上 下
20 / 22

20.月が綺麗ですね

しおりを挟む
 
 夏は公園に居た。
 ベンチに座り、星のない夜空をぼーっと眺めている。
 池を囲むような広い公園は、たまにジョギングをする人が通るだけで人気が無い。
 そんな中、ベンチに身を任せて空を仰ぎ見る夏は後悔だけが渦巻いていた。

 秋が好きだった。憧れから恋心に変わり、その後も想いは募るばかりだった。
 どうしても欲しくて、誰にも譲りたくなくて、彼が手に入るなら何でもするのにと何度思った事だろう。
 そんな時に秋が記憶喪失になった。夏の事も覚えておらず、どんな関係だったのかと問われた。

『俺と秋さんは恋人同士なんです』

 咄嗟に出た願望。まだ冗談だと笑って引き返す事も出来たのだ。
 だが、夏はしなかった。秋を騙そうとしている罪悪感と、秋が手に入るかもしれないという期待が夏の中で葛藤し、そして──この機会を逃したらもう二度とチャンスはないのでは? という結論に至ってしまったのだ。
 欲しかった。どうしても秋が欲しかった。誰よりも何よりも尊敬し、恋い慕う秋を手に入れたかった。

『何言ってんだお前?』

 戸惑う秋の顔を今でも覚えている。
 だが、秋は手を取ってくれた。戸惑いながらも自分の隣を歩いてくれた。
 時折、戸惑いが顔に出ていたが、それでも信用して身を委ねてくれたのだ。
 だが、全てが偽りだったと分かった今、秋はどう思っているだろうか。

「……っ、ごめんなさい秋さん……」

 真情を吐露した時の秋は、言葉を失っていたように見えた。
 目を見開いて、信じられない物を見る様だった。
 騙したのは自分だ。記憶喪失に付け込んで己の思いを無理やり押し付けた。
 幻滅されて、当然なのだ。
 それでも幸せだった。誰よりも大切な秋と恋人同士になれたのだ。たとえ偽りでも、隣で笑ってくれる秋が居た。後悔ばかりが胸を締め付けるが、自分は確かに幸せだった。
 もう、元には戻れないとしても自分はきっとこれからも……

「……好きです……秋さん……」

「うん、すっげー知ってる」

「っ!?」

 独り言として漏らした胸の内だった筈なのに、思わぬ返事に飛び上がる。
 夏が立ち上がったまま振り返ると、困ったような笑いを浮かべた秋がそこに居た。

「あ、あの……秋さん……俺は……」

「ここ座るぞ?」

「あ、はいどうぞ……」

「あと上着! もう夜は寒いんだから持って出ろよ」

「あの……はい、ありがとうございます……」

 ベンチに座った秋は、上着を受け取っても立ったままの夏を隣に促す。
 ふらふらと誘われて座った夏は、それでも唖然と秋を眺めたままだ。
 だが、心のすみで喜んでいる自分に気づく。
 秋が隣に来てくれた。自分を心配して、いつもの様に笑ってくれている。
 図々しくも、また元の関係に戻れるんじゃないかと期待してしまう。
 しかし、秋の予想外の言葉に夏はそれどころではなくなった。

「あー……とりあえず悪かったな、夏」

「なっ! 何で秋さんが謝るんですか! 悪いのは騙した俺です!!」

 悪いのは完全に自分なのに、なぜ秋が謝るのか。
 こんな所に呑気に座っている場合じゃない。今すぐ土下座してでも謝り尽くさなくては……。
 自分の不甲斐なさに苛立ちながらも立ち上がろうとした時だ。

「いやさ、実は俺も夏を騙してたんだよ」

「……えっ?」

「記憶喪失なんて嘘なんだ」

「……」

「……」

「…………え……?」

 予想外にも予想外の吐露に、夏は完全にフリーズしてしまう。そんな夏にかまわず秋は言った。

「ごめんなー」

 へらりと笑う秋を眺めながら、今日も秋さんは最高に素敵だなーっと現実逃避をしている夏が居た。

「いやー、冗談のつもりだったんだよ。ちょっと夏をからかってやろう、みたいなさ」

「は……はぁ」

「そしたら夏が完全に信じちゃってさ」

「はい……」

「俺と夏は恋人同士だとか言い出すもんだからびっくりした」

「すみませんでしたぁっっ!!!!」

 夏は今度こそ土下座し、広い公園で夏の謝罪が響く。
 犬の散歩をしていたおばさんが驚いた顔を向けた後、見てはいけない物を見たようにそそくさと去って行く。
 秋の足元で、夏は芝生に頭を擦り付ける。
 そんな夏の肩を叩き、顔を上げさせた秋はまた隣へと促した。

「さみーんだから地面に座るなよ」

「いえ! それでは俺の気が済みません!」

「俺が見てて寒いっての。早くこっち座れ」

 秋は夏の腕を引っ張りそのままベンチに座らせる。
 それでもなお頭を下げようとするので、秋は「しつこい」と頭を叩いた。

「俺が最初に嘘ついたのも悪かったんだ。お互い様だろ」

「しかし……秋さんの嘘と俺の嘘では重さが違いすぎます……」

「でも俺もけっこう楽しかったしさ」

「…………楽しかった……?」

 秋が謝る理由にまだ納得がいかないと憤慨する夏だったが、その言葉を聞いて呆けた顔する。
 そんな夏を見て、秋は少しだけ恥ずかしそうにして頭をかいた。
 そして照れ隠しのように笑って言う。

「お前との恋人生活、けっこう楽しかったよ」

「ほ、ホントですか……!?」

 楽しかった。秋の思ってもみなかった好意的な言葉に夏は驚きと同時に歓喜する。
 しかし、それは本当に言葉通りに受けとって喜んで良いものなのか。
 秋の事だ。自分を励ます為の方便の可能性だってある。
 だけどもし、もし本心から言っているのだとしたら……

「まぁ二人共悪かったって事でさ……だからもし夏が良いなら──」

「……」

 夏の期待が否応なしに膨らむ。
 都合の良い解釈かもしれないが、秋も自分との恋人関係にまんざらでもなかったのではないのか。
 だとしたら、また戻れる? 元の関係、いや、恋人としての関係に……
 しかし、期待に膨らんだ胸は、続けられた秋の言葉に見事にしぼんだ。

「──無かった事にしよう」

「……無かった事……?」

「そ、もう一回やり直すって言うか……今まで全部嘘だった訳だし、全部無しにしてやり直した方が良いだろ」

「そ……そうですね……」

 無かった事。今までの偽りの関係を全て無かった事にする。
 恋人同士だった関係も、それも、無かった事に。

「……っ」

 十分じゃないか。また友人関係に戻れるのだ。もう失うかもしれないと思っていたのにまだそばにいる事を許されたのだ。
 喜ぶべきだ。何を贅沢になっているんだ。
 恋人には戻れなくてもまだ完全に関係が途切れた訳じゃ無い。もうおはようのキスで目覚める事も胸を張って恋人だと周りに宣言する事も無くなるが、それでも俺は……

「そう……ですね……っ………!」

 何とか自分の気持ちに納得させようとするのだが、やるせない気持ちが膨らんでしまう。
 どんよりと曇った夜空をそのまま具現化したような夏は、愛想笑いすら浮かべられずにうなだれた。
 そんな夏の隣で、月のない空を見上げながら秋がポツリと呟く。

「……月が綺麗だな……」

「え……?」

 聞き覚えのあるセリフにうなだれていた顔を上げると、秋がこちらを見ている事に気づく。
 月なんて出ていないのに、どこか楽しそうな、期待するような顔だ。

「……この後の続き、言ってくんねぇの?」

 秋の言葉に一瞬呆けた表情を浮かべた夏だったが、すぐにその意味を理解して顔を赤くする。
 そして気がつけば、秋の前にひざまついていた。

「……っ! 結婚してくださいッ!!」

「思ってたのと違うな」

 両手を握られた秋は呆れながらも、わずかに頬を染めて楽しそうに笑った。
 ジョギングをしていたおじさんが微笑ましそうに二人を見ながら通り過ぎる。
 夜景の見えるレストランでは無かったが、曇った夜空がほんの少しだけ月をのぞかせた。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

告白ゲーム

茉莉花 香乃
BL
自転車にまたがり校門を抜け帰路に着く。最初の交差点で止まった時、教室の自分の机にぶら下がる空の弁当箱のイメージが頭に浮かぶ。「やばい。明日、弁当作ってもらえない」自転車を反転して、もう一度教室をめざす。教室の中には五人の男子がいた。入り辛い。扉の前で中を窺っていると、何やら悪巧みをしているのを聞いてしまった 他サイトにも公開しています

好きな人が「ふつーに可愛い子がタイプ」と言っていたので、女装して迫ったら思いのほか愛されてしまった

碓氷唯
BL
白月陽葵(しろつきひなた)は、オタクとからかわれ中学高校といじめられていたが、高校の頃に具合が悪かった自分を介抱してくれた壱城悠星(いちしろゆうせい)に片想いしていた。 壱城は高校では一番の不良で白月にとっては一番近づきがたかったタイプだが、今まで関わってきた人間の中で一番優しく綺麗な心を持っていることがわかり、恋をしてからは壱城のことばかり考えてしまう。 白月はそんな壱城の好きなタイプを高校の卒業前に盗み聞きする。 壱城の好きなタイプは「ふつーに可愛い子」で、白月は「ふつーに可愛い子」になるために、自分の小柄で女顔な容姿を生かして、女装し壱城をナンパする。 男の白月には怒ってばかりだった壱城だが、女性としての白月には優しく対応してくれることに、喜びを感じ始める。 だが、女という『偽物』の自分を愛してくる壱城に、だんだん白月は辛くなっていき……。 ノンケ(?)攻め×女装健気受け。 三万文字程度で終わる短編です。

逃げるが勝ち

うりぼう
BL
美形強面×眼鏡地味 ひょんなことがきっかけで知り合った二人。 全力で追いかける強面春日と全力で逃げる地味眼鏡秋吉の攻防。

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

捕まえたつもりが逆に捕まっていたらしい

ひづき
BL
話題の伯爵令息ルーベンスがダンスを申し込んだ相手は給仕役の使用人(男)でした。

ある日、木から落ちたらしい。どういう状況だったのだろうか。

水鳴諒
BL
 目を覚ますとズキリと頭部が痛んだ俺は、自分が記憶喪失だと気づいた。そして風紀委員長に面倒を見てもらうことになった。(風紀委員長攻めです)

君は俺の光

もものみ
BL
【オメガバースの創作BL小説です】 ヤンデレです。 受けが不憫です。 虐待、いじめ等の描写を含むので苦手な方はお気をつけください。  もともと実家で虐待まがいの扱いを受けておりそれによって暗い性格になった優月(ゆづき)はさらに学校ではいじめにあっていた。  ある日、そんなΩの優月を優秀でお金もあってイケメンのαでモテていた陽仁(はると)が学生時代にいじめから救い出し、さらに告白をしてくる。そして陽仁と仲良くなってから優月はいじめられなくなり、最終的には付き合うことにまでなってしまう。  結局関係はずるずる続き二人は同棲まですることになるが、優月は陽仁が親切心から自分を助けてくれただけなので早く解放してあげなければならないと思い悩む。離れなければ、そう思いはするものの既に優月は陽仁のことを好きになっており、離れ難く思っている。離れなければ、だけれど離れたくない…そんな思いが続くある日、優月は美女と並んで歩く陽仁を見つけてしまう。さらにここで優月にとっては衝撃的なあることが発覚する。そして、ついに優月は決意する。陽仁のもとから、離れることを――――― 明るくて優しい光属性っぽいα×自分に自信のないいじめられっ子の闇属性っぽいΩの二人が、運命をかけて追いかけっこする、謎解き要素ありのお話です。

素直じゃない人

うりぼう
BL
平社員×会長の孫 社会人同士 年下攻め ある日突然異動を命じられた昭仁。 異動先は社内でも特に厳しいと言われている会長の孫である千草の補佐。 厳しいだけならまだしも、千草には『男が好き』という噂があり、次の犠牲者の昭仁も好奇の目で見られるようになる。 しかし一緒に働いてみると噂とは違う千草に昭仁は戸惑うばかり。 そんなある日、うっかりあられもない姿を千草に見られてしまった事から二人の関係が始まり…… というMLものです。 えろは少なめ。

処理中です...