背中越しの恋人

雨宮 瑞樹

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「ちゃんと、伝えてもらえましたか?」

 唯との電話の余韻を浸る間もなく亮が電話を切ったのを見計らって、無造作に後ろに黒髪をまとめた二十歳年上の女性マネージャー・徳島が楽屋に入ってきた。今日はテレビ出演を控えているために、早朝からここに缶詰めになっている。
 あまりのタイミングの良さに、聞き耳を立てていたんじゃないか? と訝り視線を移す。唯の久々の声に湧き上がってきた思いが、ため息と共に吐き出されそうになるのを亮は慌てて止めながら答えた。

「言われた通り、空港では遠慮してほしいと伝えた」
「空港……では?」
 亮の返答にマネージャーの元々皺が多く刻まれている顔にさらなる溝が出来上がっていた。
 名が知れ渡ったとほぼ同時に、亮は芸能事務所から事務所に入らないかとオファーを受けた。取材やらテレビ出演依頼や今後プロモーション活動を全部一人で請け負うのも限界があるという友人からの助言もあり、二つ返事で亮その事務所に所属することになった。
以来、スケジュール管理などはこのマネージャーがすべて請け負ってくれている。とてもありがたい存在ではある。
「ちゃんと『会えない』とお伝えいただけてるんですよね?」
 険しい顔で、詰め寄ってくる彼女の圧は物凄い。徳島の背後に黒い炎が見えるのは、きっと気のせいじゃない……と思う。彼女は、この業界に長く、敏腕マネージャーだというもっぱらの噂だ。その理由は、とても責任感が強く、些細なことにも気が回り、完璧主義者というところにあるのだと亮は認識している。だから、この反応は想定内ではあるのだが。嘘が苦手な亮は、火に油を注ぐのを覚悟しながら、白状するしかなかった。

「ホテルに来てほしいと……」
「あの、宮川さん。自分の立場、わかってます? あなたは、今までとは違うんですよ。超が付くほどの有名人となったんですよ? それなのに、女性をホテルに招き入れるなんて……何を考えてるんですか!」
 甲高い声がキーンと亮の脳内にあちこち跳ね返って反響する。
 自分に厳しく、人にも厳しい徳島は、容赦ない。どんな有名人だろうが、間違えていることははっきりと言ってくる。
 出会ってまだ三か月程度しか月日は流れていないが、もうすでに亮の性格を熟知しているようだ。オブラートに包んだ言い方をしても全く伝わらないということ。そして、亮は何事にも真っすぐなくせに一筋縄じゃないかないことを。

「確かに名前も顔も以前より、断然知れ渡ったとは思う。だけど、環境が変わったからって、どうしてずっと付き合ってきた人と会っちゃいけないという話になるんだ?」
「この業界は、人気商売です。あなたは、若い女性ファンがとても多い。世の中のアイドルとか見ていれば、わかるでしょう? ファンがどれだけ自分お目当ての人の恋人という存在に敏感になっているのか」
「俺は、アイドルじゃない。あくまで映画を製作する裏方だ」
「あなたは、まだ駆け出しで最初が肝心なんです。すでに初映画監督作品の打診もきています。なのに、いきなり週刊誌にスクープでもされてみなさい。一気に好感度はがた落ち。スポンサーもどんどん離れて、やっていけなくなりますよ。そんな悠長なこと言ってられません。あらゆるチャンスは、ちゃんと掴みなさい」

 亮は押し黙る。確かにこの業界を熟知している彼女にとって、この手の話は一番敏感になるところなんだとは思う。
 彼女もまたこの仕事に情熱を燃やし、マネージャーという仕事に心血を注いいでやってきた人間だ。彼女の力により、のし上がってきた有名人は多く存在している。あくまで彼女の仕事は、そこなのだ。亮の魅力を最大限に引き出し、世間に広め、チャンスをものにさせる。それこそが今の彼女の最大の目的であり、使命であるのだ。
 そんな徳島に同じ土俵にも立ててもいない自分が勝てるはずもない。
 だけど。俺にはどうしても譲れないものがある。
「自分の人生に彼女がいなければ今はなかった。今の自分があるのは、全部唯のお陰なんです」
 躓いて諦めかけた時も数知れずあった。その度に、いつも唯の言葉はそんな自分を押し上げてくれた。
 諦めるなんてらしくないと。もうコテンパンになるまでやってこいと。中途半端で終わらせて帰ってきたら、一生罵ってやると。どんな思いで、亮を送りだしたと思っているの? と。
「もちろん、仕事は何でも受けさせていただきます。どんなことだろうと、一切我儘はいうつもりも、資格もないと思っています。
 だけど、どんなに激怒されても、責められても、脅されても絶対に譲れないものが一つだけある。それが唯なんです」
 唯がいるからこそ、この先の未来だって思い描ける。
 俺には、やっぱり唯しかいない。
 
 徳島の鉄壁の心に少しは刺さってくれるかと期待しながら紡いだ真っすぐな言葉。
 徳島の一番柔らかそうな細い目にぶつけてみても、銀縁メガネに跳ね返されてびくともしなかった。
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