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あなたの幸せを願う
しおりを挟む「手伝おうか?」
「先生。」
廊下の向こうから、袖を捲りあげながら銀髪の青年が歩いてきて、少女の手元をヒョイっと覗き込んだ。
「ナポリタン?いいね。じゃあパスタ茹でようかな。」
「ありがとう。お仕事はどうですか?」
氷魚は青い目を優しく緩ませると、少女の肩を優しく抱いた。少し頬を赤らめる陽日だった少女に、青年は楽しそうに笑った。
「優秀な秘書が出来たからね。編集者さんも褒めてたよ、君が来てからオレが原稿を落としてないって。」
「それは良かったです…。」
ベーコンを切る手を止めて、その状況に居心地悪そうにしている少女の額に、青年は素早く口付けるとパッと離れ、コンロの前へと立つ。大きな鍋を手際良く洗い、水をひたひたに入れると火にかけた。
そして薄茶色の眼を大きく見開いて、額を押さえたまま固まっているハルを振り返ると、不思議そうな顔をした。
「何をしてるの、君。」
「な、何って…!貴方こそ、な、なな、何を?!」
「随分と、感情表現が素直になったねえ。」
「そ、そこではなくてっ…」
感心したように言う氷魚に、ハルは顔を真っ赤にして口をパクパクした。くすくすと笑いながら、青年は沸騰した湯の中にパスタをパラっと放り込む。そして少女に静かに問いかけた。
寂しくはないかと。
問いかけられた少女は、一度目をパチクリとさせた後。
「…寂しくはないです。貴方がいるし、約束を果たしてくれたから。」
そう言って、穏やかに笑った。
陽日が身を投げた湖での出来事から、一年以上経つ。半年間は湖の家の中で過ごしたその後、身元を偽って出国した。
氷魚と約束していたのは、少女が婚約を破棄できたのなら、青年と一緒に、彼の故郷である外国へ行かないかというものだった。
『そこにいるのが辛いのなら、オレと一緒においで。これでもきちんと仕事はしているから、君の面倒なら見てあげられるよ。』
あの時の青年の言葉に支えられて、その後も何とか気持ちを保っていたけれど、結局は婚約破棄も出来ず、両親にも見捨てられたと感じた陽日は、精神的に耐えられなくなり、自殺をしようと考えるまで追い込まれてしまった。
その少女を、氷魚は助けてくれた。
どうやったのか詳しくは分からないが、身分を偽るための証明書を各種準備してきて、約束通り彼女をあの場所から逃してくれたのだった。
秘書として、そして妻として。ハル=アールライドとなった少女を、大切にしていてくれている。
異国で、言葉も最初は分からず苦労したが、住んでいるうちに軽い会話程度はできるようになったし、氷魚が家で会話のレッスンをしてくれて、自国の文化についても詳しく教えてくれるので、特に問題はなかった。
寂しくはなかったが、少女には一つだけ気になっていることがある。
ナポリタンを綺麗にお皿に盛り付けながら、鼻歌を歌う氷魚の横顔をちらりと眺めた。
気になったのは、彼の青い目が何度か赤く見えた事だ。
見間違いには思えなかったが、その事を氷魚に何度問うても「夢でも見てたんでしょ」とはぐらかされてしまう。
だから、陽日はこう思うようにした。
彼は竜神で、自分はあの時の白蛇を助けた少女の生まれ変わりだった。数百年の時を超えて、あの時の恩返しに彼女を助けるために、彼はまたあの場所に現れてくれたのだと。
幼稚な想像だと自分に苦笑いしながらも、案外素敵な考えのそれを気に入った。そして、迎えにまで来てくれたのだから、幸せにならなければと、心から思った。
毎日、朝起きる度に生きていることに感謝を捧げる。晴れの日も雨の日も、私は生きていると噛み締める。好きな人の隣で笑ったり泣いたりしながら、生きている。
誰かの幸せは誰かの悲しみの裏返しで、誰かの悲しみは誰かの幸せの為にあるのだと、私は知った。
それを理解した上で、通り過ぎる季節の中に時々懐かしい顔を思い出しながら。それを忘れずにこれからも過ごしてゆくのだ。そう決めた。
だから。
だから、どうか、貴方も幸せでいてと、祈りながら。
「ハル、おいで。」
「はーい。」
少女は晴れやかな返事をすると、青年の元へパタパタと駆け寄り、寄り添うように並んだ。
✩・✩・✩・✩・✩
稚拙な文章を読んでくださって、ありがとうございました。
これにて完結になります。
妹側の視点『身代わりの月』も完結しておりますので、もしお時間良かったらぜひ目を通してやってくださいませ。
また新しい作品も読んで頂けると嬉しいです。
それでは。
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