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それぞれの世界

1話[灰色の世界]

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 ため息をつくと幸せが逃げてしまうという。実にその通りだと思うと同時に別に減っても構わないとも思った。
 どうやらこの世界では
 葛城(かつらぎ)つらら の悩みは贅沢な方のようで。

「言うだけ野暮ね」

 そう自己完結しておいた。人は嫌いじゃないし、生きるのも苦ではない。誰からも愛されていないだなんて、もちろん思ったりしてないけれど、どうしても心が薄暗くなる。世界に色味がなくてつまらない。いつものように呟いた。

「お嬢さま、1人の時に笑顔でいろとは言いませんがいささか暗すぎるのでは」
「清水。いたのね」

 一緒の車に乗っているのだから当然ではないか。そんな当たり前のこと、今更いっても仕方がないからと清水は口を閉じた。
 代々、葛城家に仕える使用人の清水一家。清水の父は清水をつららと同じ高校に通わせメイドとしてサポートさせている。清水とつららは同い年であるためその方が修行にもなって良いとのことだった。今日も車の窓の外を見ながらつららはため息をつく。そんな主人を見ていられなくて、清水は静かに下を見た。

「今日の授業は何かしら」
「1時限目に体育、2時限目に国語、その後数学、社会。午後からは学年合同で特別講義があります」
「眠くなりそうね」
「体育はバレーボールです」
「なら、おもしろそうだわ」

 つららは少し微笑んだ。どうやらバレーは好きらしい。いつかドッジボールだったときは何とも言えない悲壮感を漂わせていたから、主人の好きなものが未だに清水はよく分からない。
 笑えばこんなに可愛いのに、1人の時はまるで敵意を丸出しにしている動物のような目をしている。敵なんていないのに、少し諦めたような目をしているんだ。
 清水はその目がどうしても苦手だった。

「清水は体育、大丈夫そう?」
「お嬢さまの後ろにいますので」
「それあなた、あたしを盾にしているだけじゃない」
「人を倒すのは得意なんですが、ボールだと苦手で……人間よりもろいですし」
「さらっと怖いこと言わないでくれる?」

 昔から主人を守るための格闘術は一通り学んできた清水であったが手加減の具合を知らないまま高校生になってしまい、ドッジボールをすればけが人を続出させバレボールやサッカーをすればもれなく触れるボールは全て壊した。そのため体育は見学か主人の後ろに隠れるのが主流になっていた。

「たまには清水を敵にしてプレーしたいものだわ」
「お嬢さまも壊れてしまいます」
「いや壊れるってなによ」

 清水が葛城家のボディーガードなどの誰よりも強いことは知っていたがその強さを未だにその目で見たことはない。ただ、中学のときに荒れていた先輩たちを何人か病院へ送ってしまったと聞いたが。せっかく同い年の近しい存在だ。
 ライバルとして闘い、やるじゃねぇか。へへっお前こそ。な展開に持って行きたいのに。
 そしたら、少しは。

「まぁ、いいわ」

 どうしたって灰色になって、曇りきってしまった自分の世界は戻りそうにない。期待するだけ無駄なんだ。

「雨、降ってきたわね」
「本当ですね…空は明るいですが」

 さっきまで晴れていたのだと思っていたのに。外を見るとさっきとは打って変わってザーザーと雨が降っていた。
 天気雨というものだろうか。よく知らないし、興味もないけれど。つららは再び景色へと目を向けた。

「あれ、うちの学園の生徒でしょうか」
「うん?」

 清水が静かに外を指差した。つららがのぞいてみるとそこには、自分と同じ制服を着て笑顔で雨の中を走る女の子がいた。

「何あの子」
「雨さんありがとう、お日さまありがとうと叫んでいますね」
「よく分かるわね清水」

 いや、問題はそこじゃないのだけど。この雨の中傘もささずに何をしているんだろう。
 見れば傘を差し出す人や乗せて行こうかと提案する人もいる。それなのに。

「わたし、着替え持ってるのでと言ってます」
「いや着替えも濡れちゃってるでしょあれ」

 知らない人から物を借りないことや知らない人の車に乗らないことは正しいことかもしれないと思う。しかし嬉々として雨に打たれる女子高生を見れば心配になってしまうのは当然だろう。

「清水、引き返すからあの子を連れてきて」
「引き返さなくても連れてきますよ?」
「それじゃ清水まで濡れちゃうでしょ」

 家の方へ予備の制服を持ってくるよう連絡し、あの少女の元へと急ぐよう運転手へと伝える。なんだか無駄に疲れてしまったような気もするが。

「……お嬢さま」
「なに?」
「……いえ、なにも」

 何年も連れそった清水にだけ分かってしまうような、小さな笑み。楽しそうだと、口元が語っている。

「笑うととても可愛らしいですよお嬢さま」
「笑ってなんているかしら」

 灰色に染まってしまった主人の笑顔。
 雨の中を笑顔で走るあの少女なら、色をつけてくれるかもしれない。



 主人の、自分には隠しきれてない笑みを見ながら清水はそんなことを思っていた。
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