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暴露5
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春馬の肩にかけていたバッグがずり下がり、派手な音を立てて床にドサッと落ちる。
その音に気付いた妹がリビングから、顔だけをニョキっと出してきていた。
「お兄ちゃん、帰ってきたんだったら、ただいまくらい言ってよね。泥棒かと思ったじゃない」
いつも通りの冷たい視線ではあるが、完全に口元は緩んでいる。その顔を呆然と見つめながら、春馬は生気が抜けていくような息を吐いた。
「さっきの話……本当なのか?」
「うわー盗み聞きなんて、悪趣味」
そういいつつ、芽依は今すぐ話したいとばかりに、うずうずしている様子だ。それを視界の外へ追いやり、そのまま横を通り過ぎようとする春馬に、芽依はさらに溶けてなくなってしまいそうなくらいふやけた顔を向けてきていた。
「聞きたいなら、お兄ちゃんも混ざっていいよ。幸せのお裾分けしてあげる」
バカみたいな能天気なことをいってくる芽衣が煩わしすぎて、睨み返す。
「うわー、私と大違い。貧乏神がくっついてる顔。今の幸せが台無しになりそうだから、やっぱりこっち来ないで」
芽依はそういい捨てて、バタンとリビングのドアを閉めてくる。
「今日の夜は、ステーキでも焼きましょう! 芽衣の幸せを盛大に祝わないとね! 松阪牛買ってくるわ!」
「ヤッタ! 人生初の松阪牛!」
隔たれたドアの向こう側で、母と娘のお気楽な会話が続いているのが漏れ聞こえてきていた。
その会話の通り、夕食は人生初の松阪牛ステーキとなっていた。
父にも連絡が入ったのか、いつもは夕食が終わったころの帰宅が、その日は早めに帰ってきて、一緒に食卓を囲んでいた。
やけに洒落た食器にのっているステーキは、今まで味わったことがないくらいの高級な味がした。しかも口の中で簡単にとろける。ついでに、今まで見たことがない高そうなワインまで用意されていた。
ほろ酔い気分の両親は、芽衣と一緒に、先輩から晴れて彼氏に昇格した話でやらたら盛り上がっている。
春馬の意識は、完全にその騒ぎから離れたところにあって、せっかくの高級肉もあっという間に口の中で溶けてしまい、余韻もなく消えていく。
花蓮が言っていたことが、現実となっている。つまり、あの二人の言っていることは真実だということが決定づけられたというわけだ。
だが、本当にそんなこと、あり得るのか? 自問すれば、すぐに答えは出る。
あり得ない。
しかし、花蓮と潤の話し方は、とても、初対面に対する態度じゃなかった。
花蓮が初めて俺の前に現れたとき。俺のストーカーなのか、気があるのかと問えば、異様なまでの嫌がりよう。鬼畜だといわんばかりの反応だった。
あの時は、どうして初対面の相手にこんな失礼な態度をされるのか、怒りと困惑ばかりだったが、すべてを知った今その理由を考えてみれば、当然だ。実の父親にそんなことを言われたら、気色悪いを通り越して、悍ましいだろう。
花蓮から感じとった違和感は、それだけじゃない。それ以上にひっかかったことがある。それは、誰も知りえないような俺自身のことを花蓮は事細かに知っていたことだ。
コーヒーの好み、幽霊嫌い……咲良のこと。そして、たった今の芽衣の出来事。
状況証拠が揃いすぎている。
悶々と思考の波にさらわれ続け、ひたすら肉を頬張り咀嚼していく。口の中に広がっていた肉の旨みが消えてしまう。最後に残った肉の塊は、部位が悪かったのかなかなか噛み切れず、そのまま飲み込んでいた。
「ごちそうさま」
すっと立ち上がり、早々にリビングを出る。
「ねぇ、お父さん。春馬、なんか変じゃない?」
「うん、確かにな。何か悩みでもあるのかなぁ?」
「お兄ちゃんの悩みなんて、くだらないことばっかりだから、心配することないって」
「それも、そうね」
「そうだな」
わが家族らしい能天気な会話が背後から響いてくる。
ベッドへ倒れ込む。
しばらく干していない布団は、やけに埃っぽい。息苦しくなって、ごろんと仰向けになり、古びた天井を見つめる。
新庄花蓮。新庄潤。
未来の子供たち。
全身の酸素を吐き出して、頭を空っぽにする。そして、理解しがたい現実を、思い切り吸い込んだ。
約十五年後、自分は花蓮と潤の親になっている。
父親への態度と言葉遣いは少々悪いようだが、天真爛漫な二人を見ていれば、芯のあるしっかりした子供に育っているようだ。自分は、子供へちゃんと愛情を向けて育てられたのだろうと思う。
そんなことを想像したら、なんとも変な気分になっていた。戸惑いとむず痒さ。
それを丸ごと受け入れてしまえば、不思議とすんなりと胸に吸い込まれていた。
未来の自分は、それなりに幸せな人生を送ることができているのかもしれない。
そんなことを考えていたら、いつの間にかニヤニヤしていたようだ。口元が緩んでいる。
そして、最も肝心な部分を知らないことに気づいた。
俺の妻……あの子たちの、母親はいったい誰なんだ?
仕切りに咲良と会えと言ってきていた。ということは、咲良が妻なのか? それとも、そうじゃない? そして、あの二人はいったい何をしにここまで来た?
どうして俺に、会いに来たんだ?
溢れかえる疑問に、押しつぶされそうになる。あれだけ毛嫌いしていた花蓮と、一刻も早く会いたいと思った。スマホを取り出す。が、花蓮の連絡先を知らないことに気づいて、愕然とするしかなかった。
その音に気付いた妹がリビングから、顔だけをニョキっと出してきていた。
「お兄ちゃん、帰ってきたんだったら、ただいまくらい言ってよね。泥棒かと思ったじゃない」
いつも通りの冷たい視線ではあるが、完全に口元は緩んでいる。その顔を呆然と見つめながら、春馬は生気が抜けていくような息を吐いた。
「さっきの話……本当なのか?」
「うわー盗み聞きなんて、悪趣味」
そういいつつ、芽依は今すぐ話したいとばかりに、うずうずしている様子だ。それを視界の外へ追いやり、そのまま横を通り過ぎようとする春馬に、芽依はさらに溶けてなくなってしまいそうなくらいふやけた顔を向けてきていた。
「聞きたいなら、お兄ちゃんも混ざっていいよ。幸せのお裾分けしてあげる」
バカみたいな能天気なことをいってくる芽衣が煩わしすぎて、睨み返す。
「うわー、私と大違い。貧乏神がくっついてる顔。今の幸せが台無しになりそうだから、やっぱりこっち来ないで」
芽依はそういい捨てて、バタンとリビングのドアを閉めてくる。
「今日の夜は、ステーキでも焼きましょう! 芽衣の幸せを盛大に祝わないとね! 松阪牛買ってくるわ!」
「ヤッタ! 人生初の松阪牛!」
隔たれたドアの向こう側で、母と娘のお気楽な会話が続いているのが漏れ聞こえてきていた。
その会話の通り、夕食は人生初の松阪牛ステーキとなっていた。
父にも連絡が入ったのか、いつもは夕食が終わったころの帰宅が、その日は早めに帰ってきて、一緒に食卓を囲んでいた。
やけに洒落た食器にのっているステーキは、今まで味わったことがないくらいの高級な味がした。しかも口の中で簡単にとろける。ついでに、今まで見たことがない高そうなワインまで用意されていた。
ほろ酔い気分の両親は、芽衣と一緒に、先輩から晴れて彼氏に昇格した話でやらたら盛り上がっている。
春馬の意識は、完全にその騒ぎから離れたところにあって、せっかくの高級肉もあっという間に口の中で溶けてしまい、余韻もなく消えていく。
花蓮が言っていたことが、現実となっている。つまり、あの二人の言っていることは真実だということが決定づけられたというわけだ。
だが、本当にそんなこと、あり得るのか? 自問すれば、すぐに答えは出る。
あり得ない。
しかし、花蓮と潤の話し方は、とても、初対面に対する態度じゃなかった。
花蓮が初めて俺の前に現れたとき。俺のストーカーなのか、気があるのかと問えば、異様なまでの嫌がりよう。鬼畜だといわんばかりの反応だった。
あの時は、どうして初対面の相手にこんな失礼な態度をされるのか、怒りと困惑ばかりだったが、すべてを知った今その理由を考えてみれば、当然だ。実の父親にそんなことを言われたら、気色悪いを通り越して、悍ましいだろう。
花蓮から感じとった違和感は、それだけじゃない。それ以上にひっかかったことがある。それは、誰も知りえないような俺自身のことを花蓮は事細かに知っていたことだ。
コーヒーの好み、幽霊嫌い……咲良のこと。そして、たった今の芽衣の出来事。
状況証拠が揃いすぎている。
悶々と思考の波にさらわれ続け、ひたすら肉を頬張り咀嚼していく。口の中に広がっていた肉の旨みが消えてしまう。最後に残った肉の塊は、部位が悪かったのかなかなか噛み切れず、そのまま飲み込んでいた。
「ごちそうさま」
すっと立ち上がり、早々にリビングを出る。
「ねぇ、お父さん。春馬、なんか変じゃない?」
「うん、確かにな。何か悩みでもあるのかなぁ?」
「お兄ちゃんの悩みなんて、くだらないことばっかりだから、心配することないって」
「それも、そうね」
「そうだな」
わが家族らしい能天気な会話が背後から響いてくる。
ベッドへ倒れ込む。
しばらく干していない布団は、やけに埃っぽい。息苦しくなって、ごろんと仰向けになり、古びた天井を見つめる。
新庄花蓮。新庄潤。
未来の子供たち。
全身の酸素を吐き出して、頭を空っぽにする。そして、理解しがたい現実を、思い切り吸い込んだ。
約十五年後、自分は花蓮と潤の親になっている。
父親への態度と言葉遣いは少々悪いようだが、天真爛漫な二人を見ていれば、芯のあるしっかりした子供に育っているようだ。自分は、子供へちゃんと愛情を向けて育てられたのだろうと思う。
そんなことを想像したら、なんとも変な気分になっていた。戸惑いとむず痒さ。
それを丸ごと受け入れてしまえば、不思議とすんなりと胸に吸い込まれていた。
未来の自分は、それなりに幸せな人生を送ることができているのかもしれない。
そんなことを考えていたら、いつの間にかニヤニヤしていたようだ。口元が緩んでいる。
そして、最も肝心な部分を知らないことに気づいた。
俺の妻……あの子たちの、母親はいったい誰なんだ?
仕切りに咲良と会えと言ってきていた。ということは、咲良が妻なのか? それとも、そうじゃない? そして、あの二人はいったい何をしにここまで来た?
どうして俺に、会いに来たんだ?
溢れかえる疑問に、押しつぶされそうになる。あれだけ毛嫌いしていた花蓮と、一刻も早く会いたいと思った。スマホを取り出す。が、花蓮の連絡先を知らないことに気づいて、愕然とするしかなかった。
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