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アデル編
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翌朝、ヴァルトは国王宛に遣いを出した。
そしてすぐさま届けられた紙には『了承』の二文字。
それを認めたヴァルトはニヤリと笑い、ルリアーナに声を掛ける。
「国王陛下の許可が出たよ。思いっきりやっちゃってね」
ひらひらと国王からの手紙を振りながら笑うその様は、正に悪の王子だった。
後にそんな企みが待っているなどとは微塵も感じられない和やかな朝食後、ヴァルトは「ちょっといい?」とライカを自身の傍に呼び寄せた。
「どうしたの?」
「うん、昨日リア、うちの奥さんが君の未来の奥方とお茶をしたそうだから、一応世話になった礼をと思って」
ヴァルトに手招きされても嫌な顔一つせず穏やかにやって来たライカは、しかしその言葉に少しだけ顔を歪めた。
正確に言えば『君の未来の奥方』という単語に反応して顔を歪めていた。
「……そう。まあ、まだ婚約者だしね、ディアの王太子妃を持て成すのは当然だから気にしないで」
ライカは不本意そうにそう言うと「話はそれだけ?なら学園に行く時間が迫っているからここで失礼するよ」と踵を返そうとする。
それはさっさとこの話題を切り上げたいとでも言いたげな態度であり、事実その通りであった。
「ライカ様」
しかしここで行かせるわけにはいかないので、呼び止める意味合いも込めてルリアーナはライカを呼んだ。
実際は彼の言葉に憤りを覚えたからでもあり、そのせいで声音に若干の苛立ちが混じったが、幸いにもライカは気がつかなかったようだ。
「はい?」
ライカは振り返り、先ほどの顔が嘘のように穏やかな笑顔でルリアーナを見つめる。
それがクローヴィアの第一王子がディアの王太子妃に向けて作った顔ではなく、彼本来の穏やかな性情の表れであることは明らかで、だからこそルリアーナは苛立ちを忘れて一瞬だけ迷った。
「あの、昨日お会いしたアデルちゃんのことですけれど」
そのため、口からはライカを繋ぎとめるための言葉が紡がれる。
流石にこの雰囲気で「ちょっとごめんね?」といきなり殴りかかれるほどルリアーナは非常識ではない。
となればきっかけ(殴りかかるきっかけとは何かはさておき)ができるまで、不自然ではない程度に何かを話さなくてはならないだろう。
「彼女はとてもよくできたご令嬢で、短時間でしたが楽しいひと時を過ごせました。是非これからも仲良くさせていただきたいですわ」
なので特に含むところなく、当たり障りのなさそうな共通の話題としてルリアーナはライカにそれを言った。
しかしそれはルリアーナの本心からの言葉ではあるが、だからと言って今ここで語る必要は全くないものであった。
ただ、偶然ではあったが奇しくもそれはルリアーナはアデルを婚約者から外すことを良しとしないと宣言するようなものになってしまい、つまるところそれが意味するところは。
「…彼女が、貴女に何か言ったんですか?自分こそが王太子妃に相応しい、とでも?」
「え?」
ライカは人格が変わったのかと思うほどに表情を変え、先ほどのように顔を歪めて見せる。
豹変という言葉がふさわしいそれに、ルリアーナだけでなく、傍で見ていたヴァルトや、少し離れたところで様子を窺っていた国王夫妻も目を見開く。
「僕の気持ちが離れて行っていることに焦って、どうしても僕に嫁ぎたい彼女が貴女に助けを求めたのかな?この国の王子に嫁ぐに相応しいのは自分だけだって」
「ライカ様、なにを」
今ルリアーナが示したアデルへの支持は、魅了によってルナに心を奪われているライカにとって明確な障害となって映った。
そのため彼はルリアーナを自分の恋路を邪魔する『敵』と看做したのだ。
身に宿る激情全てを曝け出したようなこんな彼の様子を今まで誰も見たことがなかったし、穏やかな笑顔の下にこんな思いを今まで隠していたのかという驚きが4人に波紋する。
「…もしかしたらそれが事実なのかもしれないね。でも、僕はあの子に感じているこの気持ちを大事にしたい。もう彼女とは、結婚できない、いや、したくない」
ライカは周囲から向けられる目に気づいて「くっ」と自嘲するように笑うと、
「だって、家のために僕に嫁ぎたいっていう女性よりも、僕を僕として愛してくれる女性の方がいいに決まってるでしょう?」
そう言って無造作に手を横に振った。
それはまるでアデルとの関係を断ち切ると手で表しているようにも見える。
手が振られる度、アデルの笑顔が切り裂かれていくのが見えるような気がした。
「自分が生涯愛し守る相手くらい、自分で選びたいと思うのは我が儘なのかな?」
ライカがそう言った瞬間、ブチンと、3年振りに聞く音がルリアーナの頭に響いた。
「言いたいことはそれだけですか?」
「なに…?」
「言いたいことはそれだけかって聞いてるんです」
ルリアーナは懐から扇を取り出すとバッと広げ、ライカに対してそれまでとは違う厳しい目を扇越しに送る。
あまりにも苛烈な視線に今度はライカが目を見開き、訝しむようにルリアーナを見た。
「確かに、道ならぬ悲恋に溺れて可哀想な自分に酔っている貴方には、純粋に貴方を思って泣いているアデルちゃんは相応しくないかもしれませんね」
その言葉にびくりとライカの肩が動く。
そしてライカの『家のために嫁ぎたい』という言葉の、ある意味対極にある言葉でアデルを評したルリアーナをじろりと睨みつけた。
なお、それを見ていたヴァルトは目から光を消してライカを見つめて「なに俺の奥さん睨んでるの?死にたいの?」という言葉をぐっと堪え、堪えたことを後でルリアーナに褒めてもらおうと決め、なんとか荒ぶる感情をやり過ごしていた。
「貴方は本当にアデルちゃんが家のためだけに長年辛い王妃教育に耐えながら貴方に笑い掛けていたと思っているんですか?」
「…言葉を返すようだけど、貴女は違ったの?ジーク元王子に嫁ぐためだけに、貴女だって同じように耐えていたんでしょう?」
ルリアーナの情に訴えかけるような言葉に、しかしライカはそれを逆手に取り反論する。
そんなの、第一王子の婚約者ともなれば全員がやっていることだろうと。
「いえ全く。めんどくさいから適度にサボっていましたし、私自身ジーク様と結婚したいわけではありませんでしたから、彼が貴方のように心変わりをしたと同時に婚約破棄をいたしましてよ」
けれど相手がルリアーナではその反論は通じない。
ライカは「そう言えばそうだったね」と自身の迂闊さを呪った。
ヴァルトからの話で昔からルリアーナがジークとの結婚を望んでいなかったことを知っていたのに。
「まあ、私ほどではなくても多くの場合はそうですわ。むしろあれに黙って耐え続けるなど余程の思いがない限り無理だと思います。家のためなんかで小さな少女が8時間も頭の上に重い辞書を10冊乗せてひたすら廊下を歩くだけの訓練をやるとお思いですか?」
それは美しい所作を身につけるための訓練で、高位貴族の令嬢に課せられた地獄の訓練の第一歩だ。
当然、婚約者の位が高ければ高いほど、恥をかかぬようにと徹底的に叩きこまれる。
ルリアーナは早々に投げ出し、前世の知識を活かして体幹を鍛えることで難を逃れたが、他の令嬢は中々そうはいかない。
そして昨日の様子から、アデルはきっと長年真面目にそれに耐えたのだと思う。
でなければ彼女のカーツィがあれほど美しいわけがない。
「だが…」
実際にその訓練の様子を間近で見たことがあるライカは、確かにそうだと思えるだけに反論の言葉が見つからない。
それに、それを見ていた時、自分は確かに嬉しかったし、彼女を愛おしいと思ったのだ。
自分との将来のために懸命に健気に努力してくれる彼女を。
その光景を思い出したライカの心に、ほわりと温かな火が灯る。
けれど目に見えないそれに、まだ誰も気がついていない。
「では、ルナが本当に貴方だけを見て、貴方だけを愛していると思っているんですか?」
「なっ!?なんでルナのこと」
ライカが無意識にその火ごと胸元の服を握りしめると同時に、ルリアーナからは別の質問が紡がれる。
そこに含まれていた名前にライカの心臓は大きな音を立てた。
文字通りドキリとしたのだ。
「知られていないと思っていたのですか?アデルちゃんを馬鹿にするのも大概になさいませ。あの子は全てを承知の上で、それでも貴方を思って、今なお貴方だけを待っているのですよ?」
「…っ」
ルリアーナの言葉にライカは苦虫を噛み潰したように口元を歪めて目を逸らすように俯いた。
それは自分が見ようとしてこなかった、見ないふりをしていたことだったから。
だからこそ、彼の心臓は大きく脈打ったのだ。
「一方のルナはいかがです?聞けば貴方以外にも男性を侍らせて、その全員にいい顔をしているようですが」
そして続く言葉に「そんなことはない」と顔を上げてルリアーナを見返すが、真っ直ぐすぎるその視線に言葉を詰まらせ、視線はまた元の位置に戻った。
何故ならそれもまた、見ないふりをしてきた事柄であったからだ。
正直、『自分だけ』が愛されている自信などない。
僅かにあるのは『自分も愛されている』という自信だけだ。
ルナは決して、アデルのように自分だけを愛してはくれない。
アデルは、自分だけを愛してくれているのに。
握りしめた服の下がやけに熱い気がした。
まるで火でも抱えているような熱がそこにあると、今になってようやく気がついた。
「『そんなことはない』と、本当にそう自信を持って言えるのならば、今すぐルナに聞いてきたらよろしいですわ。『君が真実愛しているのは誰なのか』と」
「っ!!」
ドクリとまた心臓が脈打つ。
その度に、先ほど気がついた胸に灯っている火が勢いを増している気がする。
もうライカにはその火がはっきりと知覚できている。
後はなにかのきっかけがあれば、その火がもっと大きくなって、今自分が感じている苦しみがなくなることはわかっているのに。
自分には何が足りていないのだろう。
「聞けないと思うのなら、貴方は彼女とこれ以上関わるべきではない」
ルリアーナはパチンと扇を閉じてそれを懐にしまう。
もう話は終いだと。
だがライカは顔を上げることができなかった。
彼女の言葉に頭が揺さぶられ、痛いくらいに胸が絞めつけられている。
頭の酷く冷静な部分で「ああそうだ、彼女の言う通りだ」と思うのに、浅い部分で何かがそれを邪魔している。
今自分が思い浮かべたい顔は、本当にルナのものなのだろうか。
それとも…。
「僕は…」
一体どうしたいと思っている?
どうすればいい?
揺れる視界で、縋るようにルリアーナを見た。
きっと自分に答えをくれるのはこの人だと。
その視線を受け止めたルリアーナは「任せろ」と言うように彼に頷いて見せると、
「いい加減、目を覚ましなさい!!」
グッと拳を握りしめて思い切り振りかぶり、ダンッと足を一歩踏み出して腰の捻りすらも加えながら、一切の容赦なくその拳をライカの頬目掛けて振り抜いた。
そしてすぐさま届けられた紙には『了承』の二文字。
それを認めたヴァルトはニヤリと笑い、ルリアーナに声を掛ける。
「国王陛下の許可が出たよ。思いっきりやっちゃってね」
ひらひらと国王からの手紙を振りながら笑うその様は、正に悪の王子だった。
後にそんな企みが待っているなどとは微塵も感じられない和やかな朝食後、ヴァルトは「ちょっといい?」とライカを自身の傍に呼び寄せた。
「どうしたの?」
「うん、昨日リア、うちの奥さんが君の未来の奥方とお茶をしたそうだから、一応世話になった礼をと思って」
ヴァルトに手招きされても嫌な顔一つせず穏やかにやって来たライカは、しかしその言葉に少しだけ顔を歪めた。
正確に言えば『君の未来の奥方』という単語に反応して顔を歪めていた。
「……そう。まあ、まだ婚約者だしね、ディアの王太子妃を持て成すのは当然だから気にしないで」
ライカは不本意そうにそう言うと「話はそれだけ?なら学園に行く時間が迫っているからここで失礼するよ」と踵を返そうとする。
それはさっさとこの話題を切り上げたいとでも言いたげな態度であり、事実その通りであった。
「ライカ様」
しかしここで行かせるわけにはいかないので、呼び止める意味合いも込めてルリアーナはライカを呼んだ。
実際は彼の言葉に憤りを覚えたからでもあり、そのせいで声音に若干の苛立ちが混じったが、幸いにもライカは気がつかなかったようだ。
「はい?」
ライカは振り返り、先ほどの顔が嘘のように穏やかな笑顔でルリアーナを見つめる。
それがクローヴィアの第一王子がディアの王太子妃に向けて作った顔ではなく、彼本来の穏やかな性情の表れであることは明らかで、だからこそルリアーナは苛立ちを忘れて一瞬だけ迷った。
「あの、昨日お会いしたアデルちゃんのことですけれど」
そのため、口からはライカを繋ぎとめるための言葉が紡がれる。
流石にこの雰囲気で「ちょっとごめんね?」といきなり殴りかかれるほどルリアーナは非常識ではない。
となればきっかけ(殴りかかるきっかけとは何かはさておき)ができるまで、不自然ではない程度に何かを話さなくてはならないだろう。
「彼女はとてもよくできたご令嬢で、短時間でしたが楽しいひと時を過ごせました。是非これからも仲良くさせていただきたいですわ」
なので特に含むところなく、当たり障りのなさそうな共通の話題としてルリアーナはライカにそれを言った。
しかしそれはルリアーナの本心からの言葉ではあるが、だからと言って今ここで語る必要は全くないものであった。
ただ、偶然ではあったが奇しくもそれはルリアーナはアデルを婚約者から外すことを良しとしないと宣言するようなものになってしまい、つまるところそれが意味するところは。
「…彼女が、貴女に何か言ったんですか?自分こそが王太子妃に相応しい、とでも?」
「え?」
ライカは人格が変わったのかと思うほどに表情を変え、先ほどのように顔を歪めて見せる。
豹変という言葉がふさわしいそれに、ルリアーナだけでなく、傍で見ていたヴァルトや、少し離れたところで様子を窺っていた国王夫妻も目を見開く。
「僕の気持ちが離れて行っていることに焦って、どうしても僕に嫁ぎたい彼女が貴女に助けを求めたのかな?この国の王子に嫁ぐに相応しいのは自分だけだって」
「ライカ様、なにを」
今ルリアーナが示したアデルへの支持は、魅了によってルナに心を奪われているライカにとって明確な障害となって映った。
そのため彼はルリアーナを自分の恋路を邪魔する『敵』と看做したのだ。
身に宿る激情全てを曝け出したようなこんな彼の様子を今まで誰も見たことがなかったし、穏やかな笑顔の下にこんな思いを今まで隠していたのかという驚きが4人に波紋する。
「…もしかしたらそれが事実なのかもしれないね。でも、僕はあの子に感じているこの気持ちを大事にしたい。もう彼女とは、結婚できない、いや、したくない」
ライカは周囲から向けられる目に気づいて「くっ」と自嘲するように笑うと、
「だって、家のために僕に嫁ぎたいっていう女性よりも、僕を僕として愛してくれる女性の方がいいに決まってるでしょう?」
そう言って無造作に手を横に振った。
それはまるでアデルとの関係を断ち切ると手で表しているようにも見える。
手が振られる度、アデルの笑顔が切り裂かれていくのが見えるような気がした。
「自分が生涯愛し守る相手くらい、自分で選びたいと思うのは我が儘なのかな?」
ライカがそう言った瞬間、ブチンと、3年振りに聞く音がルリアーナの頭に響いた。
「言いたいことはそれだけですか?」
「なに…?」
「言いたいことはそれだけかって聞いてるんです」
ルリアーナは懐から扇を取り出すとバッと広げ、ライカに対してそれまでとは違う厳しい目を扇越しに送る。
あまりにも苛烈な視線に今度はライカが目を見開き、訝しむようにルリアーナを見た。
「確かに、道ならぬ悲恋に溺れて可哀想な自分に酔っている貴方には、純粋に貴方を思って泣いているアデルちゃんは相応しくないかもしれませんね」
その言葉にびくりとライカの肩が動く。
そしてライカの『家のために嫁ぎたい』という言葉の、ある意味対極にある言葉でアデルを評したルリアーナをじろりと睨みつけた。
なお、それを見ていたヴァルトは目から光を消してライカを見つめて「なに俺の奥さん睨んでるの?死にたいの?」という言葉をぐっと堪え、堪えたことを後でルリアーナに褒めてもらおうと決め、なんとか荒ぶる感情をやり過ごしていた。
「貴方は本当にアデルちゃんが家のためだけに長年辛い王妃教育に耐えながら貴方に笑い掛けていたと思っているんですか?」
「…言葉を返すようだけど、貴女は違ったの?ジーク元王子に嫁ぐためだけに、貴女だって同じように耐えていたんでしょう?」
ルリアーナの情に訴えかけるような言葉に、しかしライカはそれを逆手に取り反論する。
そんなの、第一王子の婚約者ともなれば全員がやっていることだろうと。
「いえ全く。めんどくさいから適度にサボっていましたし、私自身ジーク様と結婚したいわけではありませんでしたから、彼が貴方のように心変わりをしたと同時に婚約破棄をいたしましてよ」
けれど相手がルリアーナではその反論は通じない。
ライカは「そう言えばそうだったね」と自身の迂闊さを呪った。
ヴァルトからの話で昔からルリアーナがジークとの結婚を望んでいなかったことを知っていたのに。
「まあ、私ほどではなくても多くの場合はそうですわ。むしろあれに黙って耐え続けるなど余程の思いがない限り無理だと思います。家のためなんかで小さな少女が8時間も頭の上に重い辞書を10冊乗せてひたすら廊下を歩くだけの訓練をやるとお思いですか?」
それは美しい所作を身につけるための訓練で、高位貴族の令嬢に課せられた地獄の訓練の第一歩だ。
当然、婚約者の位が高ければ高いほど、恥をかかぬようにと徹底的に叩きこまれる。
ルリアーナは早々に投げ出し、前世の知識を活かして体幹を鍛えることで難を逃れたが、他の令嬢は中々そうはいかない。
そして昨日の様子から、アデルはきっと長年真面目にそれに耐えたのだと思う。
でなければ彼女のカーツィがあれほど美しいわけがない。
「だが…」
実際にその訓練の様子を間近で見たことがあるライカは、確かにそうだと思えるだけに反論の言葉が見つからない。
それに、それを見ていた時、自分は確かに嬉しかったし、彼女を愛おしいと思ったのだ。
自分との将来のために懸命に健気に努力してくれる彼女を。
その光景を思い出したライカの心に、ほわりと温かな火が灯る。
けれど目に見えないそれに、まだ誰も気がついていない。
「では、ルナが本当に貴方だけを見て、貴方だけを愛していると思っているんですか?」
「なっ!?なんでルナのこと」
ライカが無意識にその火ごと胸元の服を握りしめると同時に、ルリアーナからは別の質問が紡がれる。
そこに含まれていた名前にライカの心臓は大きな音を立てた。
文字通りドキリとしたのだ。
「知られていないと思っていたのですか?アデルちゃんを馬鹿にするのも大概になさいませ。あの子は全てを承知の上で、それでも貴方を思って、今なお貴方だけを待っているのですよ?」
「…っ」
ルリアーナの言葉にライカは苦虫を噛み潰したように口元を歪めて目を逸らすように俯いた。
それは自分が見ようとしてこなかった、見ないふりをしていたことだったから。
だからこそ、彼の心臓は大きく脈打ったのだ。
「一方のルナはいかがです?聞けば貴方以外にも男性を侍らせて、その全員にいい顔をしているようですが」
そして続く言葉に「そんなことはない」と顔を上げてルリアーナを見返すが、真っ直ぐすぎるその視線に言葉を詰まらせ、視線はまた元の位置に戻った。
何故ならそれもまた、見ないふりをしてきた事柄であったからだ。
正直、『自分だけ』が愛されている自信などない。
僅かにあるのは『自分も愛されている』という自信だけだ。
ルナは決して、アデルのように自分だけを愛してはくれない。
アデルは、自分だけを愛してくれているのに。
握りしめた服の下がやけに熱い気がした。
まるで火でも抱えているような熱がそこにあると、今になってようやく気がついた。
「『そんなことはない』と、本当にそう自信を持って言えるのならば、今すぐルナに聞いてきたらよろしいですわ。『君が真実愛しているのは誰なのか』と」
「っ!!」
ドクリとまた心臓が脈打つ。
その度に、先ほど気がついた胸に灯っている火が勢いを増している気がする。
もうライカにはその火がはっきりと知覚できている。
後はなにかのきっかけがあれば、その火がもっと大きくなって、今自分が感じている苦しみがなくなることはわかっているのに。
自分には何が足りていないのだろう。
「聞けないと思うのなら、貴方は彼女とこれ以上関わるべきではない」
ルリアーナはパチンと扇を閉じてそれを懐にしまう。
もう話は終いだと。
だがライカは顔を上げることができなかった。
彼女の言葉に頭が揺さぶられ、痛いくらいに胸が絞めつけられている。
頭の酷く冷静な部分で「ああそうだ、彼女の言う通りだ」と思うのに、浅い部分で何かがそれを邪魔している。
今自分が思い浮かべたい顔は、本当にルナのものなのだろうか。
それとも…。
「僕は…」
一体どうしたいと思っている?
どうすればいい?
揺れる視界で、縋るようにルリアーナを見た。
きっと自分に答えをくれるのはこの人だと。
その視線を受け止めたルリアーナは「任せろ」と言うように彼に頷いて見せると、
「いい加減、目を覚ましなさい!!」
グッと拳を握りしめて思い切り振りかぶり、ダンッと足を一歩踏み出して腰の捻りすらも加えながら、一切の容赦なくその拳をライカの頬目掛けて振り抜いた。
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