28 / 184
19 麻酔をかけて手術します
しおりを挟む
◆麻酔をかけて手術します
手を挙げて、ぬいぐるみを頭の上で持ちながら。池からじゃぶじゃぶと出る、ぼく。
池のほとりで、シュナイツは泣きながらおろおろしていて。
岸に上がったぼくに駆け寄ってくる。
あ、濡れるから、触らないでね?
「あああ、サリエル兄上ぇ、すみません。ぼく、すみませぇん」
シュナイツはルビーのような赤い瞳を、涙でウルウルさせている。
あぁ、瞳は魔王さまに似ていますね?
「大丈夫だから、気にしないで。はい、ぬいぐるみは無事だよぉ?」
ディエンヌに投げられたぬいぐるみを、一度も地に落とさずキャッチしたぼくは。
意気揚々と彼に手渡した。のだが。
それを見て、シュナイツは、ひぃぃぃぃっと泣き始めた。
うぇっ? どうした? と思って、見ると。
ウサギ(魔獣ではない普通の動物)の腕がもげかけて、綿が飛び出ていた。
ひえぇぇぇぇっ。ディ、ディ、ディエンヌのやつぅぅぅ。
おそらく、ディエンヌとシュナイツがぬいぐるみを取り合って、引っ張り合ったときに。腕が傷ついてしまったのだろう。
うううぅぅ、これでは。ぬいぐるみを無傷で救えなかったから。ぼくのインナーの心も、傷ついてしまいますぅ。
そう思って辺りを見回すが。
もう、ディエンヌのディの字も見えないのだった。
トンずらしやがったなぁ? あの、悪役令嬢めっ。
「う、う、うちの妹が、ごめんね? 許せないだろうけど。ぼくが、このうさちゃんは治してあげるからね?」
シュナイツはウサギのぬいぐるみをヒシっと抱きしめて、大粒の涙をぽろぽろこぼす。
白い髪にピンクの影がつく、独特の色合いで。しかもボブカットだから。その姿で泣かれると本当に、華奢で可憐な女の子が泣いているように見えてしまった。
「も、もう…アドラルのこと、痛くしたくない…」
「この、うさちゃんが、アドラルって名前なのかい?」
聞くと、コクリと小さくうなずいた。
インナーも、自分が大事にしていた毛布が破られたとき、痛みを感じたと言っていた。
きっと自分の腕がもげちゃったみたいに、アドラルの痛みをシュナイツは感じているのだろう。
可哀想だなぁ。
シュナイツの備考欄には、気が弱いから強気で押せば落ちる、なんて書かれてあって。
きっと、繊細な子なんだと思うんだ。
お友達のぬいぐるみがそばにいないと、怖くて、子供会にも出られないような。
「あ、アドラルが。子供会に行けば、お友達ができるって、言ったの。だから、がんばって来たのに。こんなことになっちゃうなんてぇ」
ひぇひぇと、悲しげな嗚咽で泣くシュナイツを。ぼくは頭をナデナデして慰めるしかなくて。
歯がゆかったけれど。
でもぼくは、アドラルを治してあげられるんだ。
「シュナイツ? このままの方が、アドラルは痛い痛いなんじゃないかな? 必ず、ぼくが治してあげるから」
「痛く、しない?」
「うん。ぼくに、考えがあるからね。任せて」
そうしたら、シュナイツは。戸惑いながらも、うん、って言ってくれた。
そこにミケージャと。彼を呼びに行ってくれたマルチェロと。シュナイツの従者の人が来て。
「あぁ、サリエル様。びっちょりではありませんか。早くお着替えしないと、風邪をひきます」
ミケージャも、泣くシュナイツを見る彼の従者も、おろおろしちゃって。
大変だけど。とりあえずサロンに戻ることにした。
ミケージャ…お着替えありますか?
お着替え、ありました。
まったく同じものではないですが。子供の集まりでは、張り切ったり調子に乗ったりして、服を汚す子がいるので。お着替えの持参は必須らしい。
ああああぁぁっ、そんな、調子こいて池ポチャする子供みたいなことをしちゃって。恥ずかしいっ。
でも、まぁとりあえず。やっちゃったものは仕方がない。ムフン。
先月同様、またまた休憩室を使わせていただいて。
お着替えしたぼくは、今度は御令嬢のドレスではなく、シュナイツのぬいぐるみアドラルのお直しをするのだった。
マルチェロとマリーベルは、ぼくを見守りつつお茶会をしております。
優雅な兄妹ですな?
ちなみに、マリーベルは。シュナイツの捜索を早々にあきらめて、サロンでお茶をしていたらしい。
くぅ。女の子って、要領良すぎです。
お茶会の円卓に、みんなで座りまして。
ぼくは、机の上にアドラルを置き。携帯用裁縫セットをポケットから取り出し、針と糸を用意しました。キラーン。
「それで刺したら、アドラルが痛がっちゃう」
ぼくの隣で、アドラルの治療を見守るシュナイツがそう言った。
そうでした。アドラルが痛くないようにしないといけないんだった。
「シュナイツ? これからアドラルの治療の説明をいたしますので、よく聞いてください。アドラルは重症なので、手術をします。でも麻酔をかけるので。寝ている間は、針を刺しても痛くありません」
「ますい?」
「ふかーく、眠れる魔法です。アドラルは、麻酔が効いている間は痛くないし、ただ寝ているだけです。わかりましたか?」
シュナイツは、たぶんわからないながらも、うなずいた。
そう、術前の家族への説明はとても大事です。
「ではこれから、麻酔をかけて、手術します。マルチェロ、アドラルに麻酔をかけてください」
「は? 私が麻酔をするのかい?」
ぼくはギラリと、マルチェロをにらみます。
糸目で、にらまれているとは気づかないでしょうが。
それはともかく。乗り掛かった舟です。一蓮托生ですぅっ。
「うぅ、わ、わかった。これから麻酔をかけますぅ」
ぼくの気迫は、どうやら伝わったみたいです。
マルチェロは、うなずいて。アドラルに向かって、怪しい手の動きで、魔法をかけるフリをする。
ありがとうございます、マルチェロ。
魔力なしのぼくがやっても、説得力ないので。
アドラルを指で触っていたぼくは、ぬいぐるみをビルビル揺らして、ガクリと脱力させる。
シュナイツは、あぁ、と声をあげた。
「アドラルに、麻酔がかかりました。では、手術開始です」
そうしてから、ぼくはぬいぐるみのお直しを始めたのだった。
ディエンヌのビリビリ期によって、ぼくの裁縫スキルはメキメキあがり。
御令嬢の破れたドレスを、見映え悪くなく縫い合わせることはもとより。なんでも上手に縫い合わせられるようになっています。
この、ソーセージのようなぶっとい指ではありますが。
使ってみれば、案外器用で。
逆に、ぶっとさを利用して一定の縫い幅でしっかりと縫うことも可能になっております。
先日など、魔王城御用達の仕立て屋であるドレス職人に、スカウトされたほどです。
兄上に睨まれていましたが。
それはともかく。
ぼくのプロにほど近い手さばきを、シュナイツもマルチェロもマリーベルも目を丸くして見ています。
ふふん、どうよ。
綿を丁寧に中に入れ込んで、腕のもげかけた部分を白糸で細かく縫い合わせ。
ちょっと見はわからない程度に、うまく治せました。
これならインナーも、及第点をくれるでしょう。
「手術、完了です。マルチェロ、麻酔を解いてください」
言うと、マルチェロはまた指をうにゃうにゃ動かした。
ぼくもアドラルをビルビル動かして、ハッと頭をあげるように見せて、ぬいぐるみを覚醒させた。
「さぁ、アドラルはこれで元気になったよ?」
今度こそ、ぼくは意気揚々とぬいぐるみをシュナイツに渡した。
シュナイツは、可愛らしいぱぁっとした笑顔を見せて、アドラルをぼくから受け取る。
そしてむぎゅうと、うさちゃんを抱きしめた。
よかった。今度は泣かないでくれた。
インナーが受けたような悲しみを、シュナイツも感じてしまっただろうが。少しはやわらげられたかな?
「アドラル、まだ、ちょっと痛いって…」
悲しげに、シュナイツはつぶやく。
針を刺したところ、見たものね?
「手術をしたばかりだから、傷口はちょっと痛むけれど。あとは治るだけだからね? 時間がたったら、痛くなくなるからね?」
そう言って、ぼくはアドラルの腕に手を当てて、痛いの痛いの飛んでけーと呪文を唱えるのだった。
「それは、なぁに?」
「痛いのが早くなくなる、おまじないだよ」
「もっと、やって。サリエル兄上、もっとしてあげて?」
シュナイツは、アドラルをぼくにぐいぐい押し付けるので。ぼくはシュナイツの気が済むまで、飛んでけーを繰り返すのだった。
「まぁ、シュナイツ様は私にもアドラルを触らせてくれないのに。シュナイツ様はサリエル様をお好きになったのですね?」
ひと息ついて、シュナイツの前に紅茶を差し出した従者がそう言って。
シュナイツははにかむように、ポッと頬を染めた。
「あぁ? ダメなんだからねぇ? サリエル様は私のパンちゃんなんだから」
マリーベルが、なにやらシュナイツに対抗してぼくの右手をつかんだ。
シュナイツはマリーベルの言葉から、ぼくにメジロパンクマの面影をみつけたらしく。
パンちゃん…とつぶやいた。
「マリーのパンちゃんじゃないもん。サリエル兄上は、ぼくのパンちゃんだもん」
今度はシュナイツが、ぼくの左腕にしがみついた。
どちらのパンちゃんでもありませんっ。
もう。これでは、落ち着いてお茶も飲めないではありませんかぁ。
「あぁ、ぼくのお友達のサリーの両手が、幼児に取られてしまったぁ。でも、同級生の利点があるもんね。おまえらは絶対に、学校ではサリエルと同じ学年になれないんだもんねぇ」
マルチェロまで、なんでか張り合うから。
マリーベルとシュナイツが『いっしょに学校に行くぅ』なんて、泣き出しちゃって。
あぁ、もう。別の意味で阿鼻叫喚になっているではありませんか。
「マルチェロ、お子様を泣かせないでください。つか、ぼくらもまだ学校へ行くのは先の話ではありませんか?」
魔国の、ぼくらが通う予定の学校は、貴族子女が通う『ロンディウヌス魔王国立学園』だ。
そこでは、魔獣の生態や。この世界で生活をする、魔族、妖精、精霊、獣人や、隣国である人族の特徴や歴史を学んだり。魔法を極めたり。
貴族としての立ち振る舞い礼儀作法や。国の根幹を支える政治、経済、国の運営法。
または、騎士や兵士になるための訓練、など。様々な事柄を学べるのだ。
でも入学年齢は、十二歳から十八歳までなので。まだまだ先の話です。
ちなみにレオンハルト兄上は。現在十二歳ですが。
すでに国の中枢にて、公務や、重要なお仕事を任されていますので。学園に行くことは免除されています。
兄上はすごーい。
「はいはい、からかうのはなしだな?」
マリーベルとシュナイツが、泣きながらぼくの隣に椅子を近づけて。腕につかまったまま、ぎゅーで。離れないから。
マルチェロは、ぼくの対面に移動して優雅に紅茶を口にした。
「でもさ、私たちほどの頭脳があれば学園に行かないで、十二歳でレオの公務を手伝う選択もアリだと思うんだよね? サリーはどう思う?」
「それは、とても魅力的なお話です。ぼくはレオンハルト兄上のお役に立つ人材になることが、夢なので。できれば、ぼくもそうしたいです。切実にっ。でも…学園でディエンヌを野放しにするのは…」
ぼくは糸目をさらに細めて、ため息をつく。
そうだ、ぼくの望みだけを願うなら、マルチェロの案は一番素敵な提案である。
だけど、ぼくは。兄として、ディエンヌの尻拭いをする運命。
ぼくや、兄上の目の届かない学園で、ディエンヌが心のままに振舞ったら、どうなるのだ?
恐ろしくて、考えたくないし。
そのことで、万が一兄上にご迷惑が掛かったら。ぼくは。ぼくはぁぁぁっ。
「うーん。サリーが、兄上と早くお仕事したい、という気持ちは伝わったよ。そうできなさそうなことも、ね?」
マルチェロが残念だとばかりに、首を横に振る。
「ぼくは、無理でも。マルチェロはぜひ兄上のお力になってくださいませ」
「そんな、水臭いことを言わないでくれ? 君が学園に行くというのなら、私ももちろん行くよ。だって、私は君のお友達だからね? それにサリーのそばにいると、なんだか面白いし」
彼は対面で、にっこり笑った。
それは、サロンにいるみんなに向ける作られた笑顔ではなく。
心底面白そうな、愉快そうな、楽しそうな、飾らない笑顔だった。
マルチェロがぼくといて、楽しいと思ってもらえているのならそれでいいけど。
ぼくも、マルチェロがそばにいたら楽しいし、心強いからね?
「私も、パンちゃんといっしょに行く」
「ぼくも、兄上と学園に行きます」
「君らは、一年遅れだからね」
マルチェロのツッコミに、ふたりがまた、わぁっと泣き出した。
もう、マルチェロっ!!
手を挙げて、ぬいぐるみを頭の上で持ちながら。池からじゃぶじゃぶと出る、ぼく。
池のほとりで、シュナイツは泣きながらおろおろしていて。
岸に上がったぼくに駆け寄ってくる。
あ、濡れるから、触らないでね?
「あああ、サリエル兄上ぇ、すみません。ぼく、すみませぇん」
シュナイツはルビーのような赤い瞳を、涙でウルウルさせている。
あぁ、瞳は魔王さまに似ていますね?
「大丈夫だから、気にしないで。はい、ぬいぐるみは無事だよぉ?」
ディエンヌに投げられたぬいぐるみを、一度も地に落とさずキャッチしたぼくは。
意気揚々と彼に手渡した。のだが。
それを見て、シュナイツは、ひぃぃぃぃっと泣き始めた。
うぇっ? どうした? と思って、見ると。
ウサギ(魔獣ではない普通の動物)の腕がもげかけて、綿が飛び出ていた。
ひえぇぇぇぇっ。ディ、ディ、ディエンヌのやつぅぅぅ。
おそらく、ディエンヌとシュナイツがぬいぐるみを取り合って、引っ張り合ったときに。腕が傷ついてしまったのだろう。
うううぅぅ、これでは。ぬいぐるみを無傷で救えなかったから。ぼくのインナーの心も、傷ついてしまいますぅ。
そう思って辺りを見回すが。
もう、ディエンヌのディの字も見えないのだった。
トンずらしやがったなぁ? あの、悪役令嬢めっ。
「う、う、うちの妹が、ごめんね? 許せないだろうけど。ぼくが、このうさちゃんは治してあげるからね?」
シュナイツはウサギのぬいぐるみをヒシっと抱きしめて、大粒の涙をぽろぽろこぼす。
白い髪にピンクの影がつく、独特の色合いで。しかもボブカットだから。その姿で泣かれると本当に、華奢で可憐な女の子が泣いているように見えてしまった。
「も、もう…アドラルのこと、痛くしたくない…」
「この、うさちゃんが、アドラルって名前なのかい?」
聞くと、コクリと小さくうなずいた。
インナーも、自分が大事にしていた毛布が破られたとき、痛みを感じたと言っていた。
きっと自分の腕がもげちゃったみたいに、アドラルの痛みをシュナイツは感じているのだろう。
可哀想だなぁ。
シュナイツの備考欄には、気が弱いから強気で押せば落ちる、なんて書かれてあって。
きっと、繊細な子なんだと思うんだ。
お友達のぬいぐるみがそばにいないと、怖くて、子供会にも出られないような。
「あ、アドラルが。子供会に行けば、お友達ができるって、言ったの。だから、がんばって来たのに。こんなことになっちゃうなんてぇ」
ひぇひぇと、悲しげな嗚咽で泣くシュナイツを。ぼくは頭をナデナデして慰めるしかなくて。
歯がゆかったけれど。
でもぼくは、アドラルを治してあげられるんだ。
「シュナイツ? このままの方が、アドラルは痛い痛いなんじゃないかな? 必ず、ぼくが治してあげるから」
「痛く、しない?」
「うん。ぼくに、考えがあるからね。任せて」
そうしたら、シュナイツは。戸惑いながらも、うん、って言ってくれた。
そこにミケージャと。彼を呼びに行ってくれたマルチェロと。シュナイツの従者の人が来て。
「あぁ、サリエル様。びっちょりではありませんか。早くお着替えしないと、風邪をひきます」
ミケージャも、泣くシュナイツを見る彼の従者も、おろおろしちゃって。
大変だけど。とりあえずサロンに戻ることにした。
ミケージャ…お着替えありますか?
お着替え、ありました。
まったく同じものではないですが。子供の集まりでは、張り切ったり調子に乗ったりして、服を汚す子がいるので。お着替えの持参は必須らしい。
ああああぁぁっ、そんな、調子こいて池ポチャする子供みたいなことをしちゃって。恥ずかしいっ。
でも、まぁとりあえず。やっちゃったものは仕方がない。ムフン。
先月同様、またまた休憩室を使わせていただいて。
お着替えしたぼくは、今度は御令嬢のドレスではなく、シュナイツのぬいぐるみアドラルのお直しをするのだった。
マルチェロとマリーベルは、ぼくを見守りつつお茶会をしております。
優雅な兄妹ですな?
ちなみに、マリーベルは。シュナイツの捜索を早々にあきらめて、サロンでお茶をしていたらしい。
くぅ。女の子って、要領良すぎです。
お茶会の円卓に、みんなで座りまして。
ぼくは、机の上にアドラルを置き。携帯用裁縫セットをポケットから取り出し、針と糸を用意しました。キラーン。
「それで刺したら、アドラルが痛がっちゃう」
ぼくの隣で、アドラルの治療を見守るシュナイツがそう言った。
そうでした。アドラルが痛くないようにしないといけないんだった。
「シュナイツ? これからアドラルの治療の説明をいたしますので、よく聞いてください。アドラルは重症なので、手術をします。でも麻酔をかけるので。寝ている間は、針を刺しても痛くありません」
「ますい?」
「ふかーく、眠れる魔法です。アドラルは、麻酔が効いている間は痛くないし、ただ寝ているだけです。わかりましたか?」
シュナイツは、たぶんわからないながらも、うなずいた。
そう、術前の家族への説明はとても大事です。
「ではこれから、麻酔をかけて、手術します。マルチェロ、アドラルに麻酔をかけてください」
「は? 私が麻酔をするのかい?」
ぼくはギラリと、マルチェロをにらみます。
糸目で、にらまれているとは気づかないでしょうが。
それはともかく。乗り掛かった舟です。一蓮托生ですぅっ。
「うぅ、わ、わかった。これから麻酔をかけますぅ」
ぼくの気迫は、どうやら伝わったみたいです。
マルチェロは、うなずいて。アドラルに向かって、怪しい手の動きで、魔法をかけるフリをする。
ありがとうございます、マルチェロ。
魔力なしのぼくがやっても、説得力ないので。
アドラルを指で触っていたぼくは、ぬいぐるみをビルビル揺らして、ガクリと脱力させる。
シュナイツは、あぁ、と声をあげた。
「アドラルに、麻酔がかかりました。では、手術開始です」
そうしてから、ぼくはぬいぐるみのお直しを始めたのだった。
ディエンヌのビリビリ期によって、ぼくの裁縫スキルはメキメキあがり。
御令嬢の破れたドレスを、見映え悪くなく縫い合わせることはもとより。なんでも上手に縫い合わせられるようになっています。
この、ソーセージのようなぶっとい指ではありますが。
使ってみれば、案外器用で。
逆に、ぶっとさを利用して一定の縫い幅でしっかりと縫うことも可能になっております。
先日など、魔王城御用達の仕立て屋であるドレス職人に、スカウトされたほどです。
兄上に睨まれていましたが。
それはともかく。
ぼくのプロにほど近い手さばきを、シュナイツもマルチェロもマリーベルも目を丸くして見ています。
ふふん、どうよ。
綿を丁寧に中に入れ込んで、腕のもげかけた部分を白糸で細かく縫い合わせ。
ちょっと見はわからない程度に、うまく治せました。
これならインナーも、及第点をくれるでしょう。
「手術、完了です。マルチェロ、麻酔を解いてください」
言うと、マルチェロはまた指をうにゃうにゃ動かした。
ぼくもアドラルをビルビル動かして、ハッと頭をあげるように見せて、ぬいぐるみを覚醒させた。
「さぁ、アドラルはこれで元気になったよ?」
今度こそ、ぼくは意気揚々とぬいぐるみをシュナイツに渡した。
シュナイツは、可愛らしいぱぁっとした笑顔を見せて、アドラルをぼくから受け取る。
そしてむぎゅうと、うさちゃんを抱きしめた。
よかった。今度は泣かないでくれた。
インナーが受けたような悲しみを、シュナイツも感じてしまっただろうが。少しはやわらげられたかな?
「アドラル、まだ、ちょっと痛いって…」
悲しげに、シュナイツはつぶやく。
針を刺したところ、見たものね?
「手術をしたばかりだから、傷口はちょっと痛むけれど。あとは治るだけだからね? 時間がたったら、痛くなくなるからね?」
そう言って、ぼくはアドラルの腕に手を当てて、痛いの痛いの飛んでけーと呪文を唱えるのだった。
「それは、なぁに?」
「痛いのが早くなくなる、おまじないだよ」
「もっと、やって。サリエル兄上、もっとしてあげて?」
シュナイツは、アドラルをぼくにぐいぐい押し付けるので。ぼくはシュナイツの気が済むまで、飛んでけーを繰り返すのだった。
「まぁ、シュナイツ様は私にもアドラルを触らせてくれないのに。シュナイツ様はサリエル様をお好きになったのですね?」
ひと息ついて、シュナイツの前に紅茶を差し出した従者がそう言って。
シュナイツははにかむように、ポッと頬を染めた。
「あぁ? ダメなんだからねぇ? サリエル様は私のパンちゃんなんだから」
マリーベルが、なにやらシュナイツに対抗してぼくの右手をつかんだ。
シュナイツはマリーベルの言葉から、ぼくにメジロパンクマの面影をみつけたらしく。
パンちゃん…とつぶやいた。
「マリーのパンちゃんじゃないもん。サリエル兄上は、ぼくのパンちゃんだもん」
今度はシュナイツが、ぼくの左腕にしがみついた。
どちらのパンちゃんでもありませんっ。
もう。これでは、落ち着いてお茶も飲めないではありませんかぁ。
「あぁ、ぼくのお友達のサリーの両手が、幼児に取られてしまったぁ。でも、同級生の利点があるもんね。おまえらは絶対に、学校ではサリエルと同じ学年になれないんだもんねぇ」
マルチェロまで、なんでか張り合うから。
マリーベルとシュナイツが『いっしょに学校に行くぅ』なんて、泣き出しちゃって。
あぁ、もう。別の意味で阿鼻叫喚になっているではありませんか。
「マルチェロ、お子様を泣かせないでください。つか、ぼくらもまだ学校へ行くのは先の話ではありませんか?」
魔国の、ぼくらが通う予定の学校は、貴族子女が通う『ロンディウヌス魔王国立学園』だ。
そこでは、魔獣の生態や。この世界で生活をする、魔族、妖精、精霊、獣人や、隣国である人族の特徴や歴史を学んだり。魔法を極めたり。
貴族としての立ち振る舞い礼儀作法や。国の根幹を支える政治、経済、国の運営法。
または、騎士や兵士になるための訓練、など。様々な事柄を学べるのだ。
でも入学年齢は、十二歳から十八歳までなので。まだまだ先の話です。
ちなみにレオンハルト兄上は。現在十二歳ですが。
すでに国の中枢にて、公務や、重要なお仕事を任されていますので。学園に行くことは免除されています。
兄上はすごーい。
「はいはい、からかうのはなしだな?」
マリーベルとシュナイツが、泣きながらぼくの隣に椅子を近づけて。腕につかまったまま、ぎゅーで。離れないから。
マルチェロは、ぼくの対面に移動して優雅に紅茶を口にした。
「でもさ、私たちほどの頭脳があれば学園に行かないで、十二歳でレオの公務を手伝う選択もアリだと思うんだよね? サリーはどう思う?」
「それは、とても魅力的なお話です。ぼくはレオンハルト兄上のお役に立つ人材になることが、夢なので。できれば、ぼくもそうしたいです。切実にっ。でも…学園でディエンヌを野放しにするのは…」
ぼくは糸目をさらに細めて、ため息をつく。
そうだ、ぼくの望みだけを願うなら、マルチェロの案は一番素敵な提案である。
だけど、ぼくは。兄として、ディエンヌの尻拭いをする運命。
ぼくや、兄上の目の届かない学園で、ディエンヌが心のままに振舞ったら、どうなるのだ?
恐ろしくて、考えたくないし。
そのことで、万が一兄上にご迷惑が掛かったら。ぼくは。ぼくはぁぁぁっ。
「うーん。サリーが、兄上と早くお仕事したい、という気持ちは伝わったよ。そうできなさそうなことも、ね?」
マルチェロが残念だとばかりに、首を横に振る。
「ぼくは、無理でも。マルチェロはぜひ兄上のお力になってくださいませ」
「そんな、水臭いことを言わないでくれ? 君が学園に行くというのなら、私ももちろん行くよ。だって、私は君のお友達だからね? それにサリーのそばにいると、なんだか面白いし」
彼は対面で、にっこり笑った。
それは、サロンにいるみんなに向ける作られた笑顔ではなく。
心底面白そうな、愉快そうな、楽しそうな、飾らない笑顔だった。
マルチェロがぼくといて、楽しいと思ってもらえているのならそれでいいけど。
ぼくも、マルチェロがそばにいたら楽しいし、心強いからね?
「私も、パンちゃんといっしょに行く」
「ぼくも、兄上と学園に行きます」
「君らは、一年遅れだからね」
マルチェロのツッコミに、ふたりがまた、わぁっと泣き出した。
もう、マルチェロっ!!
284
お気に入りに追加
4,030
あなたにおすすめの小説

弱すぎると勇者パーティーを追放されたハズなんですが……なんで追いかけてきてんだよ勇者ァ!
灯璃
BL
「あなたは弱すぎる! お荷物なのよ! よって、一刻も早くこのパーティーを抜けてちょうだい!」
そう言われ、勇者パーティーから追放された冒険者のメルク。
リーダーの勇者アレスが戻る前に、元仲間たちに追い立てられるようにパーティーを抜けた。
だが数日後、何故か勇者がメルクを探しているという噂を酒場で聞く。が、既に故郷に帰ってスローライフを送ろうとしていたメルクは、絶対に見つからないと決意した。
みたいな追放ものの皮を被った、頭おかしい執着攻めもの。
追いかけてくるまで説明ハイリマァス
※完結致しました!お読みいただきありがとうございました!
※11/20 短編(いちまんじ)新しく書きました!
※12/14 どうしてもIF話書きたくなったので、書きました!これにて本当にお終いにします。ありがとうございました!

【完結】僕の異世界転生先は卵で生まれて捨てられた竜でした
エウラ
BL
どうしてこうなったのか。
僕は今、卵の中。ここに生まれる前の記憶がある。
なんとなく異世界転生したんだと思うけど、捨てられたっぽい?
孵る前に死んじゃうよ!と思ったら誰かに助けられたみたい。
僕、頑張って大きくなって恩返しするからね!
天然記念物的な竜に転生した僕が、助けて育ててくれたエルフなお兄さんと旅をしながらのんびり過ごす話になる予定。
突発的に書き出したので先は分かりませんが短い予定です。
不定期投稿です。
本編完結で、番外編を更新予定です。不定期です。
【完結】守護霊さん、それは余計なお世話です。
N2O
BL
番のことが好きすぎる第二王子(熊の獣人/実は割と可愛い)
×
期間限定で心の声が聞こえるようになった黒髪青年(人間/番/実は割と逞しい)
Special thanks
illustration by 白鯨堂こち
※ご都合主義です。
※素人作品です。温かな目で見ていただけると助かります。

マリオネットが、糸を断つ時。
せんぷう
BL
異世界に転生したが、かなり不遇な第二の人生待ったなし。
オレの前世は地球は日本国、先進国の裕福な場所に産まれたおかげで何不自由なく育った。確かその終わりは何かの事故だった気がするが、よく覚えていない。若くして死んだはずが……気付けばそこはビックリ、異世界だった。
第二生は前世とは正反対。魔法というとんでもない歴史によって構築され、貧富の差がアホみたいに激しい世界。オレを産んだせいで母は体調を崩して亡くなったらしくその後は孤児院にいたが、あまりに酷い暮らしに嫌気がさして逃亡。スラムで前世では絶対やらなかったような悪さもしながら、なんとか生きていた。
そんな暮らしの終わりは、とある富裕層らしき連中の騒ぎに関わってしまったこと。不敬罪でとっ捕まらないために背を向けて逃げ出したオレに、彼はこう叫んだ。
『待て、そこの下民っ!! そうだ、そこの少し小綺麗な黒い容姿の、お前だお前!』
金髪縦ロールにド派手な紫色の服。装飾品をジャラジャラと身に付け、靴なんて全然汚れてないし擦り減ってもいない。まさにお貴族様……そう、貴族やら王族がこの世界にも存在した。
『貴様のような虫ケラ、本来なら僕に背を向けるなどと斬首ものだ。しかし、僕は寛大だ!!
許す。喜べ、貴様を今日から王族である僕の傍に置いてやろう!』
そいつはバカだった。しかし、なんと王族でもあった。
王族という権力を振り翳し、盾にするヤバい奴。嫌味ったらしい口調に人をすぐにバカにする。気に入らない奴は全員斬首。
『ぼ、僕に向かってなんたる失礼な態度っ……!! 今すぐ首をっ』
『殿下ったら大変です、向こうで殿下のお好きな竜種が飛んでいた気がします。すぐに外に出て見に行きませんとー』
『なにっ!? 本当か、タタラ! こうしては居られぬ、すぐに連れて行け!』
しかし、オレは彼に拾われた。
どんなに嫌な奴でも、どんなに周りに嫌われていっても、彼はどうしようもない恩人だった。だからせめて多少の恩を返してから逃げ出そうと思っていたのに、事態はどんどん最悪な展開を迎えて行く。
気に入らなければ即断罪。意中の騎士に全く好かれずよく暴走するバカ王子。果ては王都にまで及ぶ危険。命の危機など日常的に!
しかし、一緒にいればいるほど惹かれてしまう気持ちは……ただの忠誠心なのか?
スラム出身、第十一王子の守護魔導師。
これは運命によってもたらされた出会い。唯一の魔法を駆使しながら、タタラは今日も今日とてワガママ王子の手綱を引きながら平凡な生活に焦がれている。
※BL作品
恋愛要素は前半皆無。戦闘描写等多数。健全すぎる、健全すぎて怪しいけどこれはBLです。
.
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。

繋がれた絆はどこまでも
mahiro
BL
生存率の低いベイリー家。
そんな家に生まれたライトは、次期当主はお前であるのだと父親である国王は言った。
ただし、それは公表せず表では双子の弟であるメイソンが次期当主であるのだと公表するのだという。
当主交代となるそのとき、正式にライトが当主であるのだと公表するのだとか。
それまでは国を離れ、当主となるべく教育を受けてくるようにと指示をされ、国を出ることになったライト。
次期当主が発表される数週間前、ライトはお忍びで国を訪れ、屋敷を訪れた。
そこは昔と大きく異なり、明るく温かな空気が流れていた。
その事に疑問を抱きつつも中へ中へと突き進めば、メイソンと従者であるイザヤが突然抱き合ったのだ。
それを見たライトは、ある決意をし……?

【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました

神獣様の森にて。
しゅ
BL
どこ、ここ.......?
俺は橋本 俊。
残業終わり、会社のエレベーターに乗ったはずだった。
そう。そのはずである。
いつもの日常から、急に非日常になり、日常に変わる、そんなお話。
7話完結。完結後、別のペアの話を更新致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる