願わくば一輪の花束を

雨宮 瑞樹

文字の大きさ
上 下
3 / 38

レッドローズ2

しおりを挟む
「どうして、わかったんですか?」
 パリの街並みから目を落とし、小さく質問してみると、後藤は笑っていた。
「実は、君が通っていた高校に僕のいとこが通ってるんだ。で、小耳に挟んだことがあったんだよね。お金持ちのお嬢様がいるって。ほら、今も洋服とか、バッグも高級品だし、名前も影山だし? もしかしてって、思っていたんだ」
 そういわれて、身が固くなっていた。
 ずっと言われ続けてきた言葉を、やはりここにきても、また言われるのか。
 本当なら、こんな服だって持って来たくなかった。でも家にあるのは、すべてブランド品ばかり。持ち合わせがなくて、どうしようもなかった。ずっと夢見がちでふわふわと浮かんでいた気持ちが、鎖に拘束され、元の場所へ引き戻される。
 放たれるであろう鋭い矢に備えるため、ぎゅっと目を瞑る。
「そういう家に生まれると、大変そうだね」
 優しい響きが、ずたずたな心を包み込んでくるようだった。
 そんなこと言われのは、初めてだった。
 今まで、出会ってきた人たちは、そんな裕福な家に生まれて羨ましいと、口を揃えていた。
「俺には耐えられそうにない。影山さんは、すごいと思うよ。俺は、自由を謳歌しなければ、生きてるって感じしない人種なんだ」
 後藤は、そう言って白い歯を見せていた。
 その途端、ぶわっと春風が私の心に吹き荒れた気がした。失っていた色を取り戻していたパリの街並みが、より一層輝きを増しているように見えた。
 彼の存在は、この街を照らす太陽のようだと、思わずにいられない。
 

 そして、あっという間に時間は過ぎて、最終地のスペインへ。
 旅の終わりが近付くと、各々これからどうするかと未来の話をしていた。いつも後藤は、みんなの輪に混じるのが大好きなのに、この日だけは、私に二人で飲みにいかないかと誘われた。
 胸がはねた。ドキドキしたが、迷わず私は頷いた。
 
 夜のカフェ。後藤と私は窓際の二人席に通された。
 後藤は、ちょっとといって、席を立った。店員と何か話し込む。しばらくして、店員が頷くと、後藤が戻ってきて、私の正面に座り居住まいをただす。私へ真っすぐな視線を向けていた。
 その意味を察することなどできるはずもない私は、ただ首をかしげることしかできなかった。
「人生は自分のものだ。楽しく生きるか、つまらなく生きるか。それを選ぶのも自分次第。だから、俺は自分自身に正直でありたい。影山さん。そんな俺をこれから先、支えてくれませんか?」
 思いがけない言葉だった。心臓のど真ん中を射抜かれたような衝撃が走った。
 私は固まってしまった。
 支えるということは、どういう意味なのか、よく理解できずにいると、店員が花束を持ってきて後藤へ渡されていた。
 後藤は、私へその花束を私へ差し出した。
 真っ赤な花々。一瞬、母の好きな赤い梅が脳裏にかすめて、心臓が恐怖で跳ね上がりそうだった。しかし、華やかな香りがすぐに打ち消してくれた。
 そこにあったのは、無数の赤いバラ。百本はくだらない。これは、もしかして。ごくりと唾をのみ込む。
「結婚してください」
 後藤は、花言葉をそのまま口にしていた。
 突然のプロポーズ。私は、目を見開き、同時に思った。
 やはり、彼は、私の希望の光だ。強い光が私の心の中心で輝き始めるとともに、私の口から自然と零れた。
「はい」
 
 そういうと、自覚できるほど顔が真っ赤になる。初めて自分の意志を誰かに伝えられた事実にも、驚き、高揚していた。
 そんな私に、彼はいった。
「ありがとう! 俺、すっごくうれしいよ! これで、夢に一歩近づいた」
 興奮気味にいう彼へ、私は笑顔で尋ねた。
「夢?」
「俺の夢は、ほしいものすべて手に入れること。一度きりの人生なんだらから、欲張りたいんだよ。もちろん影山さんも」
 ぶわっと体温が上がる。両手で顔をパタパタと扇ぎながら改めて思った。明確な夢を語れる彼の力強い輝きは、本物だ。
 私に夢はあるかと聞かれたら、何も答えられない。今まで、夢なんて持ったことさえもなかった。ただ、母の機嫌を損ねないように、いわれるがままに生きる。敷かれたレールを少しも踏み外すことなく、進んでいくだけ。光なんてどこにもない。
 だけど、彼と一緒にいたら、きっとレールなんてぶち壊して、道なき道へ導いてくれる。そして、私も彼と同じ明るい場所へ連れて行ってくれる。疑う心なんて微塵もなかった。
「私も応援します」
 微笑んで答えると、後藤は満面の笑みを浮かべてくれる。
 そんな笑顔を私に見せてくれることが、ただただ嬉しかった。
 
「じゃあさ、早速日本に帰ったら同棲しよう。俺、新居探しておくから」
「え?」
 悲鳴に近い驚きが出てしまう。
「そんなに驚くこと? だって、結婚するんだよ?」
 不思議な顔をされるけれど、そうか。彼にとっては、それは普通なのかもしれないと、妙に納得してしまう。
 だって、彼は規格外。私とは全然違う。
 急激に気分が落ち込んでしまう。そこに付け入るように、母の激怒する顔が脳裏を掠めた。
 この旅行だって、反対を押し切って勝手に参加したのだ。それだけでも、大激怒しているだろうに、帰ってくるなり同棲しますなんて、いったらどうなってしまうんだろう。
 そんな私の危惧は、後藤は簡単に見抜いていた。
 
「影山さん。君の人生は君のものだ。僕は君のこと、ちゃんと支えるから」
 その一言で、私の気持ちは固まっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

振られた私

詩織
恋愛
告白をして振られた。 そして再会。 毎日が気まづい。

一夜の男

詩織
恋愛
ドラマとかの出来事かと思ってた。 まさか自分にもこんなことが起きるとは... そして相手の顔を見ることなく逃げたので、知ってる人かも全く知らない人かもわからない。

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

好きな人がいるならちゃんと言ってよ

しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

処理中です...