『杉崎真帆』を個人使命し、サロンを訪れるカップルも多い。

 もともとウェディングプランナーという仕事に誇りを持っている真帆は、今の異常なまでの忙しさに多少の疲労感はあるものの、素直に有り難いことだとも思っている。
 わざわざ自分を指名してくれたのだ。結婚式の規模に関係なく、全てのお客様と全力で向き合う。それが真帆のモットーだった。

「おはようございます」

 PCを立ち上げ、朝の日課をこなす。コーヒーサーバーから熱々のコーヒーをマグカップに注いでいると、「真帆さん」と声をかけられた。
 振り返ると、真帆の後輩にあたる高城円たかぎまどかが、真っ青な顔をして立っている。

「円ちゃん? どうしたの、そんな顔して」
「真帆さん、どうしよう……」

 その手には、顧客ファイルが握られていた。何か、お客様とトラブルでもあったのだろうか。

「そのファイル、宮崎様のものね?」
「そうなんです。実は、宮崎様から先ほどお電話があって……」
「それで?」
「……披露宴で、を流したいって」

 その瞬間、事務所の雑音がぱたりと消えた。スタッフ全員が、一斉にこちらを向いたのが分かる。

「あの曲って、まさか……?」
「はい。amiの、LOVE STORYです」

 円はそう言って「どうしよう」と繰り返し呟いた。周囲からも、「まじか」という言葉と溜め息が聞こえてくる。
 今から6年前に発売された、amiと言うシンガーソングライターが歌うLOVE STORYという曲は、フェリークではちょっとした曰く付きの曲として有名なのだ。

 当時、中高生を中心に大ヒットしたこの曲は、タイトルから分かる通り、男女の恋愛を歌った曲だ。学生時代に一度は別れたカップルが、社会人となった数年後に再会し、再び愛を育んでいく──というような内容だったと記憶している。

 『別れたけど、ずっと忘れられない人』

 そのような経験をして結ばれたカップルは、「まるで自分たちのことを歌っているようだ」と目を輝かせながら、「結婚式でぜひその曲を流したい」と言う。

 本来であれば、プランナーが選曲にケチをつけることはない。どのように編曲していくかを相談するだけだ。
 しかし、LOVE STORYという曲だけには、フェリークのスタッフ全員が難色を示すだろう。

「どうしよう……あんなに素敵なカップルなのに、離婚させちゃうなんて……!」
「で、でも、例外もあるかもしれないし──」
「勝率100%ですよ!? この呪いからは誰も逃れられないんですっっ」
「お、落ち着いて、円ちゃん」
「これが落ちついていられますか!?」

 「どうしたらいいのー!」と、とうとう円は泣き出してしまった。真帆は返す言葉が見つからず、周囲に救いを求めるも、誰も彼もがただ首を横に振るだけだ。

 逃れられない呪い──それは、この曲を結婚式で使用したカップルが、3年以内に離婚してしまうことにある。それも、100%の確率で。

 フェリークでは、結婚式を終えた後も、お客様との繋がりを大切にしている。ご夫婦の結婚記念日に、必ず担当スタッフからお祝いのメッセージカードを送るようにしているのだ。
 その返信として、『家族が増えました』『転勤で引っ越しました』等、近況報告を受け取っていた。

 しかし、残念なことに、それはいつも幸せな報告ばかりではなかった。中には、『離婚しました』というような返信もあるのが現実だ。
 スタッフの一人が興味半分で、結婚数年で離婚する夫婦の共通点を探ってみようと、お客様ファイルを見直していた時、ある共通点を発見した。

『全員、同じ曲を流してました。amiの、LOVE STORY──』

 最初は、ただの偶然だと全員が思っていた。たまたまに決まっていると、誰もが笑い飛ばした。
 けれど、その偶然は、その後もずっと続いたのだ。
 LOVE STORYをBGMで使用したカップルは、ほんの数年後に全員が離婚してしまった。

 そうなると、誰もこれが偶然だとは笑えなくなった。この曲は呪われている──そう、スタッフ全員が認識せざるをえなかった。
 それからのフェリークは、BGM選曲にかなりナーバスになっていたと思う。「LOVE STORYもいいよね~」なんてカップルの口からその曲名が飛び出した日には、何とかその曲から意識を逸らせようと、あらゆる代替曲を提示したものだ。
 社内では、『LOVE STORY代替曲リスト』と呼ばれるファイルまで作成されたほどだった。

 しかし、曲の発売から5年も過ぎれば、人の記憶はどんどん新しいものに上書きされる。最近では、LOVE STORYを選曲するカップルもいなくなっていた。

 そんな中での、久々の事件である。

「いいじゃないか、好きな曲を選ばせてやれば」

 と、緊迫した雰囲気に似つかわしくない声がした。一斉にその声の主に他のスタッフも顔を向ける。

「何がそんなに問題なわけ?」
「……そっか、専務はずっと海外だったから、ご存知ないんですね」

 円はそう言うと、曰く付きの曲に関する過去の事件を、専務に興奮気味に説明した。
 円にとって、宮崎様は特別なお客様だ。プランナーとしての経験が浅い円にとって、初めて指名を受けたカップルだったからだ。以前担当した別の新郎新婦の披露宴に出席していた宮崎様は、円の人柄と披露宴での演出を気に入り、自分の時はぜひ彼女にお願いしたいと思っていたそうだ。初めての指名は、プランナーとしての大きな自信を円に与え、宮崎様カップルへの彼女の思い入れも、より強いものとなった。

「私、宮崎様には、絶対に幸せになっていただきたいんです。だから……」
「お前は、何か勘違いしていないか?」
「……え?」

 必死に訴える円をよそに、専務は小さく溜め息をついた。

「お客様に幸せになっていただきたい? その気持ちは大いに結構だ。だがな、俺たちはあくまで、挙式披露宴の手伝いをすること──それが仕事であることを忘れるな」
「もちろんです。だから私は……」
「その後のお客様の幸せは、俺たちが口を挟むことじゃない。彼ら自身の努力で、未来が決まる。BGMなんかで未来が左右されてたまるか」
「でも! こうしてデータが……」
「ただの偶然だ」
「専務!」
「いいか、俺は非科学的なことは信用しない。人の人生を、お前が勝手に決めるな」

 唇を噛み、円は悔しそうに俯いた。
 そんな円の頭にポンと手をのせた専務は、「少なくとも俺は、その曲を流して今も幸せな結婚生活を送っている人間を知っている」と言いながら、彼女の頭をぐりぐりと動かした。

「専務……」
「さぁ、皆仕事に戻れ。そろそろサロンを開ける時間だ」

 その声をきっかけに、再び周囲が慌ただしくなる。
 円ももう、すっかり落ち着きを取り戻しているようだ。バインダーを抱え直し、打ち合わせ場所に走っていく彼女の顔は、いつもの笑顔に戻っていた。

「意外でした」
「何が?」

 コーヒーサーバーの前に立つ専務に、周りに聞こえないように小声で話しかける。

「まさか専務が、LOVE STORYって曲をご存知だとは思いませんでした」
「知る訳ないだろう」
「は……? でもさっき、円ちゃんに──」

 知り合いに、LOVE STORYをBGMに使って離婚していないカップルがいると言っていたではないか。

「噓も方便ってやつだな」
「えぇっ!?」
「まぁ、日本全国の式場に問い合わせれば、離婚していないカップルもいるんじゃないか」
「そんないい加減な……」
「お前こそ意外だな。非科学的なことを信じるなんて」

 そう言い残し、にやりと微笑み去っていく後ろ姿を、真帆は再び呆然と見送るのだった。
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