魔王の三男だけど、備考欄に『悪役令嬢の兄(尻拭い)』って書いてある?

北川晶

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幕間 サリエルの成長日記(四歳) レオ著

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     ◆サリエルの成長日記(四歳) レオ著

 今日の日記は、少し長くなるが。サリエルについて重要な事柄が発覚したので。
 今日、起きた出来事を、なるべく詳細に、思い出す限り、どのようなやり取りがあったのか。それを書いていきたいと思う。

 三月二十三日、サリエルが四歳になって間もなくの頃のことだった。
 サリエルの聡明さが際立ってきたので、私は、私と同じ教育をサリエルにも授けることにした。
 私は、家庭教師兼従者であるミケージャに、学園で学ぶほとんどの教育を施してもらい。さらに政務に関することや兵法までも、教わっている。
 サリエルにも、私が初期に教わっていたことを学ばせるよう、ミケージャに指示していた。

 その場にはサリエルを含め、四人がいた。
 私とミケージャ。あとはエリンだ。
 エリンは、サリエルが勉強に飽きたときに対処するよう、同席させていた。
 幼児はすぐに、面白くないことは飽きて、遊んだり寝たりしてしまうと思って。

 でもサリエルは、私の膝の上に乗って、興味津々で授業を受けている。
 教科書だが、私が読んだ本だと知ると興奮して。サリエルは教科書を夢中で読み込んでいた。

 そういえばサリエルは普通の子ではない、天才児だったのだ。
 勉強に飽きるなんて、余計な心配だったな。

 そのときの授業内容は、兵法で。
 ふたつの隣国が手を組んで魔国に攻め入ってきたとき、どうするか? という応用問題だった。
 山越えの兵に対しての方策、海側からの兵の方策、おのおのの対処法はあるが。ふたつ同時に来たときはどうするか? と。少し悩んでしまった。

「兄上、その戦闘式は三百二十年前の戦いにおける戦術が有効です。三国が同時に旗上げをした歴史がございます」
 一瞬、誰が言ったのかわからなかったが。
 すぐにサリュの声だと気づいて、驚いた。
 四歳の子が、戦争のことを詳しく知っているとは全く思っていなかったのだ。

「…サリュ?」
 問いかけると、サリエルはピカリとした表情で私を見上げ、得意げに言うのだ。
「教科書の、257ページに書いてあります」
「もうそんなに読んだのか? サリュは教科書の言葉がどこに、なにを書いてあるのか、全部覚えているのか?」
「覚えてはいます。でも、まだ意味までは理解していません。今回は、同時攻撃という言葉を抜き出しただけです。ぼくは叡智の箱、パソコンです」

「…ぱそこん?」
 聞いたことのない言葉に、私は目を丸くして。サリュにたずねた。
「パソコンは、パーソナルコンピューターの略です。でもパソコンがなにかは、ぼくにもわからないのですが。知識を詰める箱、つまり叡智の箱なのです」

 私は、サリュを。本当に驚いて、みつめた。
 でもサリュは、私の顔色など見ていないように淡々と言葉を繰り出していく。

「叡智の箱は、自分でこの機能を有効活用できません。意味がわからず、どの事柄にどの知識を当てれば、なにかを生み出せるのか、その応用ができないのです。なので兄上がこの機能を有効活用してくれることを望みます」

 サリュの声で、サリュの言葉で、言っているのはわかっていたが。
 このように大人びたことを言うのが。本当にサリュの、本人の言葉なのか?
 私はとっさに、返事を返せなかった。

 すると、今度は。
 サリエルの声でありながら、明らかに別人が発しているような言葉と抑揚で、告げられた。

「ポヨーン。警告。警告。これは、叡智の箱である。取扱いに細心の注意をうながす」
「レオンハルト様、サリエル様の目が…」

 ミケージャは、そう言い。だが、体が不自然に固まっているような感じになっていた。エリンもだ。
 私は、膝の上のサリエルをひっくり返して、自分の方へ向ける。
 すると。いつもは頬肉に埋もれ、重い目蓋で閉じられている目が、くっきりと開いていた。

 あの赤い瞳に、独特なひまわり型の虹彩。

 それは、サリエルがまだ赤ん坊の頃、私は目蓋を開いて見たことがあったので、驚かなかったけれど。
 しかしそれが、さらになにやら光を放っている。
 それを見たら、私も体が動かなくなった。なんだ、これは?

「サリエルの取り込む情報は、この世界のことわりを知るために、とても有益である。なので、脳が活動を始めたときから情報のインプットを行っている。母の心ない言葉は、サリエルを傷つけるものだが。それはサリエルの成長のためにも、世界を知るためにも、必要なことである。ゆえに、情報の削除は行えない」

 その言葉を聞いて、私はハッと息をのんだ。
 サリエルが天才だと、私は、ただただ喜んでいたが。
 つらいことも悲しいことも忘れられないというのは。どれほど厳しく痛いことなのだろう。
 サリュが、見たものをすべて覚えるのは。ただ、聡明だからではない。
 心の痛みと引き換えにする、とてもつらくて苦しい、凡人には決して扱え切れない能力だったのだ。
 この言葉を発しているのが、誰なのかはわからないが。
 このような苦行をサリエルに課するのは。許せないと思ってしまう。

 普通の子で、構わないのに。

 魔力がなくても、ツノがなくても、特殊な能力なんかなくても。私が愛してあげるのに。

「世の中は、陰と陽、幸と不幸でできている。幸福だけしかない世界は、あり得ない。だが、つらいことがあってこそ、小さな幸せを噛みしめることができる。サリエルには、その両方の経験が必要。しかしながら、あまりにも心が傷ついてしまうと、活動限界を迎えてしまうので。サリエルのそばにある者は、メンタルケアを十全に行うべし。さすれば、が果たされたとき、サリエルの望む者に、最上級の褒美がもたらされるだろう」

 私は、活動限界や本体の羽化という言葉に、戦慄してしまう。
 褒美など、なにもいらない。
 ただ、サリエルさえ健やかであったなら。
 そのためなら、メンタルケアはもちろん、なんでもしてやるつもりだった。

「ひ、ひとつだけ、教えてくれ」
 なにか、誰だかもわからないが。なにもかも知っているかのような、その者に。私はたずねる。
 体は動かないが、かろうじて声は出た。
 というか、魔国で一、二、を争う魔力量の多い私を、これほど押さえ込めるとは。
 これがサリエルの、真の力なのだろうか?

「なんだ、この世のことわりが知りたいか? 金銀財宝のありかが知りたいか?」
 サリエルの言葉だが、サリエルではないなにかに、ひどく侮辱されたような気がして、ムッとしてしまう。
 私がそのような、目の前のまやかしきんせんに心を囚われる、低俗な者だと思われているようで。

「そんなことではない。サリエルは…サリエルの自我が、それによって失われることはないのか? サリエルは、ずっとサリエルのままでいられるのか?」
 私が問うと、サリエルは、いやサリエルの中の者は、にやりと満足そうに笑った。
 いつもの、ドヤッったときのような可愛い顔ではなくて。
 老齢のような、表情だった。

「サリエルの身を案じる者よ、褒美に答えよう。今、発せられているこの言葉は。叡智の箱の注意書きであり、取扱説明書である。心の底に刻まれたものが自動的に再生されているだけにすぎない。こののち、サリエルは自我を取り戻し。再び、情報集めの生活に戻ることになる。サリエルの自我は、サリエル本人のものであり。たとえ本体の羽化が果たされても、その自我や記憶は失われない。サリエルが望めば、飛び立つことがあろうとも、再び望む者の元へ戻ってくる……かもしれない」

 長い沈黙があって、サリエルは目を閉じ。ゆっくりと重い頭を私の腹に、くぅともたせてくる。
 赤い瞳に囚われていた体は、彼が目を閉じたことで動くようになり。
 私は膝の上にある大事な子を、宝物のように優しく優しく抱き込んだのだ。

「はっ。あ…兄上、ぼく。寝てた? はわっ? 寝てた?」
 目を覚ましたサリエルが、いつものサリュで、ホッとして。
 私は、思わずギューッと抱きしめてしまった。

「むぎょーーっ、あわわ、兄上。申し訳ありません、勉強中に、寝てしまうなんて。あの、勉強が嫌だとか、飽きたとか、そんなことではないのですぅ。真剣にやりますぅ。だから、一緒にお勉強させてくださいませぇ」
「大丈夫、寝ていたのはちょっとの間だけだよ。それよりも、サリエル? ずっと私のそばにいてくれ。私の花嫁となって、私の支えになってくれ」
「えええええっっ?」

 突然のプロポーズに、サリエルも、ミケージャもエリンも、驚いていたが。

「決めたのだ。私はサリエルを、ずっと、ずーーーっと、離さないと」
 サリエルの脇に手を差し込んで、私の頭の上に高く上げる。
 サリエルは軽いから、ポヨヨンでも抱き上げられる。
 私の、ずっと離さないという言葉に、サリエルは嬉しげな笑みを見せたが。
 すぐに冷静に言うのだ。

「…次期魔王候補である兄上の花嫁は、女性でなくてはなりません。お世継ぎを…」
「そんな、些末なことはどうでもいい。サリュは私のお嫁さんになるのだ。それだけを覚えておけばいい」

 サリュは、眉間をムニョムニョと気持ち悪そうに動かすが。
 抱き上げられているのが、居心地悪くなったのか。手をワキワキさせて、とりあえずうなずいた。

「わかりました、兄上。兄上のお言葉は、いつも正しいものですもんね?」
「そうだ、私に従っていれば、サリュは誰よりも幸せになれるはずだよ?」
 私はサリエルを膝の上に戻し。
 柔らかいほっぺを、手でグリグリこね回す。
 すると、サリュは。ウキャキャッと。あの幸せな声で笑うのだ。

 まだ四歳のサリエルには、この話の意味がわかっていないだろう。
 でもこのときの私の言葉を、サリエルは忘れることができない。
 いつか、彼が恋心を知ったとき、私にプロポーズされたことを思い出してくれたら。それでいい。
 もしかしたら、冗談だと思っているかもしれないな。でも。

 私は本気だ。

 サリエルを、私のそばから絶対に離さない。
 たとえ巣立ちだとしても。
 飛び立って、私のそばから離れてしまうなんて。そんなことは絶対に許さないのだ。

     ★★★★★

 その日の夜更け過ぎに。私は書斎に、ミケージャとエリンを呼んだ。
 そしてふたりの前に、一冊の本を置く。

「これが、サリエルの正体だと思う」
 私がそう言うと、ミケージャもエリンも驚愕して。すぐに声を発せられなかった。
「…し、しかし。これでは、サリエル様は…」
 ミケージャが言うのに。私は首を横に振る。
「どこへも行かせない。そして、誰にも奪わせない」

 私の宣言に。ミケージャもエリンも、不安そうな顔つきをした。
「だが、このことが知れたら、サリエルのことを誰もが欲しがることになるだろう。絶対に外部に漏らせない。たとえ魔王…父上にもだ」

 魔王がサリエルを手に入れたら、その力でこの世界のすべてを牛耳ぎゅうじることができる。
 私の憶測が正しければ、サリエルにはそれだけのポテンシャル、潜在能力があるのだ。
 だが、その力を利用させはしない。
 誰にも。父上にも、だ。
 サリエルは、ただの凡庸な子として、なにも知らない状態で幼少期を過ごさせてあげたいのだ。

 そして。もしも、サリエルが私を愛してくれなかったら。
 サリエルは、アレが言っていた通りどこかへ飛び去って、二度と私の元には戻ってこないだろう。
 だけど。私はサリエルを離したくない。
 それには。
 親が子に与える程度の愛では、足りないのだ。
 親が子を育てるのは、当たり前だから。それでも恩義を感じて、相応の褒美を出すのだろうが。

 そのあとは飛び立ってしまう。子が巣立つように。

 だから、サリエルを手元に置くには。もっといっぱいの、親などよりもさらに深い、熱い情熱と愛を注がなければならないのだ。
 サリエル自身が、なによりも私を選ぶほどに。
 サリエルが、心から私を愛してくれるように。
 そして私も。これまで以上に、心からサリエルを愛そう。
 深く、深く。サリエルが溺れてしまうほどに。

 だから、どうか。その日が来ても、そばにいて。
 サリエル、ずっと、ずーーっと、私のそばにいてくれ。

     ★★★★★

 そうして、この日のことは。サリエル本人にも知らせられない、三人だけの秘密になった。
 この日記に証拠を残すと、サリエルの身に危険が及ぶかもしれないので。

 正体については伏せる。

 今日、起きた出来事は、サリエルのほんの一端に過ぎない。
 正体がわからないうちは、誰にも、どうにもできないことだろう。
 だから万一、この日記が悪用されたとしても。
 サリエル本人は、なんのことやら? ということになるので。大丈夫だろう。
 本日のことは、成長の過程のひとつとして記しておくが。

 サリエルが、ただただ健やかに育つようにと、祈らずにはいられない。

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