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アゼリアとハリス

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気合を入れて気持ちも新たに読み進めようと頁をめくった私の目に飛び込んできたのはこんな文章だった。
『と、ここまで書いたところで続きが気になるであろう読者の皆様には大変申し訳ないが、今回の書物は見聞録であり暴露本ではない。従って続きは今後著す予定の各国の裏歴史を集めた逸話本に記すとしよう』
「って、はー!!?」
そんな拍子抜けするような作者の言葉に私は思わず大きな声を上げてハリスを睨む。
一体何だこの中途半端な情報は!
肝心な部分がなにも書かれていないではないか!
私の視線から声にしていない言葉を読み取ったハリスは「ぴぎぇっ」という謎の声を上げてマリー様の後ろに隠れた。
「こら、隠れてないで出てきなさい!」
私は年上の男性にまさかそんなことを言う日が来ようとは思っていなかった言葉と共にハリスに詰め寄る。
間に挟まれたマリー様は困惑顔だ。
「続きはどうしたのよ!」
「い、今それをアゼリアが探してて」
「じゃあアンタも一緒に探しなさいよ!!」
「ひぃっ!?だ、だってアゼリアが」
状況がわかっていないまま板挟みになっているマリー様には申し訳ないが、ハリスが頑なにマリー様の背から出てこないのでそのままハリスと会話をするしかない。
時折襟でも掴んでやろうかと手を伸ばすが、生意気なことにハリスは全てを躱した。
「アゼリアがなんだっていうのよ!」
それが余計に面白くなくて、私は言葉遣いが乱れるのも構わずハリスに噛みついた。
勿論比喩的な意味であって実際に歯で噛みついたわけではない。
脂肪も筋肉も何もないこの男は筋張っていて不味そうだしね。
「アゼリアが持って行けって言ったんだ!今日がマリーとアンネローゼ様のお茶会の日だと知って、僕にマリーと一緒に行ってこれを渡せって」
「………ふむ」
私はハリスに伸ばしていた手を引っ込め、一歩下がって引っ込めた手を自分の顎に宛がう。
あのアゼリアが何の意味もなくハリスに本を託すわけがないからだ。
「……他に何かアゼリアから言付かったことはない?」
ハリスに問うが、彼は顔を曇らせたまま首を横に振った。
「そう…」
ならば私が自力でその答えに辿り着けると考えているのだろう。
もう一度読んでみようと本を開いた。
しかしやはりというべきか、目新しい箇所は見つからない。
「きっと意味なんてないですよ」
「え?」
私が本を閉じると同時にぼそりとハリスが口を開いた。
本を閉じる微かな音にさえ負けるようなそれは、だが明確に私に向かって言ったわけではないらしい。
どちらかというと独り言に近いようだ。
「あいつはただ僕が邪魔だったんだ。だからこんな中途半端な本を渡してこいなんて言ったんだ」
「ハリス?」
「…どういうこと?」
マリー様と私が呼び掛けるとハリスは「はは」と乾いた自嘲を浮かべるとやっとマリー様の後ろから出てきた。
「どうしたもこうしたも、言葉のままの意味ですよ。あいつは邪魔者を追いやるためだけに本を渡したんだ」
ぐしゃりと前髪を握ったハリスはまるで吐き捨てるように言う。
先ほどまでのおどおどびくびくした様子はもう微塵も見えない。
この間といい今と言い、この男は何かが切れたり箍が外れたりすると途端に気が大きくなるのね。
「あいつは父上に言われたから仕方なく出来損ないの兄と一緒に本を探したんだ。でもやっぱり邪魔だったから、だから僕を追い出すためにこんな」
「そんなわけないでしょう!!?」
しかし今回はその言葉をマリー様が途中で止めた。
前回は黙って聞いていただけだったのに。
「アゼリアがそんなことをするわけないわ!どうしてそんなことを言うの!?」
そうさせるだけの何かがハリスの言葉にあったということだ。
そしてそれが何の言葉かは彼女の今の発言で察せられる。
マリー様はアゼリアがハリスを邪険にしたと言ったことに対して怒っているのだ。
「でも事実だろう?イツアーク家の跡取りにもなれず妹にも敵わない僕なんて、あいつにとっては不肖の兄でしかない」
「アゼリアが貴方にそう言ったの!?」
「直接言われたことは流石にないけど、でもそう思われていることくらいはわかるさ」
「違うわ!アゼリアは」
「いいんだよ、マリー。僕はあいつが産まれた時から見てるんだ。絶対的な差ってやつも、全部わかってる」
「いいえ、わかっていないわ!」
「マリー」
「はい、ちょっと待ったー」
言い合いを始めた二人をすぐに止める。
意外とすぐに言い合いを始めるこの二人を今までにも数回見たが、大体なんの結論も出ずに終わることがほとんどで、はっきり言って続けさせるだけ時間の無駄なのだ。
けれど私にはあまり見せない子供っぽく意地になるマリー様はそれはもう可愛いので、普段ならマリー様が諦めてぷいっとハリスから顔を背けるまで待つのだけれど。
でも今はちょっと考え事をするのに邪魔だから、ちゃちゃっとこの問題を片付けようと思う。
「アゼリアの本心はアゼリアにしかわからないわ。だから今ここで話していてもそれはただの推測で、結局問題は解決しない」
私は二人の目を交互に見ながら言う。
二人とも一応目は合ったからそのまま話を続けた。
「ただ、まだアゼリアと知り合って間もない私でもこれだけは言えるわ」
今度は視線をハリスだけに固定して、彼の顔を指差す。
行儀が悪い?
そんなことどうでもいいの。
「アゼリアは例え兄であろうと、本当に使えないと思っている人間を傍に置くことはないし、恐らく父親に命令されて一緒にいたとしても貴方をないものとして扱うでしょう。つまりアゼリアに本を託された貴方は、アゼリアにとって使える人間だということよ」
「……は」
ハリスは一瞬呆けた後、いやいやと首を振る。
それを認めることができない、信じることができないといった様子だ。
「では言い方を変えましょう」
私は一つ大きく息を吸う。
「貴方の妹は主君と定めた人物の元に信じてもいない使えもしない人間を向かわせるような子なのかしら?」
そうして私が言った言葉にハリスは大きく目を見開いた。
きっと彼女と関わり、その本性を垣間見た人間は揃ってこう思うことだろう。
アゼリアに限ってそれは絶対にない、と。
それがそのままハリスへの答えだ。
「……少なくてもアゼリアが貴方をどう思っているか判断する材料にはなったかしら?」
「……はい」
ハリスは小さく頷くと「失礼します」と頭を下げて退室した。
なんとも拗れた兄妹だが、これで少しはハリス側の意識が変わればいいなと思った。
ただ一つだけ付け加えるとするならば。
「……それでも自分で来なかったのは、自分が続きを探した方が早いと思ったからなのでしょうね…」
それだけは紛れもない事実だが、そこまで言う必要はないかと私はそれ以上の言葉を慎むことにした。
どうせもうハリスはここにいないのだし、
「……今のは聞かなかったことにしておきますね」
隣でその言葉を聞いていたマリー様は忘れることにしたようだしね。
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