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番外 レオンハルトの胸中 ⑧

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 謁見の間の、扉の外にいたシュナイツに私は声をかけ。サリエルは今まで通りだということを皆に伝えろ、と言い置いて。
 私はサリエルを連れて屋敷に戻ることにした。
 今日の仕事は途中だが。知らぬ。たまにはいいだろう。
 それに、突拍子もない事態に巻き込まれたサリエルの心境も、心配だった。ひとりにはしておけない。
 馬車に乗ったサリエルは。案の定、物思いにふけっている。

 屋敷についてからゆっくり話をするのも、いいとは思うが。サリエルが考えをまとめる前に屋敷についてしまったら、混乱してしまうかもしれない。
「しばらく魔王城の周りを走っているように御者に伝えろ」
 ミケージャにこそっと言うと。彼はうなずいた。

 これでサリュは、集中して思案できるだろう。
 それに私も。この件については、しっかりとサリュに話しておきたいことがあったのだ。
 ひとしきり考え事をしていたようだったサリュが、顔をあげたとき。
 私は声をかけた。

「サリュ? もしかして、エレオノラの処遇に同情しているのか?」
「…同情では、ないのです」
 そう言いつつも、どこか元気のないサリュ。
 普段から、ひまわりの花がブワッと咲いたかのように明るい笑みを浮かべる彼が。
 私の声掛けに、ソソと微笑むだけで。
 母親になにかしらの感情が引っ掛かっているのは明白だった。

 私なら…いや、魔族なら。自分に害成す者は、たとえ親だろうとすぐに切り離す。
 魔族というのは、とにかく。楽天主義なのだ。
 裏を返せば、嫌なことはとことん回避したい。
 だから、家族でも。己に苦しみを与える存在なら、そこに固執はしないだろう。

 しかし。おそらく。サリエルは魔族ではないのだ。
 だから、魔族ならそこまで気にかけないことも、サリエルは心痛として受け取ってしまうのだろうな。

 その点を踏まえて。私はサリエルを膝の上に乗せ。しっかりと目を合わせた上で、伝えた。
 より魔族を強調する言い方で、サリエルは魔族であると洗脳する。
 そして、魔族なら享楽に興じ、楽しいことだけをしていればよいのだということを説いた。

 それでもサリエルは。エレオノラの存在を心の中から消すことはできない。
 優しい子だから。そして、普通の人間ならあまりにもつらい記憶は忘れることで心を癒すことができるのに。
 サリエルは、どのような記憶も失うことができないから。
 そういう能力を、持ってしまったから。
 そんなサリュに。これだけは言っておかなければならない。

「今までさんざん暴言を吐いてきたあの女を、母親というだけで気に掛ける。サリュのその優しい心を、私は否定しないよ? でもね。離さないから。サリエルが母の元へ行くというのなら、阻止する。そこにサリエルの幸せはないからね?」

 穏やかで、聡明で。もっと貪欲に幸せを求めてもいいのに。どこか控えめな弟。
 そんなサリエルを、私が守ってあげなくては。
 道を間違えそうになったら、ちゃんと引き戻してあげるよ?
 幸せの形をうらやましそうにみつめても、なんとなくあきらめてしまうような子だから。
 肩を落とすまぁるい後ろ姿が、いつも、とても悲しげに見えるから。

 私が目の前に差し出してやるのだ。
 とびっきりの、誰にも真似できないくらいに輝く幸福を。
 サリエルが自分の意思でそれをつかもうとする、そのときまで。

「行きません。兄上のそばに、います。いたいです」
 すぐさまサリエルは言ってくれた。
 少なくともあの女よりは、私を選んでくれるようになったな?
 それは素直に、嬉しいことだ。

 でも。まだ、足りない。

「…母上を見捨てるぼくは、いけない子ですね?」
 ぽつりとつぶやいたサリエルの言葉で、私はようやく、彼の胸のつかえの正体を知った。
 サリエルは、母を見捨てることに罪悪感を抱いている?
 バカな。サリエルは、もっと前。歩くのもおぼつかない一歳のときに、あの女に見捨てられたというのに。

 あの女のことなど、サリュが、みじんも、欠片かけらも、気に掛ける必要などない。

 それでも気に掛けてしまうのが。サリエルの清廉さ、なのだけどな。
「どうしても気掛かりだと言うのなら。私の望みを叶えてくれないか? サリエルが私の元にいてくれることを、私は望んでいる。私のわがままを叶えてくれ」

 サリエルに、後ろめたさなど感じてもらいたくはないのだ。
 だから、それは私が。私の望みを叶えさせるという方法で、拭い去ってやる。
 私のわがままを叶えるために、サリエルは母を捨てる。
 すべて、私のせいでいい。

 聡いサリエルは、私の誘導に気づいたかもしれないが。ニッコリ笑顔で言ってくれた。
「兄上がそうお望みなら。ぼくはいつまでも兄上のそばにいますよ。喜んでぇ」
 膝の上で体を弾ませて言うサリエルが、あんまり可愛いから。私は彼をギューーっと抱きしめた。

 それにしても、腹立たしいのは。
 目の前にいやしないのに。ただ親というだけでサリエルの心に深く食い込んでいる、あの女。
 びついた釘。悪しきくさびめ。
 いつか、綺麗さっぱり抜き去って、サリエルの心の中から滅殺してやる。

 しかし、今は。
 サリエルの心が壊れないように。
 そっと、そっと、抱え込んで。癒してやるのだ。

「痛いですぅ、兄上ぇ」
 いかん。そっとのつもりが。思わず力がこもって、ギュムギュムになってしまっていた。

 抱く手をゆるめて、サリエルから体を少し離すと。
 サリュはホッと息をつきながらも。ニヘ、と。いつものゆるい笑みを見せるのだった。

「そういえば、兄上? いつまでも馬車がお屋敷につきませんねぇ?」
「サリュが考え事をしていたから。邪魔しないように、城の周りを走っているようにと御者に伝えたのだよ?」

「えぇ? いつの間にぃ? 全然気づきませんでした。兄上ったら、なんて気遣いが上手なのでしょう。ぼくはいつも、兄上に大事に大切に扱われて。このご恩をどう返したらいいのかと。考えると。考えるとぉ…あれも、これもと、思ってしまって。いつの間にか寝てしまっているのですぅ」

 眉も目尻も下げて、申し訳なさそうに言う。
 指と指を合わせてプヨプヨな、その仕草が、とても愛らしい。しみじみ、可愛いなぁと思う。

「なにもいらないんだよ? サリュ。おまえが私のそばにいてくれるだけで。私は幸せで。とても癒されるのだからね? でも、まぁ。よく眠れるのはいいことだ」
 話をそらそうとしたのが、すぐバレてしまって。
 サリュはムッと唇をへの字にした。

「もうっ、また兄上は、ぼくの気持ちを思いやって、ご恩を返す話をどこかにやろうとしましたね? ややこしいことから、兄上はぼくをいつも遠ざけようとしてくれる。でも、なんか、胸のもやもやから逃げちゃっているみたいで…いいのかな? って。兄上はお優しすぎるのです」
「は?」
 サリエルの『私、優しい』宣言に。対面に座るミケージャが反意の問いを投げかけたが。
 私がジロリと睨むと。口を閉じて、視線をそらした。
 黙って壁になっていろっ。

「逃げてしまえばよいのだ。重くて、ずぶずぶと沈んでしまいそうなほどの、心の重しがあるのなら。そんなものは捨てて。私の胸に逃げてこい」

 サリエルのすべてを、鷹揚に受け止めてやろう。
 などと思っていたが。
 ポヤッと私を見たサリエルが、私の頬に両手を当て。
 不意に、チュッとして…。
 私の唇の、横の頬…すごく、唇に近い部分に。ちゅ。ちゅ?

 ま、ままま、まさか。サリエルが、私に、キス、し、したのかっっ?

 驚愕して、目を見開いて、サリエルを凝視すると。
 サリュは私の頬に当てていた手を、自分の頬に押し当て。プヨプヨ弾む。

「そのように、驚かないでくださいませ、兄上。恥ずかしいではないですかぁ」

 あああああああ。なんと、愛らしい。
 私は動揺して。すぐさま、我には返れなかった。

 サ、サリエルの方から、サリエルの意思で、キスしてくれるなんて。
 あまつさえ、恥じらって膝の上でモジモジするなんて。
 私の婚約者が…可愛すぎるっ。

「兄上、大好きですよ? いつもぼくのことを考えてくれて、ありがとうございます」
「サ、サ、サ、サリエル。先ほど、魔王がやっていたやつをしてもよいか? もみもみしてすりすり…」
「駄目です」
 私の提案は、すぐさまミケージャに却下され。
 サリュは苦笑いだった。

「なぜだっ、父上は許されて、なぜ私は駄目なのだ?」
 私はサリエルをもみもみしたくて、手の指をわきわきと動かすが。

「別に、魔王の所業を許したわけではありませんが。魔王のアレは意味合いが違いますから。婚約者のあなたが、婚約者のサリエル様をもみもみするのは、婚約者の節度を越えます。その、いやらしい手つきは下品でございますよ?」
 正論でミケージャに押し切られた。くそぉ。

 しかししかし、サリエルからの告白の余韻に私は身をゆだね。サリュを優しく抱きしめるのだった。
 婚約者の節度の範囲内である、ハグだ。
「サリエル。私も愛しているよ。私のそばにずっといてくれ?」
 私の胸に顔をうずめるサリュが、小さくうなずくのを感じた。

「ぼく。ディエンヌにいろいろ言われて。みんなの前で、愛情をかけてくれない人に愛情を返せません…って、言ったのですよ? だから、兄上の前でこうしてイジイジしているぼくは。甘えているのです。兄上にしか、こんなことできませんからね? ウザいとかキモいとか思わないでくださいね?」
「誰がウザいんだ? ここには、可愛い可愛い私の婚約者しかいないぞ?」

 サリエルが私に甘えてくれるなんて。すごい進歩だ。
 もっと、もっと、甘えてほしいのに。
 ウザいなんて。ましてやキモいなんて、思うわけがない。
 むしろ、その可憐さに身悶えたいくらいだ。
 胸が熱くて、口から炎を噴き出したいっ。

 そんな心の動揺を押し隠し。私たちはフフフと笑い合って。馬車に揺られながら、身も心も寄り添わせた。
 あぁ、私とサリエルの心の距離が、一歩近づいたのを実感する。

 恋の方向へ、一歩だけ。

 でも、まだまだ足りない。
 もっとだ。もっと、サリエルが溺れるほどに。私しか目に入らぬほどに。
 サリエルを、愛して、愛して、愛してやりたいのだ。

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