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80 この話は聞かなかったことにいたしましょう

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     ◆この話は聞かなかったことにいたしましょう

 馬車がドッテルベンの領境りょうざかいを通過し、街中に入ると。丘の上に建つベルフェレス公爵の屋敷が見えてきた。
 すると、ずっと真ん中の位置で走っていたぼくらが乗る馬車が、一番先頭に立ちました。お屋敷についたら、ぼくが一番に馬車から降りて、公爵に挨拶をしなければならないからです。

 公爵の屋敷は近づくにつれて、また見えなくなる。敷地への入り口からは、高い塀のせいで建物が全く見えなくなる構造だ。
 周りにおほりがあって、跳ね橋がかかっている。お城と同じくらいに頑丈な防御がなされているのだ。
 中に入ると広大な森が続き。木々の暗さをくぐって抜け出ると、その先に緑豊かな丘がある。
 そこでようやく、また丘の上の屋敷が見えるようになるのだ。

 なだらかな坂を馬車は登っていく。ベルフェレスのお屋敷は、森に囲まれた鉄壁のお城だった。
 大きな玄関口に馬車が到着し。まずは騎士が、その扉を開ける。
 初めにミケージャが馬車を降り。彼の手を取って、ぼくはドッテルベンの地にストトンと着地した。
 兄上との阿吽あうんの呼吸、とはいきませんが。ミケージャもそつなく、ぼくを馬車から降ろしてくれます。

 いえ、ぼくは。ひとりで馬車は降りられるのですよ?

 でも旅のしおりに『馬車の乗り降りはミケージャにエスコートさせること。万が一足を踏み外して、怪我をしたら大変です』と書いてあるのです。
 兄上はきっと、お腹の出っ張りで足元が見えず、領主の前でぼくが無様ぶざまにこけたら恥ずかしいと思ったのでしょう。
 えぇ、そんなことが起きたらぼくも恥ずかしいです。危険です。
 なので、素直にミケージャの手を借りるのですぅ。

 ぼくのあとにシュナイツも馬車から、こちらは颯爽と降りてきて。他の馬車に乗っていたお友達のみなさんも、ぼくの後ろにそろいました。
 そして出迎えてくれたベルフェレス公爵と握手をします。

 彼は、シュナイツのおじいさんに当たるのですが。
 いえいえ、全然年若く見えます。
 人族的に言えば、三十代後半くらいの見た目でしょうか? シュナイツよりもぶっといけれど、赤いツノがガっと前に出ているのは彼と同様ですね。
「ベルフェレス公爵、この度は突然の訪問に快く応じてくださり、ありがとうございます」

 ぼくの性分としては、年上の方に挨拶するときはヘコヘコと頭を下げたくなっちゃうものなのですが。
 魔王の子息として。立場が下の者に、頭を下げてはいけないんだよねぇ?
 ぼくは偉くないけど。魔王様の威厳を保つのにはそうしなければいけないんですって。

「サリエル様、旅中、我が屋敷にお立ち寄りくださり恐悦至極にございます。サリエル様とは、我が孫シュナイツの六歳お披露目会のときにご挨拶させていただきましたが。覚えておいででしょうか?」
 シュナイツが大人になったらこんな感じ? という渋いながらもイケメンなおじさまで。
 優しいお顔でにっこりされて。ぼくは嬉しくなりました。

「もちろんです。あのときは、レオンハルト兄上がいないとなにもできない未熟者で。無作法がありましたら、ご容赦いただきたいものでございます」
「とんでもない。サリエル様がご聡明なことは我が耳にも届いておりますし。幼いながらも立派にご挨拶できていましたよ?」
 とりあえず、ぼくの挨拶はこの辺で。シュナイツに交代すると、彼はハグで公爵と挨拶をしていた。

「お久しぶりです、お祖父じいさま」
「あぁシュナイツ。しばらく見ない間に大きくなったな?」
 そうしてシュナイツが、婚約者のマリー、そして兄のマルチェロ。ファウスト、アリス、エドガーと、家格の順で公爵に紹介していく。
 ぼくはそれを、鷹揚に見ている。

 今はシュナイツが紹介をしているが。彼は公爵の身内だからであって。
 他の家に行ったら。シュナイツも王族として、ぼくと同じく鷹揚に見守るのだ。
 今しているシュナイツの立場は、今度はミケージャが担うことになる。

 こういう役割や手順などは、全部決まっていることなんだよね?
 でもテンプレだと、人情味がないし。
 その時々のシチュエーションで、臨機応変にしなければならないから。難しいね?

 そうして一同は屋敷の中へ案内された。
 屋敷は大きな石組で建てられていて、重厚で厳粛な印象だ。
 エントランスの床は大理石で。つるつるのピカピカ。しかしそれよりも目を引いたのは、エントランスに飾られた魔獣のはく製たちだった。

「シュナイツから公爵も収集家だと聞き及んでおりました。はく製をコレクションなさっているのですか?」
 会話の糸口として、シュナイツに教えてもらっていた情報だ。
 シュナイツも収集家だからね。ぼくの…使用済みコーヒーカップの収集だけど。

「えぇ、狩りとはく製作りの両方が趣味なのですよ」
 趣味の話になると、公爵は相好そうごうを崩して気安い感じで応じてくれた。
 彼の言葉に、ぼくは物珍しげに、はく製をまじまじと見やる。
 中には、すっごく強いと言われるブラックファイアライオンの頭部とかもある。
 ガオーって感じで口が開いていて、今にも火を噴きそうで、ちょっと怖い。

「それにしても、サリエル様はまぁるくて、本当に可愛らしいお方ですなぁ。私は娘の影響で、可愛いものにも目がないのですよ。このまんまはく製にして、取っておきたくなりますなぁ」
 はっはっは、とか言って笑うけど。
 いやいやいや、冗談だとしても怖いんですけど?
 つか、ライオンの横にぼくのはく製とかがぷよーんとあったら、おかしいでしょう? センスが疑われてしまいます。
 てか、はく製は、嫌です。
 しかし…こんなところに可愛いもの好きシルビア義母上の弊害が出るとはっ。

「お祖父さま、わかっていませんねぇ。サリエル兄上は、あたたかくて柔らかくて、ほがらかに笑っているのが良いのです」
 シュナイツがそう言ってくれて、良かったぁ。ぼくはこの屋敷ではく製になるのはまぬがれました。
 そう思って、ホッとしていたのに。

「はく製にしたら、サリエル兄上の柔らかさが失われてしまいます」
 えええぇぇぇ? そういう理由?

「それに兄上は優しくて、そばにいると心地よいので。加工をするなら死ぬ間際が良いと思います」
 えええぇぇぇ? 何気なにげにひどくて怖いことを言っているのですがぁ?

「しかし晩年まで、このマシュマロボディであるとは限らないではないか? はく製は、そのものが一番輝いているピッチピチなときに作るのが、重要なのだぞ?」
「水分を注入して氷漬けにするのです。ぼくが永遠に、サリエル兄上をでますので。お祖父さまはご遠慮ください」

 ベルフェレスの祖父と孫が、ぼくが死んだ後の相談をしていますよ?
 どうしましょう? こういう場合、どう話をもっていけばかどを立てずにおさめられるのですかぁ?
 兄上ぇ。早速ピンチですぅ。

「ダメですわ! シュナイツ様は三番目。レオンハルト兄上と私のあとでございますわぁ?」
 そこにマリーベルが割って入った。おぉ、やはりマリーはぼくの味方ですぅ。

「レオ兄さまはどうするかわかりませんけどぉ、私はサリエル様に綿を詰めてぬいぐるみにしますから。シュナイツ様の氷漬けの番は回ってきませんわよぉ?」
「ぬいぐるみなんてすぐに劣化するし、汚れるじゃないか?」
「いや、はく製が一番に決まっている。はく製こそ、生命の息吹をリアルに表現できるのだっ」

 味方だと思ったのに。むしろ、マリーベルのせいで話がこじれた。
 マリーのあとに、シュナイツと公爵が反論して、わちゃわちゃです。
 えええぇぇぇ?

 うん。この話は聞かなかったことにいたしましょう。
 きっと、それが正しいと思います。ね? 兄上。

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