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線香花火
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「いつか生まれてくるあなたの子供と、ここで線香花火をするのが夢なのよ」
満月が浮かぶ真夏の熱帯夜。
私は父と母の三人で自宅のこじんまりとした庭にしゃがみ込んで線香花火にオレンジの光を灯らせていた。
丸い蕾が震えながら大きく牡丹の花が咲き誇り始めた時。
静かな闇に優しく爆ぜる音に紛れて、母はそう言った。
私はまだ高校一年生。
急にそんなことを言い出す母に私はぎょっとした。
いつも母が話す内容は今のばかりで、未来の話は精々一週間後くらいなのに。
輪郭さえも見えないほど遠い未来をしだすなんて。
驚愕しすぎて言葉を失い母の顔を凝視する私に目をくれず、母は松葉と化したオレンジの火花を瞳に映しながら夢の続きを呟いた。
「夏がくれば、こうやって線香花火をお父さんとお母さんと美波。家族三人揃ってできるように、この庭を作ったのよ。
美波が独り立ちしてここを出ていっても、また夏が来れば一緒にこうやって集まれるでしょ?」
母が手にしていた線香花火は華麗に華を放ち始める道半ばにして光の玉は重さとに耐えきれず、地面へと吸い込まれていった。
「あぁ、落ちちゃったわ。
美波は、上手になったわね」
母は目を細めて私の手元に視線を移した。
私の線香花火は、松葉に姿を変えて華々しい光を放ち四方八方に花を散らしているところだった。
私は花火の美しさを楽しむ余裕もなく弾ける衝撃に耐える中心の火の玉が落ちないように神経を集中させながら、耳の端で母の声を聴いていた。
少しでも花火を持つ手を揺らしてしまえば、線香花火の中心は呆気なく落ちてしまう。
繊細なガラス細工のような花火が、正直私はあまり好きではないのだが、そんな花火が両親は大好きだという。
この儚さがまたいい。
終わりまで楽しみたければ、慎重に大切に灯を消さないようにしなければならない。
まるで人の一生のようじゃないか。
愛の告白をしているようにそういう父と母。
そんな深い思い入れを間近で聞いても、私は未だに線香花火の精華を理解できずにいた。
だけど。
母のささやかな夢を頭で描きながら、静かに、時折力強く放つ火花を見つめていたら。
色とりどりに眩い光を放つ花火よりも、深いオレンジの光はいつの間にか鮮明に美しく私の心に焼き付いていた。
結婚なんてずっとずっと遠い未来の話で、自分の子供なんて宇宙の彼方の話。
でも、まぁ。もしも子供ができたらここで線香花火やってあげるくらい、いいか。結婚できたらの話だけど。
そんなことを思いながら、ふと手元をみると火花は柳のように細く垂れ、力を失っていた。
「今年の夏は、これで終わりね」
母の声と共に火球はゆっくりと赤から黒へと変わって光が消えてゆく。
未来の話もゆっくりと煙のように空気に溶けていった。
ーーそれから、数日後の学校の休み時間。
席に座り友人と今日は帰りにパフェでも食べに行こう。
そんな話をしている時だった。
「美波!」
感情をあまり表すことのない髭担任が日に焼けた黒い顔を青色に変えて、私の名を叫びながら教室に飛び込んできた。
野太すぎる声で一瞬誰を呼んでいるかわからなかったけれど、真っすぐこちらへ走ってくる行動から自分の名を呼んでいたんだと悟る。
笑い声が響いていた教室は水を打ったように静まり返った。
「すぐに病院に行け。
お母さんが倒れた」
髭担任の声が私の心臓を貫いた。
痛む胸を押さえて病院に駆け込み、看護師に先導されて辿り着いた一部屋。
私よりも先に駆けつけていた父の小さい背中が震え佇んでいた。
感覚を失っていく足を無理やり動かし父の横に並ぶ。
目の前に横たわっていたのは、物言わぬ母の白い顔。
呆然と立ち尽くす私に、医者は淡々とくも膜下出血だったと、告げられた。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
何度交わしたかわからない。
当たり前の光景。
目じりの下げて優し気な笑顔を浮かべて手を振る母。
今朝が最後になるなんて。
記憶にないほど遠い昔に触れた母の頬の感触を手繰り寄せながら、撫でてみると戦慄が走るほど冷たかった。
頭では死なんて信じないと叫んでいるのに、勝手にあふれ出す涙は現実だと訴える。
その鬩ぎ合いの中心で、あの日みた線香花火の火花が散っていた。
母のいなくなった家は、驚くほど寒々しかった。
そんな寂しさを紛らわせるように、父は必ず夏になると線香花火を買ってきた。
しゃがみ込む一回り小さくなった父の背中を見ながら、私も一緒に線香花火に火を点け続けた。
繊細な花が咲き誇り、爆ぜる音が響く度に母の声が聞こえてくるような気がした。
それから、何度巡ったかわかないほど積み重ねた真夏の夜。黄金色の満月の下。
明るい声を夜空に響かせながら、あの日の約束を辿るように線香花火を手にしていた。
うまくできないと泣きはじめる娘の小さな手を握り、私はまた線香花火に火を灯す。
いつかこの子に夢を託す日を夢見ながら。
爆ぜる音が響く度に母の笑い声が聞こえた気がした。
満月が浮かぶ真夏の熱帯夜。
私は父と母の三人で自宅のこじんまりとした庭にしゃがみ込んで線香花火にオレンジの光を灯らせていた。
丸い蕾が震えながら大きく牡丹の花が咲き誇り始めた時。
静かな闇に優しく爆ぜる音に紛れて、母はそう言った。
私はまだ高校一年生。
急にそんなことを言い出す母に私はぎょっとした。
いつも母が話す内容は今のばかりで、未来の話は精々一週間後くらいなのに。
輪郭さえも見えないほど遠い未来をしだすなんて。
驚愕しすぎて言葉を失い母の顔を凝視する私に目をくれず、母は松葉と化したオレンジの火花を瞳に映しながら夢の続きを呟いた。
「夏がくれば、こうやって線香花火をお父さんとお母さんと美波。家族三人揃ってできるように、この庭を作ったのよ。
美波が独り立ちしてここを出ていっても、また夏が来れば一緒にこうやって集まれるでしょ?」
母が手にしていた線香花火は華麗に華を放ち始める道半ばにして光の玉は重さとに耐えきれず、地面へと吸い込まれていった。
「あぁ、落ちちゃったわ。
美波は、上手になったわね」
母は目を細めて私の手元に視線を移した。
私の線香花火は、松葉に姿を変えて華々しい光を放ち四方八方に花を散らしているところだった。
私は花火の美しさを楽しむ余裕もなく弾ける衝撃に耐える中心の火の玉が落ちないように神経を集中させながら、耳の端で母の声を聴いていた。
少しでも花火を持つ手を揺らしてしまえば、線香花火の中心は呆気なく落ちてしまう。
繊細なガラス細工のような花火が、正直私はあまり好きではないのだが、そんな花火が両親は大好きだという。
この儚さがまたいい。
終わりまで楽しみたければ、慎重に大切に灯を消さないようにしなければならない。
まるで人の一生のようじゃないか。
愛の告白をしているようにそういう父と母。
そんな深い思い入れを間近で聞いても、私は未だに線香花火の精華を理解できずにいた。
だけど。
母のささやかな夢を頭で描きながら、静かに、時折力強く放つ火花を見つめていたら。
色とりどりに眩い光を放つ花火よりも、深いオレンジの光はいつの間にか鮮明に美しく私の心に焼き付いていた。
結婚なんてずっとずっと遠い未来の話で、自分の子供なんて宇宙の彼方の話。
でも、まぁ。もしも子供ができたらここで線香花火やってあげるくらい、いいか。結婚できたらの話だけど。
そんなことを思いながら、ふと手元をみると火花は柳のように細く垂れ、力を失っていた。
「今年の夏は、これで終わりね」
母の声と共に火球はゆっくりと赤から黒へと変わって光が消えてゆく。
未来の話もゆっくりと煙のように空気に溶けていった。
ーーそれから、数日後の学校の休み時間。
席に座り友人と今日は帰りにパフェでも食べに行こう。
そんな話をしている時だった。
「美波!」
感情をあまり表すことのない髭担任が日に焼けた黒い顔を青色に変えて、私の名を叫びながら教室に飛び込んできた。
野太すぎる声で一瞬誰を呼んでいるかわからなかったけれど、真っすぐこちらへ走ってくる行動から自分の名を呼んでいたんだと悟る。
笑い声が響いていた教室は水を打ったように静まり返った。
「すぐに病院に行け。
お母さんが倒れた」
髭担任の声が私の心臓を貫いた。
痛む胸を押さえて病院に駆け込み、看護師に先導されて辿り着いた一部屋。
私よりも先に駆けつけていた父の小さい背中が震え佇んでいた。
感覚を失っていく足を無理やり動かし父の横に並ぶ。
目の前に横たわっていたのは、物言わぬ母の白い顔。
呆然と立ち尽くす私に、医者は淡々とくも膜下出血だったと、告げられた。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
何度交わしたかわからない。
当たり前の光景。
目じりの下げて優し気な笑顔を浮かべて手を振る母。
今朝が最後になるなんて。
記憶にないほど遠い昔に触れた母の頬の感触を手繰り寄せながら、撫でてみると戦慄が走るほど冷たかった。
頭では死なんて信じないと叫んでいるのに、勝手にあふれ出す涙は現実だと訴える。
その鬩ぎ合いの中心で、あの日みた線香花火の火花が散っていた。
母のいなくなった家は、驚くほど寒々しかった。
そんな寂しさを紛らわせるように、父は必ず夏になると線香花火を買ってきた。
しゃがみ込む一回り小さくなった父の背中を見ながら、私も一緒に線香花火に火を点け続けた。
繊細な花が咲き誇り、爆ぜる音が響く度に母の声が聞こえてくるような気がした。
それから、何度巡ったかわかないほど積み重ねた真夏の夜。黄金色の満月の下。
明るい声を夜空に響かせながら、あの日の約束を辿るように線香花火を手にしていた。
うまくできないと泣きはじめる娘の小さな手を握り、私はまた線香花火に火を灯す。
いつかこの子に夢を託す日を夢見ながら。
爆ぜる音が響く度に母の笑い声が聞こえた気がした。
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読んでいただき、本当にありがとうございました。