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ふと目覚めると部屋の中はまだ薄暗かった。
ぐっすり眠った後のようにすっきりと頭が冴え、ベッドに手をついて起こした身体も軽い。
掛けていた薄手の毛布を寄せ、ベッドから降りてカーテンを開けば、明るんではいるが明けきっていない空が見えた。
こんなに体の調子がいいのなんて、一体いつぶりだろうか。
窓を開け、朝の澄んだ爽やかな空気を感じながら軽く伸びをする。
「んー……、ん?」
しかしそこで漏れ聞こえた自分の声に、妙に違和感を覚えた。
はて、自分の声はこんなに高かっただろうか。
まるで10代後半の少女のような声だったと思ったところで、なんとなく自分の身体を見下ろす。
するとそこには見覚えのない身体があった。
「んんん?」
意味なく体を捻ったり屈めたりしてみるが、その見覚えがないと思った身体は自分の意志通りに動くので、やはり自分の身体ではあるらしい。
かといってでは今までどういう身体だったのかと問われても、はっきりとは答えが思いつかなかった。
疑問はあるが、とりあえず顔も見てみようと布がかけられた鏡台の前に立ち、無造作に布を払う。
そして写っていた姿は。
「へ?…ぇぇぇええええ!!?」
自分としてでなければ見覚えがありまくる、大変馴染み深い少女の姿だった。

よし、一旦落ち着こう。
元のように鏡台に布をかけ、起きたばかりのベッドへ逆戻りする。
まず自分は誰であったか。
答えは簡単だ。
修道院で日々神の教えを学んでいる修道女、ネージュである。
そして今日の午後、住み慣れた修道院を離れて監獄島へ移り住んで罪人たちと共同生活をし、彼らに学んだ神の教えを伝えることになっている。
と、そこまで考えが至ったところで勢いよく起き上がり、頭を掻きむしる。
違う、違う違う違う!!
自分はネージュではない。
私は、……俺、は、三根純だ!
日本で生まれ育って大学まで進学して、卒業後はバイトしながら売れないシナリオライターやって、ようやく念願叶ってヒット作を生んで。
そして、全てを壊され自殺したはずだった。
なのに何故俺はここにいる?
しかも女になって!
なんだ?流行りの異世界転生か?
そう思ったところで、はたと気づく。
ここは自分が唯一生み出したヒット作『監獄の天使と7人の罪人』の世界ではないかと。
そして自分が主人公である『ネージュ』になっているのではないかと。
「……嘘だろ?」
呟いてみてもどこからも応えはなく、早朝の静かな部屋に染み入るように消えていった。

「ネージュ、まだ部屋にいるの?急がないと朝のお祈り間に合わないよ?」
この状況に頭を抱え、小1時間ほど脳内で情報を整理していた俺に扉の外から知った声が掛けられた。
それはネージュとしては同輩の声として、三根としては同じ開発チームの田中絵美の声として記憶されている。
天罪発売後はまだしも、発売前の白王社には声優を何人も雇う余裕などなかった。
そのためオープニングにほんの少ししか出番のない端役などは開発チームの人間が声をあてていたから、図らずもここには三根が親しんでいた声も複数存在している。
「今行きます!」
そう返事をした自分の声は、残念ながらゲームでは声が出なかったので誰のものかわからない。
アニメ化したとの報せを聞いた時にはまだ声優が決まっていなかったはずだが、もしかしてその人の声なのだろうか。
全く聞き覚えがない気がするので、考えてもわからないことだろうと深く考えないでおくことにした。
それよりも今は考えなくてはいけないことがある。
ネージュの中に芽生えてしまった男である『三根純』の意識だ。
姉がいる上に女性経験も少ないながらある俺は今更女性の身体を変に意識することはない。
わけがなく。
やばい、やばいぞ!
いくら今は自分の身体とは言え…見ていいのか?
そんな葛藤と罪悪感をどうするべきかと悩んだが、今後もネージュとして生きていくことを思えば、どんなに考えたところで諦めるしかないのだと悟り、静かに寝着のボタンに手を掛けた。

『主よ、今日も我らを正しき道へと導き給え』
同輩の修道女と共に朝の祈りを捧げながら、俺は心の中で主へ問いかける。
主よ、何故俺はネージュになっているんでしょうか。
そこに意味などあるのかはわからない。
わからないからこそ、誰かに答えを聞きたくなる。
この生は何のためにあるのかと。
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