この世界で姫と呼ばれている事を俺はまだ知らない

キトー

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4.姫と呼ばれた彼のこと

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 僕、夢野アリスは、彼に出会った時の衝撃をきっと一生忘れないだろう。

 どんな人と出会い、どんな友人ができ、どんな青春が待っているのかと新生活に胸を踊らせながら割り振られたクラスへと向かった。
 自由席なのを良いことに中央の席を陣取った。
 クラスメートと触れ合える機会が一番多く、そして意外にも教師から目に付きにくい場所なのだ。

 さて、まずは誰に声をかけようか。
 スタートダッシュは肝心で、グループが出来てしまうとそこに入るのは難しい。
 そう思いながら声をかける機会を伺っていたら、背の高いクラスメートが近づいてきた。
 どうやら隣に座ろうとしているみたいで、目が合うと人懐っこい笑顔を向けてきた。
 これは友人第一号になりそうな予感がする。
 僕も笑顔を返し、友人予定のクラスメートが座るのを待っていたが、突然教室内の空気が変わった。

 静かな空気が、さざ波のように広がったように感じたのだ。
 僕に笑顔を向けていたクラスメートも、どこか間抜けな顔をして一点を見つめている。
 いったい何が……と僕もその視線を追って振り返って、おそらく僕も間抜けな顔になった。

 美しい。
 その一言。

 ただただ美しい人が、そこに居たのだ。
 艷やかな漆黒の髪に整った中性的な顔。そして黒曜石よりも深く輝く瞳には、この世界はどのように写っているのだろう。
 一生見つめていたかったが、ふと視線が合った気がして無意識に顔を反らしてしまった。
 あまりにも次元が違いすぎて、その瞳に映すことさえおこがましく思えてしまうのだ。
 直視が出来ないまま、視線の隅で彼の存在を意識していた。
 彼は教室内を移動すると、窓際の席に腰掛けた。

 そっと、横目で覗き見る。
 背筋をピンと伸ばし外の風景を眺めているだけなのに、まるで神聖な宗教画を見ているようだ。
 そこだけ神秘的な空間のように思えて、近づくことすらはばかられる。
「きれいだ」「美しい」「可愛い」
 と何処からか声を潜めた賛美の言葉が飛び交うが、誰も彼に近づこうとはしない。

 だがしかし
 だがしかしっ!!
 ここで行かなければ一生後悔する!

 彼と同じ空気を吸いたい。言葉を交わしたい。その漆黒の瞳に自分を映してほしい。
 もし彼と友人になれたなら、この学園生活に悔いはないだろう。
 未だぼーっと突っ立っているクラスメートを残し、僕は席を立った。
 僕が彼に近づこうとしているのに気づいた生徒の一部が僕に冷たい視線を送ってくるが、話しかける度胸もない奴らにどう思われようがかまわない。

「あの……」

 好印象を持ってもらいたくて明るく話しかけるはずだったのに、緊張から思った以上に声が出なくておまけに上ずってしまう。
 僕に振り返った彼の瞳に僕が映って心臓が飛び跳ね、今までに感じたことの無いほどの喜びが僕を包む。

「えっと……僕は夢野アリス。よろしく」

「……」

 有頂天になった頭でなんとか自己紹介をしたが、彼はジッと僕を見つめるだけで返事がない。
 やはり迷惑だっただろうか。
 不安と後悔で泣きそうになっていたら、彼はハッとしたように言葉を発した。

「……あっ、ごめん。よろしく」

 澄んだ声が空気を浄化する。
 いや、ただの比喩だけど、本当にそう感じたんだ。
 返事がもらえた事が嬉しくて嬉しくて、そのままの勢いで隣に座った。
 彼はちょっと驚いていたけれど、何でと尋ねられる前にこちらから質問を飛ばした。
 彼は戸惑いながらも、僕からの言葉にうなずいたり首を振ったりして応えてくれた。

 遠目からも綺麗だと思ったけど、近くで見ると美の化身のように輝いて見える。
 何故か僕は周りから可愛いだの美人だの言われる事があったが、そんな目の腐った連中に言いたい。
 その言葉は彼の為にあるのだと。
 どうやら彼は人と話すのが苦手なようなので、あまり話しすぎないように気をつける。
 ここでしつこくして嫌われたら、これからの学園生活は沼色決定だろう。
 それでもしつこくなってないかなと顔色をうかがっていたら、彼が微笑んだ。
 まるで聖母のように。

「~~っ!!?」

 心臓が高鳴りすぎて止まるかと思った。
 とても直視出来なくて顔をそらした。
 綺麗で、可愛くて、そしてなにより美しくて、もし彼に触れる事が出来るなら僕は……
 なんて考えている自分に気づいてハッとした。
 同性相手に何を考えているんだ。
 下手な冗談なのかなんなのか、何度かそんな言葉を言われた事がある。
 冗談にしても笑えなくて不快感しかなかった。
 自分だって嫌だったのに、そんな感情を彼に持つわけにはいかない。
 僕はゲイじゃないんだから。
 気を取り直して彼に再び向き合えば、彼は不思議そうな顔でコテンと首を傾げた。
 心臓の次は息が止まるかと思った。
 だけど僕はゲイじゃ……自信なくなってきたな。
 なんて事をやってたら担任教師が来て彼との時間は終わってしまった。
 まぁ後でまた話せば良いかと思っていたが、担任教師の話が終わった途端クラスメート達に捕まった。
 矢継ぎ早に彼の事を聞かれるが、何も教えてやるつもりは無い。

 入学式の後もしつこく話しかけてきて、と言うより彼との接触を妨害する目的で話しかけている連中も居るようで、腹が立ったので早々に切り上げる。
 しかし彼はすでに教室を出て行って居なかった。
 お前ら恨むからな。

 寮に帰ったのであれば流石にそこまで追えないから、彼が教室に戻ってくる可能性に賭けて教室でダラダラしていた。
 そこで猫野チェシーと言う生徒と仲良くなった。
 初めに僕に話しかけてくれようとした人物だ。
 僕の名前も変わってるが猫野の名前もたいがいだな。
 そんな親近感を覚えながら猫野と彼の美しさを絶賛していたら、興奮した様子の生徒が教室に駆け込んで来る。

「あの人と同じ部屋だったっ!!」

「は? あの人って……?」

「だからあの人だよっ!!」

「……だから誰だよ?」

 同じ中学校だったらしい友人に興奮しながら話しかける声に聞き耳を立てた。
 まさか……

「あのお姫様だよっ!!」

「「「はぁっ!?」」」

 素っ頓狂な声を上げたのは僕も含めて数人。
 俗称だったが、彼の事で間違いないだろう。
 思いがけず様々な方向から返事が返って来て驚いている生徒に、数人が押し寄せる。
 しまったと言う顔をしてももう遅く「どういう事だ」「ふざけんなよ」「部屋変われ」ともみくちゃにされていた。

「……どうやって退学にさせようか……」

「手伝うぜ夢野」

「いや冗談だけど」

「いや半分は本気だったっしょ」

 冗談はさておき、本当にこれはまずいのでは無いだろうか。
 姫と呼ばれた彼が相部屋なんて危険すぎる。
 ここはやはりあの男をどうにか退学させて代わりに僕が彼との相部屋を……いや別にやましい気持ちなんて無いよ?
 友人として普通に心配しているだけである。
 なんてしている間に他の生徒が駆け込んできた。
 何でも、彼が一人部屋に移ったらしい。
 情報早いな。

 僕も含めたクラスメート達は落胆しながらも安堵し、彼とルームメートになるはずだった生徒はもみくちゃにされた上の悲報に心が折れて床に沈んでいた。
 まぁ学園側としても、彼ほどの人物を無視はできないだろう。
 不祥事が起きてからでは遅いのだ。早めに対策を取ったのだと思う。
 少し残念ではあるが正しい判断だと一旦教室は落ち着く。
 どうやら彼はもう教室に戻ってくる気配は無さそうなので、僕も寮へと帰ることにした。
 彼は明日、何時に起きるのだろう。
 朝食はどこで摂るのかな。
 また隣に座っても良いだろうか。
 新しい学園生活は予想以上に心躍る日々になりそうだ。
 きっと彼が居れば、毎日が特別な日になるだろう。
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