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79 兄上、しばしのお別れです。

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     ◆兄上、しばしのお別れです。

 カラッとした爽やかな暑さを感じる中。今日、ぼくは。ファウストのご実家があるエーデルリンク領へ旅立ちます。
 ぼくが乗る馬車と、荷物を載せる馬車の、二台です。

 そんなぁ、ぼくなどは普段着ている衣装と、兄上がプレゼントしてくれた寝間着があれば充分なのですよ?
 でもね。次期魔王妃として、夜会などでは身の回りはそれなりに飾り立てなければならないのです。
 ぼくがみすぼらしい姿でいると。
『婚約者にこのような格好をさせる次期魔王は、甲斐性がない』などと、兄上が言われてしまうらしいのです。
 面倒ですね?

 しかしながら、兄上をけなされるわけにはいかないので。
 エリンに全部お任せだったけど。かなり多めの衣装を馬車に積んでいる模様です。
 確かに、通りがかる領に滞在するということは。
 今回は、おそらく六回ほど晩さん会が開かれることになります。ひえぇぇ。
 過去、大きなもよおしとしては、ルーフェン兄妹のお誕生日会に御呼ばれしたことが何回かあるのですが。そのときは兄上も一緒でしたし。昼間でしたし。
 個人参加の連日の晩さん会は、本当にはじめての体験です。どうなることやら?

 玄関扉を出た先には、雨除けの屋根があり、その下に馬車のロータリーが通っています。
 横付けされた馬車の手前で、ぼくと兄上は別れの挨拶を、熱烈に、念入りにいたしました。

「サリュ。決して無理はしてはいけないぞ? 困ったことは、すぐにミケージャに相談しなさい」
「兄上ぇ…」
 ぼくは兄上の腰にプヨッと抱きつきます。
 兄上の体温を今のうちに感じておかないとぉ。

「もしも、なにかサリュに危険があったら、私はすぐに飛んでいくからな? というか、もういっそ私も一緒に行こうか?」
「それはいけません。兄上がいないと困る方々が、魔王城にはいっぱいいらっしゃいますから。それでなくても先週観劇に行ったばかりで。その一日の休みを取るのも大変だったではありませんかぁ?」
 ぼくがダメ出しをすると、兄上は。
 それはそうなのだがぁ、本来は魔王の仕事で…などと、ぶつぶつつぶやいています。

「だけど、兄上と一緒に旅行するのも楽しそうですね?」
 いつか、その日がくるのを楽しみにしています。という想いで兄上を見上げると。
 兄上はぼくの体に手を添えて、ムギュムギュと抱きしめてくれました。
 手つきが、ちょーっとくすぐったいです。ふへっ。

「そうだな。いつかふたりきりで旅行に行こう。あぁ、しかし…サリュが一週間もいないなんて。屋敷も火が消えたようになるだろうな?」
「すぐに帰ってまいります。チョッパヤです」
 兄上にムギュムギュされて、笑いがこみ上げるけど。それでもお別れの悲しみの方が勝るので、目にはジワリと涙がにじみます。

 しかし、名残惜しいけれど。ぐずぐずしていたら、初日にお世話になる領までたどり着けなくなるから。
 断腸の思いで兄上から離れて。馬車に乗り込みました。

 すかさず馬車の窓に引っ付いて、兄上の姿を一秒でも多くみつめます。
 そんなぼくを見て、兄上は苦笑するけど。
 いつもキリリとした眉が、若干下がっているから。ぼくも悲しくなっちゃって。
 あぁ、ファウストのご実家に誘われたときは、嬉しかったし。初めての体験にワクワクして、旅行に行ってみたいなぁなんて思って。
 兄上に、行ってもいい? なんて聞いてしまったけど。

 もう、帰りたい。

 馬車が出発して、どんどん兄上の姿が遠くなって。
 ぼくはっ。悲しいっ。
 兄上が見えなくなっても、ぼくはしばらく窓にくっついていた。くすん。

 兄上、しばしのお別れです。

 マジで、チョッパヤで帰るから。待っていてくださいね?
「サリエル様、そろそろ椅子に腰かけてくださいませ。危ないですからね。しかしそのように悲しまなくても良いのでは? 一週間の道程、離れることは。今までもあったことですし?」
 馬車の中、苦笑交じりにミケージャに言われるが。

「いいえ、ぼくが兄上のそばを離れるということは、はじめてのことでございますからね」
 そう言って、ぼくは椅子に腰かけます。
 馬車は揺れるので、危ないは危ないです。

「それに、この度は。領主様にご挨拶という大役を仰せつかっていますから。兄上は悲しい気持ちもあるでしょうが、ご心配の方が、もっと大きな大きなものなのでしょう。ぼくも兄上の御助力なしでどれだけできるのか、自分のことが心配ですもん」

 幼児がはじめて買い物に出るかのような。ハラハラでソワソワが。双方にあるのです。
 心細さが、名残惜しさに拍車をかけるのです。

「その気持ちは理解できますが。毎度、砂糖を吐く思いの私のこともおもんぱかってください」
 ミケージャがそう言ったら。エリンが声を出した。
「ミケージャ。レオンハルト様とサリエル様が仲睦まじいことは、素晴らしいことです。砂糖を吐ける幸せを噛みしめるべきなのです。ザラザラ吐いて、精進なさいませ」
 エリンに言われ、ミケージャは『未熟者ですみません』と謝っていた。
 いえいえ、こちらこそ。
 毎度砂糖を吐いていたとは、つゆ知らず。
 かといって、なにをどうしたらいいのかはよくわからない、ぼくだった。

     ★★★★★

 馬車が王都に降りていくと、ぼくらの馬車の前や後ろに他の馬車がどんどん合流してくる。
 そして十台以上の馬車の一団ができて。その馬車の前や脇に、整然と、一個大隊くらいの規模の騎馬が並んだ。

 王都の民も、魔王家や公爵家の家紋の付いたきらびやかな馬車の隊列を見て、何事だと、驚きに目をみはっていたし。
 ぼくも、思いがけなく大きな一団になったから、目を奪われた。
「やんごとなき子女の方々の行列ですので。レオンハルト様が万全の護衛を用意いたしましたよ? そこにバッキャスの騎馬隊も加わっていますから。なかなかに壮観な隊列になりましたね?」
 ミケージャが説明してくれた。兄上は、警備の点も抜かりなくしてくれたのですね?
 ぼくはただ、旅行に行ってくるぅという気持ちだけだったが。
 そうだよね? 名家の子女が無防備に旅をしていたら、危ないのですね?

 ついさっきまで、兄上と離れたことを悲しく思っていたのに。今はその気持ちが、胸の中で尊敬の念となって、キラキラに輝いた。
 さすがです、兄上。

 一団が王都を囲む塀の外へ出ると。しばらくは一面の野原や大きな田園が広がって。人や建物もまばらになっていくのが見える。
 屋敷の周りは、緑豊かだが。遠くまで見通せる景色というものをこの目で見るのははじめてで。その大地の広大さや空の広がりに、感動してしまう。
 インナーの見せてくれた世界も、小さい空間にビルや建物が立ち並び、そこに大勢の人がひしめき合っていた。
 そういうイメージ映像が多かったから。
 見渡す限りの小麦畑とか、果てが見通せない草原は、新鮮な景色だ。

 そうしたら、見晴らしの良い場所で馬車の一団は一度その足を止めた。
 というか、馬車や騎馬が止まった。
「ん? ミケージャ。まだ目的地にはついていませんよね?」
 ぼくの質問に、そうですねとミケージャがうなずく。
 すると、そこに。馬車の扉がノックされた。

「サリエル兄上、目的地まで私がご一緒いたします。初日に滞在するのは、私の母の実家があるドッテルベンですから。ベルフェレス家のことなど、お話しながら参りましょう」
 そう言って、シュナイツが馬車に乗り込んできた。
 エリンは予備の馬車に移動し。シュナイツと入れ替わる。
 そして再び、馬車はドッテルベンに向けて動き出した。

 シュナイツが言ったように、一日目の滞在先はシュナイツの母方の実家、ベルフェレス家があるドッテルベンだ。
 本来ファウストの実家であるエーデルリンクにまっすぐ向かえば、通りがからない領なのだが。
 遠回りルートでそちらに寄っていく。
 それは、兄上が。ぼくの顔を売ったり、ぼくの味方を増やすのに必要だと思ったからだろう。

 ぼくはずっと、兄上の背中に隠れていて。あまり表に出ていなかったから。
 心強いお友達はいるものの、貴族の後ろ盾はほぼない状態なのだ。
 今回の旅行は、貴族との顔つなぎや王族として公務の雰囲気を知るいい機会です。勉強の場にしなさい。
 と、旅のしおりにも書いてあります。
 ドラベチカ家の子息となったからには、旅行も遊び感覚でフラフラしてはいけませぇん。ということですね。

 余談ですが、領の名前は必ずしも領主の名前がつくわけではない。
 領主は、不始末があったら領地を没収されるし。公爵は力を失えば、代替わりする。その都度、領の名前が変わったら民が混乱するからだ。
 なので正式な名称は、ベルフェレス公爵領ドッテルベンとなる。
 領主が変わっても、ドッテルベンは変わらず、冠の名だけが変わる感じです。
 ファウストのところは、バッキャス公爵領エーデルリンク、だね?

 まぁ、そんな感じで。シュナイツにベルフェレス公爵についてなどいろいろ教えてもらいながら、道中を楽しく進んで行ったのだった。 

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