背中越しの恋人

雨宮 瑞樹

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 講義が終わって、ひなと別れ、唯はそのままバイト先である新宿の映画館へと向かう。唯はチケット売場担当だ。
 映画館でも日本人初の快挙を成し遂げたミュージカル映画『ザ・ビーナス』は、ロングラン上映を果たしていた。
 映画は一人の平凡で地味な少女がある日スター性を見出されて、歌手としての階段を駆け上がっていくというシンデレラストーリーだ。映画館の試写会で一足早く唯は鑑賞していた。素晴らしいストーリーに舞台装飾の煌びやかな色彩と一つ一つ丁寧に作られた道具の繊細さ。そして、幼少期から大人になるまで子役を使わず、一人の女優がすべてが演じるために、特殊メイクが施された。それが緻密に施され、まるで本当の子供がそこにいるように再現されていて、映画の一番の醍醐味といってもいいほどに盛り上げていた。それを作り上げたのは誰でもない亮だと思ったら、目に焼き付いて離れなかった。涙は必要のないはずの映画なのに、唯は一人感涙していた。一緒に観ていたバイト仲間たちの一人。山形は、唯が一人泣いているものだから、そんな熱狂的な宮川亮ファンだったのかと目をむかれた。
 それがもう一年前。上映されてずいぶんと時間が経っているにもかかわらず、客足は劣るどころか増え続けていた。そのうえこの度賞を獲ったものだから更に客足は伸び、売り上げもうなぎ登り。
 そんな盛況の映画館で、唯の休み時間。狭い部屋に大テーブルと四脚の椅子。休憩室はだれもおらず、ホッと息をつく。立ちっぱなしの疲れた足や凝り固まった肩をほぐしていると、ガチャリと休憩室のドアが開いた。誰だろう? 売店担当の山形だったら、たいていポップコーンを片手に入ってくる。売店担当はタダでいただけるという特典付きなのだ。いつも山形に分けてもらっている唯は今日も期待を膨らませたが、すぐに萎んでいく。
 つい先日の帰り道。新宿駅に向かう途中で、山形から告白され気まずくなったんだった。そんなことを思い出しながら、開くドアに視線を送った。
 するとそこにあったのは、神経質そうな切れ長の目。ただでさえインテリ顔をしているのに黒縁眼鏡のせいで一層インテリ化させている映画館社員・大阪の姿があった。消えかかっていたポップコーンは、彼の切れ長の目に当たり弾けて完全に消えてゆく。その代わりに、胃がキリキリ痛み出していた。

 大阪は、まさにこの休憩室で告白を受けたのだ。そのことが重くのしかかって思い出されて、ここからすぐにでも出ていきたい衝動に駆られる。相当気まずい。
 なのに、大阪はこうやって普通に目の前の席に座れる精神力の強さに唯は目を泳がせるしかなかった。それを気にすることもなく、大阪は何事もなかったかのように世間話を始め、ここ最近の亮現象、そして、亮の父光夫にまで話を広げ私見を語り始めていた。
 唯は大人げなく無視するわけにもいかず、適当に相槌を打っていたのだが。

「僕は彼の父である宮川光夫監督は、とてもすごい人だと思っている。彼の作る独特な世界観、繊細さ。あれは、誰にも真似できない。
 息子である宮川亮にその才能を引き継いでいるってテレビだかで見たけれど、何言ってるんだって思ったね。足元にも及ばない。そもそも渡米してすぐにトップムービーアカデミーに入れたこと自体おかしな話だよ。あそこは超難関校なのに、すんなり入れたなんて親の力が働いていたに決まっている」
 大阪の態度の大きさと比例する大きな声に唯は耳を塞ぎたくなるのを必死に我慢していた。ばかでかい声を出せばそれが真実になるとでも言いたいこだろうか。
 亮はそもそも、父親から教示を受けたことは生まれてから今に至るまで一切なかった。亮の父・光夫は、人の人生は何もこの道ばかりではないのだから、亮には亮の道を自分で切り拓けばいいという考えの持ち主だ。
「少しくらい、教えてくれてもバチ当たらないと思うんだけど本当に親父は映画の話は一切してくれないんだよ」という亮の嘆きも聞いたことがあるくらいだ。
 ならばと、亮は自分の手でこの道を極めてやろうと立ち上がり、努力を積み重ねて自分の力だけでアカデミーのチケットを手に入れたのだ。その姿は、この目でしっかりとみてきている。
 そんな今にも飛び出しそうな反論を唯は必死にギリギリと噛みくだくが、それを上回る早さで次々と大阪は硬く不快な言葉を投げ込んでくる。
「なのに、宮川亮がこんなに注目されたのは、父親である宮川光夫監督の名前以外に他ならないと、僕は思うね」
 聞き捨てならない数々の言動がこれでもかというほど飛び出し、あまりの不愉快な硬さに歯が折れそうになる。唯の我慢も限界に達しつつあった。

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