願わくば一輪の花束を

雨宮 瑞樹

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カーネーション5

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 会場がざわざわしているが、心臓の音の方が断然うるさい。
 集まってくる視線は好奇の色をしていて、一直線に私と湊へ向かっている。無防備な瞳孔へまともに突き刺さってきて、血の気が引いてしまう。湊はその視線から背を向けているが、気付かないはずはないだろう。湊は動揺とは程遠い何食わぬ顔をしているが、瞳は微かに怒りのような色が浮かんでいる。
 リコさんから、まつりさんの情報でも集めてこいっていわれたんですよね? 先ほど湊の言葉が突き刺さる。
 湊が私に憤りを感じることは、当然のことだ。そんな目的があったことなんて、微塵も疑っていなかった。なんて私は、浅はかなんだろう。足元から焦りと情けなさが、駆け上がって全身を覆い被さってくるようだった。
 私はマネージャーの立場で、湊を守るべきなのに。これでは、逆ではないか。何とかしなければ。両手をついて、勢いよく立ち上がる。
 
「あの! 先ほどの出来事は、私が困っていたところ蓮さんが見かねて、助けてくださっただけです! 咄嗟についた嘘なので、聞き流してください!」
 人生でこんなに大きな音を出したことがないくらいの声が出た。自分でも驚いて、肩が飛び跳ねた。
 湊と私へ向けられている視線のすべてが、私に集まってきて、勢いよく思い切り頭を下げる。
 それでも、頭の上から降ってくる騒めきは、収まってはくれない。どうしたらいいのか、変な汗まで噴き出してくる。
 そこに、パンパンと手をたたく音が部屋いっぱいに響いた。驚いて顔を上げる。
「はいはーい、みなさん!」
 長い腕をいっぱい挙げ、手を左右に振っって、注目を促している川島が、部屋の真ん中に立っていた。一瞬で騒がしさが静まって、私から川島へ、集まっていた視線は引き付けられていた。
 
「さっきの人は、有名な御手洗さんという人です。この業界で働いている人は、その名前を知っている人は多いでしょう。リコのマネージャーで、黒い噂の絶えない人です。俺も、昔あの人に根掘り葉掘り聞かれて、変な噂流されそうになったことがあるんすよ。人の粗探して、蹴落とすのが仕事みたいで。まぁ、そんな人がそこにいて、蓮は対抗措置をとるためにさっきのセリフを吐いたということで、ご理解いただけるとありがたいです。そんな訳で、変な噂を流すのはご遠慮くださーい」
 私がやらなければいけない仕事を川島がすべて引き受けてくれる。
 川島は私のために作り話をしてくれたのかと思ったが、方々から「御手洗」という名前が聞こえてくる。更に納得の声まで上がっていた。あの人は、何でもするからねと、これまで私に向けられていたピンク色をした視線が、がらりと変わっていた。同情の目を向けてくれている。
 そして、湊が先ほど落とされた爆弾の名残も、全部その流れに乗って消えていた。
 
 川島には、感謝しかない。
 何もできなかった私とは大違いだ。自分の警戒心の薄さ。人を見る目のなさ、みんなに迷惑をかけた事実。責任というみえない何か肩にどっとのし掛かる。ずっしりと重たくなった身体。心なしか一つ電気が切れたように、周囲が少し暗くみえてくる。
 みんなの反応に満足そうに頷いて眺めていた川島が、すたすたと、湊のところへやってきていた。話し終えたところを見計らって、礼を述べなければ。二人のやり取りを見守る。
 川島は、その勢いのまま湊の首に腕を回そうとしていた。以前のような、仲のいい二人のやり取りがみられるだろうとおもっていたのだが、今回はそれを繰り広げてはくなかった。湊は川島の腕を払いのけて、先ほどとは程遠い苛ついた態度を見せていた。そのうえ、初めて見る湊の憮然とした表情。川島は労いの言葉をかけていたが、湊は口を開くことはなかった。
 そのまま、背を向けて食堂から外へ出て行ってしまう。
 ごくりとつばを飲み込むと、胃に何かが落ちてきたかのように不快で、ずっしりと重くなって不快にぐるぐるかき乱してくる。
 追いかけなきゃ。咄嗟にそう思い、踏み出そうとする足は酷く重かった。それでも、何とか踏み出そうとした。しかし、それを阻止するように、大きな手が私の肩に乗っていた。
「今は、放っておいた方がいい。あいつも、頭を冷やしたいんだろう」
 少し長い髪を後ろに払う川島は、やれやれとため息をつく。私は、踏み出そうとした足は、立ち止まることしかできなかった。川島は、椅子を引いてどかっと腰を下ろす。そして、頬杖をついて、遠くへと切れ長の瞳を向けていた。大柄な川島の横顔に、微かな苛立ちが見える。
 二人をあんな風にさせたのは、私のせいだ。
 
「川島さん、本当にすみませんでした。本来ならば、私がすべきことなのに、何もできず……間に入っていただいた上に、蓮さんともぎくしゃくさせてしまって……申し訳ありません」
 どうしても暗い声が出て、俯くことしかできない。不甲斐ないとは、まさにこういう時に使う言葉なのだろう。自分の力の足りなさに眩暈がしそうだ。
「別に、まつりちゃんが悪いことをした訳じゃないだろう。汚く罠を仕掛けてくる奴が悪い」
 絶対的に騙した方が悪いんですから。後藤に騙されたことを知り、どん底に落ちそうなところ、投げかけられた言葉とほとんど一緒だ。それは、つまり、私はまたあの時と同じような失敗をしていて、まったく成長していないといわれているように思えた。
 少しは変われたかもしれないと、思っていた自分が馬鹿みたいだ。ふいに、左腕をさする。ワイシャツの下に、初めて湊と会った日に切られた傷跡が鈍く傷んだ。こんな痛みなんかと比べ物にならないほど、今この全身にある鈍い痛みの方が、ずっと辛い。
 俯いたまま黙りこくっている私に、 川島は「まぁ、座れよ」と、明るい声で促される。私は、無気力に腰を下ろす。
 
「御手洗は、新しい顔を見つけると必ずやってきて、懐に入ってくる。野良猫みたいにすっと入り込んできて、弱みを見つけて、去っていく。蓮も、昔やられたんだよ」
「湊さんが?」
 思わぬ話に、弾けるように顔を上げる。川島は、私の反応に少し驚きながらも、愛嬌ある笑顔を見せていた。しばらくすると、すこし息を吐く。そして、両手を後頭部に当てて、天井を仰いでいた。苦々しく眉間に皺を寄せて、結構昔の話だと、静かに口を開いていた。
 
「蓮がデビューしたての時かな。当時まだ、高校生でドラマの撮影していたんだ。年配の俳優が多くてなかなか、その輪の中に入れなかったんだ。そんなとき、あの野良猫がやってきた。人間関係のぎくしゃくを嗅ぎ付ける嗅覚が異常に発達しているんだろう。それをだしにしてうまいこと寄り添うような言葉をかけてくるわけだよ。『あの人嫌な感じでしょう。私も嫌いなんだ』とか『あの人を苦手とする人は多いけど、どう?』とか。そんな感じで、人が誰しも何かしら持っているの嫌な部分を引き出そうとしてくる。湊も、うまいことそれに乗せられて、ぺらっと話してしまったわけだ。
 その時、共演していた名脇役俳優の赤星栄一あかほしえいいち。壁がぶ厚すぎて、眼中に入れないみたいな感じで。蓮は、赤星さんを本当に神様のように思っていたんだよ」
 憧れている人を前にすると、勝手に緊張して、勝手にハードルを上げて自滅する。そんな法則だなと、川島は笑っていたが、すぐにその顔は険しく曇っていた。
「それから、数日後。湊は、赤星さんから直々に呼び出された。蓮は、その呼び出しにわくわくしていたんだ。憧れていた人とやっとまともに話ができるかもしれないって。だが、ふたを開けてみれば、状況は真逆だった。赤星さんは、顔を突き合せた途端、烈火の如く怒り始めたんだ。『俺のことを偏屈なクソジジイって呼んでいたそうだな。しかも、もう俳優寿命も長くないと陰口も叩きやがったと聞いた』ってな、感じで。湊にとっては、寝耳に水。ぽかんとしてたら、赤星さんの火に油を注いでしまった。否定しても、釈明しても信じてくれず、結局、赤星さんサイドから湊との共演は、永久拒否される羽目になった」
 その制裁は、未だに解けていないと、加える声は沈んでいた。
 そんな辛い出来事があったなんて。いつもの湊からは、とても想像もつかない。穏やかな彼があるのは、順風満帆な日々の上で成り立っていると勝手に思っていた薄っぺらい自分が恥ずかしくなりそうだ。
 
「当時は、湊は悩んで、落ち込んで……まぁすごかったわけさ。ま、そんなとき、俺がいたお陰で、立ち直れたわけだけど」
 最後に添える川島は、私の湿った心をも乾かしてくれるように、カラッとしていて、明るかった。
「ということで、今あいつがブチ切れているのは、それを思い出したからだ。まつりちゃんのせいじゃない」
 元気出せと、猫背になっている背中をポンと叩かれる。根っこから明るい川島の元気が、そこから伝わる。
「芸能界って、そういう世界なわけ。湊みたいな奴の方が、珍しいんだぜ?」
 あ、俺もねと付け加えて、ケタケタ笑っていた。
 空元気でもいいから、前を向けと言ってくれている気がした。
 私も背筋を伸ばし、立ち上がる。

「私、やっぱり湊さんを追いかけてきます」
 すでに動き出している私に対して、川島は呆れたような表情を浮かべていたが、今度は引き留めなかった。
「早く、行ってこい」
 あっけらかんとした声が、私の背中を押す。
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