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39.嫌ではない
しおりを挟むカーテンの隙間から差し込む光は橙色で、そろそろ日が沈むのだと知らせる。
他生徒の声も届かない二人だけの空間で、トクリトクリと、二人だけの鼓動が二人だけに届いた。
「逃げて悪かった」
プラドは続ける。きっとソラには、自分の考えをすべて伝えなければ、後で自分が後悔する。
分かるはず、理解していて当たり前、そんな考えはダメなんだ。
それはまたソラを混乱させ、悲しませるから。
「お前から逃げたのは、お前が嫌いになったからじゃない。お前が好きだから、だから逃げた」
だから、プライドも何も捨てなければならない。かっこ悪い所も情けない所も、全部教えてあげないといけないんだ。
「好きなヤツに情けない姿を見られたくなかったんだ」
もう嫌というほどかっこ悪い姿は見せた。さすがのソラも呆れるかもしれない。
けれど、それほどまでにお前を想っているのだと、ほんの少しでも伝わってほしい。
強く抱きしめていたソラの腕に、力が入った。
そっと体を離せば、まっすぐ自分を見つめる空色の瞳と目が合った。淡桃色の唇が動き、プラドはコクリと息を呑みこたえを待つ。
「つまり……プラドは私を愛しているのか?」
「……あい……、うん、そう、思った以上に伝わって良かった……」
ソラのあまりにもストレートな物言いに詰めていた息を更に詰まらせ、なんだか良くわからない返事をしてしまう。
動揺するプラドを置いて、ふんふんそうか、と一人冷静に納得しているソラに、ほんの少し、ほんのすこーしだけ腹がたった。
「……つうかなぁ、お前があまりにも思わせ振りな態度を取ったのも原因なんだからな! あんなの誤解して当然だろ!」
「なるほど。では、私もプラドを愛していると思い込み無断でキスをしたが、私にはその気がないと気づきショックで成績が落ち、その姿を見られたくなくて逃げたと」
「ぐぅ……っ」
「合っているかプラド?」
「あっ、合ってるよちくしょうっ! お前はもっとデリカシーを身につけろ……っ!!」
プライドを捨てる、とは決めたが、ここまでかなぐり捨てなければならないのか。
だんだん自暴自棄になってきたプラドは更に叫ぶ。
「それで! お前の返事はっ!」
ソラにどう思われているのか怖かった。けれどあけすけ過ぎるソラに、恐れているのも馬鹿馬鹿しくなった。
だから腹をくくって真意を問う。やけくそとも言う。
「……キスが愛する者にする行為だとは理解していたつもりだ」
「は? じゃあ何で……」
「プラドが私を愛していると考えるのが難しかった」
けれど返ってきたのは、今していた会話と少しズレた内容。
まぁソラだから仕方ないと会話を続ければ、ソラはまた難しい顔をして考えだしてしまう。
「それに……なぜ好きだからとキスをするのだろう?」
「なぜって……」
「キスと好きに何の因果関係があるのか……考えれば考えるほど分からなくなった」
「……」
プラドの腕のなかで、口に手を当て難しい顔で唸るソラ。
なるほど、とプラドは小さくため息を吐く。
ソラはソラなりに考えたのだろう。キスの意味、プラドの気持ち、避けられた理由、そして、自分の思いまで。
しかし、考えて考えて、たぶん、考えすぎたのだ。
「頭が良すぎるのも考えものだな……」
呆れたように眉を上げながらも、つい手はソラの頭を撫でてしまう。
仕方のないヤツだとため息をついて、けれど愛おしくて仕方なかった。
天才と呼ばれる完璧人間。けれど話してみれば何てことない。己の欠けた部分に悩んで、何とかしようと懸命にもがく同じ人間じゃないか。
悩んで苦しんだのは、彼も同じなのだ。
「──……じゃあ聞くが。俺にキスをされた時、メルランダはどう思った」
「プラドとキスをした時は、私はあれをキスだと理解していなかった」
「分かってるよ。魔力譲渡だと思ったんだろ」
「ふむ……」
だからほんの少し助け舟を出したつもりだった。
キスの本質を考える事に凝り固まってしまったソラ。
だから別の方向からの考えを教えてやろうとしたが、やはり考え込んでしまう。
そんな姿にやれやれと思うも、呆れより湧き上がるのは愛しさと優越感。
この天才は俺が居なければダメなのだと、プライドを刺激する優越感はプラドを調子づける。
「……じゃあ、俺ともう一度キスしてみれば分かるんじゃないか?」
「……」
「……っ!?」
だからちょっといたずら心が湧いて出て、ソラの顎に手をかけ覗き込み、一歩踏み込んだ質問をくり出す。
だが、ソラの動揺する姿を想像したのに、簡単に返り討ちにあってしまう。
ソラからキスをされたのだ。
「……嫌ではないようだ」
「おまっ……、お前なぁ……っ!」
一瞬の出来事だったが、唇に触れた柔らかさはプラドの優越感をふくんだ余裕を奪うのは十分すぎた。
「あーもぉ……! それじゃあもう一つ聞くがっ、他のヤツに同じ方法で魔力譲渡をされたら、お前は受けるのかよ!」
「ふむ……体験した事が無いから誰かに依頼して実──」
「──するなっ! いいか! するなよっ!? 絶対にするなよっ!!?」
そしてまた話がプラドにとってとんでもなく物騒な方向に進みかけ、無我夢中で止める。
ソラなら本気でやりかねない。
何を焦っているのだろう、と不思議そうに見上げるソラに頭を抱え、プラドは深呼吸をして気持ちを切り替える。
ソラ相手に余裕ぶってはダメだと反省し、まっすぐ見つめてくる瞳をまっすぐ見つめ返した。
「……これが最後の質問だ」
「うむ」
空色の瞳に己が映っているのを見ながら、コクンとつばを飲んで最後の問いかけをした。
「メルランダは……俺と恋人同士になるのは嫌か?」
「恋人……?」
僅かに目を見開くソラ。けれどそらす事なく射抜くから、プラドは無意識に息を止めた。
未だにソラの腰に回していた手を今更ながら意識する。友人にしては近すぎる距離。けれどもしこの距離が当たり前になれたなら──
「──……嫌ではない」
「……っ」
──当たり前に、なれたかもしれない。
大きく息を吸って、体中が熱くなる。歯を食いしばったのは、大声で叫んで世界中を飛び回りたくなったから。
えも言われぬ感情が破裂しそうで、言葉をつまらせるプラド。なのにソラはプラドのどうにかなりそうな心情も知らず、困った表情で「けれど……」と続ける。
「けれど……プラドが私を愛しているように、私も同じようにプラドを愛しているのか、分からない」
それでも良いのだろうか、と言いたげにプラドの服を掴んだソラを……
「今はそれで良い……っ!」
と、伝えて抱きしめた。
スルリと出た言葉は、本心だ。
胸の中でまだ少し戸惑い固まる体が愛おしかったから。
きっとソラは憎からず自分を思っている。これは今度こそ、自惚れなんかじゃないはずだ。
恋を知らずに戸惑って、それでも真剣に向き合おうとするかわいい人。
そんな愛しい思いを教えるのは、自分であり続けたい。そうだ、自分でなくてはならない。他になんか譲れるわけがない。
それには、ソラの隣に立ち続ける必要がある。
天才の隣に立ち続けるには、必死の努力をし続けなければならないだろう。
上等だと不敵に笑う。
己のライバルで、なんとしても掴み取りたい、特別な人。
隣に並ぶだけではなく、いつか超えてみせるから。
そしていつかお前の口から、愛してると言わせてみせるから。
「……キス、していいか?」
「……ふむ」
それはとても大変で、がむしゃらに足掻く毎日で、そしてとても、楽しそうだと思った。
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