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突然の来訪者
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お経のような講義を聞き流しながら、新庄春馬は黒い瞳を真横にある窓から外へと移す。
ちょうど真横にある木の枝にニ羽のすずめがとまっていた。窓は閉め切られていて、音は聞こえてこないが、チュンチュンと笑っているような声をあげているのだろう。寄り添い、楽しそうにじゃれ合っていた。
しばらく続けた後、二羽はまた仲良く、晴れ渡った青々とした空へ羽ばたいていった。
こんな何気ない出来事を眺める時間があるということは、幸せという意味なのだろう。
起伏の激しい出来事があるわけでもない平坦な時間が。その隙間に、早見咲良のことを思い出す苦い時間が。
春馬が、深いため息をついたところで、講義は終わりを告げていた。
学生たちは、やっと終わったと、あちらこちらから、聞こえてくる。その喧騒を縫って、やってきた。
「春馬ー。この後、飲み会あるから、付き合えよ」
大学入学してかれこれ三年。この手の誘いが、かなり多い。
入学当初は、周りとうまくやろうという気持ちが強く、誘われれば、断ることはなかった。しかし、三年もすれば、それなりの友人構築できているし、これ以上交友関係を広げる必要もない。少々面倒な思いを押してまで、参加する必要はないのだが。
「春馬だったら、出席してもいいっていう奴が何人かいてさ。来てくれないと、飲み会開催できなくなっちまうんだよ。俺を助けると思って、頼むよ」
今日一番、薄くため息をつく。そう言われてしまうと、やはり断りづらい。そこに、タイミングよく相澤健人が入ってきた。
「なんで、いつも春馬なんだよ。俺でいいじゃん」
健人は口を尖らせながら、自信満々に自分を指差してみせる。それに対して、誘いに来た男は、首を振っていた。
「春馬は、華がある割に、安心感があるから、いいんだってさ」
「どういうこと?」
「顔のいい奴は、自分の容姿をひけらかして遊ぶ奴が多いけど、そうじゃないからいいんだってさ」
健人は、その理由は釈然としたないぜといいながら、軽蔑を向けられていた。
春馬は、ため息をつきながら思う。
がっついていないというのは、彼女が欲しいという願望が薄いと思われているということだろうが。
それは実のところ、正しいようで、正しくないというのが、本当のところだ。みんなと同じように、いい子がいれば、彼女は欲しいとは思っているし、綺麗な人を見かければ注目してしまう。それなりの欲は、持ち合わせていると思う。しかし、あえて訂正するほどの欲があるのかと言われれば、それは否ではあることは確かだった。故に、春馬は沈黙することにした。
「ま、そういうことだから、春馬頼むよ」
頼まれてしまえば、仕方ない。それに、まぁ女性から好感を持たれているという事実を知ってしまえば、悪い気もしなかった。余計なことを考える時間もなくなる。断る理由もない。
いいぜと、返事をしようとしたら、突然視界が真っ黒になっていた。その割に、いい香りがふわりと漂う。
この黒は、長い黒髪だと、遅れて認識する。そして、やっと、自分の目の前に女性が立ちはだかっていることを理解した。
同時に、長い黒髪から、飛び出していたのは。
「そのお誘い、丁重にお断りします」
黒髪が、春馬の代わりに返答していた。あまりに唐突な出来事で、ただ、黒髪の後姿を茫然と見ていることしかできなかった。
ティシャツにジーンズというラフな後ろ姿。華奢な体躯で、細い手首にシルバーブレスレットがキラリと光っている。
「誰?」
ざわざわする二人。
こんな可愛い子と、春馬いつの間に。彼女か?
視線が痛いが、全く身に覚えもない春馬は、首を振ることしかできない。もしかして、どこかの飲み会にいた人なのだろうか。誰かが、春馬の代わりに尋ねた。
「あの……あなた、お名前は?」
「花蓮です」
黒髪が答えた名前は、身に覚えのないもので、春馬はポカンとするしかなかった。
もしかして、人違いなのでは? そう思ったところで、彼女--花蓮は振り返ってこちらを鋭く睨んできていた。その焦げ茶色の眼はゆるぎなく、しっかり春馬をとらえている。
きれいな顔立ちだ。鼻筋も通っていて、各パーツも綺麗に整っている。どちらかといえば垂れ目がちだというのに、キリっとしていて結構な目力だ。ゴクリと唾をのみ込んで、固まってしまいながら、ぼんやりと咲良に似ているななんて、思ったのだが。すぐに、一瞬よぎった感想を捨て去る。
なぜなら、彼女は、とんでもないしかめっ面となっていたからだ。その上。
「今後一切、この人への女性絡みの誘いは、お控えください!」
言葉遣いは、それなりだが、吐き捨てるような言い方で、かなりきつい。あの咲良とは、似ても似つかない性格に、落胆してしまう。
そんな春馬の腕を、嫌そうな顔をしながらも、がっしりと掴んできていた。彼女の綺麗なはずの顔は、さらに歪んでいて、汚い物でも触っているような顔。だったら、わざわざそんなことするなよと言いたかったが、周囲から訳のわからない「おー」という歓声が上がって、飲み込まれてしまう。
彼女は「どいて!」と、野次馬を払い除けながら、春馬の腕をぐいぐい引っ張り、教室から強制連行されていた。
花蓮にひたすら、乱暴に腕を引っ張られて、長袖のシャツがいい加減よれよれになりそうだったところで、やっと解放される。
春馬の腕を掴んでいた彼女の手が離されると、彼女はハンカチで手を拭っていた。その顔は、やはりしかめっ面。しつこいくらい手を拭いている。さすがに、カチンときた。
「一体何なんだよ。突然爆弾投げ込んできた上に、人を罵りやがって」
「はぁ? いつ爆弾なんて投げ込んだのよ!」
「俺の平和な日常に、いきなり割って入ってきて、ぶち壊したんだろう!」
「それの何が悪いのよ。うじうじナメクジみたいに、好きな人のことばっかり考えているから、私が代わりに断ってあげたんでしょ! くだらない飲み会に無駄な時間を費やさないで、とっとと会いに行けばいいじゃない!」
花蓮にキッと睨まれて、息の根が止まりそうになる。
大学に入ってから周囲に、思い人の咲良の話をしたことも、匂わせたことも一切ないはずだ。なのに、どうしてそんな発想になる? すっと冷や汗が落ちる。
最後の力を振り絞るようにしてしらばっくれるのが精いっぱいだった。
「何の話だよ」
春馬からひどく情けない声が出たのをいいことに、女はさらに語気を強めていった。
「早見咲良に決まってるでしょ!」
春馬の心臓のど真ん中に風穴があいたような衝撃だった。
その名前を、他人の口から聞くことは一生ないと思っていた。もう二度と表に出ないように、深くうずめた思いだ。
それが、冬眠から目覚めたように疼きだす。鋭く、鈍い痛みとともに、あの日が鮮明に再生されていた。
――――――
卒業式の帰り道は、春めいた空で、卒業生を祝福するように舞っていた。
春馬の隣を歩くのは、早見咲良。筒に入った卒業証書を両手で抱えて、微笑む彼女。この先は明るい未来だけが待っていると思わせてくれるような茶色い瞳は、明るく眩しいくらい細めている。
「なぁ、咲良」
立ち止まった場所は、図らずもちょうど満開になった桜の下だった。
咲良は、一歩前に出ていた足を止めて、振り返る。
春馬の整った顔立ちによく映える黒い瞳が、咲良の姿を捉えている。相変わらず綺麗なきりっとした瞳だなと思いながら、咲良は微笑んだ。
「何?」
咲良は、長い睫毛を瞬かせる。太陽の光が茶色い瞳に反射していて、眩しさと美しさに拍車が掛かっていた。固まってしまっている春馬に、咲良は目を瞬かせてながら、ふわりと口角をあげていく。
「どうしたの? 幽霊でも見つけた? 春馬君、本当にそういうの苦手だよね」
冗談めかしてクスクス笑う咲良はいつも通りで、春馬は自分もいつ通りをこころがけようとぐっと拳を握っていく。一つ深呼吸してから、真剣な眼差しを真っすぐ咲良へ向けていた。
「あのさ……明日、会えないかな? 咲良に、伝えたいことがあるんだ」
「え?」
春馬のいつもと違う様子。咲良の見開いた瞳を丸々とさせながら、淡い期待が頭を掠めた。
もしかして。自分からは、どうしても言い出せなかった言葉を、くれようとしてくれている?
もしかして、春馬君も、私のこと好きでいてくれてるのかな?
高鳴る鼓動が煩い。急に気恥ずかしさも襲ってくるけれど、それを遥かに上回るほど嬉しさが押し寄せてくる。
咲良は小さく息を吐いて、きゅっと卒業証書を握る手に力を込めた。
「……私もね、春馬君に、伝えたいことがあるんだ……」
咲良は消え入りそうな声でそういった。
その反応は、もしかして。
春馬の胸が、急激に高鳴った。
咲良も俺のことを?
春馬の大きく膨れ上がった咲良への思い。
顔がゆるゆるになってしまう。
一方の咲良は、桜の木の下で、もともとピンク色だった顔が、真っ赤になっていた。それを隠そうと、くるりと身を翻してしまう。長い黒髪を艶やかに揺らしながら、投げやりな声が飛んできた。
「ともかく、明日ね!」
咲良に念を押されて、春馬の心臓に輝く前の星が、しっかりと埋め込まれたような気がした。
明日になれば、一等星以上の光で輝き始める。保証されている星だ。明日が待ち遠しくて、仕方がない。ならば、一層のこと今この場で、伝えてしまってもいいのではないか? そう思ったが、この期待と幸せに満ち溢れているこの瞬間を堪能するのも、悪くないと思った。
春馬は、空高く飛んで行ってしまいそうなほど、弾んだ声が出た。
「わかった。じゃあ……場所は……」
春馬は、考えるふりをしながらも、実はしっかり場所を決めていた。未だに背中を向けている咲良の正面に回り込み、咲良のはるか後方を指さす。
「花渡神社の前でどう?」
この道をまっすぐ歩いて十五分ほどの場所にある。その神社は、咲良を含めた友人たちと一緒に大学入学祈願をしに訪れている。本来は、恋の神様なんだけどなと、その後こっそり教えてくれた男が言っていたのを、しっかりと覚えていた。
咲良はどうか知らないでいてほしいと願いながら、早口で付け加える。
「ほら、境内にある桜、あるだろ? 樹齢三百年なんだってさ。俺、一回桜満開の時に見てみたかったんだよね」
弁解するように必死になっている春馬のことなど気にすることなく、咲良はぱっと目を輝かせていた。
「私も見てみたかったんだ! すごい綺麗だね!」
興奮気味の咲良にのせられて、春馬の心は空高く躍っていく。
「じゃあ、決まりだな。何時にする?」
「十四時くらいで、どうかな? 桜が一番綺麗に眺められる時間」
「オーケー。じゃあ、明日、花渡神社十四時に」
「うん、また明日ね」
咲良の満面の笑みで頷き返してくる。それが、伝染して、春馬にも笑顔が溢れていた。
そうやって交わされた約束が、果たされることなく終わる明日がやって来るなんて、誰が想像できたのだろうか。
ちょうど真横にある木の枝にニ羽のすずめがとまっていた。窓は閉め切られていて、音は聞こえてこないが、チュンチュンと笑っているような声をあげているのだろう。寄り添い、楽しそうにじゃれ合っていた。
しばらく続けた後、二羽はまた仲良く、晴れ渡った青々とした空へ羽ばたいていった。
こんな何気ない出来事を眺める時間があるということは、幸せという意味なのだろう。
起伏の激しい出来事があるわけでもない平坦な時間が。その隙間に、早見咲良のことを思い出す苦い時間が。
春馬が、深いため息をついたところで、講義は終わりを告げていた。
学生たちは、やっと終わったと、あちらこちらから、聞こえてくる。その喧騒を縫って、やってきた。
「春馬ー。この後、飲み会あるから、付き合えよ」
大学入学してかれこれ三年。この手の誘いが、かなり多い。
入学当初は、周りとうまくやろうという気持ちが強く、誘われれば、断ることはなかった。しかし、三年もすれば、それなりの友人構築できているし、これ以上交友関係を広げる必要もない。少々面倒な思いを押してまで、参加する必要はないのだが。
「春馬だったら、出席してもいいっていう奴が何人かいてさ。来てくれないと、飲み会開催できなくなっちまうんだよ。俺を助けると思って、頼むよ」
今日一番、薄くため息をつく。そう言われてしまうと、やはり断りづらい。そこに、タイミングよく相澤健人が入ってきた。
「なんで、いつも春馬なんだよ。俺でいいじゃん」
健人は口を尖らせながら、自信満々に自分を指差してみせる。それに対して、誘いに来た男は、首を振っていた。
「春馬は、華がある割に、安心感があるから、いいんだってさ」
「どういうこと?」
「顔のいい奴は、自分の容姿をひけらかして遊ぶ奴が多いけど、そうじゃないからいいんだってさ」
健人は、その理由は釈然としたないぜといいながら、軽蔑を向けられていた。
春馬は、ため息をつきながら思う。
がっついていないというのは、彼女が欲しいという願望が薄いと思われているということだろうが。
それは実のところ、正しいようで、正しくないというのが、本当のところだ。みんなと同じように、いい子がいれば、彼女は欲しいとは思っているし、綺麗な人を見かければ注目してしまう。それなりの欲は、持ち合わせていると思う。しかし、あえて訂正するほどの欲があるのかと言われれば、それは否ではあることは確かだった。故に、春馬は沈黙することにした。
「ま、そういうことだから、春馬頼むよ」
頼まれてしまえば、仕方ない。それに、まぁ女性から好感を持たれているという事実を知ってしまえば、悪い気もしなかった。余計なことを考える時間もなくなる。断る理由もない。
いいぜと、返事をしようとしたら、突然視界が真っ黒になっていた。その割に、いい香りがふわりと漂う。
この黒は、長い黒髪だと、遅れて認識する。そして、やっと、自分の目の前に女性が立ちはだかっていることを理解した。
同時に、長い黒髪から、飛び出していたのは。
「そのお誘い、丁重にお断りします」
黒髪が、春馬の代わりに返答していた。あまりに唐突な出来事で、ただ、黒髪の後姿を茫然と見ていることしかできなかった。
ティシャツにジーンズというラフな後ろ姿。華奢な体躯で、細い手首にシルバーブレスレットがキラリと光っている。
「誰?」
ざわざわする二人。
こんな可愛い子と、春馬いつの間に。彼女か?
視線が痛いが、全く身に覚えもない春馬は、首を振ることしかできない。もしかして、どこかの飲み会にいた人なのだろうか。誰かが、春馬の代わりに尋ねた。
「あの……あなた、お名前は?」
「花蓮です」
黒髪が答えた名前は、身に覚えのないもので、春馬はポカンとするしかなかった。
もしかして、人違いなのでは? そう思ったところで、彼女--花蓮は振り返ってこちらを鋭く睨んできていた。その焦げ茶色の眼はゆるぎなく、しっかり春馬をとらえている。
きれいな顔立ちだ。鼻筋も通っていて、各パーツも綺麗に整っている。どちらかといえば垂れ目がちだというのに、キリっとしていて結構な目力だ。ゴクリと唾をのみ込んで、固まってしまいながら、ぼんやりと咲良に似ているななんて、思ったのだが。すぐに、一瞬よぎった感想を捨て去る。
なぜなら、彼女は、とんでもないしかめっ面となっていたからだ。その上。
「今後一切、この人への女性絡みの誘いは、お控えください!」
言葉遣いは、それなりだが、吐き捨てるような言い方で、かなりきつい。あの咲良とは、似ても似つかない性格に、落胆してしまう。
そんな春馬の腕を、嫌そうな顔をしながらも、がっしりと掴んできていた。彼女の綺麗なはずの顔は、さらに歪んでいて、汚い物でも触っているような顔。だったら、わざわざそんなことするなよと言いたかったが、周囲から訳のわからない「おー」という歓声が上がって、飲み込まれてしまう。
彼女は「どいて!」と、野次馬を払い除けながら、春馬の腕をぐいぐい引っ張り、教室から強制連行されていた。
花蓮にひたすら、乱暴に腕を引っ張られて、長袖のシャツがいい加減よれよれになりそうだったところで、やっと解放される。
春馬の腕を掴んでいた彼女の手が離されると、彼女はハンカチで手を拭っていた。その顔は、やはりしかめっ面。しつこいくらい手を拭いている。さすがに、カチンときた。
「一体何なんだよ。突然爆弾投げ込んできた上に、人を罵りやがって」
「はぁ? いつ爆弾なんて投げ込んだのよ!」
「俺の平和な日常に、いきなり割って入ってきて、ぶち壊したんだろう!」
「それの何が悪いのよ。うじうじナメクジみたいに、好きな人のことばっかり考えているから、私が代わりに断ってあげたんでしょ! くだらない飲み会に無駄な時間を費やさないで、とっとと会いに行けばいいじゃない!」
花蓮にキッと睨まれて、息の根が止まりそうになる。
大学に入ってから周囲に、思い人の咲良の話をしたことも、匂わせたことも一切ないはずだ。なのに、どうしてそんな発想になる? すっと冷や汗が落ちる。
最後の力を振り絞るようにしてしらばっくれるのが精いっぱいだった。
「何の話だよ」
春馬からひどく情けない声が出たのをいいことに、女はさらに語気を強めていった。
「早見咲良に決まってるでしょ!」
春馬の心臓のど真ん中に風穴があいたような衝撃だった。
その名前を、他人の口から聞くことは一生ないと思っていた。もう二度と表に出ないように、深くうずめた思いだ。
それが、冬眠から目覚めたように疼きだす。鋭く、鈍い痛みとともに、あの日が鮮明に再生されていた。
――――――
卒業式の帰り道は、春めいた空で、卒業生を祝福するように舞っていた。
春馬の隣を歩くのは、早見咲良。筒に入った卒業証書を両手で抱えて、微笑む彼女。この先は明るい未来だけが待っていると思わせてくれるような茶色い瞳は、明るく眩しいくらい細めている。
「なぁ、咲良」
立ち止まった場所は、図らずもちょうど満開になった桜の下だった。
咲良は、一歩前に出ていた足を止めて、振り返る。
春馬の整った顔立ちによく映える黒い瞳が、咲良の姿を捉えている。相変わらず綺麗なきりっとした瞳だなと思いながら、咲良は微笑んだ。
「何?」
咲良は、長い睫毛を瞬かせる。太陽の光が茶色い瞳に反射していて、眩しさと美しさに拍車が掛かっていた。固まってしまっている春馬に、咲良は目を瞬かせてながら、ふわりと口角をあげていく。
「どうしたの? 幽霊でも見つけた? 春馬君、本当にそういうの苦手だよね」
冗談めかしてクスクス笑う咲良はいつも通りで、春馬は自分もいつ通りをこころがけようとぐっと拳を握っていく。一つ深呼吸してから、真剣な眼差しを真っすぐ咲良へ向けていた。
「あのさ……明日、会えないかな? 咲良に、伝えたいことがあるんだ」
「え?」
春馬のいつもと違う様子。咲良の見開いた瞳を丸々とさせながら、淡い期待が頭を掠めた。
もしかして。自分からは、どうしても言い出せなかった言葉を、くれようとしてくれている?
もしかして、春馬君も、私のこと好きでいてくれてるのかな?
高鳴る鼓動が煩い。急に気恥ずかしさも襲ってくるけれど、それを遥かに上回るほど嬉しさが押し寄せてくる。
咲良は小さく息を吐いて、きゅっと卒業証書を握る手に力を込めた。
「……私もね、春馬君に、伝えたいことがあるんだ……」
咲良は消え入りそうな声でそういった。
その反応は、もしかして。
春馬の胸が、急激に高鳴った。
咲良も俺のことを?
春馬の大きく膨れ上がった咲良への思い。
顔がゆるゆるになってしまう。
一方の咲良は、桜の木の下で、もともとピンク色だった顔が、真っ赤になっていた。それを隠そうと、くるりと身を翻してしまう。長い黒髪を艶やかに揺らしながら、投げやりな声が飛んできた。
「ともかく、明日ね!」
咲良に念を押されて、春馬の心臓に輝く前の星が、しっかりと埋め込まれたような気がした。
明日になれば、一等星以上の光で輝き始める。保証されている星だ。明日が待ち遠しくて、仕方がない。ならば、一層のこと今この場で、伝えてしまってもいいのではないか? そう思ったが、この期待と幸せに満ち溢れているこの瞬間を堪能するのも、悪くないと思った。
春馬は、空高く飛んで行ってしまいそうなほど、弾んだ声が出た。
「わかった。じゃあ……場所は……」
春馬は、考えるふりをしながらも、実はしっかり場所を決めていた。未だに背中を向けている咲良の正面に回り込み、咲良のはるか後方を指さす。
「花渡神社の前でどう?」
この道をまっすぐ歩いて十五分ほどの場所にある。その神社は、咲良を含めた友人たちと一緒に大学入学祈願をしに訪れている。本来は、恋の神様なんだけどなと、その後こっそり教えてくれた男が言っていたのを、しっかりと覚えていた。
咲良はどうか知らないでいてほしいと願いながら、早口で付け加える。
「ほら、境内にある桜、あるだろ? 樹齢三百年なんだってさ。俺、一回桜満開の時に見てみたかったんだよね」
弁解するように必死になっている春馬のことなど気にすることなく、咲良はぱっと目を輝かせていた。
「私も見てみたかったんだ! すごい綺麗だね!」
興奮気味の咲良にのせられて、春馬の心は空高く躍っていく。
「じゃあ、決まりだな。何時にする?」
「十四時くらいで、どうかな? 桜が一番綺麗に眺められる時間」
「オーケー。じゃあ、明日、花渡神社十四時に」
「うん、また明日ね」
咲良の満面の笑みで頷き返してくる。それが、伝染して、春馬にも笑顔が溢れていた。
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