願わくば一輪の花束を

雨宮 瑞樹

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カンパニュラ2

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 目の前が真っ白になる。さっき飲んだコーヒーの苦みが、口いっぱいに広がった。
 途端、たった一杯のコーヒーが胃の中で、質量が増してずっしり重くなった。息が苦しくなる。心臓は、破裂しそうなほど激しく打つ。息をするのが精いっぱいで、すべての動作が止まっていた。エレベーターホールへ向かおうとした足が、硬直したように動かない。
 「やっぱり」という、呟きが聞こえてきた。その声はわずかに震えている。
 リコが私の前に回り込んできた。リコの長い足だけが、視界に入ってくる。
 ショートした頭は、相変わらず時間が巻き戻り続けていたが、私のことをカゲと呼ぶ、あの時間でぴたりと止まっていた。
「あ、あずさ、さん?」
 足、胸元、顔。呆然と辿り、行き着いた場所は、激しい憎悪を含んだ双眸だった。
「どうして、あんたがいるのよ」
 目の奥が赤黒く燃えている。心臓の中心に突き刺さった。
 リコの細い腕では、想像がつかないほど強い力で、胸倉をつかまれる。
 浮く体。両足が、地面から離れていく。息が苦しい。酸素が足りない。
「ドラマの現場であんたを見たとき、見間違いだろうと思った。いや、見間違いであってほしいと思ってた」
 首が締まって、朦朧とする。
 耐え切れず、一番上まで止めておいたワイシャツの第一ボタンが、弾けとんだ。少し緩んだ首元。酸素を慌てて取り込むと、逃げ場のない高校の教室が鮮明に再生された。自分のストレスをぶつけるように、私のことを軽蔑視し、馬鹿にし、嘲笑った彼女。
 目の前にあるのは、濃い化粧を施した顔。昔と全然違っていて、わからなかった。
 しかし、考えてみれば長い手足は、当時の彼女――松坂梓そのままだ。
 当時、佐藤蓮へ燃え盛るような熱を放出していたのは、紛れもなく目の前にいる梓で、リコもそのままだ。
 どうして、気づけなかったのだろう。
 呆然と見返すと、至近距離にある鋭い瞳の目尻に水が溜まる。
「私が、ずっと彼に憧れていたこと、知っていたはずでしょ? 私は、彼に憧れて、苦労してこの世界に入った。それなのに、何? 私への当てつけ? 自分は金を持っているから、努力や苦労なんて何もせずととも、自分の思い通りになるって、今も私にそういいたいの?」
 憎しみと怒り足して、倍にしたような鋭さだ。

「この世で憎たらしいカゲが、どうして蓮君のマネージャーなんかやってるの?」
 本当に、ふざけないでよ。私は絶対、認めない。許さない。呪いの呪文を唱えるように、繰り返すと、急にその眼がカッと見開かれた。充血している白目の血管一つ一つが、浮き出ているのが見えた。
 パシン! 衝撃音とともに、視界がぶれた。頬に痛烈な痛みが走ったと同時に、胸倉をつかまれていた手が、離れた。
 前触れなく、手が離されたせいで、うまく着地できなかった。足がもつれて、床にほとんど転ぶように座り込む。
「私は、絶対許さない。引きずりおろしてやる」
 吐いた唾を捨て置くように告げた。重いカーペットにじっとりと染み込む。
 ひりひり痛む頬に手をやる。
 
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