手に余るほどの幸せ

雨宮 瑞樹

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潤3

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 商店街の外にある公園へやってきて、二人でベンチに腰を下ろす。
 ピンクと群青が混ざり合ったマーブル模様のような空の下。公園の街頭のオレンジ色がぼんやりと、灯り始めている。
 咲良は、穏やかな笑みを浮かべ、潤を見やる。潤の白目が、またじわじわと赤く染まっている気がするのは、きっと気のせいではないのだろう。すっと息を吸い込んだ。
 
「どうして、泣くんです?」
「いや……あの、僕が勝手に泣いてるだけなんで、気にしないでください」
 先ほど聞いた答えと同じものが返ってくる声は、微かに震えていて、涙をこらえようとしているのが分かった。
 咲良は苦笑する。自分は初対面の人には、警戒心が強く働く方だと思っていたのに。どうしてだろう。
「私の顔を見て、泣かれて、気にするなっていう方が無理じゃないですか?」
 咲良は笑いながら、密かに驚いていた。
 初対面の人に、愛想笑いではなく、自然な笑みがこぼれている。まったく緊張感がない。こんなことは、初めてだった。どうしてか、この人に対してだけは、常に自分の前にある厚めの壁が薄くなっている。
「たしかに、そうかもしれないですね」
 潤は、鼻を啜りながら何度も頷いている。店内に入ってきたときの女子社員が色めきだたせていた端正な顔立ちは、台無しだ。咲良は、自分のカバンの中からハンカチを取り出して、差し出す。潤は、促されるがままに受け取ると、躊躇いなく涙と鼻水を拭い、返してきた。咲良は若干引きながら、押し戻す。
「返さなくていいです。あげます」
 潤は、そうですかと、ジーンズのポケットにしまい込んでいた。
 ふうっと大きく息を吐いて、貧乏ゆすりをはじめる。落ち着け、落ち着けと、自分に言い聞かせているようだった。
 落ち着きのない潤から、正面へ顔を向ける。
 
「涙は、好きじゃないんです」
 咲良ははっきりというと、ぴたりと潤がゆすっていた足が止まって、心地いい風がふわっと吹いていた。湿気が少なく、清々しい。
「私、散々家族を泣かせてきたし、自分自身でもたくさん泣いてきたから」
 潤の息をのむ気配がして、咲良は目を細めて空を見上げる。夕焼けを暗さが飲み込んでいるところだった。
 何種類もあった色が、一つずつ失っていく。 こんな風に、空の変化を風にあたりながら眺めるなんて、いつ以来だろう。
 考えてみれば、仕事が終われば、寄り道するのは本屋くらいで、他の場所へ立ち寄ろうとは考えもしなかった。
 暇な時間を過ごしてしまうと、どうしても春馬のことを思い出してしまうから。
 空はあっという間に、黒に染められていく。その中に、未だに鮮明に残っている春馬の笑顔を閉じ込める。

 大病してからというもの、両親の心配性は拍車がかかってしまった。
 心配のしすぎは、迷惑だと何度も言っているが、聞く耳を持ってくれないのが今の両親だ。そうさせてしまったのは、自分のせいでもあるから、強く反発できず今に至っている。
「あとは、通常生活でゆっくり体力をつけていきましょう」
 医者にいわれて、もう一年以上が経っている。体力も十分戻ってきているし、全く問題はない。食はまだ少々細いとは思うが、これだって解消されるのは時間の問題だろう。
 
 完全な夜を迎えて、星がいくつも瞬き、金色の満月が顔を出していた。
 潤の濡れた焦げ茶色の瞳を乾かすように、風が目元を拭っていく。
「泣かれるの嫌いだって、知ってたんですけど、どうしても堪えきれなくて……すみません」
 その発言に、咲良が目を見開いて、潤を見つめる。潤は空を仰いでいくところで、視線が合うことはなかったが、そのままスルーすることもできない。咲良のわずかに残っていた警戒心も吹っ飛んでいた。
「どうして、知ってたの?」
 咲良は、敬語を取りやめて尋ねる。
「だって……俺は」
 反射的に答えようとした潤だったが、急にしまったというような表情を浮かべていた。そわそわしだす。
「あー……僕、やっぱり急用思い出したんで、一旦帰ります」
 立ち上がろうとした潤の長袖Tシャツの袖を、咲良は、がっちりと掴んでいた。
 何かを隠していることは、明白だ。
「気になるから、全部教えて」
 咲良の今までの柔らかい空気は、ガラリと変わって、鋭く潤を睨む。
「やっぱり……怖いんすね」
「やっぱりって、どういう意味?」
 すかさず、咲良が突っ込んで尋ねると、充血していた潤の白目が青くなっている。
「……あぁ……俺、姉貴がいるんすけど、そっくりだったんで、つい……」
 本当の話だろうか。
 咲良は真偽を確かめるために、じっとこげ茶色の中心を見つめると、明後日の方向へどんどん逃げていく。
 警戒心がすっ飛んだ咲良は潤を睨みつける。
 絶対白状させてやる。そう思いながら、きつく問い詰め始める。
「話を戻すけど、どうして、私の顔を見て泣いたの? そもそも、どうして、私の名前を知っていたの? 全部、説明して」 
 潤はどうにかして逃げようとしているようだが、がっちり袖を握られて、逃がれられない。
「そ、袖が、伸びる」
 潤は戦々恐々としながら抗議してくるが、咲良はさらに力を込めた。
「ちゃんと話してくれたら、解放してあげる。話すまで、帰さないから」
「ずいぶん、積極的っすね……」
 潤が咲良を茶化したところで、咲良は目が落ちそうなほど見開く。がっちり掴んでいた手は、驚きのあまり引っ込んでいた。突然の咲良の異変に、どうかしたんすか? とのんびりと言いながら、潤も目を見開いていた。
「なんだ、これ」
 潤も自分の透けた手、腕、足を見て、驚いていたが、数秒後には元に戻っていた。
「あー、びっくりした」
 咲良の驚きのレベルよりも、潤ははるかに低かったようだ。すでに潤は、ほっと胸を撫で下ろしている。驚きが後を引いたままの咲良をいいことに、潤はさっと立ち上がっていた。
「新庄計画は、また練り直してきますんで」
 新庄という名前に、咲良の時が止まる。
「……新庄? ちょっと、待って!」
 再び、咲良の時間が流れ始めたときにはすでに、潤は全速力で走っているところだった。
「さようなら」
 潤が背を向け走りながら、手を振ってくる。
 咲良は、ちゃんと答えてくれなかった憤りを含みながら、その背中を睨みつけることしかできなかった。
 そして、新庄という名前が、咲良の頭の中心でいつまでも響き続けていた。
 
 
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