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番外 マルチェロのたくらみ ⑥
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マリエラのことは、医師とサリエルに任せて。
私は、レオンハルトに面会を求めた。
朝食の前だったが、レオンハルトは応じてくれて。彼の書斎で話すことになったのだ。
応接用のソファセットに腰かけて、開口一番、言われた。
「彼女は、おまえの姉なのか?」
出鼻を、レオンハルトにくじかれ。私は目を丸くする。
「なんで、それを?」
もしかしたら。父がレオンハルトに言っていたのかもしれない、と思ったが。疑問形だったか?
だが、とにかく。
一介の家庭教師と、私をつなげる洞察力に、私は息をのんだ。
「マリエラと、呼んだだろう? 公爵家の子供たちは、名前にマがついているし。彼女は、ルーフェン公爵に似た緑の瞳だったし。恩師だとしても、おまえがとても親密そうにしていたからな?」
マリエラの件で心がざわめいていたところを、突かれて。
公爵家の秘密を暴露してしまうとはな。
いつもなら、もっと冷静に対処できていたのに。
「御内密に」
「公爵家の醜聞など、興味はない。が、彼女のことをサリエルはとても心配していたからな? 容態はどうだ?」
これ以上の詮索はしない、と。レオンハルトが話を変えてくれたので。
私もそれに乗った。
「おかげさまで、意識を取り戻しました。サリエルのおかげで…」
そうだ、私は。この話をレオンハルトに、しに来たのだった。
「サリエルは、祈っていただけだと言っていましたが。彼女の手を握るサリエルから、彼の髪の色と同じ赤い光が放たれて。マリエラとサリエルを包み込んで。そうしたら、彼女の目が開いたのです」
サリエルには、魔力はほぼないはずだった。
一生懸命頑張って、指の上に小さな炎が灯るくらいの。
魔族の庶民の子供よりも、小さな魔力だ。
でも、サリーは。あのとき、なにかの力を出していた。
だから私はその光景を見て、驚いてしまって。
目が、釘付けになった。
サリーは、白い寝間着を着ていたが。
赤い光が、その白い衣を染め上げ。
緋色に輝く彼の慈愛の表情は、穏やかな微笑み。
魔国には、教会や、信じる神のようなものはないが。
人族がよく崇めて、拝んでいる、神や天使というものの概念は、まぁわかるし。
そのイメージの絵柄なども、目にしたことがある。
白い衣を着た幼い天使が、神々しい光をまとってラッパを吹く。
そのような絵画と、サリエルが重なって見え。
私は彼を、尊き天界の御使いのようだと思ってしまった。
彼から放たれた光は、魔力とは異質なパワーで。
なんだか温かいような、懐かしいような、神々しいような、包み込むような、こそばゆいような。
そんな、不思議な感覚がして。
だけど、魔族の治癒魔法と違うのは明らかだった。
とにかく、見たことのないものだったのだ。
「あれは、なんですか? サリーは…何者なのですか?」
サリーが光をまとっている間、呆気に取られていたが。
マリエラが目を覚ましたから。
つい。なにをしたんだと、声をあげてしまった。
そうしたら、赤い光はシュッとなくなってしまったのだけど。
サリエルも、自分がなにをしたのかは自覚がないようで、きょとんとしていたな。
なので、いろいろ知っていそうなレオンハルトにたずねたのだが。
彼は、しばし考え込んだ。
開示するものを、吟味しているのかな?
「サリエルは、特別な子。それしか言えないかな?」
「それでは、全くわかりませんが?」
全然、開示されていないではないかっ、と。私は、笑顔を引きつらせて怒った。
すると、レオンハルトは。
もう一度頭を巡らせて、答えた。
「彼女は、生きる気力を失って昏睡していた。それは医師も魔法も、治すことのできないところだ。生命エネルギーの枯渇、という感じだからな。それで…サリュは。大地の精霊と仲が良い。大地は、命の源であるから、大地はサリュの願いを聞き入れて。彼女に生きる気力を分けた…のではないかなぁ?」
最後は曖昧に濁して。レオンハルトは口を引き結んだ。
これ以上は聞くな、という合図だろう。
深追いは、命に関わるので。
この辺にしておこう。
鬼の腹を探る気はない。
「わかりました。サリエル本人の力ではなかった、ということにしておきましょう。どのみち、サリエルが何者であろうと。私は彼の友達だし、彼を守るし、尊敬するし、愛していますよ」
「最後の一言は、余計かな?」
レオンハルトは嘆息して、長い足を組み直した。
「…ディエンヌの処遇はどうなりそうですか?」
「細かい精査はこれからだが。後宮内で火事など出されて、監督者のマーシャ母上はご立腹だ。それなりに、厳しい罰が出るだろう。しかし、魔王は娘に甘いから…」
「甘い罰で、いいですよ。公爵家のメンツが潰されて、簡単には済ます気はない。時間をかけて、それ相応のお仕置きを、こちらも用意するつもりです」
にこりと爽やかに笑って見せると。レオンハルトは。
「だから頭の悪い小娘だと言うんだ。一番厄介な一族を敵に回すとは…」
と、つぶやいた。
★★★★★
次に、私は。ラーディンの屋敷に向かった。
正確には、マーシャ叔母さまの屋敷である。
マーシャ叔母さまは、父の妹であり。
ちゃらんぽらんな父には似ずに、厳格で、礼儀作法を重んじている。
なので、屋敷を訪ねるのはいささか緊張する。
でも、火事で焼け出されたディエンヌもそこにいるのだ。
レオンハルトは、独房に突っ込めと指示したようだが。
マーシャ叔母さまが、令嬢を牢屋には入れられないと言って。一時的に引き取ったそうだ。
執事を通じてサロンに通され。待っていると。
まず、ラーディンが現れた。
「マルチェロ? 昨日の火事の件で、朝からここに来たのか? 大変だったな?」
「いいや? ディエンヌはどうしていますか?」
とたずねたところで、ディエンヌがサロンに入ってきた。
「マルチェロ様? お見舞いに来てくださったのねぇ?」
甘ったるい声を出して、なんだか抱きついてきそうな勢いだったから。
私は腕を伸ばして肩をつかみ、彼女をとどめた。
「やぁ、元気そうで安心したよ?」
いつものスマイルを彼女に向ける。
怒っているから、顔が引きつりそうだが。
「きつく抱きしめて、安心させてくださいませ? とっても怖かったのです。火が私を目がけてきたのですもの」
「抱きしめることは、できないな。婚約者とはいえ、淑女にして良い行いではないよ?」
「マルチェロ様まで、礼儀とか淑女とかマナーとか、あの家庭教師のように口うるさく言うのですか? みんな、もう頭が固くて、嫌になるわぁ?」
ちょっと拗ねたような顔で、上目遣いで見やってくる。
庶民の女の子がしたら、可愛い仕草なのかもしれないが。
貴族令嬢的に言えば、媚びが鼻に突く。
つか、マリエラのことを口うるさいとか言うな。
「魔王の娘として、淑女たらんとすることは当然のことですよ? ディエンヌ。マルチェロは紳士として、見事な立ち振る舞いね? さすがだわ?」
ディエンヌの後ろから、マーシャ叔母さまが登場した。
褒められたので、礼を返して挨拶する。
「抱きしめて、なんて殿方にお願いするのは、娼婦のすること。ドラベチカ家の品位を落とす行いは許しませんよ?」
「マーシャ義母上は私を娼婦呼ばわりして、お母様を貶めているのかしらぁ?」
ディエンヌは怖いもの知らずか、マーシャ叔母さまに突っかかるが。
「私はエレオノラの名前など出していなくてよ? ディエンヌ自身がエレオノラを娼婦だと思っているのではなくて?」
マーシャ叔母さまの方が、一枚上手。
ディエンヌは自ら墓穴を掘って、唇を悔しそうにかむのだった。
でもすぐに立ち直って、私に向き直る。
「サリエルが私のことを悪く言ったかもしれないけれど、誤解なのよ? 私、火事になって、怖くて、無我夢中で外に逃げただけなの。家庭教師が屋敷の中にいたことなんて、知らなかったのよ?」
「そう、知らなかったなら仕方がないね?」
もちろん、マリエラをわざと火の中へ向かわせたことは、承知しているが。
とりあえず話を合わせた。
「でも、もう家庭教師はいらないわ? あの方、亡くなって可哀想なことをしたけれど。私とは合わなかったみたい。っていうか、勉強なんかひとりでできるから、心配無用よ? あの人も、私の礼儀作法は完璧だって褒めていたし、もう大丈夫だわぁ?」
ディエンヌは、家庭教師が亡くなったと思っているみたいだな。
死人に口なしで、自分の礼儀作法が完璧だと、嘘の情報を私に植え付けようとしている…がっ。
マリエラは、死んでないっ。
憤りが湧き上がるが。我慢して。二コリ。
「そうなんだ? さすがディエンヌだね? まぁ、もうすぐ学園に入学するだろうし。その件は父に報告しておくよ」
「ありがとう。優しいのね? マルチェロ」
ディエンヌの笑顔を見ていると、吐き気がするが。
サリエルを守るための防波堤となる。そして、生きている方がつらいと思うくらいに、恐ろしいお仕置きを用意するまでは。我慢だな。
この、高慢ちきなディエンヌが、泣いて許しを乞う。その場面を想像して、溜飲を下げることにしよう。
それに、これ以上私の知り合いが、彼女に殺されかけるのはご免だから。
もう、家庭教師のような戦闘力の弱い者は、彼女のそばにつけない方がいいな。
手練れの者に、遠巻きに監視させよう。
★★★★★
ディエンヌを油断させるため、優しい婚約者の顔で見舞いをしたのは。
私が、彼女の味方だと印象付けるためだ。
味方に手ひどく裏切られることが、一番心に傷を残すのだよ?
私は。私に歯向かう者に、容赦はしない。
ディエンヌは、私の婚約者だが…。
ディエンヌは、私の怨敵である。
情けの入り込む余地など、私のお友達であるサリエルの命を狙った瞬間から、髪の毛一筋分もない。
そして、姉を傷つけた罪も上乗せされて。
ダメ押しだな。
もしも心を入れ替えて。兄の命を狙った自分の罪を、嘆き悲しむくらいになったら…などと考えたこともあったが。
無駄な時間だった。
あの母の腹から生まれ、あの母に育てられた、この娘は。
骨の髄から、悪意に染まった獣である。
それが、今回の一件で真実明らかになっただけのことだ。
感想は、やはりな、である。
まぁ、そんなところで。
私はディエンヌを触った手を、ラーディンの屋敷の庭で血がにじむほどに洗い、こすったあとで。
もう一度サリエルの屋敷に戻った。
姉と、公爵家に帰るのだ。
あぁ、母とマリーベルは、彼女の正体を知らないけれど。
優秀な女教師であるマリエラを、公爵家一同で目をかけていたし。
ディエンヌの家庭教師を依頼した側でもあるから。今回の件は同情的で。
マリエラが公爵家で養生するのを、快く承知してくれた。だから、大丈夫だよ。
レオンハルトの屋敷の前につけた、公爵家の馬車にマリエラを乗せて。
私は、見送りに玄関に出てくれたサリエルの手を握った。
「サリー。昨夜のことは、本当にありがとう。私は一生、君に忠誠を誓う」
「大袈裟ですねぇ、マルチェロ。ぼくたちはお友達なのです。お友達は、いっぱい甘えて、頼ってもいいものなのでしょう? それに、ぼくは。いつもマルチェロたち、お友達に助けていただいていますから。たまには。いいところを見せないとね?」
「なに言ってるんだい? サリーはいつだって。私たちの太陽だよ」
そうして、サリーの手の甲に小さくキスを落とした。
そして、私はとっとと馬車に乗り込む。
サリエルの後ろにいたレオンハルトの形相が。すさまじい、ヤバい顔になっていたから。
早く逃げよう。
サリーは、いつも。馬車が見えなくなるまで、腕を振って見送ってくれる。
遠く、小さくなる、その姿を。
微笑ましく、馬車の窓から見やっていた。
「マルチェロ、中途半端になってしまって、ごめんなさいね? 私、教師としてまだまだ未熟だったみたい」
公爵家への帰路で、まだ若干、顔色の青いマリエラがそう言う。
外傷は、レオンハルトや医師が治してくれたけれど。
まだやはり、精神的なところで立ち直っていないのかな?
「マリエラのせいではありませんよ。ディエンヌが、人でなしなだけです」
「あんな子もいるのねぇ? でもどんな子でも、教えに導けなければ駄目なの」
「ダメじゃない。マリエラは、いい教師だよ。孤児院の子は、みんなマリエラのことを待っているんだ。それって良い教師だからだろう?」
「ふふ、マルチェロったら大人になったわね? 私を励ましてくれるなんて。でも、そうねぇ…貴族の世界は…魔王の娘は、私には荷が重すぎたみたい」
ディエンヌは。
この、教師でありたいというだけの善良な人間を、殺そうとして。
マリエラにとって、一番の尊厳をも、殺したのだな。と、そう思った。
許す気などないけれど。許せない、と改めて思った。
疲れた顔をして。マリエラは、馬車の揺れに身をゆだねていたが。
再び、つぶやいた。
「私、夢を見たの。周りは真っ暗でね。でも私はなんだか、なにもする気が起きなくて。ただうずくまっていたわ。そしたら暗闇に、ドアが開いたような隙間ができて。そこから明るい、赤い光が漏れていた。その隙間から、小さな、まぁるい手が見えてね。すみませぇん、ちょっといいですかぁ? って言うの。私、小さな子が困っているのかなって思って。ドアを開けたの。そうしたら、目が覚めちゃった」
どこか不思議な、その夢の話を聞いて。
私は。彼女が見た、その小さなまぁるい手は、きっとサリーの手なのだろうと思った。
先ほど甲にキスをした、あのふくよかな、あたたかい手。
彼女の夢の中に、サリーが入り込んだのか。
それはわからないし。サリーも、そんなつもりはなかったのかもしれないけれど。
すみませぇん、って言い方は、サリーだよね? と思って。小さく笑った。
「心が壊れて、どこに進んだらいいか、わからなくなって。なにも、したくなかったけど。あの夢の中のように、小さな子が困っていたら、私はやっぱり助けたいと思って。それがやっぱり、私の生きる道なんだなって思って。だから、あるべき場所に戻って、もう一度教師として精進するわ」
驚いた。マリエラが、瞳に光を取り戻している。
私は、サリーは本当にすごい、と思ったのだ。
ディエンヌに殺されかけた、彼女の教師としてのやる気を。
サリーが手招きひとつでよみがえらせてくれたのだと思うと。ゾワリとする。
気持ちが悪い、ゾワリではなく。
神の息吹に触れたかのような、恐れ多い、ゾワリだ。
彼は無意識かもしれない。
でも、サリーがなにもかもを丸くおさめてくれたような気がして。
やはり、サリーにはかなわないって。思うのだ。
私は、レオンハルトに面会を求めた。
朝食の前だったが、レオンハルトは応じてくれて。彼の書斎で話すことになったのだ。
応接用のソファセットに腰かけて、開口一番、言われた。
「彼女は、おまえの姉なのか?」
出鼻を、レオンハルトにくじかれ。私は目を丸くする。
「なんで、それを?」
もしかしたら。父がレオンハルトに言っていたのかもしれない、と思ったが。疑問形だったか?
だが、とにかく。
一介の家庭教師と、私をつなげる洞察力に、私は息をのんだ。
「マリエラと、呼んだだろう? 公爵家の子供たちは、名前にマがついているし。彼女は、ルーフェン公爵に似た緑の瞳だったし。恩師だとしても、おまえがとても親密そうにしていたからな?」
マリエラの件で心がざわめいていたところを、突かれて。
公爵家の秘密を暴露してしまうとはな。
いつもなら、もっと冷静に対処できていたのに。
「御内密に」
「公爵家の醜聞など、興味はない。が、彼女のことをサリエルはとても心配していたからな? 容態はどうだ?」
これ以上の詮索はしない、と。レオンハルトが話を変えてくれたので。
私もそれに乗った。
「おかげさまで、意識を取り戻しました。サリエルのおかげで…」
そうだ、私は。この話をレオンハルトに、しに来たのだった。
「サリエルは、祈っていただけだと言っていましたが。彼女の手を握るサリエルから、彼の髪の色と同じ赤い光が放たれて。マリエラとサリエルを包み込んで。そうしたら、彼女の目が開いたのです」
サリエルには、魔力はほぼないはずだった。
一生懸命頑張って、指の上に小さな炎が灯るくらいの。
魔族の庶民の子供よりも、小さな魔力だ。
でも、サリーは。あのとき、なにかの力を出していた。
だから私はその光景を見て、驚いてしまって。
目が、釘付けになった。
サリーは、白い寝間着を着ていたが。
赤い光が、その白い衣を染め上げ。
緋色に輝く彼の慈愛の表情は、穏やかな微笑み。
魔国には、教会や、信じる神のようなものはないが。
人族がよく崇めて、拝んでいる、神や天使というものの概念は、まぁわかるし。
そのイメージの絵柄なども、目にしたことがある。
白い衣を着た幼い天使が、神々しい光をまとってラッパを吹く。
そのような絵画と、サリエルが重なって見え。
私は彼を、尊き天界の御使いのようだと思ってしまった。
彼から放たれた光は、魔力とは異質なパワーで。
なんだか温かいような、懐かしいような、神々しいような、包み込むような、こそばゆいような。
そんな、不思議な感覚がして。
だけど、魔族の治癒魔法と違うのは明らかだった。
とにかく、見たことのないものだったのだ。
「あれは、なんですか? サリーは…何者なのですか?」
サリーが光をまとっている間、呆気に取られていたが。
マリエラが目を覚ましたから。
つい。なにをしたんだと、声をあげてしまった。
そうしたら、赤い光はシュッとなくなってしまったのだけど。
サリエルも、自分がなにをしたのかは自覚がないようで、きょとんとしていたな。
なので、いろいろ知っていそうなレオンハルトにたずねたのだが。
彼は、しばし考え込んだ。
開示するものを、吟味しているのかな?
「サリエルは、特別な子。それしか言えないかな?」
「それでは、全くわかりませんが?」
全然、開示されていないではないかっ、と。私は、笑顔を引きつらせて怒った。
すると、レオンハルトは。
もう一度頭を巡らせて、答えた。
「彼女は、生きる気力を失って昏睡していた。それは医師も魔法も、治すことのできないところだ。生命エネルギーの枯渇、という感じだからな。それで…サリュは。大地の精霊と仲が良い。大地は、命の源であるから、大地はサリュの願いを聞き入れて。彼女に生きる気力を分けた…のではないかなぁ?」
最後は曖昧に濁して。レオンハルトは口を引き結んだ。
これ以上は聞くな、という合図だろう。
深追いは、命に関わるので。
この辺にしておこう。
鬼の腹を探る気はない。
「わかりました。サリエル本人の力ではなかった、ということにしておきましょう。どのみち、サリエルが何者であろうと。私は彼の友達だし、彼を守るし、尊敬するし、愛していますよ」
「最後の一言は、余計かな?」
レオンハルトは嘆息して、長い足を組み直した。
「…ディエンヌの処遇はどうなりそうですか?」
「細かい精査はこれからだが。後宮内で火事など出されて、監督者のマーシャ母上はご立腹だ。それなりに、厳しい罰が出るだろう。しかし、魔王は娘に甘いから…」
「甘い罰で、いいですよ。公爵家のメンツが潰されて、簡単には済ます気はない。時間をかけて、それ相応のお仕置きを、こちらも用意するつもりです」
にこりと爽やかに笑って見せると。レオンハルトは。
「だから頭の悪い小娘だと言うんだ。一番厄介な一族を敵に回すとは…」
と、つぶやいた。
★★★★★
次に、私は。ラーディンの屋敷に向かった。
正確には、マーシャ叔母さまの屋敷である。
マーシャ叔母さまは、父の妹であり。
ちゃらんぽらんな父には似ずに、厳格で、礼儀作法を重んじている。
なので、屋敷を訪ねるのはいささか緊張する。
でも、火事で焼け出されたディエンヌもそこにいるのだ。
レオンハルトは、独房に突っ込めと指示したようだが。
マーシャ叔母さまが、令嬢を牢屋には入れられないと言って。一時的に引き取ったそうだ。
執事を通じてサロンに通され。待っていると。
まず、ラーディンが現れた。
「マルチェロ? 昨日の火事の件で、朝からここに来たのか? 大変だったな?」
「いいや? ディエンヌはどうしていますか?」
とたずねたところで、ディエンヌがサロンに入ってきた。
「マルチェロ様? お見舞いに来てくださったのねぇ?」
甘ったるい声を出して、なんだか抱きついてきそうな勢いだったから。
私は腕を伸ばして肩をつかみ、彼女をとどめた。
「やぁ、元気そうで安心したよ?」
いつものスマイルを彼女に向ける。
怒っているから、顔が引きつりそうだが。
「きつく抱きしめて、安心させてくださいませ? とっても怖かったのです。火が私を目がけてきたのですもの」
「抱きしめることは、できないな。婚約者とはいえ、淑女にして良い行いではないよ?」
「マルチェロ様まで、礼儀とか淑女とかマナーとか、あの家庭教師のように口うるさく言うのですか? みんな、もう頭が固くて、嫌になるわぁ?」
ちょっと拗ねたような顔で、上目遣いで見やってくる。
庶民の女の子がしたら、可愛い仕草なのかもしれないが。
貴族令嬢的に言えば、媚びが鼻に突く。
つか、マリエラのことを口うるさいとか言うな。
「魔王の娘として、淑女たらんとすることは当然のことですよ? ディエンヌ。マルチェロは紳士として、見事な立ち振る舞いね? さすがだわ?」
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「そう、知らなかったなら仕方がないね?」
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「そうなんだ? さすがディエンヌだね? まぁ、もうすぐ学園に入学するだろうし。その件は父に報告しておくよ」
「ありがとう。優しいのね? マルチェロ」
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骨の髄から、悪意に染まった獣である。
それが、今回の一件で真実明らかになっただけのことだ。
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あぁ、母とマリーベルは、彼女の正体を知らないけれど。
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ディエンヌの家庭教師を依頼した側でもあるから。今回の件は同情的で。
マリエラが公爵家で養生するのを、快く承知してくれた。だから、大丈夫だよ。
レオンハルトの屋敷の前につけた、公爵家の馬車にマリエラを乗せて。
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「サリー。昨夜のことは、本当にありがとう。私は一生、君に忠誠を誓う」
「大袈裟ですねぇ、マルチェロ。ぼくたちはお友達なのです。お友達は、いっぱい甘えて、頼ってもいいものなのでしょう? それに、ぼくは。いつもマルチェロたち、お友達に助けていただいていますから。たまには。いいところを見せないとね?」
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公爵家への帰路で、まだ若干、顔色の青いマリエラがそう言う。
外傷は、レオンハルトや医師が治してくれたけれど。
まだやはり、精神的なところで立ち直っていないのかな?
「マリエラのせいではありませんよ。ディエンヌが、人でなしなだけです」
「あんな子もいるのねぇ? でもどんな子でも、教えに導けなければ駄目なの」
「ダメじゃない。マリエラは、いい教師だよ。孤児院の子は、みんなマリエラのことを待っているんだ。それって良い教師だからだろう?」
「ふふ、マルチェロったら大人になったわね? 私を励ましてくれるなんて。でも、そうねぇ…貴族の世界は…魔王の娘は、私には荷が重すぎたみたい」
ディエンヌは。
この、教師でありたいというだけの善良な人間を、殺そうとして。
マリエラにとって、一番の尊厳をも、殺したのだな。と、そう思った。
許す気などないけれど。許せない、と改めて思った。
疲れた顔をして。マリエラは、馬車の揺れに身をゆだねていたが。
再び、つぶやいた。
「私、夢を見たの。周りは真っ暗でね。でも私はなんだか、なにもする気が起きなくて。ただうずくまっていたわ。そしたら暗闇に、ドアが開いたような隙間ができて。そこから明るい、赤い光が漏れていた。その隙間から、小さな、まぁるい手が見えてね。すみませぇん、ちょっといいですかぁ? って言うの。私、小さな子が困っているのかなって思って。ドアを開けたの。そうしたら、目が覚めちゃった」
どこか不思議な、その夢の話を聞いて。
私は。彼女が見た、その小さなまぁるい手は、きっとサリーの手なのだろうと思った。
先ほど甲にキスをした、あのふくよかな、あたたかい手。
彼女の夢の中に、サリーが入り込んだのか。
それはわからないし。サリーも、そんなつもりはなかったのかもしれないけれど。
すみませぇん、って言い方は、サリーだよね? と思って。小さく笑った。
「心が壊れて、どこに進んだらいいか、わからなくなって。なにも、したくなかったけど。あの夢の中のように、小さな子が困っていたら、私はやっぱり助けたいと思って。それがやっぱり、私の生きる道なんだなって思って。だから、あるべき場所に戻って、もう一度教師として精進するわ」
驚いた。マリエラが、瞳に光を取り戻している。
私は、サリーは本当にすごい、と思ったのだ。
ディエンヌに殺されかけた、彼女の教師としてのやる気を。
サリーが手招きひとつでよみがえらせてくれたのだと思うと。ゾワリとする。
気持ちが悪い、ゾワリではなく。
神の息吹に触れたかのような、恐れ多い、ゾワリだ。
彼は無意識かもしれない。
でも、サリーがなにもかもを丸くおさめてくれたような気がして。
やはり、サリーにはかなわないって。思うのだ。
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王弟殿下の許嫁として城に住む伯爵家の次男だ。
余談だが趣味で小説を書いている。
そんな俺に友人のセインが「皇太子的な人があざとい美人を片手で抱き寄せながら主人公を指差してお前との婚約は解消だ!から始まる小説は大抵面白い」と言うものだから書き始めて見たらなんとそれが現実になって婚約破棄されたんだが?
全8話完結
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イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした
和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。
そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。
* 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵
* 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください
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【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました
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学園の俺様と、辺境地の僕
そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ?
【全12話になります。よろしくお願いします。】
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この道を歩む~転生先で真剣に生きていたら、第二王子に真剣に愛された~
乃ぞみ
BL
※ムーンライトの方で500ブクマしたお礼で書いた物をこちらでも追加いたします。(全6話)BL要素少なめですが、よければよろしくお願いします。
【腹黒い他国の第二王子×負けず嫌いの転生者】
エドマンドは13歳の誕生日に日本人だったことを静かに思い出した。
転生先は【エドマンド・フィッツパトリック】で、二年後に死亡フラグが立っていた。
エドマンドに不満を持った隣国の第二王子である【ブライトル・ モルダー・ヴァルマ】と険悪な関係になるものの、いつの間にか友人や悪友のような関係に落ち着く二人。
死亡フラグを折ることで国が負けるのが怖いエドマンドと、必死に生かそうとするブライトル。
「僕は、生きなきゃ、いけないのか……?」
「当たり前だ。俺を残して逝く気だったのか? 恨むぞ」
全体的に結構シリアスですが、明確な死亡表現や主要キャラの退場は予定しておりません。
闘ったり、負傷したり、国同士の戦争描写があったります。
本編ド健全です。すみません。
※ 恋愛までが長いです。バトル小説にBLを添えて。
※ 攻めがまともに出てくるのは五話からです。
※ タイトル変更しております。旧【転生先がバトル漫画の死亡フラグが立っているライバルキャラだった件 ~本筋大幅改変なしでフラグを折りたいけど、何であんたがそこにいる~】
※ ムーンライトノベルズにも投稿しております。
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悪役側のモブになっても推しを拝みたい。【完結】
瑳来
BL
大学生でホストでオタクの如月杏樹はホストの仕事をした帰り道、自分のお客に刺されてしまう。
そして、気がついたら自分の夢中になっていたBLゲームのモブキャラになっていた!
……ま、推しを拝めるからいっか! てな感じで、ほのぼのと生きていこうと心に決めたのであった。
ウィル様のおまけにて完結致しました。
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