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37.聞いて
しおりを挟む穴に落ちたと思ったが、プラドが最終的にボトリと落ちたのは広い部屋の床だった。おそらく多目的に使われる教室の一つだろう。許可を取れば誰でも利用可能の場所だ。
そしてプラドの体の下には魔法陣が見え、落ちたのは落とし穴ではなく仕掛けられた魔法陣だと理解する。
「くっそ……っ、誰がこんなお前かぁぁああっ!!」
いったい誰がこんなふざけた事を、とこめかみに血管を浮き上がらせながら顔を上げれば、這いつくばるプラドをしゃがみ込んで見つめるソラと目が合い思わず叫ぶ。
ソラに会いたいと思っていたが、あまりにも予想外の展開にプラドの思考がついていけなかった。
「お前なぁっ! いったい何のつもりぐぉ……っ!」
とりあえず文句の一言でも言わなければ気がおさまらない。
なのに起き上がろうとしたら突然ソラからタックルされて、文句はくぐもった悲鳴に消えた。
ソラの行動は、プラドには予測不能すぎた。
ただ、こんな事をされてはたまったもんじゃない。
タックルされた胸は少々、いやだいぶ痛いが、それよりソラが自分の胸に飛び込んできた事実が衝撃だった。
好きな子が、最近自覚したばかりの好意を持った人物が、胸に飛び込んで抱きついてきた。
何のご褒美、いや、何の罠だ。
絶対にろくな事じゃないと思っても、体は正直でつい抱きしめ返そうとする。
だがここで、プラドは異常に気づいた。
「へ? は? な、何だこれ……!」
体が動かない。驚きで固まっていたと思った体が、両手を広げたまま本当に固まっている。辛うじて顔は動くが、首から下が強い力に押さえつけられているように動かないのだ。
「お、おい! 何だよこれは!」
「すまないプラド」
床に座り込んだまま、妙な格好で固まってしまった体。謝る所を見れば、やはりソラの仕業なのだろう。
ソラはプラドの胸に頭をぎゅうぎゅう押し付けたままくぐもった声で話す。
「逃げられたくないから、拘束させてもらった」
「は、はぁ? お前──」
「──聞いてほしいんだ。私の話を……」
「聞くって……何を」
突然拘束魔術を使われて怒れば良いのか驚けば良いのか、ドギマギする胸は感情を整理できずに忙しない。
ただ、動かないくせに諦め悪くソラを抱きしめようとする腕があった。
「相手の気持ちを知ろうとする前に、まず相手に自分の気持ちを伝えた方が良い──……とマリアさんが言っていたらしい」
「……誰だ」
「パン屋のマリアさんだ」
「だから誰だよ!」
しかしプラドの胸の高鳴りなどソラに伝わるはずもない。
相変わらず行動も発言も予想を超えるソラに、そうだコイツはこんなヤツだったと冷静を取り戻したプラドは、素朴な疑問をソラにぶつける。
「……なぁ、拘束魔術は遠距離でも操作できるだろ」
「ふむ」
「じゃあ何でまだ引っ付いてんだ」
「……──キミの目を見たら私が逃げたくなるかもしれないから、こうしている」
「……は?」
ソラらしくない、弱気な発言。
強制的に魔法陣に落として召喚されたとたんタックルをかましたくせに、やっている事と態度がちぐはぐだ。
しかし、きっとソラの本心なのだろう。彼は嘘をつけるほど器用じゃないのだから。
「私の話を聞いてくれるか?」
「……あぁ。そのかわり、それが終わったら俺の話も聞いてくれ」
「承知した」
プラドの言葉にうなずき、僅かに安堵したように力を緩め、ソラは話を続けた。
「キミと王都を周った日はとても楽しかった」
「……ふーん」
「プラドの異変を治す為なのに、目的を忘れそうになるほど充実した日だった」
「……」
プラドにとって、楽しくもあり、辛くもある思い出。ソラがなぜ今そんな話をするのか分からない。けれど聞くと言ったからには、今は黙って聞くべきなのだろう。
口をはさみそうになるのをぐっとこらえ、プラドはソラの話に耳をかたむけた。
窓から西日が差し込む中、ソラは語る。
プラドから手を引かれて歩く王都は、宝物を見つける冒険のようだったと。
家でも食堂でもない場所で食べる体験は新鮮で、誕生日でもないのに甘いクリームを食べたのは初めてだと。
それでもプラドが選んだ食事はどれも美味しくて、己の食事の概念を変えたのだと。
「……」
ソラの声に、プラドもカフェでの記憶が蘇る。注文の仕方すら知らなくて、とんちんかんな事ばかり言っていたソラ。
食事に甘いクリームなんて……と言いながらも夢中で食べて、いつもよりずいぶん幼い顔を見せた。
ソラの話は続く。ソラの声は穏やかに、けれどどこか熱を持って、プラドに語りかける。
自慢の魔術書を見せた時も、大切な本の価値を分かり合ってくれて嬉しかった。
あんなに楽しい会話をしたのは初めてだったと。
「何もかも初めてだった。魔術の研究以外であんなに時が早く感じるのも、初めてだ」
市場では人の多さに圧倒されたが、プラドが手を引き迷わず進むから、人混みすら楽しくなった。
プラドから手を引かれれば、自分はどこにでも行ける気がした。
魔力検査の為なのに、いつしか握られるプラドの手に安心感を覚えたのだ、と。
「たいくつだろうか? こんな話」
「……いいや」
楽しそうに語っていたソラが、わずかに不安そうにプラドに尋ねる。
プラドは静かに否定をして、天井を仰ぎ見た。目頭がどうにも、熱くなってきたからだ。
自分だけではなかった。浮かれて、はしゃいで、思いもよらず楽しんだのは、ソラも同じだった。
特別な思い出なのは、自分だけではなかったのだ。
相変わらず腕は中途半端に浮いている。
今はそれで良かったと思った。きっと魔術を解いたなら、ソラの声を飲み込むほどに、強く強く、抱きしめていただろうから。
けれど今は、ソラの声が聞きたかった。
もっと聞きたい。聞かせてほしい、お前の話を──。
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