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「お前たち、どこへ行く?」
そんな台詞と共に現れたのは、今度は第一王子だった。
顔を知らなくても雰囲気でわかってしまう。
確か彼は11歳だったと思ったが、その佇まいは最早王族として不足なしと思わせるような立派なものだったから。
これで日本では小学生かと思うと頭が下がる思いだ。
同時に、どうしてガイルがああなったのか、本当に不思議でたまらない。
「お兄様、こちらは今話題のブランシュお姉様…ネージュお姉様の方がよろしいかしら?とクロマンス王国御一行様ですわ」
俺の横にいるティアナが扇を口元に当て、ほほほと上品に笑いながら俺たちを紹介する。
先ほどから不思議なのだが、この子は何故なんのてらいもなく俺をお姉様と呼ぶのだろう。
父親が同じなのだし間違ってはいないが、もっと確執めいた態度を取られると思っていただけに拍子抜けではある。
「見ればわかる。私が問いかけたのはティアナとガイル、お前たちにだ」
第一王子、確か名前はクリストファーだったか。
彼はちらりと俺を見ると視線をティアナに戻す。
こちらも予想外に、その目からは嫌悪感も敵意も何も感じなかった。
側妃は子供たちに俺のことを自身の敵だと明言していないのだろうか。
でなければ自分の母親が殺そうとしている相手に対し、この態度は少々おかしい。
「私はただ単にお母様のところまでご案内して差し上げようと思っただけですわ。意味もなくついてきただけのガイルとは違って、ね」
ティアナはにこやかに答えるが、ガイルについて触れる時、彼に小馬鹿にしたような視線を向けた。
確かに彼は意味もなくついてきたお馬鹿さんではあるが、姉としてもう少し優しくしてやればいいのにと思う。
「俺は、あの、その…、そ、そう、バッシルの、バッシルの監視だ!!」
兄の厳しい視線と姉の嘲笑うような視線に晒されたガイルはあわあわと目を泳がせ、偶然視界に入った宿敵バッシルをこれ幸いと言い訳に使ったようだった。
しかしそれは理由としてどうだろうか。
「意味がわからないな。先生に何の監視が必要だと言うんだ?お前のわがままで監獄島に送られただけの人だ。それよりもお前は先生がお前のせいでどんな生活をさせられているのか、少しは考えたらどうなんだ!?」
クリストファーはガイルの言葉を聞くなり目を吊り上げ、彼の目の前に移動すると激しく叱責し始めた。
概ね彼の言う通りではあるが、それにしても急に怒り過ぎである。
「…お兄様はバッシル先生を尊敬していたんです。なのに先生がいなくなったから、ガイルにすごく怒っていて」
俺の疑問が顔に出ていたのか、ティアナがこそっと彼の怒りの理由を教えてくれる。
なるほど、そんな設定があったのかと思った一方、では何故釈放嘆願などをしなかったのかが不思議だった。
第一王子ならばそれもできただろう。
そう思ってバッシルを振り向けば彼は首を振り、
「だって、人に教えてるより監獄島に引きこもってた方が楽だったから」
何でもないことのようにそう言った。
さいですか。
「バッシル先生!!貴方も貴方です!いったい何度迎えをやったことか。学園の教員が嫌なら私の専属家庭教師でもいいと!何度も!!」
怒りの矛先をガイルからバッシルに変えたらしいクリストファーは肩を怒らせながら近寄ってくるとバッシルの肩を掴み、がくがくと揺さぶる。
「やだよ、めんどくさい」
「先生!!」
言葉通りのバッシルのやる気のない態度が気にくわなかったのか、クリストファーはさらに強くバッシルを揺らす。
ユサユサユッサ、ガックンガックン
11歳の力とはいえ、バッシルは前後左右に大きく揺さぶられ、今俺の目の前で大切なものを失いそうになっていた。
ああ、眼鏡、眼鏡落ちちゃう。
一切抵抗せず揺れに身を任せているため、彼の眼鏡がどんどんずり落ちていっている。
いつ限界が来るのかとハラハラしながら見ていると、ついにそれはバッシルの顔から離れた。
「危ないっ」
俺は咄嗟に手を出してそれをキャッチする。
俺としてはただ綺麗な目だなと思って色指定したのに「金目と言えば鬼子ですよね」という誰かの一言で、幼少期に親から忌み子と言われ気味悪がられたという設定を追加された彼の金色の瞳は彼のトラウマであり、あまり人に晒したくないという設定があったはずだから間に合ってよかった。
「はいバッシル。割れませんでしたよ」
俺はいまだにクリストファーに肩を掴まれているバッシルに眼鏡を差し出す。
念のため指紋がついてないかも確認したが大丈夫そうだ。
「ありがと」
バッシルは受け取るために手を出そうとしたが、肩を掴んでいるクリストファーの手が邪魔なのか、ちょっと動かしたところでそれを止めた。
そして俺に「ん」と顔を出してきた。
「かけて」
自分はともかく、他人に眼鏡をかけたことなどない俺は「ええ?」と軽い拒否を示したが、バッシルは動かない。
その行動にも驚いたが、バッシルに手を振りほどく気がないのならば仕方ない。
「もう、目に刺さっても知りませんからね」
目を閉じて動かないで、と俺は彼にそっと眼鏡をかけた。
ああは言ったが、もし目に刺してしまったらどうしようと妙に緊張したものの、何とかやり遂げる。
「はい、これで大丈夫ですか?」
眼鏡から手を離した俺は目を閉じているバッシルに終わったという意味で声を掛けた。
彼はそっと目を開けて具合を確かめるように数度瞬く。
そして眼鏡越しに俺を見るとふにゃりと子供のように微笑み、
「ネージュっていい子だよね」
俺の頬に自分の頬をすり寄せてきた。
あまりに突然のことに、俺の思考は停止した。
いや、完全にショートしていた。
「ごめんね、びっくりした?」
固まる俺の頭をバッシルの手が撫でる。
「なんか可愛くて、つい」
えへへと笑う彼は悪気があったようには思えない。
むしろ子猫がすり寄ったくらいの認識のようだ。
だが俺は言いたい。
お前そんなキャラじゃないだろ、と。
ていうか、あれ?
「え?手、動く…」
自然に俺の頭を撫でていたから気づくのが遅れたが、バッシルは普通に手を動かしている。
「ああ、そんなに強い力じゃないし、動くよ」
そりゃあそうだよと彼はまた笑う。
でも、さっき動かせないって、
「俺は動かせないなんて、一言も言ってないからね」
バッシルは俺の思考を読んだのか、そう言ってさらに笑って俺の頭を撫でた。
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