上 下
82 / 180

52 さよなら、インナー

しおりを挟む
     ◆さよなら、インナー

 三月下旬のある日。
 学園は、春休みになって。ぼくはお屋敷でのんびりしております。

 とはいえ、兄上は魔王城に出仕しているし。
 休みの間にしておく課題も初日に終了してしまって、暇でした。

 なので、ぼくは。兄上に誕生日プレゼントとしていただいたカラフルな糸のセットを使って、刺繍をすることにしたのです。
 もちろん、兄上へのプレゼントですよ?

 刺繍は、裁縫の先生にも及第点をいただいているので。
 兄上が普段使いしても恥ずかしくないものを提供できる、はず。たぶん。

 でも、ですから。
 無難に、ハンカチのワンポイントにしましょう。どのような絵柄にしようかなぁ?
 あぁ、春だから。サクラーにしようかなぁ?
 そろそろ、またサクラーが咲きますね。
 ピンクの花弁がいっぱいになって、とても可愛くて綺麗なのですよねぇ?
 昨年はとても感動いたしました。

 インナーは、桜と言ったら花見。桜の木の下で酒を飲むのだ、ガハハ。などと言っておりますが。
 大人になったら兄上やお友達と一緒に、桜の木の下で花見をするのもいいですね?

 そして夏に実がなったサクランボも、とっても美味しゅうございました。
 甘くてすっぱくて、みずみずしくて。っんももとは、また別の味わいでした。

 料理人さんがサクランボの種をひとつずつ丁寧に取って、チェリーパイを作ったら。とっても美味しくて。
 マルチェロが家に遊びに来たとき、パイとサクランボをお土産に持たせたのだけど。
 それを食べたマリーベルが。これも栽培するわと、息巻いて…。
 現在、苗づくり中とのことです。どうなることやら。
 でも、いつものことですね?

「サリエル。大事なお話があります」
 突然。インナーがぼくの口を使って、言った。

 良かった。居間だったらエリンがいたよ。
 裁縫セットを取りに、寝室に入ったところだったんだ。
 ぼくの私物、お勉強道具や裁縫セットは寝室に置いてある。とはいえ、そんなに私物はないけどね。
 それはまぁ、いいとして。
 ぼくは持っていた裁縫セットを、そっと机の上に置いて。ベッドに正座で座りました。
 インナーと話をするときは寝台の上、というのが多いから。なんとなくですけど。

 というか、インナーが改まって話をするときはろくなことがないんだよなぁ。
 と、眉間をムニョムニョしながら思う。

 それに…インナーがぼくを。サリエル、と呼んだのも。はじめてだ。
 インナーはぼくのことを、ぼくだと思っていた。
 別人格だけど、同一人物みたいな。
 だから、ぼくサリエルぼくインナーだったのだ。

 なのに、その改まった感じが、なんか嫌な感じです。

「実は…先日、衝撃的な事実に気が付いちゃったんだけど。私、魂の器を間違えちゃったみたい?」
 てへっ、とインナーは笑うが。
 ぼくは、同時に。はあぁぁぁっ? となった。

「そ、それは? 魂の器って、ぼくのことですか? ま、ま、間違えて、ぼくに入っちゃった? ってこと?」
「そうそう。サリエルは頭いいから、話が早くて助かるぅ」
 語尾を不自然に上げて、インナーは軽く言っているみたいだけど。
 それって、すっごく駄目なやつじゃね?

「間違えたら、どうなるのですか?」
「うーん、別にどうにもならないけど。私がここから去るだけよ?」
「つか、さっきから私とか言っているけど。女の子、なのですか?」

「そう。野口こずえ。享年二十三歳。アニメショップに行く途中で交通事故死しちゃった? みたいな?」
 またもや、インナーはてへっとする。

 でもぼくは、ドッと繰り出される情報量にタジタジです。
 だけどぼくの中にいるのに、野口こずえの個人情報は全く入ってこなかった。

「やぁだぁ。乙女の個人情報をさらけ出すわけないでしょ? 恥ずかしいじゃーん」
「去るって。いなくなっちゃうの? いつ?」
 たずねると、インナーは一瞬、黙って。
 今。と言った。

「い、いま? いつ? 気づいたのはいつ? どうして? なんでぇ?」
 インナーの雰囲気が。
 これが冗談ではないのだと、言っているようで。
 ぼくは途端に慌て出した。

「気づいたのは、サリエルがロンディウヌス学園にはじめて行ったとき。ここが『どんな悪魔に恋しちゃう?』の舞台だって気づいたときね。そこで、私が野口こずえだって思い出して。前世で死んで、ここに転生してきたってわかった…というか。わからされた、って感じかなぁ?」

 インナーが説明したのは。
 自分は、転生するべき器が自分を迎える準備が整うまで、漂う魂だった。
 自分の本当の器が、生まれ出でるときほどの大きな衝撃を受けたときに。
 自分はそこに迎えられるはず、だったのだけど。

 その前に、漂う魂の私のそばで、サリエルが大きな衝撃を受けた。
 六歳の、落馬事件のときのことだ。
 それに引っ張られるように、スポンとその中に入ってしまった。
 と、いうことらしい。

「いやいや、待って? 君は、ずっとぼくの中にいたよね? 落馬のときより前にぼく、インナーの世界のパソコンとかシジミの味噌汁とか、知ってたし。リスも、可愛いリスを知ってたし。スズメも小さいスズメだし、カタツムリもかまないの…」
「それは、私の記憶じゃないの。たぶん。サリエルの魂に刻まれた記憶なんじゃない?」

 そんな…嘘でしょ?
 あれは、ぼく本来の記憶?
 ぼくも、もしかしたらこずえと同じ転生者?
 でもこずえは、ぼくのインナーじゃないの?
「そう。君のインナーじゃないの」
 インナーは、ぼくの心を読んで。しっかりと言った。

 ぼくのインナーじゃないって。

「でも。ここにいても、いいじゃない? 今までいたのだから。それとも、ぼくが嫌になって出て行くの?」
「バカねぇ。サリエルのこと嫌いなわけないでしょ? そうじゃなくて。自分の本当の器があるって、さっき言ったでしょ? サリエルが嫌になったんじゃなくて。もうすぐ、私を迎える準備が整うのよ?」

 ぼくは、なんとかインナーを引き留めようとするけれど。
 女の子の言葉を話す、インナーは。
 今までのインナーよりも、しっかりと自分の意見を持っていて。
 目的に向かって真っすぐに進んでいるかのように。ぼくの言葉には揺らがないのだった。

「サリエルは、私の器じゃないから。なんだか頭がシャッキリしなくて、自分が何者なのかもよくわからなかったし。サリエルの自我も乗っ取れなくて。私は、貴方の心の片隅で、居候みたいな感じだったわ。でも、それもおしまい。私は、本当の私に生まれ変わることができるの。だから、お祝いしてね?」
「ま、待って」

 ぼくは、どうすればいいのかわからなかったけれど。
 インナーの魂が抜けないように、丸い手で胸をおさえつけた。でも。

「ダイエット、しなくてもいいみたいだけど。節制は大事よ? 私に言われなくても、食べすぎちゃダメだからね?」
 そう言ったあと。ぼくの中で、なにかが消えた。

 消えた。

「ああああああぁぁぁっ」
 ぼくは、叫んだ。
 なんでか、わからないけど。叫ばずにいられなくて。
 そして窓を開け放って、庭に飛び出し。とにかく、走った。

「サリエル様っ」
 エリンがぼくの叫びに気づいて、追ってきたけど。
 今は、なにも言えない。

 六歳から、かもしれないけど。ずっと、一緒にいたじゃん?
 ぼくは彼女で、彼女はぼく、だったじゃん?
 兄上にときめいていたのに。ぼくから離れちゃってもいいの?
 っんもも、食べたいって言ったじゃん? だから作ったのに。
 サクラーも見たいって言ったじゃん? 桜の木の下で、お酒を飲むんじゃなかったの?
 どこに行っちゃったの? どこに?

 どこを、どう走ってきたのかも、わからなかったけど。
 いつの間にか、っんももの木の下にいた。
 ぼくは、うねうねと絡み合うような、っんももの幹に抱きついて。泣いた。

「サリエル様…」
 エリンは、ぼくを心配してここまで追いかけてくれたけど。
 今は、ひとりになりたかった。

「こないでぇ、エリン。しばらく、ひとりにしてくださいぃぃ」
 ぼくは、インナーと一緒に作った、っんももの木の下で。

 いっぱい泣いた。

しおりを挟む
感想 150

あなたにおすすめの小説

【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼第2章2025年1月18日より投稿予定 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。

結婚式当日に「ちょっと待った」されたので、転生特典(執事)と旅に出たい

オオトリ
BL
とある教会で、今日一組の若い男女が結婚式を挙げようとしていた。 今、まさに新郎新婦が手を取り合おうとしたその時――― 「ちょっと待ったー!」 乱入者の声が響き渡った。 これは、とある事情で異世界転生した主人公が、結婚式当日に「ちょっと待った」されたので、 白米を求めて 俺TUEEEEせずに、執事TUEEEEな旅に出たい そんなお話 ※主人公は当初女性と婚約しています(タイトルの通り) ※主人公ではない部分で、男女の恋愛がお話に絡んでくることがあります ※BLは読むことも初心者の作者の初作品なので、タグ付けなど必要があれば教えてください ※完結しておりますが、今後番外編及び小話、続編をいずれ追加して参りたいと思っています ※小説家になろうさんでも同時公開中

【完結】父を探して異世界転生したら男なのに歌姫になってしまったっぽい

おだししょうゆ
BL
超人気芸能人として活躍していた男主人公が、痴情のもつれで、女性に刺され、死んでしまう。 生前の行いから、地獄行き確定と思われたが、閻魔様の気まぐれで、異世界転生することになる。 地獄行き回避の条件は、同じ世界に転生した父親を探し出し、罪を償うことだった。 転生した主人公は、仲間の助けを得ながら、父を探して旅をし、成長していく。 ※含まれる要素 異世界転生、男主人公、ファンタジー、ブロマンス、BL的な表現、恋愛 ※小説家になろうに重複投稿しています

非力な守護騎士は幻想料理で聖獣様をお支えします

muku
BL
聖なる山に住む聖獣のもとへ守護騎士として送られた、伯爵令息イリス。 非力で成人しているのに子供にしか見えないイリスは、前世の記憶と山の幻想的な食材を使い、食事を拒む聖獣セフィドリーフに料理を作ることに。 両親に疎まれて居場所がないながらも、健気に生きるイリスにセフィドリーフは心動かされ始めていた。 そして人間嫌いのセフィドリーフには隠された過去があることに、イリスは気づいていく。 非力な青年×人間嫌いの人外の、料理と癒しの物語。 ※全年齢向け作品です。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

R指定はないけれど、なんでかゲームの攻略対象者になってしまったのだが(しかもBL)

黒崎由希
BL
   目覚めたら、姉にゴリ推しされたBLゲームの世界に転生してた。  しかも人気キャラの王子様って…どういうことっ? ✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻  …ええっと…  もう、アレです。 タイトル通りの内容ですので、ぬるっとご覧いただけましたら幸いです。m(_ _)m .

転生したけどやり直す前に終わった【加筆版】

リトルグラス
BL
 人生を無気力に無意味に生きた、負け組男がナーロッパ的世界観に転生した。  転生モノ小説を読みながら「俺だってやり直せるなら、今度こそ頑張るのにな」と、思いながら最期を迎えた前世を思い出し「今度は人生を成功させる」と転生した男、アイザックは子供時代から努力を重ねた。  しかし、アイザックは成人の直前で家族を処刑され、平民落ちにされ、すべてを失った状態で追放された。  ろくなチートもなく、あるのは子供時代の努力の結果だけ。ともに追放された子ども達を抱えてアイザックは南の港町を目指す── ***  第11回BL小説大賞にエントリーするために修正と加筆を加え、作者のつぶやきは削除しました。(23'10'20) **

処理中です...