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新たな決意
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部屋に入り電気をつける。まだ、殺風景な部屋がやけに寒々しく見えた。
亮は、中に入り奥のリビングへ行くと部屋を見回す。事前準備を怠らない唯が、衝動的にここにやってきたことを伺わせた。
唯はキッチンのシンク横にカギを置くと、マグカップにペットボトルの緑茶を注ぐ音が響く。
「夕方に来たばっかりなのよ。初めての引っ越しなもんだから、何もない部屋にちょっと驚いちゃったよ。実家暮らしってやっぱり駄目だね。どれだけ私はぬるま湯につかってたんだって思った」
唯はそういって、マグカップを折り畳み式の簡易テーブルに二つ置いた。
「この机とかクッションとか布団とか大家さんがもう使わないからって持ってきてくれて、このカップはひなからもらったの。突然、押しかけたのにみんな親切にしてくれて、人の優しさがものすごく身に染みた」
唯は柔和に笑うのに、少し安心しながら亮は厚みのあるカップを口にした。唯がずっと気に入っている緑茶は、一緒にお互いの実家で時間を共有していた頃と同じ、懐かしく甘い味がした。
「俺もずっとホテル暮らしなんてやってらんないし、新居でも探そうぜ」
唯が手にしていたカップが大きく揺れて、危うく零しそうになるがギリギリのところで回避する。唯は机にカップを置いて自分の服にかからなかったか確認しながら「この服借り物なのに、汚しちゃうとこだったじゃない」と文句を言い始める。その口の裏側を読み取るように亮は、お茶を流し込んだ。
「もうさ、唯は余計な事考えすぎなんだよ。周りのこととか……」
何でもないことだとでもいうような口調でそういう亮に唯は軽く睨んでやる。そうすれば軽口が返ってくると思っていたのに予想に反して急に居住まいを正し始める亮は真っすぐに唯に視線をよこして言った。
「なぁ、この前のプロポーズの答えちゃんと聞かせてくれよ」
唯も亮を見返し、何度も目を瞬かせた。わざわざ聞かなくたって、さっきの出来事で答えなんて十分わかっているだろうに。律儀にそう聞いてくる亮を前に、何だか自分が情けなくなりそうだった。
この三年間変わったものの方が断然多かった。その波にのまれて、翻弄されて、その中からまた新たに見つけたのものが当たり前のものになって。そんなことをしていたら、いつの間にか自分自身を見失っていたような気がする。深く考えることも面倒になって、真正面からぶつかることも怖くなって、周りの変化のせいにして。私は結局自分が楽になるための逃げ道を作っていただけだったのかもしれない。
大事にし舞い込んでいた宝箱。
亮を目の前に、今こそその中身を再確認しろと、突きつけられたような気がした 。そこに納めてあったものは、ずっと変わらない思い。ずっと一緒に過ごしてきた日々。それが、何よりもかけがえのないもので。大袈裟なんかじゃなく、生きる意味に等しいもの。私は……絶対に手放してはいけなかったものさえも、ねじ曲げて捨ててしまおうとした。そんな風に考えてしまったのは、私が弱いせいに他ならない。私も、強くならなきゃ。亮のように私も強く。
そう思ったら、自然と唯は微笑み答えを口にしていた。
「じゃあ、三年後ね」
すっきりしたような顔をしてニッコリと笑う唯に亮は不満を漏らす。
「何だよ、それ」
「だって、せっかく心機一転一人暮らしし始めてこれから頑張ろうって思ってたのに、その矢先に亮と一緒になんてことになったら未熟者のままいっちゃうもの。私も少しは成長しないと」
「自分に厳しいのも大概にしろよ……」
「そういう亮だって、三年間がんばってきたじゃない。だったら、私も三年間がんばる。その間に、大学卒業して、就職して、働きまくって、色々な経験を積んで、それで亮に負けないくらい強くなる」
「唯は、そのままでいいんだよ。強くなる必要なんかない」
「よくない。ずっと亮に守られているなんて、癪。私だって、亮を守れるくらい強くならないと」
そう決意を固めてしまっている唯に「そんなに強くなられても、俺が困る」とブツブツ文句をいったかと思ったら「……そんなに待たされるのかよ」と嘆き始める亮に唯は明るく笑う。
「私だって、待ってたんだから亮も待っててよ。そして、また改めてプロポーズをお願いします」
笑顔の唯を見ながら、亮はがっくり肩を落とし、深々とため息をついた。
確かに自分は散々唯を待たせてきたんだから、反論する余地もない。それに一度決めたら、唯はよっぽどのことがない限り動かないことはよく知っている。仕方ない。
「それなら、一人暮らししてた時に使ってた家具とかあるからやるよ。倉庫に保管しっぱなしでどうしようかと思ってたんだ」
「ありがとう! 助かる」
「ただし、ここの合い鍵と交換。二本渡されてるんだろ」
「……何で、そんなこと知ってるのよ」
目をむきながら唯がそういえば、亮はキッチンに無造作に置かれているカギを指さしていた。二本しっかりキーホルダーにくっついていた。
ニヤリと笑う亮に、あまりの目敏さに呆れ顔を隠すことなく唯は口を尖らせる。
「また、私の部屋いつも勝手に入り込んできたけど、ここにも勝手に入る気?」
「唯に何かあった時、俺が入れなかったら困るだろ」
そんなことある訳ないじゃないとぶつぶつ言いながら、唯はキッチンに置いたキーホルダーを手に取り鍵を一本亮に手渡した。亮は手の中に収まった鍵を握りしめる。
「いいか? 三年だからな。待つ期間短縮だったら、喜んで受け入れる。けど、延長は認めないからな」
未だ納得いかない顔をしながらもそういう亮に、唯は満足そうに微笑んでいた。
あ。そうだ、と亮は徐に背負っていたボディバッグを下ろして、中を探りその手に持っていたのは、三年前の約束のノート。
「あっちにいる時、お守りみたいにずっと持ち歩いててボロボロだけど」
亮がそういう通り、何度もノートを開いた後があって、表紙は傷や汚れがしみ込んでいた。手渡されたノートを唯はゆっくりと懐かしむように表紙を撫でる。そのノートから唯の知らない亮の三年間が伝わってくるようで、熱が籠っていこの手から伝わる力を貰い受けるように、胸の中心に大きな光が宿っていく。
そして、ノートを開くと三年前に書いた二人の文字がそのまま刻まれていた。
「うわ。何か恥ずかしい。若かったなぁ……」
浮気禁止。嘘はつかないこと……こまめに連絡を取り合うこと。約束がずらりと並んでいた。幼稚なものから、やけに甘いものまであって、目を覆いたくなる。あの時は、寂しさが先行して内容なんてどうでもよかった。ただ思いついたどうでもいいことをただ書き並べていた気がする。
そして、全然気づかなかったけれど、四十はくだらない約束のほとんど唯が書いたもので、亮が書いたのは一つ二つのように見えた。
それを見ながら、あの時の寂しさの比重はずっと私の方が大きかったことを今更ながら知る。きっと亮は寂しさというよりも自分の夢の面積がずっと大きかったんだろう。でも、その方が亮らしい。そう思いながら、ページを捲ると亮が唯の手からノートを取り上げていた。そして、亮は徐に鞄からペンを出すと、新たなページに迷いなくノートにペンを滑らせた。
「お互い隠し事はなし。そして、何かあった時ありのまま必ず相談すること。連絡を一方的に切らないこと。余計なことすぐ考える癖を改めること」
どんどん増やされていく約束事。別れの日にこの続きはまたねといって、終わっていた続きがまた一つ一つ刻まれてゆく。それを見ながら、唯は不満を漏らしながらも笑みを浮かべていた。
「……何か私のことばっかりじゃない? なんか嫌な感じ」
そういうと、唯は亮からペンを取り上げて付け足してゆく。
「じゃあ、私も。一人で突っ走らないこと。少しは周りも見ながら行動すること……」
「……唯をちゃんとみていること。これは俺の反省点だ」
「……なんか、亮が私の保護者みたい」
「似たようなもんだろ」
三年ぶりに付け足されていく約束。ずっと繋がっていた糸がまた太く強く繋ぎなおされてゆく。
そして、互いの視線が絡み合い、互いの思いを分け合えば、ずっと止まっていた時間がゆっくりと動き出していた。弱りかけていた小さな灯が、また二人の間にくべられていく。
穏やかで明るい未来が一転も曇りのない空の下に現れた道。二人はしっかりと手を握り、ずっと続いていると信じて疑うことはなかった。
だが、その数日後。どこからともなく舞い降りる一通の封筒でこの穏やかな景色は一変する。
そして、この景色はもう戻ってくることはないことをこの時の二人は、まだ知る由もなかった。
亮は、中に入り奥のリビングへ行くと部屋を見回す。事前準備を怠らない唯が、衝動的にここにやってきたことを伺わせた。
唯はキッチンのシンク横にカギを置くと、マグカップにペットボトルの緑茶を注ぐ音が響く。
「夕方に来たばっかりなのよ。初めての引っ越しなもんだから、何もない部屋にちょっと驚いちゃったよ。実家暮らしってやっぱり駄目だね。どれだけ私はぬるま湯につかってたんだって思った」
唯はそういって、マグカップを折り畳み式の簡易テーブルに二つ置いた。
「この机とかクッションとか布団とか大家さんがもう使わないからって持ってきてくれて、このカップはひなからもらったの。突然、押しかけたのにみんな親切にしてくれて、人の優しさがものすごく身に染みた」
唯は柔和に笑うのに、少し安心しながら亮は厚みのあるカップを口にした。唯がずっと気に入っている緑茶は、一緒にお互いの実家で時間を共有していた頃と同じ、懐かしく甘い味がした。
「俺もずっとホテル暮らしなんてやってらんないし、新居でも探そうぜ」
唯が手にしていたカップが大きく揺れて、危うく零しそうになるがギリギリのところで回避する。唯は机にカップを置いて自分の服にかからなかったか確認しながら「この服借り物なのに、汚しちゃうとこだったじゃない」と文句を言い始める。その口の裏側を読み取るように亮は、お茶を流し込んだ。
「もうさ、唯は余計な事考えすぎなんだよ。周りのこととか……」
何でもないことだとでもいうような口調でそういう亮に唯は軽く睨んでやる。そうすれば軽口が返ってくると思っていたのに予想に反して急に居住まいを正し始める亮は真っすぐに唯に視線をよこして言った。
「なぁ、この前のプロポーズの答えちゃんと聞かせてくれよ」
唯も亮を見返し、何度も目を瞬かせた。わざわざ聞かなくたって、さっきの出来事で答えなんて十分わかっているだろうに。律儀にそう聞いてくる亮を前に、何だか自分が情けなくなりそうだった。
この三年間変わったものの方が断然多かった。その波にのまれて、翻弄されて、その中からまた新たに見つけたのものが当たり前のものになって。そんなことをしていたら、いつの間にか自分自身を見失っていたような気がする。深く考えることも面倒になって、真正面からぶつかることも怖くなって、周りの変化のせいにして。私は結局自分が楽になるための逃げ道を作っていただけだったのかもしれない。
大事にし舞い込んでいた宝箱。
亮を目の前に、今こそその中身を再確認しろと、突きつけられたような気がした 。そこに納めてあったものは、ずっと変わらない思い。ずっと一緒に過ごしてきた日々。それが、何よりもかけがえのないもので。大袈裟なんかじゃなく、生きる意味に等しいもの。私は……絶対に手放してはいけなかったものさえも、ねじ曲げて捨ててしまおうとした。そんな風に考えてしまったのは、私が弱いせいに他ならない。私も、強くならなきゃ。亮のように私も強く。
そう思ったら、自然と唯は微笑み答えを口にしていた。
「じゃあ、三年後ね」
すっきりしたような顔をしてニッコリと笑う唯に亮は不満を漏らす。
「何だよ、それ」
「だって、せっかく心機一転一人暮らしし始めてこれから頑張ろうって思ってたのに、その矢先に亮と一緒になんてことになったら未熟者のままいっちゃうもの。私も少しは成長しないと」
「自分に厳しいのも大概にしろよ……」
「そういう亮だって、三年間がんばってきたじゃない。だったら、私も三年間がんばる。その間に、大学卒業して、就職して、働きまくって、色々な経験を積んで、それで亮に負けないくらい強くなる」
「唯は、そのままでいいんだよ。強くなる必要なんかない」
「よくない。ずっと亮に守られているなんて、癪。私だって、亮を守れるくらい強くならないと」
そう決意を固めてしまっている唯に「そんなに強くなられても、俺が困る」とブツブツ文句をいったかと思ったら「……そんなに待たされるのかよ」と嘆き始める亮に唯は明るく笑う。
「私だって、待ってたんだから亮も待っててよ。そして、また改めてプロポーズをお願いします」
笑顔の唯を見ながら、亮はがっくり肩を落とし、深々とため息をついた。
確かに自分は散々唯を待たせてきたんだから、反論する余地もない。それに一度決めたら、唯はよっぽどのことがない限り動かないことはよく知っている。仕方ない。
「それなら、一人暮らししてた時に使ってた家具とかあるからやるよ。倉庫に保管しっぱなしでどうしようかと思ってたんだ」
「ありがとう! 助かる」
「ただし、ここの合い鍵と交換。二本渡されてるんだろ」
「……何で、そんなこと知ってるのよ」
目をむきながら唯がそういえば、亮はキッチンに無造作に置かれているカギを指さしていた。二本しっかりキーホルダーにくっついていた。
ニヤリと笑う亮に、あまりの目敏さに呆れ顔を隠すことなく唯は口を尖らせる。
「また、私の部屋いつも勝手に入り込んできたけど、ここにも勝手に入る気?」
「唯に何かあった時、俺が入れなかったら困るだろ」
そんなことある訳ないじゃないとぶつぶつ言いながら、唯はキッチンに置いたキーホルダーを手に取り鍵を一本亮に手渡した。亮は手の中に収まった鍵を握りしめる。
「いいか? 三年だからな。待つ期間短縮だったら、喜んで受け入れる。けど、延長は認めないからな」
未だ納得いかない顔をしながらもそういう亮に、唯は満足そうに微笑んでいた。
あ。そうだ、と亮は徐に背負っていたボディバッグを下ろして、中を探りその手に持っていたのは、三年前の約束のノート。
「あっちにいる時、お守りみたいにずっと持ち歩いててボロボロだけど」
亮がそういう通り、何度もノートを開いた後があって、表紙は傷や汚れがしみ込んでいた。手渡されたノートを唯はゆっくりと懐かしむように表紙を撫でる。そのノートから唯の知らない亮の三年間が伝わってくるようで、熱が籠っていこの手から伝わる力を貰い受けるように、胸の中心に大きな光が宿っていく。
そして、ノートを開くと三年前に書いた二人の文字がそのまま刻まれていた。
「うわ。何か恥ずかしい。若かったなぁ……」
浮気禁止。嘘はつかないこと……こまめに連絡を取り合うこと。約束がずらりと並んでいた。幼稚なものから、やけに甘いものまであって、目を覆いたくなる。あの時は、寂しさが先行して内容なんてどうでもよかった。ただ思いついたどうでもいいことをただ書き並べていた気がする。
そして、全然気づかなかったけれど、四十はくだらない約束のほとんど唯が書いたもので、亮が書いたのは一つ二つのように見えた。
それを見ながら、あの時の寂しさの比重はずっと私の方が大きかったことを今更ながら知る。きっと亮は寂しさというよりも自分の夢の面積がずっと大きかったんだろう。でも、その方が亮らしい。そう思いながら、ページを捲ると亮が唯の手からノートを取り上げていた。そして、亮は徐に鞄からペンを出すと、新たなページに迷いなくノートにペンを滑らせた。
「お互い隠し事はなし。そして、何かあった時ありのまま必ず相談すること。連絡を一方的に切らないこと。余計なことすぐ考える癖を改めること」
どんどん増やされていく約束事。別れの日にこの続きはまたねといって、終わっていた続きがまた一つ一つ刻まれてゆく。それを見ながら、唯は不満を漏らしながらも笑みを浮かべていた。
「……何か私のことばっかりじゃない? なんか嫌な感じ」
そういうと、唯は亮からペンを取り上げて付け足してゆく。
「じゃあ、私も。一人で突っ走らないこと。少しは周りも見ながら行動すること……」
「……唯をちゃんとみていること。これは俺の反省点だ」
「……なんか、亮が私の保護者みたい」
「似たようなもんだろ」
三年ぶりに付け足されていく約束。ずっと繋がっていた糸がまた太く強く繋ぎなおされてゆく。
そして、互いの視線が絡み合い、互いの思いを分け合えば、ずっと止まっていた時間がゆっくりと動き出していた。弱りかけていた小さな灯が、また二人の間にくべられていく。
穏やかで明るい未来が一転も曇りのない空の下に現れた道。二人はしっかりと手を握り、ずっと続いていると信じて疑うことはなかった。
だが、その数日後。どこからともなく舞い降りる一通の封筒でこの穏やかな景色は一変する。
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