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しおりを挟むプロローグ
零は感無量だった。
披露宴の家族席に座った零は、黒のスーツに青のネクタイを締めて座っていた。平々凡々な自分が今日の主役ではない。零は高砂に座っている妹を見つめた。
妹の花は今年二十五歳だ。お色直しをすませた彼女は、新婦として淡いブルーのドレスを身にまとい、今までにないほど美しく輝いている。表情は幸せに満ち、友人と笑い合いこれから人生を共にする新郎と目を合わせては、照れ臭そうに微笑みを零している。
もっとこの幸せな時間を見ていたい、そう思っていた零の後ろからホテルのスタッフが声をかけた。
「それではお兄様、まもなく新婦の花様から花束が贈られますので、あちらへよろしいでしょうか」
そう促され、零は会場の後ろへ新郎の両親と一緒に並んだ。
本来、花束を受け取るべきは二人の両親だ。しかし、零と花には両親がいない。
すでに熱くなり始めた目頭をそっと押さえながら、零は今までのことを振り返った。
零が中学生の頃、火事で燃えた自宅から遺体が二体発見された。自宅には両親しかいなかったのだから誰のものであるかなど分かりきっていた。もしかしたら、という儚い希望もすぐに打ち破られた。その頃花はまだ小学生だった。
零と花はその後親戚に引き取られたが、親戚たちは厄介者を押し付けられたと露骨に態度に出した。
「お前らも一緒に両親と逝きゃあ、色々と面倒がなかったのにな」
酒に酔った叔父が言った言葉を今でも覚えている。
零自身は気にしないようにしたが、不幸にも花もその言葉を聞いてしまった。まだ幼かった花にとってその言葉は世界中から告げられる言葉に思えてしまったようだ。
両親を突然亡くし、住み慣れた地域や親しい友人とも離れ、まだまだ気持ちが追い付かない幼い妹にそれは耐え難いことだった。
どこの噂好きが話したのかは分からないが、花が通う小学校ではすでにみんな零たちの事情を知っていた。それを無駄につつくような生徒はいなかったものの、気を遣われていることは伝わり、それすら花を追い詰めた。
だんだんと花の食欲は減退し、学校も休みがちとなった。しかし家にいることも苦痛であったのか次第に公園やコンビニで過ごすようになった。
零はできる限り花と一緒にいるよう努めたが、花は兄がそうして気を遣うことも耐えられないようだった。零に心配をかけまいと、なんとか笑おうとする妹の姿に胸が締め付けられ、兄として何も出来ない自分が情けなかった。
だから、零が高校へは行かず働くことを決めるのに迷いはなかった。
わずかながら残された両親の資産で小さなアパートを借り、花と二人で住むようになってからは花はとりあえず家には帰って来てくれるようになった。
小学校も再び転校し、その頃には花も心の余裕が出来てきたのか友人を作れるようになった。『友達と遊んでくるね!』と嬉しそうに家を出ていった時は、笑顔で見送った後ひっそり泣いて喜んだものだ。
それからはもう必死だった。零はがむしゃらに働いた。
仕事の掛け持ちをしながら妹との時間もできる限り大切にした。自分の時間などは皆無だったがそれでも零は充実していたと思っている。
花が高校に入学する頃には、零はバイト先で社員にならないかと誘われ、責任は重くなったが生活は安定した。
――そして今、花は新郎とともに淡いブルーのドレス姿で零のもとへ歩いてくる。
鮮やかな色の花束を抱え、ゆっくりと零の前へと着く頃には、涙で頬を濡らして、花はそれでも美しく微笑んだ。
「お兄ちゃん……、ありがとう……」
言って、いよいよ涙が止まらなくなったのか、しゃくり上げながらうつむく花を、零は花束ごとやさしく抱き締めた。
大丈夫、キミはきっと幸せになれる。
そう想いを込め背中を撫でると、新郎と目が合った。彼は笑って頷く。
――大丈夫です、必ず彼女を幸せにします。
言葉はなかったが、そう言われたようで、零も感謝の意を込めて頷いた。
披露宴は無事終わり、新郎新婦とその友人たちは二次会の会場へ向かう。白のワンピースに着替えて友人に祝福されながらタクシーに乗り込む花を見送って、ふぅ、と大きく息を吐いた。
少しの疲れと、大きな幸福感に包まれ、その余韻に浸るように立ち尽くす。
しかし、そんな気持ちが一瞬にして吹き飛ぶような大音量が零を襲った。
それが車のクラクションであると気づいた時には遅かった。
黒い車が目の前に迫っており、運転手と目が合った。零たちを一時的に引き取った親戚――叔父の姿だった。真っ赤な顔で目を見開いて何かを叫んでいる。
どけ! と言っていたような気もするが、避けられるならとうに避けている。
ドンッ、と鈍く大きな音がして、同時に体が空を舞う。
今までに感じたことのない痛みが腹部を起点に全身へと巡る。
痛い、熱い、息が出来ない。
どこかで叫び声が聞こえるが、目の前は真っ赤に染まり、何も見えない。
なぜ叔父は運転していた? 酒を飲んでいたはずなのに。叔母は止めなかったのか?
そんなことを考えた後、花の顔が脳裏に浮かんだ。
熱かった体がだんだん寒さを訴えだした。
自分は死ぬのだろうか。死んだらきっと花は悲しむだろう。それは嫌だな。
体が冷えてくると不思議と頭は冷静になっていく。おそらくもう助からない、それでも自分は幸せだったと心から思う。
ただひとつだけ心残りなのは、優しい妹が自分のせいで泣くことだ。
ねえ神様、妹は充分苦しんだ。もう一生分苦労して悩んでやっと幸せを掴んだんだ。だからどうか、僕のことで長く泣くことがありませんように。
これから彼と長い人生を歩み、花に似た子供が産まれて二人でせわしなくも幸せな生活を送り、その片隅でたまに僕のことを思い出してもらえればいい。
視界が赤から黒へ変わる頃、やがて自分の心臓の音も聞こえなくなった。
「……は……なッ」
妹の、花の笑顔を最後に思い浮かべ、享年三十二、零の記憶はここまでだ。
第一章 天使、買われる
零の意識が戻ると、そこは物が乱雑に積まれた狭い空間だった。
木箱や大きな布袋に囲まれ、床は木で、壁や屋根は布で覆うことによって作られている。
しかもごとごと揺れている。
零は目を開いて現状を理解しきれないまま呟いた。
「……生きて…………る?」
「起きたか。おー、生きてる生きてる。よかったなぁ? 親切な俺たちに拾われてよ」
「そぉそぉ、俺たちがいなかったら死んでたかもしれないぜ?」
すると独り言に思わぬ返事があり、振り返る。
前の方に男二人の座った後ろ姿が見えた。その先には馬が歩いている。
身を起こし、四つん這いで男たちに寄って行くと一人が振り返った。体格のいい男性でチノパンと襟やボタンのないシンプルな服を着ている。肌は褐色で顔は彫りが深く無精髭が顎に生えている、中東系の顔立ちだ。髪は短く刈ってある。彼は零を見ると目を細めて笑った。
その笑みに零は慌てて居ずまいを正した。
「あの、助けていただいたようでありがとうございます」
しかしとりあえず礼は言ったものの、今の状況を確認すればするほど零の頭は混乱していった。
まず、ここはどこなのか。
どう見ても病院ではないし、自分が乗っているのは何かの乗り物のようだが木で出来ているようだ。それに垣間見えた道は舗装されておらず揺れが激しい。これはもしや荷馬車というものだろうか。
そして何より自分自身がおかしい。
自分の声であることは分かるがなぜか幼く聞こえる。視界の端で揺れる髪色は黒であるはずなのに、今は明るい栗色に見える。
とは言え自分の容姿を確認しようにも、周囲には鏡はおろか窓もガラスもないため、確認のしようがない。零は呆然と両手を眺めた。手もわずかに小さくなっているようだ。
「あの……」
「あん?」
分からないものはしょうがない、と零はとりあえず何か知っているだろう男二人に声をかけた。先ほどの大柄な男が手を後ろについて振り返る。
どうやら馬の手綱はもう一人の男が持っているようだ。
「ここはどこなんでしょう? 今、病院に向かっているんでしょうか」
「なんだ、どっかケガでもしてんのか? ちょっとぐらいなら薬を使ってやってもいいが、大したことないなら我慢しろよ」
「いえ、どこも痛い所はないので大丈夫です。では、どこに向かっているんでしょうか?」
「この森を抜ければ見えてくる、ジェブランっつーなかなか大きな国だ。今はそこに向かってる」
「そう……ですか」
零は首を傾げた。
ジェブラン、聞いたことのない国名だし、彼らも日本人には見えない。よく見れば男はギャング映画のチンピラ役に出てきて弟分から『兄貴』とでも呼ばれていそうな風貌だ。
「兄貴」
本当に呼ばれていた。
「あんまり話しすぎないほうがよくないですか?」
手綱を引いていた男が大柄の男に話しかけ、ついで零を見る。
こちらも褐色の肌に彫りが深い中東系の顔立ちだが、『兄貴』とは違い髭はなく、やや細身だ。髪は焦げ茶色で短く、前髪は寝癖なのかはねている。そして服はやはりチノパンとシンプルなシャツだった。
「今から連れていく所を知ったら逃げるかもしんねぇし……」
「ばぁか、こんな上物そうそう簡単に逃がすかよ。白い肌に、上品でかわいい顔。髪と目が淡い茶色なのもいいな。こりゃいい値がつくぜ……」
そんな会話がこそこそとなされていることなどつゆ知らず、零は再び二人に話しかける。
「僕はどのような状況で助けていただいたんですか?」
「森の中で倒れてたんだ。素っ裸でな」
「服が周りに散らばってたが坊主のもんか? 大きさが合ってねえように見えたけどな」
そういえば、と零は改めて自分の体を見下ろした。下着は着ておらず、白のワイシャツを一枚着ているだけだ。このワイシャツは見覚えがあるから自分の物のようだが、肩幅が合っていないし袖が長くて手の甲まで隠れてしまう。体が縮んだのか、服が大きくなったのか。おそらく前者だろう。
それに裸で倒れていたと言うが服が破れたりボタンが取れたりした様子はない。いくら体が縮んだからといって下着まで脱げてしまうものだろうか。
「なんでこんなことに……」
ここは日本ではない、自分も知っている自分ではない、と呆然としていると、大柄の男が呆れたように笑いながら話しかけてきた。
「なんだ、記憶喪失ってやつか? まぁ、ありえねぇぐらい白い肌にかわいいお顔の子供があんな場所であんな格好でいたんだから、とんでもねぇことがあったんだろうがな」
零は目を瞬かせる。
確かに、とんでもないことが起こっているのは間違いない。しかも今、自分は子供と呼ばれる程幼くなっているらしい。少しずつであるが状況を理解して、零は呆然と呟いた。
「生き、還った……?」
というより転生したと言った方が正しいかもしれない。
だが、なぜこうなったのかは分からない。何か大きな衝撃を受けたことを最後に記憶が曖昧になっている。
なぜ自分は死んだのか、そして死ぬ前の自分は何をしていたのだったか、確か妹が自分と一緒にいたような気がするのだけど……と考えると、鈍く頭が痛んだ。零は慌てて頭を振り思考を止めた。
何やら分からないが、こうなってしまったからにはやらなければならないことがある。
「仕事、探さないと」
そう、働かなくてはお金がもらえない。お金がなければ生活はできない。この世界がどういった所か分からないが、そこは世界共通のはずだ。
本来ならもっと気にしなければならないことが山ほどあったはずだが、零の思考はそれを拒否していた。
様々な職場で多くの仕事をこなしていた零は、順応性がすこぶる高い。だからこそ出た言葉かもしれない。
「仕事なら心配いらないさ」
そんな零に、手綱を引く男が再び振り返る。
「仕事なら俺たちがしっかり紹介してやる。坊主にぴったりのやつを、な」
やや下卑た笑みを浮かべた男に、大柄の男も零を品定めするように眺めながら、ニヤニヤと笑う。
「本当ですか⁉」
そんな男たちの申し出に、零は目を輝かせた。
現状この世界のことは全く分からない、ゆえに仕事を探すのは難しいだろうと考えていた零にとって、男たちの言葉は救いだった。
「ありがとうございます! 僕、これといって特技はありませんが、どんな仕事でも精一杯頑張りますから、よろしくお願いします!」
思わず満面の笑みを浮かべて礼を言う。
すると男たちは目を見開き、二人して前を向いてしまった。
「……兄貴、俺ちょっと胸が痛くなってきたっす」
「黙れ! 俺だって耐えてンだ!」
こそこそと交わされる二人の会話は零には聞こえていない。
とりあえず仕事をもらえそうだと言うことに安堵した零は馬車の積み荷に寄りかかり、風景を楽しんでいた。今まで周りを見る余裕がなかったが、改めて見ると地面には美しい木々が生い茂り、空はよく晴れて風が心地よい。
これからどのような仕事が待っているのか分からないが、前世では中学を卒業して様々な仕事をしてきた。どの仕事もそれなりにこなすことが出来たし、人付き合いも悪い方ではなかった。今までの経験から、順応力はあるほうだと思っている。
ただ、どの職場に行っても、必ず言われたことがある。
――零くんって天然だよね、と。
零は上機嫌で馬車に揺られつづける。
そしてこの現状を、まるで物語の世界に迷い込んだようだとどこかワクワクしている自分がいることに気づいた。十代の頃に戻ってしまったように胸が躍る。
年甲斐もなく浮かれている自分に呆れるが、嫌な気分ではない。零はまた楽しげに笑った。
馬車が進んでいくうちに木々はなくなり、風景が砂地に変わった。
数時間後、零がうとうとし始めた頃に、話していた国――ジェブランの外壁が見え始めたと男たちが声をあげた。零が周囲を見回すと、男たちは門番らしき人物と話をしている。
門番に馬車の中を覗き込まれる。門番は中の零を見て一瞬眉を寄せたが、零が愛想よく微笑むと入国の許可がおりたようだった。
「ずいぶんな上物じゃないか」
馬車の中を覗いた門番が、何を見てそう言ったのか零には分からなかったが、なんの身分証明も出来ない自分が無事入国出来たことはありがたいと再び微笑みを返した。
零と積み荷を載せたまま、馬車は門を通り抜けて奥へ進んでいく。
馬車から覗く街並みは石畳で、たくさんの露店が並んでいた。
しかし日も暮れてきたからか、開いている店は少なく、代わりに酒場らしき店の窓から賑やかな笑い声が聞こえてくる。
そんな中を馬車は止まることなくどんどん奥へと進んだ。しだいに人通りは少なくなっていき、薄暗い路地裏でやっと馬車が止まった。
「坊主、ちょっと待ってろよ」
そう言い残し、大柄の男は馬車から降りていなくなり、残った細身の男が零に話しかける。
「まぁ、あれだ。お前ならきっと可愛がってもらえるだろうさ。金がありゃ俺たちが買いたいぐらいだが、悪く思うな」
前を向いたまま申し訳なさそうに話す男に、零は首を傾げる。
「お世話になっているのは僕のほうです。紹介していただくお仕事には全力で取り組むつもりですから、いつか必ずお礼をさせてくださいね」
なぜ男が申し訳なさそうにするのか分からず、明るい声で話すが、男はうなだれてしまい、返事をすることはなかった。
「おい降りろ。中に入るぞ」
やがて大柄の男が戻ってきて、零を馬車の外へと手招きをする。
馬車から出て男二人と並ぶと、自分の身長は二人の胸のあたりまでしかないことに気づいた。二人とも大きいのだな、と思い見上げると、細身の男から頭を撫でられる。
どうにも子供扱いだ。くすぐったく感じ、目を瞬かせる。
改めて見た馬車は大きな白い建物の横につけて止まっている。白い建物には小さな木の扉が一つあり、この建物の裏口のようなものだと分かった。
そこにはやや黄ばんだターバンを巻いた中年の男が立っていた。やはり褐色の肌で零よりずいぶん大きい。
馬車の男たちが大柄だと思っていたが、どうやら彼らはこの世界の平均的な身長と肌の色のようだ。ちんちくりんな自分を見て笑わないだろうかと急に恥ずかしくなるが、ターバンの男は零の頭から爪先までをじっくり眺めて目を細めた。
「ほほぉ、なかなかいいじゃないか。妙な服を着ているが……うん、悪くない。肌が白いのもいい。ちょうどいいから今日そのまま出そう」
妙な服とはワイシャツのことだろうか。確かに西洋風の服を着ている者は見かけない。
この世界に来てからまだ数人しか会っていないが、エキゾチックな服が多いようだ。
しかし、ワイシャツ一枚の姿は足が膝上から丸出しだし、手も指しか見えていない。こんな姿で人前に出るのは恥ずかしいが、ここの者がそのままでいいと言うのであれば致し方ない。
これだけ世話になっておいて、さらに新しい服を準備してもらうような図々しい真似は出来ないと零は思いつつ、せめてと袖をまくった。
「手錠は必要ない……この坊主は今から行く所を理解してないからうまく誘導してくれ……」
大柄の男が零に聞こえないよう小声でターバンの男に耳打ちすると、男は少し目を見開いたが、すぐに笑みを深めて零の手をとった。
「じゃあな坊主。うまくやれよ」
ターバンの男が零の手を引くと同時に大柄の男が背後から声をかける。
零は手を引かれたまま振り返り、出来る限り頭を下げた。
「お世話になりました。会ったばかりの僕に親切にしてくださってありがとうございます。いつか必ずお礼を……っ」
言い終わる前に、零は細身の男に抱きしめられていた。
「兄貴! やっぱりこいつ連れていきましょうよ! ちゃんと面倒みるからッ!」
「馬鹿野郎、犬猫じゃねぇんだぞ!」
大柄の男とターバンの男に引き剥がされ、涙を大量に流しながら見送る細身の男に手を振って、零はそのまま建物のドアをくぐった。
「元気でな!」
ドアが閉まり、姿が見えなくなってからも細身の男の声が聞こえて、見ず知らずの自分がここまで親切にしてもらったことに胸が熱くなる。それでもグッと涙はこらえて、零はどんどん薄暗くなる通路を慎重に歩いた。
たどり着いた部屋はさらに薄暗く、その先にも部屋が続いているのが見えた。そちらでは数人が長細い木椅子に座ってうつむいている。奥には所々に軽く武装をした見張りらしき者たちが立っていたが、零はそこへは通されず、最初に入った部屋の丸椅子に座るよう促された。
「ちょっとここで待っててくれるかな」
そう言い残し、ターバンの男は奥へと消えていったが、数分してすぐに若い男を連れて戻ってきた。
その男は今まで出会った二人やターバンの男とは違い、やや長い黒髪をオールバックにして、あご髭は短く整えられ清潔感のある男だった。真っ赤で派手な服を着ていて、まるできらびやかなショーをする手品師のようだと零は思う。
「へえ、男って言うからどんなのかと思えば……いいじゃないですか! ぜひこの子を最後にしましょう」
若い男は零を見て、よく通る声で嬉しそうに早口で話す。
よく分からないが、男たちは仕事先を紹介すると言っていたから、ここで面接をしてもらえるのだろう。
「えっと……よろしくお願いします」
頭を下げるとパッと若い男の表情が華やぐ。
「キミ、声もいいね! でもにっこり笑ってるだけで大丈夫だからね。僕が最高のショーにしてみせるから!」
両肩を掴まれてやはり早口でまくし立てられる。男の勢いに圧倒されるが、なんとか零は愛想笑いを返した。
それからずいぶん待たされた。
あまりに長いので零はトイレに行かせてもらおうと手を挙げた。ターバンの男が丁寧に案内をしてくれる。途中衣装の積まれた部屋を通りすぎる時に、壁に立て掛けられた大きな鏡が目に入った。
そこに映る人物は確かに自分のようだが、見慣れた三十二歳の姿ではなかった。
「これが、僕?」
歳は十八か十九頃だろうか、短く整えられた髪は栗色で、瞳も同じ色をしている。
顔はこの世界の人間のように彫りは深くなく、アジア寄りの顔だった。と言うより、若い時の自分だ。
二十歳を過ぎても少し背が伸びたから、それより前の自分に若返って、髪と瞳の色素が薄くなっただけと考えていいのだろうかと、まじまじと鏡を見ているとターバンの男から笑われた。
「そんなに確認しなくてもしっかり可愛いさ。もうすぐ出番だから早いとこ済ませて戻ってきな」
あまりに鏡を見すぎてナルシストと思われただろうか、と零は恥ずかしくなりながら急いでトイレを済ませた。
しかしあまりにも周りが子供扱いをしてくるからもっと若返ったのかと思っていたが、予想よりは見た目の年齢は上だったなと零は首をひねる。
だが周りの中東系の人たちとは頭一つ、いや頭二つ分は身長が違う。そうなればアジア系の顔立ちにちんちくりんな身長の自分は子供に見えても仕方がないのだろう。
そう納得して零が元の部屋に戻ると、そのままターバンの男に奥の部屋まで通された。
来た時には数人が長椅子に座っていたが、今は見張りらしき男たち以外誰もいない。
入って分かったが、部屋には長椅子が等間隔に並んでいて、これだけ人が座っていたと考えれば待たされるのも納得する。
奥へ進むとだんだんと賑やかな声が聞こえてきた。
ターバンの男が手にした鍵で最奥のドアを開く。
すると胸の谷間と足を大胆に出した扇情的な服を着た若い綺麗な女性が零を出迎えた。
ターバンの男は女性に一礼すると、元来た道を帰っていく。
零より頭一つ分高い美女は身をかがめると微笑んだ。
「ちょっとうるさいから、この耳栓をしておいてね」
ワインのコルクを小さくしたような耳栓を渡され、零は首を傾げる。
「周りの声は聞こえなくていいのでしょうか? 質問などはされませんか?」
「大丈夫よ。司会の者が話を進めてくれるから。アナタはにっこり笑ってたらいいの」
そう言われ、さらに奥へ促される。
質問がないと聞いて少しほっとし、零は歩きながら耳栓をつける。
カーテンで仕切られた場所で止まる。何も聞こえないのは不安だったが、美女が隣で零の肩に手を置いてくれていた。
今から行われるであろう面接に、零は自分の心臓の音だけが大きくなっていくのを感じる。
どうにかしてこの世界で生きるためにお金を稼げる仕事を手に入れなければ。
だが、零は知らない。カーテンの外では大勢の客が待ち受けていることも、正門の外にポップな文字で書かれている宣伝文も。
『ようこそヒューマンショップへ! 今宵は性奴隷の日 貴方好みの性奴隷がきっと見つかる!』
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