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目指せ愛され悪役令嬢!※但し婚約は破棄していただきます

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「お前と殿下の婚約は破談となったそうだ」
「…はい」
妙に静かな夕食後、普段より早く王城から帰って来たお父様に呼ばれたからまさかと思っていたが、その口から語られた言葉はある意味で私の予想通りのものだった。
「陛下はお前に落ち度があったわけではないと明言してくださった。今回のことがお前の傷となることはないだろう」
「はい」
外務大臣として日々忙しくても常に家族を気に掛けてくれるお父様は、ただ静かに頷く私を悼むような表情で見る。
それだけで公爵家である我がアドヴァニア家にとって次女の私なんて家に有利な縁談を勝ち取るための駒に過ぎないはずなのに、お父様にとって私はちゃんと『愛しい娘』なのだと思える。
それのなんと幸せなことだろう。
「…詳細は後で連絡が来る手筈になっているから、今は部屋でゆっくり休みなさい」
「はい、ありがとうございます」
その言葉を最後に私はお父様の部屋を出た。
耐えなければと思ってぐっと握ってしまった手をお父様が見ていることには気がついていた。
でもあの部屋では緩めることなどできなかった。
だって、耐えられなくなってしまうから。
今だってもう限界を迎えそうなのに。
私ははしたなくない程度の早足で、でもできるだけ急いで自分の部屋に戻った。
そして後ろ手で扉を閉めたと同時に握っていた手を開く。
その手をそのまま頭上へと振り上げ、
「ぃやったああああああ!!!」
私は心の底から快哉を叫んだ。
「完璧よ!計画通りだわ!!」
ソファに置いていたクリーム色のテディベアを手に取り、ピンク色の布が張られた小さな両手と私の両手を繋いでくるくるとその場で回る。
こんなにも嬉しい時に踊らないなんて無理だもの。
「苦節14年、やっと私の願いは叶ったのよ!」
この日、この時、この瞬間。
「悪役令嬢破滅エンド、神回避~!!」
私は『この世界』に勝ったのだ。


気づいたのは自分のことを『リディ』という名前でしか知らなかった3歳の誕生日だった。
「……あれ?」
「どうしたの、リディ?」
その日、私は両親と共に公爵家の領地にある教会に赴いていた。
何でもその年に3歳になる女の子の中に聖女がいるとの神託が下ったそうで、女の子は3歳の誕生日に教会に行くように国からお触れが出ていたのだ。
だが国中の3歳になる女の子が対象とはいえ同じ日にこのアドヴァニア公爵領で生まれた子供が早々いるはずもなく、私の他には5,6人しかいないようだ。
女の子たちは皆両親と一緒に来ていて大人しく座って司祭様の話を聞いている。
勿論私も。
けれど私はその時何故かこう思った。
『この景色を知っている』
正確に言えば『教会で司祭様が小さな女の子の額に手を当てている』光景を、だが。
頭の中に浮かんだその景色と目の前の景色が、ブレた絵のように重なって見える。
なんだこれ。
「では呼ばれた子から私の前に来てくださいね。まずは…」
司祭様が手元の名簿を繰る。
そして口を開いた。
「領主アドヴァニア公爵家次女、リデル・アドヴァニア様!」
『リデル・アドヴァニア、お前との婚約を破棄する!!』
その場に響いたのは司祭様の声だけ。
だけど私だけにもう1人の声が聞こえた。
あれは誰の声?
「さあリディ、呼ばれたわよ」
「司祭様のところへ行っておいで」
「……え?」
その声の主が誰かもわからない内に私は両親に促されて立ち上がる。
私は『リディ』なのに、『リデル・アドヴァニア』なんて名前じゃないのに。
でもお母様もお父様も私が呼ばれたと言っていた。
私はもしかしてリディじゃないの?
それともリデル・アドヴァニアも私のことなの?
わけがわからないままフラフラと歩いて司祭様の前に立つ。
「3歳のお誕生日おめでとうございます、リデル様。すぐに終わりますから、ちょっと失礼しますね?」
すると司祭様はにっこりと笑ってくれて、優しく私のおでこに触った。
けれどそこから家で目を覚ますまでの記憶はない。
お母様が言うには突然ふらりと倒れた私は咄嗟に手を伸ばした司祭様に受け止められて怪我一つなく済んだそうだ。
なのに呼んでも叩いても逆さにしても(ツッコんでいいのだろうか)私が目を開けることはなく、それから3日ほど眠ったままだったという。
「お医者様はどこも悪い所はないと言っていたけれど、念のためもう一度診てもらいましょうか」
すぐ戻るから、と言い置いてお母様は慌ただしく部屋を出て行った。
私は何も言わなかったが、それは無視したわけでも声が出なかったからでもない。
「私、私は…」
知らず手が震える。
その震える手で耳を塞ぐように私は頭を抱えた。
「私は、悪役令嬢に生まれ変わってたってこと!!?」
そんなことに気がつけば手も震えるし頭も抱えたくなるのが人情だろう。
司祭様に頭を触られたことがきっかけで、私は自分の前世を思い出したのだ。
前川莉々果だった前世を。
そしてこの世界の舞台となっているのだろう小説を。
「ふざっけんな!!なんで前世が享年19歳で今世が悪役令嬢よ!やり直しを要求するぅ!!」
やだやだやだと頭を振っても状況は変わらないが、今の私にできることなど他にない。
頭を振る度に視界を掠める癖の強い真っ赤な髪も、ベッドサイドに置いてある水差しの表面に映っている釣り目がちな金色の目も、黒髪黒目だった私が『リデル・アドヴァニア』という前世に読んだ小説で悪役令嬢とされていた人間に生まれ変わっていることを示していた。
それを認めたくなくて、見える全てを視界から消したくて、私はがむしゃらに頭を振り続けた。
ややして私が気が済むまで存分に頭を振った(振り過ぎてグロッキーになった)ところでお医者様を伴ったお母様が帰って来た。
そして診察の結果は『異常なし』。
当然だろう、私が倒れた原因は多分記憶が戻ったショックだし、目を覚まさなかった理由は3日かけて前世の記憶を見ていたからだし、ついでに言うなら髪がぐちゃぐちゃになっているのはさっき激しく頭を振ったからなのだから、健康面での異常など見つかるはずもない。
「異常はないと言っても倒れた原因は不明なんだ。大事を取って今日は安静にしているんだよ」
「はぁい…」
でもそんなことは言えないので、私はお医者様の言葉に従ってベッドに潜り込んだ。

それから1週間、私は考えに考え抜いた。
「……よし、これしかないわ!!」
そうして出した結論はと言えば。
「私は例え悪役令嬢でも、皆に愛される悪役令嬢を目指せばいいのよ!!」
何のことはない、流行っていた転生もののテンプレよろしく破滅回避のための未来変革をするだけである。
私が思い出した前世の情報によると、この世界は『乙女ゲームのヒロインに転生した私の目指せハーレムエンド奮闘記』というアニメ化もした小説の世界だ。
その小説は主人公の少女が3歳の時に聖女に選ばれ、その儀式の最中に私のように前世を思い出すところから始まる。
「この世界は乙女ゲーム『聖女の福音はただ世界のために』の世界だわ!」と少女(アニメではアイラ・シンジャーという名前だった)ははしゃぎ、前世で唯一自分が辿り着けなかったハーレムエンドを目指して奮闘していくという実にタイトル通りの話だ。
ちなみに大層な名前のゲームではあるが、当然その小説内にしか出てこない架空のもので、内容はと言えば教会に祈りに来た攻略対象者と聖女であるアイラが偶然出会い、互いに一目惚れしたために逢瀬を重ね、愛を育んでいくというだけのストーリーしかない。
そしてそこに壁として立ちはだかるのが攻略対象者の婚約者や姉などで、彼女たちは悪役令嬢として彼らがハッピーエンドを迎えた暁には処刑や国外追放に処されるというこれまたお約束の展開が待っているわけだが。
「その悪役令嬢の内の一人が自分だと思うとお約束展開すぎてつまんないだなんて言ってられないわ」
私は自分の考えをまとめていたメモ紙をペンの先でトントンと突く。
先ほども言った通り、この世界は『乙女ゲームに転生した』という小説が舞台であり、その小説もまた乙女ゲームの世界なのである。
ゲームと小説の相違点は主人公が記憶を持っているか否かだけなのだ。
つまり『聖女の福音はただ世界のために』という乙女ゲームの世界で王太子の婚約者として悪役令嬢に名を連ねていたリデル・アドヴァニアは私と同一人物ということになる。
「あの小説の最終回前に死んだからハーレムエンド後の『リデル』のことは知らないけれど、確か王太子ルートのハピエン時にリデルが断罪されて、怒り狂った王太子に処刑されていた描写があったような…」
はっきりと思い出したわけではないが、そんなことをアニメで言っていた気がする。
そうだ、それこそあの時聞いた婚約破棄を告げるあの声は、アニメの王太子役の声優さんの声だ。
「ってことは断罪確定じゃん」
きっとハーレムエンドを迎えたとしても私のこの運命に然程差はないだろう。
ということはそれがそのまま『私』の未来であるということだ。
婚約者がいるくせに聖女に一目惚れし、そのことに苦言を呈した婚約者を処刑するなんていうふざけたことを未来の国王が平然とやってのけるのが、この世界の未来なのだ。
「……終わってるわね」
そんな未来しか用意されていない私も、この国も、この世界も。
ならばどうするのか。
答えは一つだ。
「そっちがテンプレで来るならこっちもテンプレで応じるだけよ。私は断罪されないためにここから頑張るんだから」
さしずめタイトルは『乙女ゲームの悪役令嬢に転生した私の目指せ断罪回避奮闘記』といったところだろうか。
……うーん、しっくりこない。
私としては『目指せ愛され悪役令嬢!』くらいでいいかな。
あ、でも未来で私を裏切る王太子とは関わりたくないから『※但し婚約は破棄していただきます』とかもつけたいなぁ。
まだ婚約者にすらなってはいないけどね。
そう思いながら、とりあえず目指す『愛され悪役令嬢』像を早急に固めて、そこへ向かって行こうと決めたのだった。

それから半年後、もうこの年に3歳になる女の子も残り数人といった年の暮れに、その一報は国中を駆け巡った。
『聖女爆誕』『神託の聖女はストロベリーブロンドに青い瞳の天使』『注目の聖女アイラちゃんの親衛隊発足』などなど、続報に次ぐ続報が1日と言わず1時間おきくらいに更新される異常事態だった。
けれど私はその情報を残らずかき集める。
私を破滅させる一役を担っている聖女のことを調べるのは私の中で当然のことだったから。
それにいついかなる時も信頼できるのは『真実』という情報だけだ。
一心不乱に聖女について調べる私を両親は不思議がったが「私と同い年の聖女様がどういう人か気になるの」と言ったら納得してくれた。
さすが倒れた後すぐに大人びた(というか中身が一気に19歳相当になった)私を見て「あら、随分としっかりしたわね~」で済ませた親だ。
さておき、そんな騒ぎも1週間と続けばネタは切れてくる。
目新しい情報がないままさらに1週間が過ぎたその日、最新情報収集のために王都へ来ていた私は自分の憶測が間違っていなかったことと、けれど致命的に間違っていたことを知ることになった。
「……どういうことよ!」
それは王都にある小さな新聞社で発行されている新聞の記事だった。
記事曰く、『聖女ちゃんの初神託「アドヴァニア公爵家次女のリデル嬢は悪役令嬢」』だそうだ。
いやいやいや、いやいやいやいや…。
「っはー!!?私まだ何もしてませんけど??なんなら悪役令嬢にならないために頑張ろうとしてるところですけど!!???」
なのになんだこの言われ様は!
ていうかなんアイラが王太子とも出会っていない現段階で私のことに言及できるんだ?
しかも私、まだ王太子の婚約者じゃないし。
それが決まるのは私が5歳の時、つまりまだ1年以上も先のはずだ。
この時点で私はただの公爵家の次女でしかない。
今から悪役令嬢なんて言われるのは絶対におかしい。
いやまあアイラには乙女ゲームの記憶があるんだから実際おかしいわけではないのだが。
けれど私が読んだ小説にこんな話はなかったのだから、やっぱりここでアイラがそんなことを言い出すのはおかしいのだ。
だからきっと、なにか理由があるはず…。
そう考えたところで急に私は閃いた。
「そうか、聖女は、前世の記憶を持っている。あの小説の世界では乙女ゲームがあった世界の記憶を」
それが『小説の世界』の彼女の前世だったから。
でもここは小説の世界じゃない。
そこから、さらに『私が悪役令嬢として転生した世界』だ。
ならば、その小説の世界で前世を持っていたという設定のアイラは。
「私と同じように前世で『乙女ゲームのヒロインに転生した私の目指せハーレムエンド奮闘記』を読んだ記憶を持っているんだ」
そして恐らく、彼女は最終回まで読んでから死んだんだろう。
「もしかしてハーレムエンドを迎えるためには、私はいらない…いや、いない方が都合がいい…?」
それならアイラのこの行動にも説明がつく。
というか他に理由が思い浮かばない。
「なんてこと…」
これじゃあ王太子と婚約なんてできないんじゃない!?
そしたら婚約破棄されるという私の計画が、計画があああぁぁぁ…!!
「………ん?」
いや、待てよ?
そもそも婚約破棄をしてもらおうとしてるんだから、最初から婚約しなければ破棄の必要もないのでは?
「なんだ、手間が一つ減るだけじゃん」
なら問題ないどころか有難いなと思い、一転して足取りも軽く私はそのまま公爵領へと帰った。

だが世の中そう上手くはいかない。
初めは小さな新聞社の記事とはいえ聖女から『悪役令嬢』という烙印を押されたと公表されて、翌日には国中にそのことが広まってしまった私の人生はここから劇的に変わっていった。
まず同じ年頃の他家の令息、令嬢は彼らの親からの命令で軒並み私を避けた。
この世界の人間は悪役令嬢という言葉は知らなくてもその語感からよくない意味であることは悟ったようで、そんな神託をされた私と付き合うことを良しとしなかったのである。
まあそれが当たり前だろうと思うから中身が大人な私は仕方ないと諦め、極力お茶会などには参加しないようにしたし、したとしても誰とも目を合わせないようにずっと俯いていた。
お陰で私は随分と根暗な人間だと思われていたらしい。
その状態のまま5歳まで成長し、その年にお父様が外務大臣になったのを機に王都に移り住むことが決まった。
「王都で色々な人と関われば、貴女が悪役令嬢と呼ばれるような人間ではないことはすぐに広まるでしょう」
お母様のそんな楽観的な一言がきっかけだが、世の中そう上手くはいかない(2回目)。
「お前か、噂の悪役令嬢ってやつは」
「うわ、くっらぁ。きのこでも生えてきそうだぜ」
王都に住んで初めてのお茶会で、私はそれまで関わったことがない貴族子弟たちと出会った。
着ている服を見ればそれなりの家の子息であることは察せられる。
さしずめ夜空のような紺色の髪の少年は侯爵家、夕焼けのようなオレンジ色の髪の少年は伯爵家あたりだろうか。
「言っとくけど、いくらお前が公爵家の人間でも、侯爵家の長男である俺と伯爵家の長男であるこいつの方が上だからな」
「俺達に歯向かおうなんて考えない方が身のためだぜぇ」
「……はぁ」
ちょっとだけ頭の良さそうな侯爵家の長男は得意げに胸を張り、脳筋っぽい伯爵家の長男はキシシと歯を見せて笑っている。
一方の両者の家の爵位を当てた名探偵である私は、そんなこと考えてないからどっかに行ってくれないかなぁと地面に転がる石を見ていた。
彼らを馬鹿にしているわけではない。
相手にしていないだけである。
それに下手なことを言って暴力を振るわれてはたまらない。
それによって痛手を負うのは間違いなく彼らの方だが、だからと言って私は殴られたいわけではないのだから。
「おい、何とか言ったらどうだ」
「ホントに暗い奴だな」
余計なお世話だ。
そう思ったが口にはできないしするつもりもない。
結果私は彼らを無視して地面の石を見つめる生意気な女として彼らの目に映った。
だからこれは私のせいではない。
「おい!」
「お前、生意気だな!!」
そう言って彼らが一歩足を踏み出した瞬間、どこからともなく飛んできたシーツが彼らの顔にかかったことも。
「うわっ!?」
「なんだ、前がっ!!」
「……あ」
それに視界を奪われてたたらを踏んだ彼らがそれぞれ変な方向へ進もうとしてシーツを引っ張り合った結果、バランスを崩して倒れたことも。
「んぶ…っ」
「へぶっ!」
「……あぁ!」
そのお陰でシーツが取れたことも、それでも勢いが止まらず二人が転んだことも。
その拍子にお互いの唇がくっついてしまったことも、なにもかも私のせいではない。
文字通り私はただ傍観者としてこの悲劇(当然私にとってではない)を見ていただけである。
「…う?う、うわ、うわああああ!!!」
「あぎゃあああああ!!!」
けれど思わぬ形でファーストキスを奪い奪われてしまった二人は動転して泣きながらどこかへ走り去って行った。
だけだったのに。
「聞きました?あの悪役令嬢の噂」
「聞きましたわ!なんでも悪童で有名なディアス侯爵家のご子息とゴルドナ伯爵家のご子息を泣かせたとか!!」
「それ以来二人はすっかり意気消沈して、今も屋敷に籠っていらっしゃるみたいですわよ?」
「「んま~、怖いですわ~!!」」
お茶会に行く度にそんな話が聞こえてくるようになった。
どうしてこうなった。
悪役令嬢とはいえ女の子1人に男の子が2人という時点で私の方が絶対に可哀想な子のはずなのに。
ただ彼らが勝手に転んで事故を起こしてショックを受けただけで、私は何もしていないのに。
ほんと、悪役令嬢というのは生き辛い肩書きだ。

なんてことが起きつつもそろそろ6歳の誕生日が来ようという時、
「そうだリディ、君に婚約者ができたよ」
「んぶふぅ!」
夕食の席でのお父様の言葉に私は食べていたデザートのケーキを勢いよく吹き出した。
甘いケーキで味わっていた幸せが吐き出されたケーキと共に失われていく。
「まあリディったら」
「ごめんごめん、タイミングが悪かったね」
「お父様、リディの相手はどなたなんですか!?」
お母様が「仕方のない子ねぇ」と苦笑し、お父様も同じ顔で笑い、パトリシアお姉様はそんなことより相手が気になるとお父様を急かす。
私も咳き込みながらではあるが、まだ希望は捨ててはいけないと縋るようにお父様を見上げた。
「それがね、なんとシュナイデル殿下なんだ」
嬉しそうなお父様の顔に「まぁ!!」「きゃぁ、素敵!!」とお母様とお姉様は歓声を上げている。
そして私はといえば、
「……マジでぇ…」
なくなるだろうと思っていた婚約がなくならなかったことを知り、この世の絶望を全て煮つめた毒薬でも飲まされたかのような顔をしていたと思う。
自分では見えないのであくまで予想だが。

1ヶ月後、先日6歳になったばかりの私は殿下との顔合わせのためにお父様と共に王城を訪れていた。
小さな謁見の間の一つに通されたので提供された紅茶を飲みながらしばし待っていると、ノックもなく扉が開いて一人の少年がずかずかと部屋へ入ってきた。
日に透けると銀にも見えてしまうほどに淡いプラチナブロンドと鮮やかな緑の瞳という色彩から、その少年がシュナイデル殿下だと気づいた私はすぐに立ち上がって礼をする。
しかしお父様は殿下のいきなりの不調法に目を眇めているだけで礼を取ろうとはしなかった。
温和なお父様がそのような態度を取るとは珍しいと思っていると、
「僕はお前となんか絶対結婚しないからな!!」
殿下は私の目の前で止まるとびしっと指を差し、開口一番でそんなことを言い出した。
「…はい?」
思わず顔を上げた私が首を傾げると、殿下は顔を真っ赤にしながら言葉を続ける。
「お前は悪役令嬢なのだろう!?なんでそんな奴が僕の婚約者なんかに」
「殿下」
しかしその言葉は半ばでお父様に遮られた。
これもまた珍しいことだ。
「今回の婚約はお父上である今上陛下がお決めになられたことです。ご不満がおありでしたら我が娘にではなくお父上に進言なさいませ。そして私の娘は悪役令嬢などではない」
お父様は先ほどまでの穏やかな空気はどこへやら、殿下の態度もさることながらその口から出た言葉もお父様の逆鱗に触れてしまったらしい。
口元は弧を描いて笑っているようだが、目は全く以って笑っていない上にハイライトが消えていた。
「…なっ、無礼者!!」
「これはこれは随分と面白いことを仰る。初対面にもかかわらず攻撃的な態度で指を突き付け、あまつさえ世間の噂を鵜呑みにして6歳の少女を悪役令嬢などと呼ぶ愚か者に礼を説かれるとは」
「おま、僕が愚かだと!?」
「……はて?まさか凡才くらいはおありだとお思いで?」
しかもそのまま殿下に喧嘩を売り始めた。
まさか面と向かって殿下に馬鹿と言うとは、お父様は意外と口が悪いみたいだ。
私よりも3歳年上の殿下は現在9歳で、正直お父様の言葉を正確に理解しているだけでも凄いと前世の基準では思うのだが。
「家庭教師は皆口を揃えて僕は優秀だと言うぞ!」
「おべっかでしょう。そんなものを真に受けていては笑われますよ?」
むきになる殿下に大人の余裕のようなものを見せつけながらお父様はさらに馬鹿にし続ける。
こんな一面があっただなんて知らなかった私は呆然とその光景を見ていたのだが、お父様に言い負かされ続けている殿下はそんな私に標的を変えた。
「ぼ、僕のことを散々言っているが、ではお前の娘はどうなんだ!?さっきからそこでぼーっと突っ立ってるだけじゃないか!!」
その言葉に、お父様の纏う空気の温度が下がった気がする。
ヒュオオオ、と音がしないのが不思議なくらいだ。
まあ確かに今の状態のお父様からは逃げたくなっても仕方がないとは思う。
思うが、その逃げた先の相手が幼女って、お前情けなくないか?
「9歳の殿下と6歳の我が娘を同レベルで考える時点で愚かとしか言えませんが、いいでしょう。リディ、殿下とお話してごらん」
私が内心で軽く引きながら殿下の評価を下げていると、お父様は底冷えするような空気を出したまま笑顔で私の背を押す。
「え、でも…」
私としてはこのままこの場で婚約が破談になってくれて一向に構わないのだけれど。
そう思いながらお父様を見上げてみると。
「いいから、話しておいで?」
やはりその目は全く笑っておらず、私は言う通りにするしかなかった。
私は観念して一歩前へ進み出て、再度殿下に頭を下げる。
「お初にお目にかかります。アドヴァニア公爵家が次女、リデル・アドヴァニアでございます」
「ああ」
私は丁寧に挨拶をしたのだが、こいつにならば勝てると思ったのだろう殿下は完全に私を見下し、腕を組んでふんぞり返っている。
お父様の眉がピクリと動いた。
「殿下は聖女様に悪役令嬢と名指しされた私との婚約はお嫌なのですね」
「当たり前だ!」
私はそれに気づきながらも邪魔されないように無視して話を始めると、気づいていない殿下は力強い声で答える。
子供の癇癪と取られかねないほどの勢いに、私はまだまだ王族として人前に出るべきではないなとそっと息を吐く。
こちらだってガキのお守は勘弁してほしいのよ。
「私としましてもここまで望まれていない方に嫁ぎたくはございません。ですから、1つ提案がございます」
「提案?」
「はい。私ではなく聖女様と結婚したいと殿下から陛下にお願いするのです」
「…何故だ」
殿下は突然何を言い出すんだと言いたげな顔をしていたが、私が『聖女』という単語を出すと耳を傾ける態度を見せた。
悪役令嬢の噂の件といい、恐らく殿下は愛らしいと評判のアイラのことが気になっているのだろう。
ゲームでは結ばれるはずの2人だ、元々興味を持っていたとしても不思議ではない。
「私は有難くも公爵令嬢ですので、私との婚約を取りやめるためには相応の相手でなくては陛下はご納得されません。ですが聖女であられるアイラ様でしたら陛下もご納得されるのではないでしょうか」
「なるほど…」
私の発言に殿下は考える姿勢を見せたが、隣のお父様が纏う空気がどんどんと冷えていく、いや最早凍っていく。
逆にその中で平然としていられる殿下の鈍感さは大物と言えなくもないのではないだろうか。
「それはない」
「…心を読まないでくださいますか?」
小さなお父様の声に瞬間的に言葉を返してしまったが、殿下が「は?」と顔を上げたので「なんでもありません」と取り繕う。
本当にお父様が私の心を読んだのかはわからないが、タイミングも言葉もぴったり過ぎて怖い。
「それにアイラ様はすでに聖女として国民の人気も高い方ですから、未来の王妃様として適任でいらっしゃるのでは?」
私がダメ押しとばかりにアイラを推せば、殿下も次第にそれがいいと思い出したのだろう、眉間に皺が寄ってはいるものの「うむ…」と頷いて顔を上げた。
「それはいい案だ。早速父上に話そう」
「はい」
やった、上手く乗り切った。
お父様は納得しないかもしれないが、少なくとも本人はアイラとの結婚に乗り気になった。
当人が強く望めば、もしかしたら私との話なんて早々に立ち消える、なんてことも…。
私は殿下との婚約を回避できそうな雰囲気に期待を抱いて意気揚々と、けれど少し恐々とお父様を見上げた。
「ふ、ふふ、ふふふふふ…」
するとお父様はまるで「してやったり」という顔で笑っているではないか。
何故かはわからないが、もう凍るような冷え冷えとした空気も出してないし、どころか今はとても楽しそうだ。
「…お父様?」
「ふ、ふふ、殿下、まだお気づきでないんですか?」
今度はお父様が私を無視して笑いを引っ込めようともせずに殿下に問い掛ける。
「何がだ?」
殿下はお父様に意味がわからないと告げるように首を傾げたが、私も思いは同じだ。
お父様は何が言いたいのだろう。
「殿下、貴方は今6歳の我が娘に婚約を破棄するための知恵を授けてもらっていたんですよ?」
それを凡愚と言わずなんと言えばいいんです?
お父様の声に出さない部分まではっきりと聞こえたような気がした。
そして私は、お父様にしてやられたのはむしろ私の方だったとようやく気がついた。
「我が娘はこのような優秀な頭脳を持っております。そのため陛下は色々と『足りない』貴方様の不足を補うべく我が娘に白羽の矢を立てたのです。そんな我が娘を悪役令嬢などと宣った聖女如きでその穴を埋められるとは思いませんが、まあ、精々娘から授けられた知恵を活かして説得してみるがいいでしょう」
では私たちはこれで、とお父様は言いたいことだけ言って、後悔渦巻く私の手を引いて部屋を出た。
扉が閉まる寸前に見えた殿下の横顔は、羞恥と憎悪で赤く染まっていた。
回避どころか無駄に破滅への道を増やしたような気がしたのは、きっと気のせいではない。


それからあっという間に時は過ぎ、私は17歳に、殿下は20歳になった。
それはゲームで断罪イベントが起こる年齢で、つまり今から半年以内に殿下は私ではなく聖女と結婚すると宣言することになるわけだ。
婚約が決まってから今日まで十余年、私だってそれはもう頑張ったよ?
陛下や王妃様に会う度に「私は殿下に嫌われているので」とアピールしたり、「殿下には他に思う方がいらっしゃるようです」と伝えたりしたのに、それらは全て無駄に終わったのだ。
どころか毎回「いや、あれにはそなたが必要なのだ」「聖女は国には必要だけれど、王家には必要ないわ」と私との婚約は必要だと主張してくる。
悪役令嬢の噂についても「それが悪い意味だと決まったわけでもあるまい」「悪役令嬢が王妃になってはいけないなんて決まりは我が国になくてよ?」と全く意に介していないのだ。
私に偏見を持たれていないという意味では有難いが、私個人の願い的には気にしてほしかったなとも思う。
さらに殿下と婚約破棄できない理由はもう一つある。
それは何故か私が国に有益な才女として扱われているからだ。
まあ、何故かと言いながら理由はわかっている。
私は無意識のうちに所謂前世チートを使ってやらかしてしまったのだ。
普通ならたとえ6歳で19歳の知能を有することで天才だと讃えられていたとしても、成長と共にそれは誤差の範囲内になっていくはずだった。
しかし前世で実家が工務店であり、一人っ子だったために跡継ぎとなるべく建築学科に進学した私は、この世界に『断熱』というものを齎してしまった。
公爵領で年々寒波が酷くなってきたためどうにかしなければと悩むお父様を見て、前世で小さい頃に父が「断熱材がなくても外壁と内壁の間に空間を作るだけでそれなりの効果がある。二重窓と一緒さ」と語っていたことを思い出し、うっかりとそれを伝えてしまったからだ。
お父様は私の話を子供の戯言とは扱わず、「なるほど」と頷くとすぐにモデルハウスを作って実験、効果が確認されるや否や従来の民家の外側に機密性の高い覆いとなる壁を無償で建築した。
結果、寒さに震え薪代で一年の稼ぎが消えていた領民は寒さに震えることが格段に減り、薪代も浮いて裕福になっていった。
やがてそれは国中で評判となり、今では寒冷地の建築の基本になっている。
そうして寒い地方を救った私の話を聞きつけ、今度は暑い地方の人たちが「涼しく過ごす方法を」と相談に訪れたため、またも私は「川もしくは流水の上にバルコニーを伸ばせば涼む場所ができる」と京都の納涼床の知識からアドバイスをしてしまい、それが南国リゾートとして流行ってしまった。
それが私が9~10歳の間に成したことだ。
そして12歳の時にも一つやらかした。
下着革命を起こしてしまったのだ。
この世界で下着は前世でドロワーズと呼ばれていたものに似たもので、上はコルセットのみ。
つまりブラもなければ馴染み深いパンツもない。
そんな状況で迎えた二次性徴に私は耐えられなかった。
いつもドレスを作ってくれているデザイナーに私が描いた絵を元にブラもどきとパンツもどきを作ってくれとお願いした。
尤もコルセットがあるために調整した結果、完成したものは前世とは少し違う形となったが。
けれどそれがあれば胸元と腰元が綺麗に見えると気がついたお母様とお姉様によって一気に貴族の女性に広められ、その後に形を変えてコルセットをつけない平民にも広まったらしい。
そんなことを1人の少女が成したと聞けば、誰だってその少女のことを天才だと言って持て囃すだろう。
それは私にも理解できるし、同じことを誰かがしていれば私もその子のことを天才だと認識しただろう。
きっと将来もっとすごいことをやって、国の発展に貢献してくれるだろうと。
だからこそ私はやってはいけなかったというのに。
お陰で最近は「悪役令嬢ってなんだったんだ?」「単に性格がめちゃくちゃ悪いだけだったとか?」「いや、平民も差別しない素晴らしい令嬢だって聞いたぜ」「ええ?じゃあ悪役令嬢って悪い意味じゃなかったの?」などと囁かれ、最終的には『今までの生活を壊す、世界にとっての悪役だった』説が有力なものになっているらしい。
ある意味で私の目標『目指せ愛され悪役令嬢!』は達成されたわけだが、しかしその結果『※但し婚約は破棄していただきます』が成せないのならば意味がない。
どちらかというと破滅を回避するという意味ではそちらの方が大事な気がするのに。

どうしたものかと思い悩んでいたら、突然教会から呼び出しがかかった。
しかも理由が「聖女様がお会いしたいと仰っています」とのこと。
もう嫌な予感しかしない。
なので最初は「悪役令嬢であると神託された私が聖女様にお会いするなどできません」と丁重にお断りしたのだが、「その件でお話しがあるとのことでした」と返されては行かないわけにはいかなかった。
斯くして3日後、私はアイラと初対面を果たしたわけだが。
「貴女、『聖女の福音はただ世界のために』というゲーム、もしくは『乙女ゲームのヒロインに転生した私の目指せハーレムエンド奮闘記』という小説を知っているんじゃない?」
「いきなり直球だなおい」
まさか周りに司祭様や神官様たちがいる状況でいきなり切り出してくるとは思っていなかった。
下手をすれば頭がおかしいと思われかねないだろうに。
油断していた私は思わず素で返してしまった。
「ええと、こほん、聖女様」
「アイラでいいわよ」
仕切り直そうと空咳をして声を掛ければすぐに友好的な返事が返ってくる。
身構えていただけに、その態度だとなんだかとっても調子が狂ってしまう。
「え…、ええ、ではアイラ様、ちょーっと場所を変えて人払いをしてからお話ししませんか?」
「わかったわ」
私は引き攣る頬を抑えつつなんとかアイラにそう言うと、彼女はすぐに頷いてくれた。
言いながらつい立てた親指で自分の後ろを指すという柄の悪い呼び出しみたいなポーズをしてしまったが、そのことには疑問を抱いていないようで何よりだ。
そして案内された部屋で渋る神官様たちを追い出したアイラは腕を組み足を組み、「で、どうなの?」と再度私に問うた。
私も人のことを言えないが、中々に態度がよろしくない。
敵意がない分殿下よりマシという程度だ。
そんな相手に正直に言うべきかとぼけるべきかと悩んでいると、
「……これ、貴女が広めたんでしょ?」
アイラがポケットから何かを取り出して私の方に押しやった。
広げてみるとそれは私が5年前に開発したブラだった。
「あとパンツも。見た時は驚いたわ」
「はぁ…」
確かにこの世界にはないものだったから、前世を覚えていればなおのこと驚きが大きかったのかもしれない。
「教会って普段男の人しかいないでしょ?だから私がその、11歳で初めてなった時に誰にも頼れなくて。なんとか頼み込んで神官のお母さんに来てもらったんだけど布を重ねて耐えるしかないって言われて、でもこの世界の下着じゃすぐにずれて大変だったの」
「そうですね」
「なのに先月久々に会ったら『今はこういう便利な下着があるんですけど、ご存知なかったんですか?』ってパンツとブラを見せてくれて、私びっくりして誰が作ったか聞いたの。そしたら『悪役令嬢様ですよ』って」
アイラは組んでいた足をいつの間にか解いており、腕も解いて両膝の上でぎゅっとスカートを握っていた。
まるで何かに耐えるみたいに。
耐えてきたみたいに。
「それで貴女について聞いたら他にも前世の知識があるかもって思えることしてて」
言いながらもさらにぎゅうっと手に力を込めてスカートを握りしめる。
「私、この世界は『乙女ゲームのヒロインに転生した私の目指せハーレムエンド奮闘記』なんだと思ってた。だから私には主人公と同じように前世の記憶があって、だからこの世界でハーレムエンドを目指すことが当たり前だとずっと思ってた!」
叫ぶように言ったアイラは俯けていた顔をガバリと上げる。
拍子に大きな青い瞳から光の粒が舞った。
「でも、そのためには悪役令嬢であるリデルを殺さなきゃいけないの!闇に取り込まれたリデルを、聖女がシュナイデルに力を与えて倒させる、それがあの小説の最終話だった。でも、私は…、アイラじゃない『片岡枝里菜としての私』は、それを望んでいなかった」
「……何故?」
「だってリデルは、ただシュナイデルが好きだっただけだから。だから助けたかったの。婚約者がいながら聖女に惚れて結婚を望むような馬鹿でもリデルは愛してたから、それが前世の自分と重なって見えて…」
私はポケットからハンカチを取り出してアイラに渡す。
今の話で、なんとなく彼女がわざわざ私を『悪役令嬢』と言った理由がわかったから。
彼女はただ、私を殺さないために『悪役令嬢』という言葉を利用しただけだったのだろう。
「私、前世では浮気したりお金を黙って持っていくようなクズ男とばっかりと付き合ってたの。クズだって思いながら、でも私がいないとダメなんだって思って尽くして、最後には捨てられるっていうのを繰り返してた」
アイラは広げたハンカチで豪快に顔を拭くと、綺麗にたたみ直して私に返してくる。
涙を拭いただけだったから私は何も言わずに湿ったハンカチをポケットに戻した。
「だから別れ話の最中に死んで転生して、この世界では皆に愛される存在になれることが嬉しかったの。でもね、そのために誰かを犠牲にするなんて嫌。ましてその人が前世の自分と似ていたら、私は『私』を犠牲にするような気がしたの」
「だから私を『悪役令嬢』として広めて、殿下と婚約しないようにしてくれた?」
「そう。無駄だったけど」
アイラは涙ぐんだ目を細めて笑った。
「私がしたことは貴女を苦しめただけだった。ああ、運命の強制力って凄いんだな、ヒロインだって言っても、私みたいな子がいくら頑張っても無駄なんだなって、そう思った」
「そんなことは」
「あるわよ、そんなことしかない。だから今日は貴女に謝りたかったの。今まで苦しめてごめんなさい。浅はかな考えで不当に虐げられる人生を歩ませてしまってごめんなさい」
座ったままだったが、彼女は深く私に頭を下げる。
それでもそれが単なるポーズではなく、心から後悔しているのだということが伝わってくる。
だが彼女の行動の理由を聞いてしまった今はその謝罪を受けるわけにはいかない。
「謝らなくていいわ。貴女は私を助けてくれようとしたんでしょ?感謝こそすれ謝罪される理由はないわ」
「でも」
「私がいいと言っているんだからいいのよ。それと、貴女が思っている通り、私も転生者なの」
謝罪の固辞と共にさらりとそう告げた瞬間、アイラの大きな瞳がさらに大きくなった。
確信はあっても実際にそうだと言われれば、やはり驚きは大きいらしい。
「だからこれからは仲良くしましょう?貴女が嫌でなければ、だけれど」
その顔は『鳩が豆鉄砲を食ったよう』という形容がぴったりで、それがなんだかおかしくて私はプッと小さく吹き出してしまう。
でも理由を知らないアイラは「もちろん!!是非!!」と力強く頷いてくれた。
こうして私たちは前世の記憶を持つ者同士の気安さから、すぐに無二の親友となった。
もっと早く話していればよかったとどちらともなく笑って、その日はお開きになった。

聖女であるアイラと仲良くなったことで私はある作戦を思いつき、早速アイラにお願いした。
「あー!最初っからそうすればよかったー!!」
「んー、でももし私に記憶がなくて殿下を愛していたら意味がなかったと思うわよ?」
「ならいいやー!!」
話を聞いた直後、彼女はそう言って頭を抱えたがすぐに復活すると、そのまま部屋を出て行った。
そしてすぐそこにいた神官様に「神託が下りましたので司祭様をお呼びください」と言い、すぐに教会中の神職たちがアイラの部屋に集まった。
「今回下った神託によれば『悪役令嬢の役割を神から与えられたリデル様がこのままシュナイデル殿下に嫁ぐと、国にとって大変なことが起こる』とのことでした。至急国王陛下にお伝えして、2人の婚約を破棄してください」
「ははっ!!」
「あ、代わりにシュナイデル殿下には隣国の第2王女を娶られるようお伝えくださいね」
「承知いたしました!!」
慌ただしく部屋を出て行く彼らを見送って、私とアイラは目を見合わせて「「あはははは!!」」と笑い合った。
「いやー、ホント聖女様さまさまね。こんなにあっさりいくなんて」
「ふふふ!私もここで皆に大切にされてる生活の方がいいし、王妃様なんて無理だって思うもん、ちょうどよかったわ」
それぞれがソファに凭れて腹を抱えて笑う。
ああ、面白すぎて涙まで出てきた。
「それに代わりの婚約者があのジュリア様ならこの国も安泰だしね!」
「絶対にシュナイデルの好みじゃないけどねー!!」
アイラのその言葉がまた一層の笑いを誘う。
殿下のことは全く愛していないしどうでもいいが、今まで「悪役令嬢のくせに!」と事あるごとに私に突っかかってきてウザったかったので、先ほどのことが国のためになる上にその憂さ晴らしができるならば大変喜ばしい。
それに隣国はジュリア様の貰い手を探していたから丁度いいだろう。
彼女は頭脳明晰でいつも王立研究所に籠って研究に明け暮れている。
その研究内容は『血による優劣の意義』だそうで、血統を重んじる貴族からは煙たがられており、26歳となった今も独身なのだ。
去年お会いした時には「もう国内で調べていない血はない。そして誰の血でも同じだった。他国でもそうなのかしら」と言っていたから、他国の王族に嫁げるのは彼女にとっても喜ばしいことだろう。
「いい仕事をした後には甘いお菓子が食べたくなるよねー!!」
「あら、それなら最近評判になっているお店を知っているの。侍女にお願いして買ってきてもらいましょうか」
「さんせー!!」
無事にやり終えた私たちはテンション高く、その日はケラケラ笑いながら買ってきてもらったケーキとクッキーを心ゆくまで楽しんだ。


そして話は冒頭に戻る。
聖女から神託が下ったと言われれば陛下は頷くしかない。
この世界での聖女とはそれくらいの影響力がある人間なのだ。
だから話をしたその日の夜に呼び出された時には驚いたが、成果が早いに越したことはないだろう。
私は今日からもう殿下の婚約者ではないし、破滅への道を歩む悪役令嬢でもない。
ちょっと変わった技術を思いつくだけのただの公爵家の令嬢だ。
「お父様には私の入れ知恵だってバレてたみたいだけど」
あの悼むような表情は今までの私の苦労を思ってくれての顔だ。
私と殿下の初対面時に売った喧嘩はまだ継続中で、お父様は私なら絶対に何らかの方法で婚約者の座を降りられるだろうと信じてくれたから今まで殿下と冷戦を続けながら私のことを見守っていてくれた。
「さて、明日からは何をしようかしら」
公爵家にいる以上、完全な自由は望めない。
それでも破滅を回避した私の心はどこまでも自由で、今なら何でもできるような気がする。
「……なんでもいいわね。可能性は無限にあるのだから」
窓から見える夜空に煌く星々を眺め、私の明日にはあの数と同じだけの可能性があるんだと笑い、私はベッドに潜り込む。
私の長い長い戦いはこうして幕を閉じたのだった。

翌日。
「絶対嫌だ!!あいつと結婚するなんて!俺は、リデルと結婚するんだー!!」
「はいはい、いつまでも好きな子に素直になれなかった殿下が悪いんですから、諦めてジュリア姫と結婚しましょうねー」
「うわーん!!!」
という殿下とお父様の声が王城中に聞こえていたらしいが、私はそんなことを知らずに今日ものんびりアイラとお茶を楽しんでいた。
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