サラシ屋

雨宮 瑞樹

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家族3

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「俺が学生の頃だ。普通に街を歩いていた時、女性から道を尋ねられた。それに答えていたら、その女性が連れの男が戻ってきて、因縁をつけられた。俺の女に手を出すなって、胸倉をつかんできた」
「なんですか、それ」
 先ほどの衝撃は、その話で全て吹っ飛んでしまう。灰本に因縁をつけたその得体のしれない相手を想像しただけで、勝手に怒りが込み上げてくる。そんな私に、灰本は苦笑していた。
「俺は、別にどうでもよかった。適当に怒鳴られて終わるのなら、それでいい。何なら一発殴られたって、それ以上の面倒ごとにならなければ、まぁいいかなと。黙っていた」
「ちょっと待ってください。どういう思考回路していたら、そういう答えが出てくるんです? 相手が勝手に因縁つけてきて、こっちに落ち度がないのに」
 抑えきれなかった怒りが、そのまま口に出てしまう。灰本は、想定内の反応だったのか、涼しい顔をしていワインを口にしている。
 その顔を見て、ほんの少しだけ熱が冷めると、確かに灰本なら、そんな選択肢を出してきそうな気もした。仕事のスタンスは、いつも面倒になりそうなら、関わらず、手を引く。まさに、その考え方だ。
 灰本の思考は、何となく理解はできる。しかし、到底納得できない。
 再び口を開こうとしたら、灰本は失笑していた。

「まさにそういう奴が、現れたんだ」
 灰本の視線で指をさされ、中途半端に開いていた口を閉じる。
 私から移動させた灰本の瞳は、昔の記憶を辿るように、ずっと遠くへ向けていた。その瞳は、思い出したいような、そうじゃないような。目尻に拒否反応が出ていたが、その瞳の中心には、明るい光が灯っていた。
 ふっと、軽く息を吐いて口元が、少し緩んでいる。
「たまたま通りかかった天海が、俺の変わりに喧嘩をかった。その場は大乱闘。警察沙汰になりそうな空気になった。ともかく、俺は面倒ごとに関わりたくない。だが、俺の代わりになっている天海を置いて、行ってしまうわけにもいかない。天海が相手の顔を殴って倒れた隙を見て、天海を無理矢理相手から引きはがして、一緒に逃げた」
 一方の灰本は、手にしていたグラスを置くと、よく私へ向けてくる苦々しさがあった。
 机に肘をつていて、悩ましいとばかりに米神に指先をやる。
 いつも勝手に、何てことしてくれたんだという、あの表情だ。少しむすっとしながら、灰本は息を吐いた。
「俺が面倒ごとにならないように、その場を連れ出したというのに、散々天海には、説教された。どうして何もいわず黙っていたんだ。黙っていたら、相手の思うつぼだろうと。沈黙は正義を捻じ曲げるのと同じだとか、ねちねち……。ともかく、しつこいし、熱量が高いし、面倒で仕方なかった。ともかくそいつから離れたかった。どうせ、道端でバッタリ会っただけの相手だ。この先、一生会うことはない。そう思って、適当に相槌を打って、礼を述べて別れた。それなのに」
 灰本の整った顔の中心の深い溝は、さらに濃くなっていく。でも、口角は上がっていた。
「大学で、バッタリ会ったんだ。天海は、同じ大学の学生だった」
 中心の皺は消える。
「そこからだ。天海が俺にしつこくまとわりついてくるようになったのは。周囲からは、気持ち悪がられるほど、ずっと一緒にいた。俺の部屋に押しかけてくるは、本当に散々だった。今思えば、あいつがそうしたのは、いつも死んだように生きている自分が気に食わなかったせいだったんだろうな。周りに溶け込もうとしない、何につけて無関心な俺を、どうにかしたいと、あいつのお節介本能が働いたんだろう」
 遠くへと目を細めるその先に、天海がいる。確かに、そこにいるのだと思った。そして、灰本の中で今も天海は、生き続けている。私が陽菜を忘れたことがないのと同じように。
 
「俺と天海の関係は、所謂、親友というやつなんだろうが、いまいちしっくりこなかったんだ。でも、さっき兄弟といわれて、なるほどと思った。そう言われた方が、しっくりくる」
 あまり聞かれたくない過去を語るには、いつも冷静な灰本といえど、勇気と心構えは必要だったはずだ。少なからずの躊躇はあっただろう。それでも、思い切って話してくれたことが、単純にうれしかった。
「……ありがとうございます。話してくれて」
 小さくそういうと、灰本は少し苦笑して言う。
「話の流れだ。俺も、たまには話したいと思った。記憶の中にしまい込んでおくには、あいつはあまりに煩すぎる」
 何でもない風に見せているが、そうじゃなかったはずだということはよくわかった。ワインにまた口をつける灰本の視線が、ちょっと恥ずかしそうに揺れている。
 その顔を肴に私もワインを口に流し込んだ。さっきよりもずっと美味しい。
「いいですね……ちょっと、羨ましいなぁ」
「二人は、姉妹仲良かったんだろう?」
 灰本はどうして、羨ましいという言葉が出てきたのかと、不思議そうに聞かれる。
 そう聞かれれば、確かに即答できる。確かに仲はよかった。
 
「たしかに、いつも一緒にいて、楽しかったし、何でも話せた。でも、うちは何というか、灰本さんたちのような純粋な絆というよりも……世間体を異様に気にする親の価値観に対する反発があって。温度差はあったけど、お互い不満があった。それに共鳴してできた上がった絆みたいなところがあって……。灰本さんたちのような透明な綺麗さまでは、なかったような気がします」

 あの家で感じた閉塞感が這い上がってきそうになって、ワインを喉へ流し込む。それでも、湧き上がってきそうなものを、溜息で吐き出した。
 ふと、視界の端へやる。すると、横へ避けられたパソコンが入ってきた。追いやろうとした鬱々とした感情の代わりとでもいうように、先程の鈍痛が胸に甦ってくる。
「さっき庵野たちのSNSみているときも、思ったんたです。この二人も、弟や姉がいて、仲がよさそうだった。もしかしたら、親に対する何かしらの不満があるから、その分、弟や姉との絆が深いのかもなって……」
 そこまで言いかけると、口の中の甘みが消えて、酷く苦くなっていった。
 せっかくのワインがもったいない気がして、手にしていたグラスを机に置く。
 グラスをゆっくり置ききれなかったせいか机にあたって、キンとガラスが鳴った。静かな空間に、キーンと、波紋のように広がっていく。
 その瞬間。
 ほろ酔いでぼんやりしていた頭が、突然冴えわたった。あの時、堂々と私の前に現れた相手。
 忘れかけていた顔の輪郭が、一気に鮮明になる。もしかして、私が会った相手って。
 弾けるように灰本を見た時には、すでに横へ追いやっていたパソコンを開いていていた。私は、急いで灰本の背後に回り、その画面に食いつく。無数のファイルの中から、灰本は一発で探り当て、画面が切り替わった。
 画面いっぱいに映し出された画像。
「あの日、会った相手は、こいつだな?」
 細身長身。黒髪短髪。色白の肌。切れ長の瞳。あの日現れたその男が、そこにいた。
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