サラシ屋

雨宮 瑞樹

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作戦完了

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 堅い感触が手の中に納まった。
 青のスマホをバトンのように手に握りしめて、点滅している信号に向かって、全力で走り出した。
 薄ら笑いを浮かべて、自慢気にスマホを向けていた青の顔が、真っ青になっていることなどいちいち確認している暇はない。
 交差点の手前。横断歩道へ足を踏み込んだ時点で、すでに信号は赤だ。そんなこと構っていられない。ひたすら走る。
 私が車道のど真ん中に来たときには、誰も横断歩道を渡っている人がいないどころか、車が動き出そうとしていた。クラクションが激しく響いて、危うく轢かれかける。しかし、身の危険の焦りなんかよりも、よっぽど気がかりなことがあった。
 灰本の呆れ顔が思い浮かぶ。
 こっちは、隠密作戦のために夜な夜な頭を使ってきたっていうのに、お前は力技なのか。信じられん。
 そんな突っ込みとともに。
 だって、仕方ないじゃない。目の前に、あったんだから。私の頭じゃ、手を伸ばす以外方法がなかったんです。
 そんな言い訳をシミュレーションしながら、一人横断歩道のど真ん中を駆け抜けていった。
 走り抜けた後ろは、苛ついたエンジン音が間近に聞こえる。それを繰り返しながら、横断歩道を渡り切った。
 破裂しそうな心臓を落ち着かせるために、肩で息しながら、振り返る。
 私が走り抜けてきた場所は、すでに車の急流の中に埋もれていた。道は消えていて、対岸から怒声だけが届いてきていた。
 
「ふざけんな! この野郎!」
 完全に行く手を阻まれて、真っ赤な顔をした青の姿が車の隙間から見える。
 子供のように地団太を踏んで、怒りを爆発させているようだ。興奮状態の青たちに、周囲の大人たちは、だいぶ引いた顔をして、遠巻きにしてその様子を見ていた。その中から灰本が、出てきて、青に声をかけている。
 どうかしたのかい? 僕でよければ、力になるよ。そんな、完璧な仮面をつけて。
 青はイライラしながらも藁をも縋るように灰本へ説明しているようだった。身振り手振りを交えて、対岸にいる私の方を指さしてくる。その方向へ灰本が、顔を向けている。そして、目が合った。
「早く最後の仕事に取り掛かってこい、この馬鹿」
 遠くてよく見えないが、そんな顔をしているのは、きっと気のせいじゃない。

 その後、急いで人気のないところへ行って、キーホルダーのボタンを押す。小さなランプが緑色に点滅し始めた。
 その後、何か派手なことが起こるのかと思いきや、真っ暗になっている青のスマホには、何の反応もなかった。些か心配になったが、言われていた五分ほど経つと、キーホルダーの点滅が止まって、消えた。終始手ごたえはなかったが、どうやら終わったサインらしい。
 アナログの私としては、はっきりとしたサインが欲しいところだが、うまくいったはずだろう。
 作戦は無事に終了だ。
 青のスマホは、もう必要ない。お荷物どころか、汚物にさえ思えた。早く手放したくて、出払ってしまっている誰もいない交番の脇に、スマホ置いて、その場を後にした。
 そして、ここからさほど遠くない灰本のマンションへ向かった。
 合鍵をもらっていたから、そのまま部屋の中へ入る。

 当然、灰本はまだ帰っていない。真っ暗な部屋。電気をつけて、ほうっと息をつく。
 今頃は、灰本の方が青の後処理に追われているのではないだろうか。青に付き合わされて、私を追うふりでもしているのかもしれない。私がとっ散らからした後の処理は、綺麗にまとめてくれるのが灰本だ。多少の申し訳なさがある中、自分のスマホを手にする。

『青のスマホは、すぐ近くの交番の横に放置しました。本人へ返却、お願いします』
 メッセージを送る。数分で、スマホが鳴った。
『もう見つけた。三人は怒りながら、帰宅』
 灰本から、すぐに返信が立て続けにくる。
『この原始人め』
 間髪入れずに、新たなあだ名をつけられて、私は苦笑するしかなかった。
 
 それから数時間後。だいぶ、遅れて、灰本が帰宅してきた。
 その端正な顔には、やはり疲れと怒が含まれていた。
「まさか強行突破で、ひったくり紛いのことをするとは、夢にも思わなかった」
 少しは、ねぎらいの言葉をかけても罰は当たらないはずなのに、冷たい視線で開口一番そういう。
 予想通りすぎて、私は苦笑しながら、口をとがらせる。
「本当は、あの場で全員殴り倒してやろうかと思ったのを、必死に我慢したんですよ? あれは、冷静な判断を下した結果、スマホを奪うことになったんです。今回の私は、至って冷静。褒められても、いいくらい」
「……まあ、確かに、これまでのことを振り返ってみたら、一番マシ……な気もする」
 恨めしそうな顔をして、力なく言われる。手放しに誉めてくれてもいいはずなのに。少し不満はあったが、怒られないだけいい。むしろ、誉め言葉と捉えよう。私はふふんと鼻を鳴らして胸を張った。
 それとは対照的に、灰本は全身からため息をついて、項垂れ、額に手をやる。
「柴田のせいで、俺も頭がおかしくなってきた」
 嘆く灰本の背中を、私はポンポンと慰めるように叩いて、リビングのパソコンを指す。
「ほら、早く確認しましょうよ」
 はやる心のままにそういうと、灰本は顔を上げていた。


 灰本がパソコンの前に座る。私も灰本の隣に椅子を持っていって、横から興味津々に画面を見やる。パソコン画面を立ち上げる。青のスマホの中身から、次々とパソコンへ送られてきているようだ。画面が写真や動画、アルファベットの羅列。目まぐるしく変化している。
 頭脳明晰の灰本の頭の中を見ているようだった。ただ、すごいと感嘆の声を上げるしかない。
 灰本が、キーボードで呪文のような文字を打ち込んでいく。まったく理解できない世界だ。
 先ほどまで、うまくいったと高揚していた自分が、ちょっと恥ずかしくなった。
 もっと、対等になりたい……とは、さすがに大それたことは言えないけれど。でも、もう少し……多少の仕事を任せても、安心させられるくらいの存在になりたいと、思う。悔しい気持ちが頭をかすめて、きゅっと手を握り締める。
 鋭い目で、黙って指先を叩き続ける灰本の横で、私もじっと画面を見る。
 しばらくすると、パッと切り替わって、青のメッセージのやり取りや、写真、動画が三分割になって映し出されていた。
 やっと、私にもわかるような画面になる。ずっと解読不能だったが、これなら、私でもわかる。いや、もしかしたら、私にもわかるようにしてくれたのかもしれない。そんなことを思いながら、画面から灰本の横顔へ移動させると、口の端を上げた灰本がいった。
「よくやったな」
 はっとするような、笑顔とぶつかった。
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