買った天使に手が出せない

キトー

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1巻

1-2

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「さぁ、いよいよ最後の商品です! 毎回性奴隷の日の最後にはとびきりの美女をご用意しますが、本日は一味違います! なんと今日トリを飾るのは美女ではなく美少年! おやおや、がっかりするのはまだ早いですよお客様。なぜかって? それはその目で確かめていただきましょう!」

 ――零には聞こえない口上が響き、零の目の前のカーテンが開く。
 大勢の客の姿が目に入った。その数は百人をくだらない。ここがなのか、自分がなぜここにいるのか知らない零は、予想していなかった光景に呆気にとられ、立ち尽くしてしまうが、隣に立っていた美女が零を前に進むよう肩を抱いて促した。
 恐る恐るステージへ進み出ると、先ほど見た赤い服の若い男が立っていた。
 零を指差しながら客に向かって笑顔で叫んでいるが、その内容は零には聞こえていない。
 ステージをぐるりと取り囲むように大勢の客が座っており、みんなが零を見ている。

「どうです、この白い肌! あどけなくもどこか色気のある顔! すらりと伸びた美しい手足! 何も知らないこの顔を快楽によって泣かせるもよし、細い手足を縄で縛って恐怖でゆがむ顔を楽しむもよし、用途はあなた様しだいです! こんな毛色の違う美少年が出てくることは今後ないかもしれません! 皆々様、後悔のないようご入札くださいませ!」

 零はどこを見ていいか分からず、視線をさ迷わせた。すると、隣に立っていた美女と目があった。

「笑って」

 美女の口がそう動く。零は予想外の言葉に目をしばたたかせたがこれがこの世界の面接なのだと自分に言い聞かせ、こわりそうな表情を必死に柔らかくする。
 きっと今、司会をしている男が懸命に自分をアピールしてくれているのだ。その証拠に数人が手を上げて何かを叫んでおり、自分を雇おうとしてくれているようだから。
 そう思い、零は手を上げている客に感謝の意を込めて笑顔を向ける。
 するとそのうぶそうな笑顔を見て手を上げる者はさらに増え、会場の興奮は一層高まる。

「さぁさぁこれ以上の入札はありませんか? 皆様後悔のなさいませんように! よろしい! では本日の美少年の落札はあちらのご主人様へ決まりました!」

 わあぁ……っ、と会場のボルテージは最高潮に達し、一人の男が零の前へと歩み寄った。
 それは背の高い男であった。
 やはり褐色の肌で、少し癖のある金髪を無造作に後ろで束ねている。
 白いローブに同色のゆったりとしたズボンとサンダル姿の男は、少し垂れた目尻に青い瞳が妙に色っぽい。男は目を細め、零を見つめていた。
 零がどうしていいのか分からないまま立ちすくんでいると、赤い服の男がそっと零の背中を押した。

「ダイヤ・シダーム様のお眼鏡にかなってようございました。どうぞお好きに可愛がってくださいませ」

 この人が自分を雇ってくれたのだろうか、と零は一歩前に出る。おずおずと見上げると男は手を伸ばし、零の下顎をするりと撫でた。

「ん……」

 くすぐったくて思わず目を閉じて声を漏らすと、男がくすりと笑ったのが見えた。

「いい買い物をしたようだ」

 男は零を片手で横抱きにすると、会場を出た。手続きや書類がある訳でもなく、まるで子供にするような扱いに戸惑うが、中東系の彼らから見たらアジア系の自分はやはり子供に見えているのだろうと零は自分を納得させた。
 それから乗せられた馬車は、昼に零が乗っていた粗末な荷馬車ではなく、黒塗りの美しい馬車だった。膝に乗せられ、姿勢の保ち方が分からず体をこわらせると、うちももを撫でられた。
 くすぐったさに身をよじると、何やらひどくご機嫌で撫でてくる。スキンシップが盛んな国なのかもしれない。零はこそばゆさに耐えながら、どうやら雇い主になったらしい男を見つめていた。
 しばらくして馬車が止まる。
 着いた所は、美しい彫刻が施されたまるで宮殿のような大きな建物の前だった。
 大きすぎて全貌が分からない。周りは木で囲まれているようだが、町は遠いのだろうか。
 零は身じろぎして屋敷をよく見ようとしたが、結局すぐ男に抱えられたまま、室内に入った。
 部屋は外よりヒヤリとした空気が流れており、広い空間に噴水があった。
 その奥から年輩の男が現れ、うやうやしく頭を下げた。男は袖のある青いロングワンピースのような衣装を着て、同じ色の布を頭に巻いている。
 ――もしかしてこの人が職場の先輩に当たるのでは?
 そう思い、零は雇い主の男を見上げるが、男は機嫌よさそうに年輩の男に声をかけている。
 何を話しているかまでは分からなかったが、楽しそうだ。
 やがて、雇い主の男が零を指すと年輩の男が渋い顔になり、零は歓迎されていないのではないか、とヒヤッとする。
 しかし結局零の体はそっと雇い主の男から年輩の男の腕に渡った。
 ――横抱きは続行しなくていいのに!
 このままではなんの役にも立たない子供を任せられたと思われてしまいそうだ。
 なんとか年輩の男の腕の中で顔を起こし、雇い主の男を見ると優しく微笑まれた。
 それから何事かを年輩の男に言い残し、ひらひらと手を振って去っていく。年輩の男は、零を抱えたまま広い宮殿の奥へと歩きだした。
 途中何人もの召使いらしき者たちに出会うが、彼が通りすぎる度に手を前で合わせて礼をする。やはり偉い人なのだな、と感心していると、彼は最後に大きな両開き扉の前に立ち、器用に零の体を支えたまま扉を開いた。するとプールのようなだだっ広い湯殿が目の前に広がる。
 その光景に今から風呂に入るのかと理解した零は年輩の男に尋ねた。

「あの、よろしいですか?」

 零が話しかけると男は驚いたように目をしばたたかせた。
 何に驚いているのかと思いながら、零はとりあえず言葉を続ける。

「耳栓は……そろそろ外してもいいでしょうか?」

 髪で隠れていた耳栓が見えるように髪をかき上げると、男はすぐに零を下ろし、耳栓を取ってくれた。ようやく周囲の音が聞こえるようになり、零はほっとした気持ちで男に頭を下げる。

「ありがとうございます。いつ取っていいのか分からなくて、そのままにしていました」
「なんとまぁ、そういうことでしたか。しかし言葉が分かるのであればこちらとしても助かります。ああ、では名前も聞こえていませんでしたね。改めて、ジンラミーと申します。主人の名はダイヤ・シダームと」

 ようやく自分を雇ってくれた人の名前が分かり、零は勢いよく頷く。年輩の男――ジンラミーは素直そうな零に淡く微笑むと現在の状況を改めて説明する。

「ダイヤ様のところに向かう前に身支度をと思い、ここへ呼びました」

 そう言いながらジンラミーが手で合図をする。するとすぐに三人の侍女が現れ、ジンラミーに礼をした。皆一様に青いロングワンピースのような服を着ているが、ジンラミーとは違い袖はなく、腰にはベルトのような物を巻いている。
 零が笑顔をつくると、侍女たちもあでやかな笑みを返した。そのフレンドリーさに内心零が胸を撫でおろしていると、ジンラミーが言った。

「この者に湯浴みを」
「かしこまりました」

 ジンラミーの指示により零の服はあっという間に脱がされてしまう。

「えっ⁉」

 シャツ一枚だったとはいえ、脱がされるとさらに心もとなさが増す。
 真っ裸になったかと思えば焦る間もなく湯に入れられ、頭、腕、背中と三人から同時に洗われた。自分で洗えますからと言う隙も与えられず、気がつけば爪先までしっかりと洗われてしまっていた。零は羞恥に耐え切れず身を縮めるが、女性たちは楽しそうに話し合っている。

「肌が白いのねぇ」
「服はどの色にしましょうか」
「やっぱり白かしらね」
「黒も似合うと思うわ」

 そんなやりとりが耳をかすめるが、いったいなんの話を――と聞く前に、三人がかりで湯船から持ち上げられる。

「わっ」

 零の体からしたたる水気を大きなタオルで同時に拭きながら、女性のうちの一人が首を傾げる。

「ねぇ、あなた喋れるのよね? あなたは何色が好きなの?」

 突然話を振られ、零は少し驚きながらも、持ち前の生真面目さで考えを巡らせた。
 自分は何色が好きだろうか、今まで着まわしのきくモノトーンの服ばかり着ていたが、それは好きな色とは違う気がする。
 好きな色、見ていたい色、思わず手に取ってしまうような、そんな色は――

「青、でしょうか。薄い青……」

 それは最後に見た幸せの色であるような気がした。
 なぜそう思ったのかは分からないが、その色をまた見たいと零は思った。
 すると女性の方もはしゃいだ声をあげる。

「あらいいわね! ダイヤ様の瞳の色だわ」

 即座に待機していたらしい他の侍女が青い服をどこからか持ってくる。それを手際よく着せられた零の姿は胸元と腰回りを隠しただけの、まるで物語に出てくる踊り子のような姿だった。
 零は戸惑い、女性たちにおずおずと視線を向ける。

「これだけ、ですか? 他に着るものは……」
「これで全部よ。ちょっと寒いかもしれないけど、すぐ暑くなるから大丈夫」

 意味深に笑う女性たちにさらに問いかけを続けようとすると、再び現れたジンラミーに抱えられて屋敷のさらに奥まで連れていかれた。
 あまりにも広いのでもう元来た道は分からないだろう、と零が考え出した頃、大きな扉の前でジンラミーが止まる。

「ダイヤ様、ジンラミーでございます」

「入れ」と返事があり、扉が開くと、そこは美しい空間だった。
 白を基調とした天井には彫刻が施され、壁は色とりどりのタイルで飾り付けられている。
 天井まで続く大きな窓はステンドグラスになっていて、月の光を受けて優しく光っているように見えた。部屋の中であるはずなのに所々木が植えられ、噴水まである。
 そんなだだっ広い空間の中央に、天蓋付きのベッドが置いている。
 大人が数人寝られそうな大きなベッドには一人の男性――ダイヤがひじまくらをして、ジンラミーとその腕の中の零を見つめていた。

「ではわたくしはこれで……」

 ダイヤの視線を受けたジンラミーは、零を降ろすとすぐに部屋を出ていってしまった。零はその場で立ち尽くす。なんの説明もないまま置き去りにされては、これからの動きが分からないし、そもそも仕事内容も知らされていない。着せられたうすごろもがすうすうとして頼りないこともあり、零は心細さにわずかに身震いした。
 そんな零に向かってダイヤが手招きをする。

「そんな所に立っていては寒いだろ? こっちに来るといい」
「は、はい」

 恐らくダイヤは命令することに慣れているのだろう。身体をベッドから起こしもせず言い放った彼のもとへ零は小走りで駆け寄った。ドアからベッドまで走ったのは初めてだな、とどうでもいいことを考えながら。
 その姿を見てダイヤは目を細める。

「……ラミーから聞いた通り、本当に言葉が分かるんだな。馬車で話しかけても返事がなかったからてっきり分からないのかと思ったよ。それにしてもずいぶん戸惑っているみたいだが、初めてか?」

 零が近くまで寄ると、ダイヤはようやく体を起こし、ベッドの端に腰かけた。それからベッドの前でひざまずく零の手を取る。思いがけず強い力で腕を引かれ、零はダイヤの太腿と太腿の間に収まった。面白そうに見上げるダイヤの目に、零の目は戸惑いで揺れた。

「すみません……まだ仕事の内容をお聞きしてなくて。先ほどジンラミーさんにお聞きしておけばよかったのですが……」

 零は、勤務に入る前に何かしら仕事の説明があるだろうと考えていた自分を恥じた。いい歳をして受け身になっていてはいけない。分からないことは自分から尋ねるべきだったのだ。
 叱られるだろうかと恐る恐るダイヤを見上げると、少し垂れた青い目がわずかに見開く。

「もしかして、今から何をするのか分からない?」
「申し訳ございません」

 ダイヤの手はいつの間にか零の太腿を撫でていたが、そんなことには気づかず、零は申し訳なさそうに目を伏せる。
 すると、ダイヤは楽しそうに笑い、太腿を撫でていない方の手で零の頬に触った。

「なに、知らないなら今から知ればいいさ」

 そう言って、ダイヤは太腿を撫でていた手を腰に回し、逃がさないと言うようにさらに零を引き寄せる。零はバランスを崩し、右膝を折ってダイヤに寄りかかる格好になった。

「今からキミには、夜の相手をしてもらう……」

 倒れ込んだことで距離が極端に近くなり驚く零に、ダイヤは口の端をゆがめて笑う。戸惑う零の姿を楽しむように。
 しかし、いまだ零は何も理解していなかった。
 前世では生まれて死ぬまで、恋人はいなかった。年頃になっても仕事、仕事、妹、仕事、で色恋沙汰や同世代の下世話な世間話からも縁がなく、要するにそういった『夜の相手』に関する知識が皆無だったのだ。
 そんな零がダイヤの言葉から出した結論は、こうだった。

「夜のお相手……それならよく妹にしてましたから得意ですよ!」
「い、妹に⁉」

 戸惑う零を楽しむはずだったダイヤの顔が、反対に戸惑いを見せる。
 そんなダイヤの心情など知らず、零はダイヤとくっつけすぎていた体を起こし、無邪気に笑った。

「妹もよく眠れない時があったんです。一時期は毎日寝かしつけるために色々していました」
「寝かしつける……私を?」

 呆気に取られていたダイヤだったが、零の勘違いを徐々に理解し、あまりにも真っ白な零の知識と無邪気な笑顔に、呆れと面白さで笑いを零した。

「ならばお手並み拝見といこうか。名は……そう言えば聞いてなかったね」
「零です」
「そうか、零。私のことはダイヤと呼んでくれ。じゃあ零、さっそく『お仕事』だ」

 ダイヤは笑みを深め、零の髪に指を絡めた。サラリと細く、癖のない零の髪は月明かりを浴びてダイヤの指から滑り落ちていった。


     ※ ※ ※


 ステンドグラスから朝日が差し込み、柔らかな光が部屋を包む。
 噴水からは涼やかな風がわずかに吹いている。そんな清々すがすがしい朝の空気の中、ダイヤはベッドに腰掛けていた。しかし、その顔は決して清々すがすがしくはない。

「……ありえない」

 呟いたダイヤは両の手に顔をうずめ、昨晩のことを思い出していた。


 昨晩、不敵な笑みを浮かべたまま、ダイヤは零の細い腰を軽く引きベッドへ共に倒れ込んだ。
 それから抵抗なくベッドに横たわった零の首元に軽く口づける。片手であやしく太腿を撫で、やわやわとその上の部分へ辿っていく途中、零は静かな声でダイヤへと尋ねた。

「ダイヤ様は何がお好きですか?」

 ダイヤの指使いなど気にしていないように、零は自分の胸元にあるダイヤの髪に優しく触れる。その指の優しさにダイヤは思わず素直な返事をしてしまった。

「好きな物か……そうだな、海が好きだ」
「僕も海は好きです」

 それがよくなかったのかもしれない。
 嬉しそうにそう言った零は、それからダイヤに向かって語りかけるように海の話をした。
 その声はどこまでも静かで優しくて、ダイヤは思わず零に這わせた手を止め、零の話に無言で耳を傾けていた。そのうち、まるで本当に穏やかな海に浮かんでいるような、優しい波に身を任せてただよっているような感覚に囚われた。
 まぶたの裏にどこまでも続く青い海が見えて、青い世界に零とダイヤが二人だけいるような、そんなありえない錯覚が、なぜか心地よかった。
 髪を撫でる小さな手は柔らかくて、気持ちよくて、温かくて、気持ちよくて……そして、気がついたら朝だったのだ。


「ありえないっ……!」

 改めて、への羞恥が湧いてダイヤは頭を抱えた。
 昨晩、零の言葉通り『寝かしつけ』られた現実に未だ理解が追いつかない。いや、理解したくなかった。
 ダイヤはいつだって強者だった。
 富豪の家に生まれ、地位を持ち、容姿に恵まれた。勉学も剣術も苦ではなくあきないの才能もあった。また、物腰は柔らかく、男女問わずダイヤの周りには人が集まった。
 少々遊びグセはあったがそれがさらにダイヤの世界を広げたことは間違いない。結果としてダイヤは柔軟な対応力を身につけ、人々を魅了した。まあ、腹心であるジンラミーには人間関係にだらしがないと眉をひそめられているが。
 そんな自他ともに認める強者である自分が、まだ少年であろう者の手で寝かしつけられるなんて認めることができなかったのだ。しかも相手は性奴隷として買った少年だ。
 しかし、昨日の自分は疲れていた。そうだ、疲れていたのだ。だからたまにはゆっくり癒されるだけでもいいではないか。あれほど美しく純粋で純朴な少年なのだから、すぐに抱いてしまってはもったいない。そんな少年をみだらに乱れさせ、純白を散らす楽しみを後にとっておいただけだ。
 そう自分を納得させて顔を上げたタイミングで、扉を叩く音が響いた。

「ダイヤ様、おはようございます。零です」
「っ⁉」

 たった今考えていた少年の声に過剰に反応してしまったダイヤはベッドからずり落ちかける。が、なんとか姿勢を正し、足を組んで余裕の笑みを作って扉越しの零へ声をかけた。

「あぁ、入っていいよ」

 ダイヤが言うと扉はすぐに開き、シルバーのトレイにティーセットを乗せた零が入ってきた。

「失礼します」
「おはよ、う……」

 主人らしく余裕のある態度を見せようと作っていた笑みが、固まる。
 扉から入ってきた少年は慎ましくも美しかった。所作はつたないながらも丁寧に動いていることが分かる。頭を下げたことでさらりと栗色の髪が柔らかく揺れた。
 その美しさは知っている、だからこそヒューマンショップで競り落としたはずなのに、今更、なぜこんなにも胸が高鳴るのだろう。
 あぁ、そうか……、とダイヤは思う。
 今の少年は光に包まれている。窓からこぼれる朝日に照らされて栗色の髪はうつくしく輝き、白い肌は朝の光を集めてまばゆいほどだ。
 何よりダイヤを見つめるその瞳が優しく微笑んでいて、それは陽だまりのようにダイヤの胸の奥を温める。
 この子は光が似合う、そうダイヤは思った。

「紅茶をお持ちしました」

 しかしダイヤの思考など露知らず、零はテキパキとティーセットをサイドテーブルに並べ、ダイヤのために紅茶を準備する。

「ジンラミー様にご指導いただきながら準備しましたので味は問題ないかと思います」

 むしろ零を凝視しつづけるダイヤに、自分の技量を不安に思われていると考えたのか、零は口調を少し硬くして紅茶の説明をした。
 はっ、と我に返ったダイヤは慌てて目を逸らし、ティーカップに手を伸ばす。
 戸惑う己に戸惑いながら、紅茶に口をつけたダイヤは、ほぉ、と息を吐いた。

「美味いな……」

 ジンラミーのれた紅茶とそんしょくない味わい。
 香り高い紅茶に、かき乱されていたダイヤの心が落ち着くのが分かった。
 それはいつもと同じお気に入りの紅茶の味だ。いつもの日常を取り戻せたようで少しずつダイヤに余裕が生まれる。しかし、

「あ……ありがとうございます!」
「っ……!」

 少し不安げだった零が、ダイヤの呟きに花が開くように笑顔になって、ダイヤの心は再び乱れた。
 落ち着けと自分に言い聞かせるが、視線を少年から逸らせない。
 瞬間、ダイヤにはありえないものが見えた。
 それは羽だった。零の背に真っ白な羽が見えたのだ。
 天使のような零にとてもよく似合う、純白の柔らかな羽。
 もちろんありえない、ありえないことなのだが、この少年なら天使でもおかしくないとダイヤは頭の片隅で思う。しかし一瞬左手で目を押さえ再度目を開ければ、やはり見間違いだった。代わりにジンラミーのずいぶん冷めた視線とかち合う。
 さっさと起きろ。ジンラミーの視線がそう言っている。いたのかお前……、ダイヤは誤魔化すように咳ばらいをして空のティーカップを戻した。

「ではダイヤ様、我々はこれで下がらせていただきます。零、行きますよ」
「はいジンラミー様」

 即座にジンラミーが零を連れて部屋を去っていってしまう。
 ダイヤとしてはもっと零を見ていたかったが、ジンラミーはそれではダイヤが一向に起きないと判断したのだろう。ダイヤは名残惜しく零の背を視線で追う。すると、その視線に気が付いたのか、零は扉で振り返り頭を下げながら言った。

「昨日は言い忘れていましたので――改めて、僕を雇ってくださってありがとうございました。精一杯務めさせていただきます!」

 元気よく、だが礼を欠かないように言って微笑んだ零は、今度こそジンラミーに促され扉を閉めた。
 部屋には両手で顔をおおったまま天を仰ぎ、もだえるダイヤだけが残された。


     ※ ※ ※


 ジンラミーはご機嫌だった。
 昨晩またしょうりもなく主人が性奴隷など買ってくるものだからまた面倒なことになった、とげんなりしていたが、いざ買われてきた少年と接してみれば、なかなか教養のある者だと分かったからだ。
 少年――零は字こそ読めなかったが、言葉遣いは丁寧で性格も素直だ。主人であるダイヤに紅茶を持っていった際も、作法は言葉でしか教えていないのに、ティーセットを準備するその仕草は優雅で様になっていた。シルバー食器やティーセットの種類と手入れの仕方を教えればすぐに覚えたし、向上心も高いようで的を射た質問を多くしてくる。そのことでジンラミーの機嫌はさらに急上昇した。
 何より気遣いが出来る余裕があることが素晴らしい。
 子供だと思っていたが、見た目より実年齢はずっと上なのではと思わせた。

「僕の年齢ですか? 詳しくは分かりませんが十八か十九歳ぐらいだと思います」

 十代前半だと思っていたため、やはり見た目より年齢は上だったが、立ち居振る舞いはさらに上の年齢か身分のように感じる。
 ちなみに自分の年齢が分からないと言うのは、この国の身分の低い者では珍しくない。
 せんの者たちは生活するので精一杯であり、誕生日を祝う習慣もない。そもそも日付が読めない者だって多いのだ。
 ダイヤが夜のお相手として、外部から人を連れてくるのは珍しくない。踊り子や歌姫、人気劇の女優を連れ込んだこともあった。
 どれも見目は大変美しかったが、プライドが高い者も多く、ダイヤが若い頃は人間関係のもつれを激化する原因になったものだ。中には野心ある者が女を使い、ダイヤを、ひいては大富豪であるシダーム家を思いのままにしようともくむ者までいる始末。
 ジンラミーが苦言を呈する前に、さすがにマズイと思ったか、もしくはめんどくさいと思ったからかは定かではないが、ダイヤはダイヤなりに考えたようで次第に分をわきまえた娼婦か性奴隷を連れてくるようになった。
 前者はいい、問題は後者だ。
 奴隷であるのだから、飽きたら捨てればいいと考える者もいるだろう。
 事実、そのように振る舞う者も少なくない。急に大金を手に入れた見栄っ張りな成金などは正にそのタイプだ。高級品を使い捨てるように扱うことで自分は裕福なのだと周りに知らしめたいのかもしれない。
 しかしシダーム家はそのような成金とは違う。
 代々続く大富豪であるシダーム家を知らない者はこの国にはいない。逆に言えば、シダーム家の者であるというだけで人々の目に常に監視されているようなものだ。
 人々の期待を裏切らないよう、相応しい立ち居振る舞いが求められるし、人々の信用を失うわけにはいかない。よって、性奴隷だからといえど飽きたからといって放り出すわけにはいかないのだ。
 ではどうするか。その責任を押し付けられるのはいつだってジンラミーなのである。
 性奴隷として連れて来られる者はいつだって容姿はいい。もっと言えば容姿だけがいいことが多い。
 敬語が使えないなど当たり前で、言葉が分からない、スプーンの使い方が分からない、服の着方が分からない、感情の制御の仕方が分からない、などなど。もちろんそんなことも教わらないうちにさらわれ、売られた者もいるのだろうが――そんな者の今後を任されるのは非常に難しいことだ。
 だが、とジンラミーは、ティーセットを洗い終わり、次の指示を待つ零を横目に見る。
 零には教養があった。それも高い教養が。少し教えれば手がかからなくなるどころか、シダーム家にとって頼りになる存在となるかもしれない。
 ダイヤ様は珍しくよい買い物をされたようだと、ジンラミーは笑みを深める。

「あら、ジンラミーがこんな所にいるなんて珍しいわね」

 ご機嫌なジンラミーと、仕事を覚えるのが楽しい零とで和気あいあいとしていたところに、鈴のような澄んだ声がかかる。
 零が振り返ると、まだ少し顔にあどけなさを残した女性が不思議そうに立っていた。


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