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86 もっちりが売りなのに…。

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     ◆もっちりが売りなのに…。

 エーデルリンクでの初日は、久しぶりに落ち着いた、大きな夜会のない夜になりました。
 ディナールームで、縦長のテーブルについて食事をしています。
 ぼくの大好きなチキンのソテーが出てきましたよ? いろいろな香草がふんだんに使われていて、とても美味しそうです。
 ぼくの好物を、ファウストが事前に知らせていたのでしょうか? ナイフでひと口に切ったお肉をフォークに刺して。いっただきまーす。

「ここに来るまでに三つの大きな夜会に出席したということですが、大変でしたなぁ? 私などは、一日でも夜会に出ると、次の日は胃もたれを起こしてしまい。いやはや、年にはかないませんなぁ?」
 はっはっは、と公爵は豪快に笑う。
 ぼくは。お肉をゴキュリとのみ込んで。えへへと愛想笑いをします。
 ホント、どうしてこの親からファウストのような静謐な息子が生まれるのでしょう? 不思議です。

「とにかく、今日は気の知れたご友人方とゆるりと夕食を楽しまれて、長旅の疲れを癒してください。晩さん会は明日の夜に開きます。魔国最果てのこの地に王族の方々がいらっしゃるのは、本当に珍しいことなので。サリエル様やシュナイツ様にお目にかかりたい者が山ほどいるのでございますよぉ? 連日の夜会でお疲れでしょうが、ご容赦くださいませ」
 公爵が眉尻を下げるのに。いえいえと返します。一日でも休めるのは、ありがたいので。
 兄上が組んだ、この日程がハードスケジュールすぎるのです。

「お気遣い、感謝いたします。ご用意いただいた部屋も、セキュリティーがとても行き届いていて、素晴らしいです。さすが魔国防衛の要であるバッキャスのお屋敷だと、感服していたのですよ?」
 バッキャス公爵は、辺境伯という肩書もある。
 それは、国境の守りを任された人物という、尊敬の意味もあるのだ。
 彼に背中を預けていれば安心、みたいな?
 バッキャスが国境にいれば、魔国は安泰ということなのだ。

「いやはや、お褒めいただいて恐縮なのですが。みなさま方、夜は屋敷の敷地外には出ないよう、くれぐれもお頼み申し上げます」
 まぁ、夜にフラフラと散歩したりはしませんけれど。
 それでも首をかしげると。ファウストが聞いてくれた。
「父上、それはどういうことですか? 私はサリエル様に、バッキャスの守りは万全だということを体験していただきたくて、屋敷に招待したのですよ?」
「もちろん、バッキャスの不落は健在だとも。しかし。怖がらせたくはないのですが。森に未確認の魔物がいるようなのです。人族が森に入ったときに、干からびた死体が発見されたと…」
 その話を聞いたマリーは、怖がって。ぼくに椅子を寄せて腕にしがみついた。
 君。そのようにか弱い御令嬢じゃないでしょうが?
 つか、魔力なしのぼくより断然強い癖にぃ。

 でも御令嬢に頼られるのは、男としては嬉しいですけどぉ?

「パンちゃんが干からびたら、どうしましょう。パンちゃんはもっちりが売りなのに…」
 そういう理由っ?!

「もちろん、我が屋敷周りは充分に警備しておりますので。敷地内にいてくだされば、安全は保障いたします。しかし魔族の手練れの兵士も被害にあっているので。外に出られると、みなさま方にも身の危険があるやもしれません」
 公爵の言葉に、ファウストは珍しく大きな声をあげた。
「そのような魔物を放置しておけないでしょう? バッキャスの騎兵はなにをしているのですか?」
「我が辺境領には、まだ被害は出ていないのだ。被害にあった魔族の話は隣のクレスタ領で。それも人族の国に近い森の中での話だ。依頼もなく、隣にバッキャスの兵を派遣できまい?」
 父に諭されて、ファウストはウヌヌと唇をかむ。
 領境は高い塀で囲い込むほどに。縄張り意識が強く。自領の問題はなるべく自領で片を付ける、というのが基本なのです。

 でも。その話を聞いて。
 ぼくとシュナイツとマルチェロは。しんなりと眉を寄せた。
 クレスタ領というのは。エレオノラ母上が隠居している古城がある領の名で。三人はそのことを知っているからだ。

 公爵は、クレスタがエーデルリンクの隣だと称したが。本当のお隣さんは、侯爵領カージナルだ。クレスタはその中に組み込まれた、小さな子爵領にすぎない。
 クレスタは実質、古城と湖と村があるだけのところだ。
 以前は魔王所有の古城を子爵が管理していたのだが。古城を母上に下賜したときに、管理者の子爵にクレスタの土地を委譲した。エレオノラと古城の件はよろしく、とばかりにね。

 魔王様、丸投げ過ぎます。

 でも。魔力量の多い魔王様は、エレオノラ母上がいることでこの土地には近づくこともできないのだから、丸投げは仕方がないと言えば仕方がないのだけれどね。放置よりはマシでしょうか?

 もちろん兄上は、クレスタ領に寄るスケジュールを組んでいない。
 ぼくと母上が出会うことを、兄上は好ましく思っていないからね?
 大丈夫です。膨大な魔力量を誇るバッキャス公爵のいるこの屋敷に、母上が来ることもないでしょう。だから、エーデルリンクとクレスタがほど近くても、兄上は旅を了承してくれたのでしょうしね?

「この件は、王都に連絡がいっているのですか?」
 シュナイツの問いに、バッキャス公爵は大きくうなずいた。
「もちろんです、シュナイツ様。隣の領のことと言えど、未確認のものがうごめいているのは恐ろしいものですからね? 近々調査隊が組まれるようですよ? 国境に横たわる森には境がないですから、魔物がこちらに来るようなら、調査隊が来る前にバッキャスの騎兵で瞬殺できるのですがねぇ?」
 そう言って、公爵はがっはっはと笑った。己の騎兵に自信があるのですね? すごいことです。

「そうですか。レオンハルト兄上が対応してくれるのなら、安心ですね?」
「被害者が干からびているということは。吸血する魔獣かなぁ?」
「吸血する魔族もいるじゃないか? しかし魔族の者が人族を襲ったとなると、また問題だな? 人族と戦争になるかもしれない」
 男性陣は興味津々で、マルチェロやエドガーまで参戦して魔獣について考察している。
 もう。夕食時だというのに、生臭くてきな臭い話題で盛り上がるのは。魔族ならではなのでしょうか?
 まぁ女性陣も肝が据わっているふたりなので、全然怖がっていないから良いのですけど。

 ただ、母上のいる領の名を思いがけず耳にして。ぼくは不穏に思ってしまったけれど。
 何事もなく旅が終わるのを、そっと祈るばかりです。

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