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別れの伝達者
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―― 一週間後
今日は珍しく就業時間を持て余していた。
それは、つまり今日亡くなった人が少なかったことを意味するのだから嬉しい限りだ。
がらんとしたホールにあの張り詰めた独特な緊張感と悲痛な泣声が嘘のように穏やかな空気が流れている。
椅子を一つ一つ丁寧に拭き、床を磨く。一通り作業を終え、外へ出ると梅雨に入る前の穏やかな抜けるような青い空と柔らかな日差しが降り注いでいた。その合間から小鳥の囀りが聞こえてくる。ここは都会から少し離れた場所にあるため、一面木々に囲まれている。自然豊かな緑は、悲しみを浄化してくれる作用をもたらすとどこかで聞いたことがある。ならば、この場は悲しみの場として相応しいと私は思う。
空を仰ぎ、私は伸びをして思い切り息を吸い込む。ふっと力を抜いて、正面に顔を向けると遠くの方に人影が見えた。
誰だろう?
こんな場所ただ一つの目的がない限り足を向けることはないはずなのに。頭をフル回転させてながら真っすぐにこちらに近付いてくる人影に目を凝らしてみると、パチンと火花が散るように思い出した。
あの時は、完全に化粧が落ちた代わりに絶望に打ちひしがれ暗く悲しみに染まった顔をしていたから、本当の顔はわからなかった。彼女もまた隼人と同じように暖かく優し気な目をしていることに気付ける距離まで来たところで、私は声をかけた。
「菜穂さん」
私が名前を憶えていたことに驚いたような顔をして、菜穂は深々と頭を下げて、目の前までやってきた。
「お仕事中に、突然すみません。その節はご迷惑おかけしまして、申し訳ありませんでした」
あの時は喪服姿だったが、今日は水色のワンピースを身に纏っていた。可憐な美少女。そんな言葉がぴったりだと思った。
束ねた黒髪に陽光が注いで艶やかに輝いて、瞳が茶色く透き通っていて、思わず目が奪われる。
「いえ。その後、お元気でしたか?」
当たり障りのない言葉でそう聞くと、「はい」といって美しく笑っていた。その微笑みはあの時見た暗いものではなく、明るい。そして、その笑顔も隼人のものとどことなく似ていて、やっぱりこの二人は似た者同士で素敵なカップルだったのだろうとふと思う。あの別れがなければ、それこそその命が燃え尽きるまで二人同じ道を歩んでいたのかもしれない。そう思ったら、忘れかけていた鈍い痛みが疼きだす。
「川澄さんがどちらにいるのか、お勤め先に問い合わせたところ、終日こちらにいることをお聞きして……。あの、私、どうしても川澄さんとお話ししたいことがありまして……後でお時間いただけますか?」
畏まってそういう菜穂に、私は微笑む。
「ここを出てすぐ正面に喫茶店があります。そこで少しだけ待っていてもらえますか?」
「はい! もちろんです」
それでも微笑む彼女の顔は、さわやかに晴れ渡っていた。
ホールにいるスタッフに声をかけて、施設の外正面にある『喫茶こもれび』に向かう。私が入社して以来、贔屓にしている店だ。ここのコーヒーが抜群においしい。軽食もやっているから、昼ご飯を食べにくる時間があるときは必ずここにくる。この店のマスターとはすっかり顔なじみだ。
入り口のドアを押すと「あそこでお待ちになられています」と、教えてくれたマスターにコーヒーを注文し、店の一番奥の席に座る背中に声をかけた。
「お待たせしてすみません」
菜穂に頭を下げると彼女は律儀に起立して、私よりも深々と頭を下げた。
「こちらこそ、お忙しいのに突然押しかけてすみません」
上品で、礼儀正しく、とても素敵なこの人をあんなに案じていた隼人の気持ちがわかった気がした。恐縮し合う私たちの間を取り持つように、マスターがコーヒーを持ってきてくれた。
「まぁまぁ二人とも落ち着いて。うちのコーヒーを味わってください」
そういわれて、私たちは目を見合わせて笑うと、ふわりと芳ばしい香が漂っていた。
腰を据えてコーヒーを一口飲むとそっとカップを置いた。そして、菜穂は居住まいを正し改まる。それにつられるように、私も背筋を伸ばすと菜穂はゆっくりと切り出した。
「あの葬儀の二日後、隼人さんのお母さんからお電話いただいて、ご両親とお会いしたんです。そして、隼人のお父さんから『あの時は、責めてしまって申し訳なかった』と言われました」
あんな父親と思っていたけれど、ちゃんと正しい選択をしてくれたことに安堵しながら「そうでしたか」と私は微笑む。
「その時、隼人のお母さんからこれを渡されました」
鞄の中から出した一つの小さな正方形の箱を机に置いた。その横に二つ折りのカードを置く。
「隼人さんから私への最後の誕生日プレゼントです」
菜穂はその横のカードを開き私に見せると、そこには『菜穂、いつもありがとう。これからも末永くよろしく』と几帳面な文字で書かれていた。
その言葉の裏で隼人は二人共に歩む未来をしっかりと見据えていたことを知る。疼いていた痛みが鋭くなって眉間に皺が寄りそうになる。だけど、彼女は私なんかと比較にならないほどの傷を抱えているのだ。私がそんな顔をするわけにはいかないと堪える。
そっと箱の蓋を開けるとその中身は、ターコイズがあしらわれたピアスが光っていた。
「隼人らしいです。そんなこと書かれていたら指輪だと思いますよね」
不器用な人なんです。といいながらも、誇らし気に菜穂は笑う。
「ターコイズは、人生の旅を守り、幸運をもたらす石なんです。どんな思いでこれを隼人は選んでくれたんだろうって考えたら、とても苦しかった」
愛おしそうにピアスを見るその瞳にうっすらと水の幕が張られていたが、すぐに引き戻されて私に顔を向けた。その顔には少し悪戯っぽいような笑顔が浮かぶ。それを私が不思議に思っていると。
「川澄さんが、隼人があそこにいるって教えてくれた時。この人何言ってるんだろうって思ったんです。そんな気休めの言葉、必要ないのにって」
容赦のない正直な声に、私は苦笑すると菜穂もくすくすと明るく笑った。誰かの笑い声を聞くのは久しぶりで、心地よく響き渡る。コーヒーを一口飲めば、一層おいしく感じた。菜穂は緩やかに笑いを止めて、今度は思いを巡らすように少しだけ上を向いて懐かしそうに目を細めていた。
「でも、言われた方向をみたら本当に隼人がいるような気がしてきたんです。耳を澄ませば、気配まで感じられるようになって。すぐ隣にいるような気がして。そして、手を伸ばしたら……」
あの時、落ちてきた彼の最期の涙の感触を思い出しているのか菜穂は自分の掌をじっと見つめていた。その目は切なさに溢れていて、私の胸がきゅっと軋む。巡らせていた思いが終着点に辿り着いたように菜穂の瞳が私と合う。
「川澄さん。あの時彼はどんな顔していましたか?」
その問いに私は目を見開きまじまじと菜穂を見た。
その顔は、決して冗談めかしたものではなく、思わず私の方が目を逸らしてしまいそうになるくらい真剣だった。
「隼人はどんな言葉を残したんでしょうか」
彼女の真っ直ぐな思いが私の胸を貫くようにその瞳は力強く揺るぎない。隼人と菜穂の前では、誤魔化しは、通用しない。二人の前に、私は敵わない。ため息一つ吐き白旗をあげるしかない。私が見て聞いたすべてを彼女に話して聞かせた。
隼人がずっと、菜穂を案じていたこと。最後に抱きしめていたこと。どうか、幸せにと最期に願っていたことを。
あの時のように、また菜穂の目に分厚い水の幕が張り始め、ぽとりと机に落ちる。
「ああ。もう本当にダメですね。もう泣かないって決めたのに」
慌ててポケットから白いハンカチを取り出して拭うと、じわりと水の跡をつくっていた。
でも、その涙は別れの時とは違って青く透き通って眩しいくらいだった。
「川澄さん、本当にありがとうございました。私隼人が亡くなったと聞いたとき、もう生きていても仕方ないと思うほどにどん底に突き落とされていました。あの日は、それ以上に苦しかった。
……だけど。川澄さんのお陰で真っ暗だった道に明かりが灯った気がしました」
「私は何もしていませんよ」
「いえ、川澄さんのお陰です」
彼女の透き通った声が真っすぐに私の胸に届き染み込んでいく。二人の温かさで、私の心にもまた一つ明かりが灯った気がした。これじゃ、どちらが励まされているのかわからない。菜穂の強さに感服するしかなかった。
喫茶店を出た菜穂は別れ際。
「では、また」
と、菜穂は言ったけれど私はゆっくりと首を降る。
「『また』は、ないですよ。菜穂さんは、もうここに来てはいけません」
ここは、別れの場だ。早々来られては困る。明るい日の下で生きていく菜穂には必要のない場所だ。至って真面目にそう言う私に菜穂はクスクス笑っていた。
「じゃあ、また別の場所で」
菜穂は綺麗な笑顔でそう言うと、水色のスカートを翻し陽光の中へと滲んでいく。彼女の行く道がこの道のように光に満たものであることを祈りながら、背中の水色が消えるまで私は静かに見送っていた。
大切な誰かの死に直面することほど、苦しいことはない。身近な人であればあるほど、突き落とされる穴は深く暗い。
ここに訪れる多くの人々は、大切なな人を失った悲しみと、この先の自分の未来への不安と寂しさにうちひしがれている。だけど、人と人との別れは決して綺麗なものばかりではないことは、この仕事に就き数ある別れ中で嫌になるほど経験してきた。
葬儀屋の一従業員である私の仕事は、その人たちに寄り添うこと。いくら特殊な力を持っていたとしても、それ以上でもそれ以下でもない。自分の立場は弁えているつもりだ。だとしたら、本来ならば最後の言葉を伝達する必要はないのかもしれないとも思う。けれど、死者の最期の言葉を伝えることにより、遺された者が光を取り戻せるのならば、私は伝えるべきだと思うのだ。
出来る限り両者に心残りはさせたくないために。この力を持つ者の使命は、そこにあるのだと私は思いたい。
「川澄さん、お仕事入りました」
私を呼びに来てくれたスタッフの声が澄み渡った空気に響く。
束の間の休息を終え、私は呼ばれた方へと足を向ける。
すっと笑顔を消し、今日も誰かの心に寄り添う準備を怠らない。静かに心を整える。
死者の声と生者の思いを繋ぐため、今日も私は悲しみの場へと赴く。絶望に落とされても必ず光はあると信じて。
今日は珍しく就業時間を持て余していた。
それは、つまり今日亡くなった人が少なかったことを意味するのだから嬉しい限りだ。
がらんとしたホールにあの張り詰めた独特な緊張感と悲痛な泣声が嘘のように穏やかな空気が流れている。
椅子を一つ一つ丁寧に拭き、床を磨く。一通り作業を終え、外へ出ると梅雨に入る前の穏やかな抜けるような青い空と柔らかな日差しが降り注いでいた。その合間から小鳥の囀りが聞こえてくる。ここは都会から少し離れた場所にあるため、一面木々に囲まれている。自然豊かな緑は、悲しみを浄化してくれる作用をもたらすとどこかで聞いたことがある。ならば、この場は悲しみの場として相応しいと私は思う。
空を仰ぎ、私は伸びをして思い切り息を吸い込む。ふっと力を抜いて、正面に顔を向けると遠くの方に人影が見えた。
誰だろう?
こんな場所ただ一つの目的がない限り足を向けることはないはずなのに。頭をフル回転させてながら真っすぐにこちらに近付いてくる人影に目を凝らしてみると、パチンと火花が散るように思い出した。
あの時は、完全に化粧が落ちた代わりに絶望に打ちひしがれ暗く悲しみに染まった顔をしていたから、本当の顔はわからなかった。彼女もまた隼人と同じように暖かく優し気な目をしていることに気付ける距離まで来たところで、私は声をかけた。
「菜穂さん」
私が名前を憶えていたことに驚いたような顔をして、菜穂は深々と頭を下げて、目の前までやってきた。
「お仕事中に、突然すみません。その節はご迷惑おかけしまして、申し訳ありませんでした」
あの時は喪服姿だったが、今日は水色のワンピースを身に纏っていた。可憐な美少女。そんな言葉がぴったりだと思った。
束ねた黒髪に陽光が注いで艶やかに輝いて、瞳が茶色く透き通っていて、思わず目が奪われる。
「いえ。その後、お元気でしたか?」
当たり障りのない言葉でそう聞くと、「はい」といって美しく笑っていた。その微笑みはあの時見た暗いものではなく、明るい。そして、その笑顔も隼人のものとどことなく似ていて、やっぱりこの二人は似た者同士で素敵なカップルだったのだろうとふと思う。あの別れがなければ、それこそその命が燃え尽きるまで二人同じ道を歩んでいたのかもしれない。そう思ったら、忘れかけていた鈍い痛みが疼きだす。
「川澄さんがどちらにいるのか、お勤め先に問い合わせたところ、終日こちらにいることをお聞きして……。あの、私、どうしても川澄さんとお話ししたいことがありまして……後でお時間いただけますか?」
畏まってそういう菜穂に、私は微笑む。
「ここを出てすぐ正面に喫茶店があります。そこで少しだけ待っていてもらえますか?」
「はい! もちろんです」
それでも微笑む彼女の顔は、さわやかに晴れ渡っていた。
ホールにいるスタッフに声をかけて、施設の外正面にある『喫茶こもれび』に向かう。私が入社して以来、贔屓にしている店だ。ここのコーヒーが抜群においしい。軽食もやっているから、昼ご飯を食べにくる時間があるときは必ずここにくる。この店のマスターとはすっかり顔なじみだ。
入り口のドアを押すと「あそこでお待ちになられています」と、教えてくれたマスターにコーヒーを注文し、店の一番奥の席に座る背中に声をかけた。
「お待たせしてすみません」
菜穂に頭を下げると彼女は律儀に起立して、私よりも深々と頭を下げた。
「こちらこそ、お忙しいのに突然押しかけてすみません」
上品で、礼儀正しく、とても素敵なこの人をあんなに案じていた隼人の気持ちがわかった気がした。恐縮し合う私たちの間を取り持つように、マスターがコーヒーを持ってきてくれた。
「まぁまぁ二人とも落ち着いて。うちのコーヒーを味わってください」
そういわれて、私たちは目を見合わせて笑うと、ふわりと芳ばしい香が漂っていた。
腰を据えてコーヒーを一口飲むとそっとカップを置いた。そして、菜穂は居住まいを正し改まる。それにつられるように、私も背筋を伸ばすと菜穂はゆっくりと切り出した。
「あの葬儀の二日後、隼人さんのお母さんからお電話いただいて、ご両親とお会いしたんです。そして、隼人のお父さんから『あの時は、責めてしまって申し訳なかった』と言われました」
あんな父親と思っていたけれど、ちゃんと正しい選択をしてくれたことに安堵しながら「そうでしたか」と私は微笑む。
「その時、隼人のお母さんからこれを渡されました」
鞄の中から出した一つの小さな正方形の箱を机に置いた。その横に二つ折りのカードを置く。
「隼人さんから私への最後の誕生日プレゼントです」
菜穂はその横のカードを開き私に見せると、そこには『菜穂、いつもありがとう。これからも末永くよろしく』と几帳面な文字で書かれていた。
その言葉の裏で隼人は二人共に歩む未来をしっかりと見据えていたことを知る。疼いていた痛みが鋭くなって眉間に皺が寄りそうになる。だけど、彼女は私なんかと比較にならないほどの傷を抱えているのだ。私がそんな顔をするわけにはいかないと堪える。
そっと箱の蓋を開けるとその中身は、ターコイズがあしらわれたピアスが光っていた。
「隼人らしいです。そんなこと書かれていたら指輪だと思いますよね」
不器用な人なんです。といいながらも、誇らし気に菜穂は笑う。
「ターコイズは、人生の旅を守り、幸運をもたらす石なんです。どんな思いでこれを隼人は選んでくれたんだろうって考えたら、とても苦しかった」
愛おしそうにピアスを見るその瞳にうっすらと水の幕が張られていたが、すぐに引き戻されて私に顔を向けた。その顔には少し悪戯っぽいような笑顔が浮かぶ。それを私が不思議に思っていると。
「川澄さんが、隼人があそこにいるって教えてくれた時。この人何言ってるんだろうって思ったんです。そんな気休めの言葉、必要ないのにって」
容赦のない正直な声に、私は苦笑すると菜穂もくすくすと明るく笑った。誰かの笑い声を聞くのは久しぶりで、心地よく響き渡る。コーヒーを一口飲めば、一層おいしく感じた。菜穂は緩やかに笑いを止めて、今度は思いを巡らすように少しだけ上を向いて懐かしそうに目を細めていた。
「でも、言われた方向をみたら本当に隼人がいるような気がしてきたんです。耳を澄ませば、気配まで感じられるようになって。すぐ隣にいるような気がして。そして、手を伸ばしたら……」
あの時、落ちてきた彼の最期の涙の感触を思い出しているのか菜穂は自分の掌をじっと見つめていた。その目は切なさに溢れていて、私の胸がきゅっと軋む。巡らせていた思いが終着点に辿り着いたように菜穂の瞳が私と合う。
「川澄さん。あの時彼はどんな顔していましたか?」
その問いに私は目を見開きまじまじと菜穂を見た。
その顔は、決して冗談めかしたものではなく、思わず私の方が目を逸らしてしまいそうになるくらい真剣だった。
「隼人はどんな言葉を残したんでしょうか」
彼女の真っ直ぐな思いが私の胸を貫くようにその瞳は力強く揺るぎない。隼人と菜穂の前では、誤魔化しは、通用しない。二人の前に、私は敵わない。ため息一つ吐き白旗をあげるしかない。私が見て聞いたすべてを彼女に話して聞かせた。
隼人がずっと、菜穂を案じていたこと。最後に抱きしめていたこと。どうか、幸せにと最期に願っていたことを。
あの時のように、また菜穂の目に分厚い水の幕が張り始め、ぽとりと机に落ちる。
「ああ。もう本当にダメですね。もう泣かないって決めたのに」
慌ててポケットから白いハンカチを取り出して拭うと、じわりと水の跡をつくっていた。
でも、その涙は別れの時とは違って青く透き通って眩しいくらいだった。
「川澄さん、本当にありがとうございました。私隼人が亡くなったと聞いたとき、もう生きていても仕方ないと思うほどにどん底に突き落とされていました。あの日は、それ以上に苦しかった。
……だけど。川澄さんのお陰で真っ暗だった道に明かりが灯った気がしました」
「私は何もしていませんよ」
「いえ、川澄さんのお陰です」
彼女の透き通った声が真っすぐに私の胸に届き染み込んでいく。二人の温かさで、私の心にもまた一つ明かりが灯った気がした。これじゃ、どちらが励まされているのかわからない。菜穂の強さに感服するしかなかった。
喫茶店を出た菜穂は別れ際。
「では、また」
と、菜穂は言ったけれど私はゆっくりと首を降る。
「『また』は、ないですよ。菜穂さんは、もうここに来てはいけません」
ここは、別れの場だ。早々来られては困る。明るい日の下で生きていく菜穂には必要のない場所だ。至って真面目にそう言う私に菜穂はクスクス笑っていた。
「じゃあ、また別の場所で」
菜穂は綺麗な笑顔でそう言うと、水色のスカートを翻し陽光の中へと滲んでいく。彼女の行く道がこの道のように光に満たものであることを祈りながら、背中の水色が消えるまで私は静かに見送っていた。
大切な誰かの死に直面することほど、苦しいことはない。身近な人であればあるほど、突き落とされる穴は深く暗い。
ここに訪れる多くの人々は、大切なな人を失った悲しみと、この先の自分の未来への不安と寂しさにうちひしがれている。だけど、人と人との別れは決して綺麗なものばかりではないことは、この仕事に就き数ある別れ中で嫌になるほど経験してきた。
葬儀屋の一従業員である私の仕事は、その人たちに寄り添うこと。いくら特殊な力を持っていたとしても、それ以上でもそれ以下でもない。自分の立場は弁えているつもりだ。だとしたら、本来ならば最後の言葉を伝達する必要はないのかもしれないとも思う。けれど、死者の最期の言葉を伝えることにより、遺された者が光を取り戻せるのならば、私は伝えるべきだと思うのだ。
出来る限り両者に心残りはさせたくないために。この力を持つ者の使命は、そこにあるのだと私は思いたい。
「川澄さん、お仕事入りました」
私を呼びに来てくれたスタッフの声が澄み渡った空気に響く。
束の間の休息を終え、私は呼ばれた方へと足を向ける。
すっと笑顔を消し、今日も誰かの心に寄り添う準備を怠らない。静かに心を整える。
死者の声と生者の思いを繋ぐため、今日も私は悲しみの場へと赴く。絶望に落とされても必ず光はあると信じて。
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