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8.奇跡のような存在
しおりを挟む「キミ、具合悪いの?」
「は?」
イライラしていた時に話しかけられ、つい素が出てしまう。俺は慌てて笑顔をつくり、話しかけてきた相手に向かい合った。
「失礼しました。驚いてしまって」
丁寧に頭を下げ相手の出方を探る。俺が庶民に近い人間だと知れば途端に態度を変える生徒は多い。
優しい声に期待して落胆するのはもう疲れた。
「ごめんね驚かせて。疲れているように見えたから具合が悪いのかと思ったんだ」
優しい声はそのままに差し出された手を取って顔を上げた。
「お気を遣わせてしまいすみません。僕は……」
顔を上げて、息をのんだ。
汚してはいけないと咄嗟に思わせるほどの白い髪。
雪の中で力強く咲く花のような赤い瞳。
馬鹿みたいに綺麗な物ばかりで構成されたこの世界で、俺は初めて見惚れた。
「……大丈夫? やっぱり具合が悪い?」
「へ……? あ、あぁいいえ! 大丈夫です!」
見惚れていた顔が覗き込んできて、俺は思わず後ずさっていた。
まずい、完全に不躾な態度だ。流石に怒るだろうかと思ったが、相手は笑いながら「元気そうで良かった」と言った。
笑った顔は、更に美しかった。
この御方が公爵家のご令息で、更に同じ学園に通う王子だとかなんだとか言う偉いやつの婚約者だと分かったのは、ゆっくり話をした後だ。
そう、俺はこの方と、シャルノ様とゆっくり話をする機会が与えられた。
シャルノ様がサロンに誘ってくれたからだ。
「僕なんかが行っても良いのですか?」
「もちろん。サロンは全生徒に使用権限が与えられているでしょう?」
確かに俺もこの学園の生徒だから使用権限はあるのだろう。しかしそれは名目上の話で、実際は上位貴族だけがサロンの使用権をもっている。俺なんかが行けば睨まれること間違いなしだ。
それでも、シャルノ様の優しい笑顔に誘われて、俺はふらふらと付いて行った。
そこには、数人の生徒がテーブルを囲みシャルノ様を待っていた。
「遅くなりました」
「いいえ、シャルノ様はお忙しいですから」
「おや、その方は?」
シャルノ様が声をかけると、皆笑って出迎える。だが、俺の姿を認めると数人の生徒が眉をひそめた。
「先程知り合ったんです。彼もご一緒させていただいても宜しいですか?」
「……」
眉をひそめた生徒が俺を品定めするような嫌な視線で見る。
しかし、
「もちろんですシャルノ様!」
と、数人の生徒が笑顔で言ったもんだから、そんな不躾な視線などどうでも良くなった。
俺を快く迎え入れてくれた生徒達は見覚えがあった。
たしか、俺と同じような立場の生徒達だ。
しかし彼ら彼女らが俺のように標的にされている所はあまり見たことが無い。
その理由を、俺は後日知る事になる。
何故なら、俺はその日から上流貴族から睨まれる回数が極端に減ったからだ。
「ディナール」
「シャルノ様! おはよう御座います」
声をかけられ、俺は満面の笑みでシャルノ様に駆け寄った。
周りの取り巻きは面白くなさそうな顔をしたが、俺は構わずシャルノ様のそばによる。
僅かな時間の会話を楽しみ、俺はシャルノと別れた。
その様子をさり気なく伺う周りの生徒たち。
俺は、上級貴族のご令息で王子の婚約者であるシャルノ様のご友人と言う立場になったのだ。
表立った嫌がらせが減ったのは、そういう訳だ。
「シャルノ様は凄いですね」
俺のように立場の弱い者を懐に入れ守ろうとする。そんな彼に、俺は素直にそう思った。
しかし、当の彼は困ったように笑った。
「私が凄いんじゃないよ。私の家やエドワード殿下の婚約者という立場が凄いだけなんだ。私はそれを利用しているだけだよ」
そう言って笑うシャルノ様はどこか淋しげだった。
だけど、俺の知る限り、己の立場を他人のために利用する人を他に知らない。
高い爵位を振りかざし下のものを蔑む輩ばかりのこの世界で、こんなに綺麗な人が居るなんて。
『人はな、何を持っているかじゃねえ。持っているものをどう使うかなんだ』
親父から何度も聞かされた言葉。
あの頃は幼くて意味など分からなかったが、シャルノ様に出逢った今なら分かる気がした。
汚れた世界で汚れることなく存在しつづける、奇跡のようなシャルノ様。なのに、その瞳は伏し目がちで心もとなく揺れる。
そんな御方を自分が御守りできたなら……。
憧れが恋心に変わるのに、そう時間はかからなかった。
守りたかった。俺の手でシャルノ様の純白な心を守りたかった。
抱きしめて、この汚い世界から胸の中に隠してしまえたらどれだけ幸せだろう。
だが如何せん、俺の小さな体と弱い立場では抱きしめる事も守ることも難しく、反対に守られてばかりだった。
歯がゆくて悔しくて、己の弱さに落胆した。
だから俺は考えた。己の立場を逆転させる方法を……。
※ ※ ※
そんな俺が、今はシャルノ様を胸に抱いている。
この喜びをどう表せばいいのだろうか。
「シャルノ様……」
王子は馬鹿だった。本当に馬鹿だった。
見てくれだけは良かった俺に簡単に騙されて、勝手に堕落していった。
やはりあの男はシャルノ様には相応しくない。
かと言って、俺がシャルノ様に相応しいかなんて分からない。
分からないが、俺が今一番優先すべき事はシャルノ様のそばに居ることだ。
熱くなる胸に、一度抱きしめてしまえばもう手放せないだろうと確信する。それでも俺は誓ったのだ。
小さくなってしまった体を抱き上げて、ベッドへ優しく押し倒す。
震える体を包み込み、合わせた唇から舌を挿し込んだ。
「んっ、はぁ……」
甘い吐息に酔わされながら、高まる気持ちのままシャルノ様の肌に手を這わせた。
俺の全てを捧げます。
だから、アンタの全てを俺に委ねてくれ。
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