魔王の三男だけど、備考欄に『悪役令嬢の兄(尻拭い)』って書いてある?

北川晶

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34 この腹を引っ込ませてから物を言え

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     ◆この腹を引っ込ませてから物を言え

 ぼくとシュナイツは、魔王様の使者さんの案内で謁見の間の前まで来た。
 見上げると、首が痛くなるほどに大きな扉の前で。使者さんに言われた。

「シュナイツ様。これより先は、お通しできません。魔王様が人払いをしておりますので」
「家族でも、駄目ですか?」
 使者に首を振られて、シュナイツは唇をかむ。

「シュナイツ、大丈夫ですよ。父上とお会いするだけです。でも、ちょっと心細いから。ここで待っていてくれませんか?」
 ルビー色の赤い瞳で、シュナイツは心配そうにぼくを見るが。小さくうなずいた。

「わかりました。ここでお待ちしております。でも、もしも殺されそうになったら。大きな声をあげてくださいね? あと追い出すと言われても、うなずいてはいけませんよ? あとひどいことを言われても、大きな声を出してくださいね? あと…」
「大丈夫ですよ。まぁ、ぼくも。魔王様とはそれほど面識はありませんが。この前は優しく抱っこしてくださいましたし」
「凶悪な魔力を垂れ流しましたよ? 普通のお子様なら失神確定案件です」

 まぁ、そうなんだけど。ぼくはなんでか、大丈夫なので。
 苦笑いしつつ。シュナイツにうなずいた。

「魔王様相手に効くかわかりませんが、防御魔法の宝石もありますから。安心して? では。父上のお話を聞いてきます。待っていてくださいね?」
 ぼくは使者さんにうなずいて、扉を開けてもらった。

 はじめて入った、謁見の間は。お披露目会のときに使った会場よりも、大きい。
 だが。氷のように見える白く濁った床、とげとげしたデザインのガラスの柱、壁も真っ白で。
 神秘的だけど、どこか寒々しい印象を覚えた。
 扉から、まっすぐ玉座に向かって伸びる赤い絨毯だけが、色味を帯びている。
 ぼくはその赤い絨毯の上を歩いていき、玉座の前にある階段の前で、膝を床につけてかしこまった。

 普通は、片膝をつくのだけど。もも肉がむっちりで、バランスが難しいので。両膝ついた。むむぅ。

「魔王様、サリエル様がお見えになりました」
 使者さんが、ぼくを紹介してくれる。
 四年ぶりですが、ぼくがサリエルだということは、これでおわかりですね?
 まぁこの、一度見たら忘れられないと陰で言われているまぁるいフォルムは、七歳の頃から変わっていませんから。見覚えはあるでしょうけど?

「あぁ、おまえは下がってよい」
 魔王様が人払いをしているというのは、本当のようで。
 謁見の間には、誰もいなかったし。使者さんも下げられてしまった。
 うーん、緊張、マックスです。

「顔をあげろ、サリエル」
 言われるままに、ぼくは顔をあげ。魔王様をみつめる。
 魔王様が、手をちょいちょいと振るので。
 ぼくは立ち上がって、階段をひとつあがる。
 でも、まだ手を振るので。二段、三段、と上がっていくが…。

「えぇい、いいからさっさとここへこぉいっ」
 魔王様が、ビシッと、人差し指で玉座の隣を示すので。
 ぼくは、ひぇぇぇいとなって。サカサカと階段を上った。
 そして、魔王様の前に立ったのだが。

 ぼくの脇に手を差し入れて、父上がこの前と同じように、ぼくを膝の上に乗っけたのだ。

「うーん、前よりは重いが、まだまだ軽いなぁ」
 魔王様はぼくを膝の上でぽよんぽよんと弾ませる。
 え? 一体、これはなんですかぁ?
「あの、お召しと聞いて参上いたしましたが。これはぁ…」
 言いかけて、ぼくは、ピーンと来てしまいました。

 魔王様の備考欄には『息子の嫁にも、手を出す。要注意』と書かれてありました。ま、まさか。

「まさか、兄上の婚約者であるぼくに、お手、お手を、出されるおつもりでぇ?」
 そういえば膝の上でぽよんぽよんも、見ようによっては、卑猥ひわいに見えなくもなくもない…。
 ぼく、サキュバスの息子だから、そういうエロ知識もあるのですぅ。これはエロいですよ?

「はぁ? 俺がおまえに手を出すぅ? あほかっ。この腹を引っ込ませてから物を言えっ!」
 そうしたら、父上は。
 怒りました。
 ですよねぇ?
 父上はレオンハルト兄上そっくりの顔で目を吊り上げて、ぼくの腹を指先でツンツン突いてきます。

 あぁ、その指使いはっ。

 ラーディン兄上のツンツンと同じですぅ。やはり似たもの親子なのですぅ。
 魔王様はツンツンの手を止めずに、怒声をあげたのだった。

「俺が好色なのは、否定しないぞ? レオンハルトの婚約者が絶世の美人だったら、手を出すこともぉ? なくもなくもないかもしれないがぁ? こんな真ん丸なお子様に手を出すほど、手当たり次第ってわけじゃねぇよ。美的感覚って言葉を知っているかぁ? 俺は面食いなのっ、つか、大体顔と体しか見てねぇのっ。おまえが俺の目に留まるなんぞ、十年、いや、三千年早いわっ。その腹をなんとかしてから出直してこーいっ」

「はいぃぃぃっ」
 すみませぇぇぇん。ぼくが調子に乗りましたぁ。
 レオンハルト兄上が、あんまりにも大事に大事にしてくれるのでぇ?
 婚約破棄虎視眈々勢が、いっぱいいるみたいなのでぇ?
 ぼくはもしかしたら絶世の美人なのではないかな? なんて、勘違いしましたぁ。
 そうです。魔王様の反応が、正しいと。ぼくも思います。
 みなさんの目が優しいせいで。自分の審美眼を疑い始めていましたが。

 やはり、そうですか。ぼくの腹は、出ているのですね?

「いや、出直すな。まだ話が終わっていなかった。つか、話し始めてもいなかった」
 ドッと疲れた様子で、魔王様は長く艶やかな黒髪をかき上げる。
 セクシーな仕草です。
 切れ長の目元は色気がたっぷりで。瞳は禍々まがまがしくも深く赤いピジョンブラッド。
 間近で見ると、本当にお美しい人ですね?
 まぁ、レオンハルト兄上にお顔がそっくりなので、兄上もお美しい方だということだ。

 魔王様は、粗野な兄上です。

 魔族は二十を超えると、成長速度が遅くなるので。
 まだ魔王様も、二十代青年の若々しさがあります。

「話ってのは、他でもない。エレオノラ。おまえの母親のことだ」
 そう切り出して。父上は、真剣な顔でぼくを見た。

「エレオノラは、もう魔王城にはいられなくなった。使用人のことも恐れるようになったのだ。まぁ、魔王城に勤められる者たちだからな、側仕えもそれなりに魔力の多い者が集まっている。魔王城は、本来下級悪魔が寄りつけるような場所ではないのだ」

 魔国では、魔力の高い者が優遇される。
 魔力が強ければ強いほど、人々をひれ伏せさせることができるのだ。
 それはしっかりとした序列になっていて。魔族の中でも小物とされる下級悪魔は。高い魔力を持つ者を前にしたら、顔すら上げられない。
 魔族とは、そういう生物なのだ。

「しかし、アレは。俺の子を産んだ。ディエンヌは確かに俺の魔力を継いでいるからな。間違いはない。だから魔王城を出ても、魔王の側妃と同等の暮らしを約束するつもりだ。それで、だ。サリエル。おまえはエレオノラの息子だから。どうする? 母親とともに魔王城を出て、外で暮らすか?」
「魔王城、一択です」

 ぼくはかぶせ気味にそう言った。だって、迷うまでもない。
 父上は、ぼくの気持ちを聞いてくれようとしたのだろうと思う。
 ぼくとエレオノラ母上が親子なのは、事実なわけだし。
 育てられた覚えはないけれど、養育義務は母上にあるわけだからね?
 でも。答えはひとつだけだ。

「ぼくは一歳のときに母上に捨てられて、レオンハルト兄上に拾ってもらえなかったら、後宮のどこかで息絶えていたことでしょう。そのようなぼくが、母上についていくわけもなく。母上も、ぼくがそばにいたら迷惑でしょう? いつもそう言われております。あ、もしかして。養育費の件でしょうか? ぼくを養育する義務は、魔王様にはございませんからねぇ…」

 話しているうちに、ディエンヌの『魔力なしツノなし使い道なしの三男、なんのとりえもない子を養う義理はないんじゃなぁい?』という言葉が脳裏をよぎったので。そう、つぶやいたのだが。

「いいや? 見くびるな、サリエルよ。俺は息子として受け入れた者を手ぶらで放り出すような、器の小さい男じゃねぇんだ。エレオノラが魔王城を出ても、おまえの養育費はこれまで通りエレオノラに支払うつもりだった」
 ムッとして、魔王様はそう言うけど。
 その言葉にぼくは、ムッと眉間を寄せた。

「まさか、ぼくの養育費は母上に行っているのですか? ぼくを育てているのは、今はレオンハルト兄上ですけど?」
「エレオノラがレオンハルトに渡しているのではないのか?」
「もらっていませんよ? 兄上は、たぶん…」
 そこまで言って。ぼくはっ。事の重大さに戦慄せんりつし、両手で頬を揉み込んだ。

 うそでしょう? あの人、兄上にぼくを育てさせて、養育費はふところに入れているんですかい?

 ひどーい。ぼくは兄上に合わせる顔がありません。親として必要最低限のこともしていないなんてぇ?
「じゃあ、レオンハルトはポケットマネーでおまえを育てたんだな? すげぇ。ハハハ」

 父上は、なんでか、すげぇすげぇ言って笑うばかりです。
 もうっ、魔王様は兄上の実の父でしょ?
 息子へしわ寄せがいっているのに、それを笑い飛ばすなんて。
 それってどうなのですかっ?

「ハハ、じゃあありません。兄上の負担が大きすぎです。兄上は六歳から赤子のぼくを育てていたのですよ? そりゃあ、執事や侍女やたくさんの大人たちに助けられて、ではあるでしょうが。六歳で、家長として責任をもって、ぼくを育て上げたのです。それなのにぃ…」

 せめて金銭的な面は。親と名の付く人たちに、ちゃんとして欲しかった。と思うのです。
 でも、父上は。あくまで軽い感じです。

「いいじゃねぇか。レオンハルトはそれなりに稼いでいるし。好きでやっていたのだろうよ?」
「好きで?」
「魔族は自分の欲望に忠実なものだ。したくないものは、しないもんさ。レオンハルトは、おまえをしっかりと育てて。あまつさえ嫁にしようとしている。あいつがそうしたかったからだろう?」

 六歳の子が、赤子を育てる。その不可思議さに、大人はもう少し申し訳なさを感じていただきたいものです。
 兄上は、好きでやったというような軽い感じでは、決してなかった。
 しっかりと。ぼくに愛情をたっぷりと注いで、育ててくれた。
 そこには、濃くて。甘くて。深くて。素敵で幸せな生活があるのだけど。
 それは、ぼくと兄上だけしか知り得ないこと。
 子育てに参加していない人たちには、教えてあげなーい。ですっ。

「もしかして、自分好みの嫁に育てあげようとしたのかなぁ? わぁ、男のロマンだなぁ? 今のところうまくいっていないみたいだけど。甘やかしすぎだな」
 魔王様は、ぼくのわがままボディのお腹をタプタプ叩いて、笑う。

 余計なお世話です。
 つか、兄上はぼくを甘やかしてはいません。
 ぼくが。ぼくがぁぁっ。なにをしても、やせないだけなのですからっ。

「むしろ、それを成し遂げようとするその執着が、俺は怖いがな?」
 もしも魔王様の言うように、兄上が自分好みの嫁にぼくを育てているのだとしても…むしろ、駄目駄目なわがままボディですみませぇんという感じで。
 そんなぼくを見放したりしない兄上は、それだけぼくを、好いている…というか。気にかけてくれている、ということだから。
 ぼくは嬉しくて。ニマッと笑ってしまったのだが。
 魔王様はその顔を見て、眉間にしわを寄せた。

「おい、俺は怖いと言ったんだが? おまえ、ヤバいやつに捕まっている自覚があるのか? ないんだろうな? 可哀想に。もうあいつからは逃れられないと思うぞ?」

 逃げるつもりなどないので。
 ぼくはいつも通り、のほほんとするだけです。
 しかし。婚約の折に、魔王様はきっと兄上にかなりごり押しされたのでしょうね?
 迫力が、怖かったのかなぁ?
 でも大丈夫です。兄上ほど、お優しい人はいませんからね。

 でも。養育費の件は、しっかりしてください。
「養育費は、これからは兄上にお願いします」

 真剣な空気をにじませて、ぼくがそう言ったら。父上はただ、はい、と言った。よしっ。

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